Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド

第10話 辿り着いた屋敷




……あたしの世界は、この窓から見える景色が全てだった。
どうしてみんなと一緒に太陽の下で元気一杯に駆け回ることができないんだろう。遊ぶことができないんだろう。
どうしてあたしの身体はこんなにも弱いんだろう。脆いんだろう。成長しないんだろう。ねえ神様、ひどいよ。

春の優しい風に吹かれて揺れる、色とりどりの花たち。小鳥達のさえずる声。ふんわりと運ばれてくる花の香り。
夏の力強い光に照らされた、碧の木々達。そのあまりにも眩しすぎる陽射しに、殆どカーテンを閉めていた。
すっかり色付いた木の葉を舞い上げる秋の冷たい風。窓の外はいつも枯れ葉が舞いながらあたしを見つめていた。
刺すような寒さの冬。全てを白く塗りつぶしてくれる雪は、あたしも塗りつぶされてしまいそうで怖かったんだ。


そして、また春が来た。
完全に死に絶えてしまったかと思われた小さな命達が、次々に芽吹いてくる。冬にも負けない力強い命たち。
それを永遠に繰り返すんだ。春が過ぎ、夏が来て。秋の次には冬が来る。それはとても当たり前なことだった。

あたしはどうなるんだろう。冬の次には、春が訪れるのだろうか。再び春を目にすることができるのだろうか。
もう一度、あと一度だけでも。この命の繰り返しを見ることができるのだろうか。
お願いです神様。苦いお薬も我慢して飲むし、パパやママの言い付けもきちんと守る良い子でいるから。どうか。

……どうかあたしも、みんなと一緒に遊べるようになりたい。


『ねえ、ママ。この世界は幸せの量がちゃんと決まっているのかな?』
『あらあらどうしたの、私の可愛い天使ちゃん。急にそんなことを言い出して』
『誰かが幸せなら、誰かが不幸になる。……そう決まっているのかな。それって、とっても悲しいことだよね?』

『あなたは神様に祝福されて生まれてきた天使なのよ。こんなにも良い子なのだから、必ず身体も良くなるわ』
『……ママの嘘つき! 神様に祝福されて生まれてきたなんて嘘だよ、みんなが言ってるの知ってるもん!』
『えっ?」

『お前は悪魔の子だって。神様に見放された悪魔の子なんだって……!』







陽は完全に暮れており、分厚い黒雲に覆われた空は月明りすら見当たらない。
先程までは遠くの方角で鳴り響いていた雷鳴が段々と近付いてくる。それと同時にぽつぽつと雨も降り始めた。
鬱蒼と茂った深い森の中。雨が避けられる場所を求めて、泥水でぬかるんだ細い道を走る二つの人影があった。
無論、ティエルとジハードである。

「やだ、本格的に雨が降ってきた! あのまま真っ直ぐに進んでいたら今頃この森を抜け出せてたのに……」
「雨はリグ・ヴェーダが濡れるから嫌なんだよなぁ」
「道の真ん中に大木が何本も倒れてるのに、放置してるなんてひどいよ。お陰で回り道しなきゃいけないし」

「ティエル。一応言わせてもらうと、旅はいつ何が起きるか分からないんだ。街道ばかりを歩くわけじゃない。
 予想外の事柄に対して正確な対処が求められる。まぁそれはともかく、雨宿りできそうな場所を探さないと」
「うん!」


原因不明の中毒症状によって死亡者が多発しているという金鉱都市ゴールドマインへ調査に出掛けたまま、
完全に連絡が途絶えてしまったサキョウ達の安否を確かめるため、ティエル達は現地に向かう途中であった。
金鉱から発生した毒ガスか、それとも流行り病か。原因は分からないが、危険な場所であることは間違いない。

そんな場所にティエルが同行することに当初は強く反対をしていたジハードであったが、
一度言い出したら突っ走る傾向のあるティエルの性格を思い知っているため、結局同行を許してしまったのだ。
以前の旅は常に支えてくれる仲間がいた。地理や旅の知識、その上戦闘面でも完全に仲間達に頼り切っていた。

しかし今は違う。たった二人の旅なのだ。ジハードの知識や戦力に頼るばかりでは、いつまでも成長できない。
むしろジハードを引っ張っていく立場にならなければ、とティエルは密かに決意していたのだが……。


「そうだ! ジハードの極陣で雨雲を吹き飛ばしてよ。極陣ならそれくらいできそうな気がする」
「できないってば。そんな夢みたいなことを言っている余裕があるなら、雨宿りできる場所を探してくれよ」
「はぁーい。……あれっ、あのぼろぼろの看板もしかして町の標識じゃない? きっと近くに町があるんだよ」

弾んだ声を発しながらティエルが指した先には、確かに古ぼけた町の標識が見えた。
長年雨曝しだったためか町の名前は擦れてしまって読めないが、辛うじて方角と距離は読み取ることができた。
案外すぐ近くだ。宿屋があればベストだが、あまり期待はできない。まずは雨風を凌ぐことが最優先である。


ぬかるみに気を付けつつ五分ほど森の中を進むと、やがてこじんまりとした町が現れたのだ。
勿論誰一人として歩いている者はおらず、古びた木々で作られた家々のカーテンはしっかりと閉じられている。
町に一歩足を踏み入れた途端、この町全体に広がる言いようのない排他的な雰囲気をティエルは全身に感じた。

余所者は出て行けと、町の空気がそう物語っている。……こんな町に宿屋など存在するはずがない。
どこかの家の軒先を雨宿りのために借りて、あまり長居はせずに雨が止んだら大人しく出ていくのが得策だろう。
隣を歩くジハードにちらりと視線を向けると、彼もティエルと同意見だったようで無言で頷いて見せる。

一番町の入口に近い家の軒先を借りようと細々と明かりの漏れる家へ歩み寄って行くと、突如扉が開かれたのだ。
こちらを怪訝そうにじろじろと眺めているのは中年の女。余所者に軒先を借りられるのも嫌だといった雰囲気だ。


「あんた達、この町じゃ見ない顔だけど」
「……こ、こんばんは。わたし達は怪しい者じゃないの。ただ少しだけ雨宿りさせてもらいたいなーって思って」
「単なる雨宿りだとしても、余所者に家の周りをうろつかれると気分が良くないんだよ。とっとと出ていきな!」

「そんな言い方ないじゃない!」
「すまない、すぐに出ていくよ。迷惑をかけて申し訳なかったね。さあティエル、行くよ」
「えっ!?」

不満を隠そうともしないティエルの腕を掴み、ジハードは完璧な会釈を浮かべつつ立ち去ろうと足を踏み出した。
閉鎖的な町で揉め事を起こすのは得策ではないと判断したためだ。これも彼の世渡り術の一つなのだろう。
激しく降り続ける雨の中、暗い森へと引き返そうとする二人の様子を眺めていた中年の女がぽつりと口を開いた。


「雨宿りがしたけりゃ、林の向こうにある化け物屋敷に行ったらどうだい。何があっても責任は持てないけどね」
「……化け物屋敷?」
「十年ほど前から誰も住んでいない呪われた化け物屋敷さ。ま、それでも雨宿りくらいはできるんじゃないかい」

それだけ伝えると、女はこれ以上余所者には関わりたくないといった様子で扉を閉じた。
閉じられた扉を眺めていたティエルは恐る恐るジハードを振り返る。案の定、その屋敷に向けて歩き始めている。
鬱蒼と茂った林の向こうに例の化け物屋敷はあるという。ここからでは林に隠れて屋敷の屋根すら見えなかった。

「ジハード……」
「うん?」
「まさか、その化け物屋敷に行く気なの?」
「え、行く気なのって。まさか、行かない気なのかよ」

ティエルの声に振り返ったジハードは、さも意外そうに目を丸くしている。
そもそも行かないという選択肢は初めからなかったと言わんばかりだ。……化け物よりも雨宿りが優先なのだと。


「さっきのおばさん、何があっても責任は持てないって言ってたんだよ? お化けが出るかもしれないんだよ?」
「お化けって……ゾルディスのアンデッド達と戦っていたくせに、今更何を言い出すんだか」
「それとこれとは違うの!」
「いや、ぼくには違いが分からないんだけど。それこそ腐敗してえぐい見た目のアンデッドとかいたじゃないか」

ティエルの訴えを、ジハードは全く相手にしていない。
それも当然だ。呪われた化け物屋敷など単なる噂話に決まっている。それ以上に恐ろしい目に逢ったことも多い。
雨に打たれて風邪を引くよりも、化け物屋敷とやらで一夜を明かす方が遥かにいいとジハードは思っているのだ。

ほら早く行くよ、と手招きをするジハードの後に続いて、気乗りのしないままティエルも仕方なく歩き始める。
雨は段々と激しさを増していき、時折大きな雷鳴が辺りに鳴り響く。雷は怖くはないが、勿論好きでもない。
林にはいくつもの泥濘があり、何度か足を突っ込んでしまう。この分ではブーツが酷い状態になっているだろう。


暫く歩き続けていると、やがて木々の向こうに大きな屋敷のシルエットが雷鳴と共に浮かび上がる。
想像していたよりも立派な屋敷であった。かつては美しかったであろう館までの庭は、様々な雑草が伸び放題だ。
いくつかの窓ガラスには大きなひびが入っており、勿論どの窓にも明かりは灯っていない。

「十年前から誰も住んでいないって、さっきのおばさんが言っていたよね。……中も相当朽ちてるんじゃない?」
「まぁ、十年程度じゃそこまで朽ちていないだろ。朽ちていたとしても雨宿りができればそれでいいよ」
「うん……」
「できればベッドなんかも残っていたらいいな」

まるで気にしていないジハードの様子を眺めていると、ティエルは自分が単なる臆病者のように思えてくる。
できればあの屋敷で一晩過ごすことは避けたかった。何故だかは分からないが、とても嫌な予感がするのだ。


「ジハード、あの屋敷を見て何も感じないの?」
「感じるって何を?」
「すごく嫌な感じがするの。だって、理由もなくお化け屋敷なんて呼ばれるわけがないよ!」

「……もしかしてあの屋敷が怖いのかい? ぼくらはゴールドマインへの道を急いでいる。それは分かるだろ?」
「分かってる」
「もしもこのまま雨に打たれ続けて二人とも風邪を引いて寝込んだらどうする? 到着が遅くなってしまうだろ」


ジハードは歩きながらも言葉を続ける。

「ゴールドマインで何かが起きているのは確かだ。そして、サキョウの身に危険が迫っているのかもしれない」
「……」
「真っ直ぐ進めば間に合うかもしれないんだ。そのためには今どう行動するのが最善の策だと思う?」
「もー、分かったよ。行けばいいんでしょ。たとえ何があっても、ジハードがいるから全然怖くなんかないよ!」

「そうそうその調子。幽霊だろうが何だろうが、このぼくが一緒だから怖いことなんかないって。……多分ね」
「た、多分って何!? こんな時に不安になるようなことを言わないでよ!」


そんなやり取りを続けながら屋敷の入口に向かって荒れ果てた庭を進んでいく。
先程歩いていた林に生い茂る太い草木に比べ、この敷地内に根を下ろす草木は皆痩せ細り、とても貧相に思えた。
だがそれも単なる気のせいだろう。不安に思うティエルの心がそう錯覚させているだけなのだと心に言い聞かす。

ここは単なる古びた屋敷で、何も恐れることはないと。……そう思い込みたかった。





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