Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド

第11話 死するもの達の誘い -1-




激しく雨が降り続ける中、ティエルとジハードはゆっくりと正面玄関に向けて荒れ果てた庭を歩き続けていた。
かつては手入れの行き届いたさぞかし立派な庭だったのだろう。あちこちにその片鱗が僅かに見受けられる。
十年前までは相当な金持ちが住んでいたと推測される。夜逃げでもしたのだろうか、とジハードは考えていた。

先程通り抜けた両開きの門は錆びて片方が地に落ちていたが、人為的な力で破壊されていたように思えたのだ。
単に錆びて朽ちただけではあんな鋭利な切断面にはならないはずだ。斧か、鉈か。それらで破壊されていた。
生い茂る雑草でティエルは気付いていないだろうが、庭の片隅に見えるのは恐らく先祖代々の墓である。
墓石は無造作に転がっており、その上砕かれている墓石もいくつか見受けられた。明らかにこれも人為的だ。

化け物屋敷と聞いて度胸試しに来た者達の仕業か、それともこの屋敷で十年前恐ろしい出来事が起こったのか。
その事実を隠すために、町人達は呪われた化け物屋敷と呼んでいるのか。……単なる想像の域でしかないが。
これはティエルには言わない方がいいだろう。余計に彼女を怯えさせてしまうことになる。


「ねえジハード、さっきから難しい顔して庭ばかり見てどうしたの? もしかして……何か見つけたとか?」
「んー?」

案の定ティエルが不安な眼差しでジハードをじっと見上げてくる。彼女は意外にも人の心に敏感なのだ。
ジハードは柔らかい笑みを浮かべながら、なんでもないよ、と言って首を振った。
やはりティエルは納得がいかない表情だったが、あまり聞きたくなかったのかそれ以上追及はしてこなかった。


漸く雨を凌げる正面入口へと到着した二人は、溜息と共に歩みを止める。
相当古い屋敷なのだろう。黒ずんだ木で作られた両開きの重厚な扉。その横には錆び付いた鉄の呼び鈴があった。
先程廃屋だと言われていたが一応確認を取らなくては。恐る恐るティエルは手を伸ばすと呼び鈴を鳴らしてみる。
意外なほど大きな金属音が周囲に鳴り響いた。


「こんばんはぁー! わたし達、一晩だけ中で雨宿りをさせてもらいたいんですけど……誰かいませんかぁー?」


やはり返事はない。……それならば中に入らせてもらおうじゃないかと、ジハードの目がそう言っている。
心なしか眠そうな表情だ。基本的に早寝の習慣がついている彼は、そろそろ眠気が襲ってきているようだった。
眠気に負けて立ったまま熟睡していた時もある。普段は頼りになるジハードだが、そういう時は役に立たない。

「もー、ジハードったら。いくら雨が凌げても、こんな寒いところでうとうとしちゃ駄目だよ」
「人間にとって睡眠は生きるために必要なものだろ。しっかり寝ておかないと、旅に支障が出るじゃないか」
「それはそうだけど、ジハードはちょっと緊張感がなさすぎです」
「いやあ」
「何照れてんの? わたし褒めてないよ!?」
「まぁそれはともかく、早く中に入ろうぜ」


ジハードにぐいぐいと押されながらも前に進んだティエルは、扉を軽く押してみる。
すると鍵が掛かっていなかったのか、扉は彼らを迎え入れるかのように軋んだ音を立てながら開いたのだ。
中は完全に闇に包まれており、時折窓から差し込む稲光だけが頼りであった。勿論人の気配など感じられない。

雨風を凌げる分だけ外よりは暖かいようだ。若干埃っぽい空気が漂ってはいたが、気になるほどではなかった。
ティエルに続いて足を踏み入れたジハードが扉を閉めると、あれほど激しい雨音は消えて静寂に包まれる。
暗闇に目が慣れてくると、周囲の様子が段々とはっきりとしてきた。どうやらこじんまりとした正面ホールだ。

ティエルの背後から本を開く音と共に、小さな虹の魔法陣がぼうっと浮かび上がる。ジハードの極陣であった。
魔法を発動させずに魔法陣だけを出現させている。まるで蝋燭のような小さな光だったが、それでも十分すぎる。
ぐるりと見回してみると、中心に大階段、甲冑の置物。右手は応接室、左側には長い廊下が続いているようだ。


「魔法って便利だね、こうして松明代わりにもなるし。わたしもジハードみたいに魔法が使えたらいいのに」
「うーん……魔力がない人間の方が圧倒的に多いからね。魔力を持つ人間は一万人に一人だと言われているし」
「一万人に一人かぁ。だから魔術師は重宝されているんだね」
「その中でも魔力の量は人それぞれで、限りなくゼロに近い魔力の者は魔法なんて使うことすらできないんだ」

いくら魔力を持っていたとしても、魔法を扱うことのできる魔力に達していなければ普通の人間と変わらない。
それを考えると、如何にジハードやアリエス達の存在が希少なのだと思い知らされる。

「得意分野は人によって違う。ティエルは魔法が使えないけど、剣術という確かな武器があるじゃないか」
「まだ誇れるほどの腕前じゃないけどね」
「はっきり言ってぼくは剣の扱い方すら知らないんだぜ? 剣の勝負じゃ確実に負けると思うよ」


祖母とは違って魔力のないティエルを、もしかして慰めてくれたのだろうか。
心の中でジハードに感謝をしつつ右手の応接室へと顔を向ける。すると、大きなソファーと暖炉が目に入った。
鋭い刃物で表面を切り裂かれてはいたが、ソファーはまだまだ使えそうだ。ベッドとして使用しても申し分ない。

「ねえジハード! 古いソファーだけど大きくて寝心地よさそうだし、今日はこの部屋に泊めてもらおうよ」
「そうだね。暖炉は使えるかな……これいつの薪なんだろ。随分と湿ってるから使い物にはならないかもなぁ」

「炎の極陣をずっと暖炉に仕掛けておくことはできないの?」
「そんなことをしたら魔力が尽きるだろ。いくらぼくだって無限に魔力を持っているわけじゃないんだから」
「ちなみに魔力が回復するまでどのくらいの時間がかかるの?」

「程度にもよるかな……普段なら一日経てば元に戻るけど、枯渇するほど魔力を使うと数日かかるかもしれない」
「ふーん、そうなんだ!」

早速ソファーに腰掛けて、はしゃいでいるティエル。先程までの不安など微塵も残ってはいないようだ。
一方ジハードは完全に湿ってしまっている薪に試行錯誤を繰り返し、なんとか着火させることに成功していた。
暖炉の火はささやかで小さな火であったが、雨で冷え切った身体がじんわりと温かくなっていくのを感じた。


「これで漸く落ち着けるな。ティエルも早く濡れた服を脱いだ方がいいよ、干しておいたら明日までに乾くだろ」
「……そうだね」
「あーあ、完全に水吸って重くなってる。びちゃびちゃだ。一度洗面所で絞ってきてから乾かした方がいいね」
「ジハード」
「うん?」

すっかり水を吸って重くなってしまった衣服を脱ぎ始めるジハードだが、ティエルの返事が妙に歯切れが悪い。
訝しく思いながらも顔を向けると、膨れっ面でこちらを見ているではないか。一体何が彼女の気分を害したのか。
思い当たる節がない。多感なお年頃なのだから仕方がないか、と思いつつもジハードは一応理由を聞いてみる。


「そんな膨れっ面して、どうしたんだいティエル。さっさと脱いで洗面所を探しに行くよ」
「上半身はいいよ、もう見慣れたし」
「え?」
「いくらなんでも女の子の前で、平気でズボンまで脱ぐのはどうなの? パンツ丸出しだしさぁ」

「どうなのって……下着は穿いているんだから別に問題はないじゃないか。そりゃ下着まで脱いだら変態だけど」
「わたしは侍女のエレナ達みたいに、ジハードの裸なんか見ても喜びません。恥じらいくらいは持ってください」
「えっ、なんだそりゃ。なんでエレナ達に喜ばれてんの?」

そういえば暑い時は、上半身を曝け出したまま中庭で筋トレをしていたこともあったな……と思い返すジハード。
まさかそこまで注目されていたとは夢にも思っておらず、怪訝そうに首を傾げている。
彼は常に自信に溢れた態度とは裏腹に、自分の容姿に無頓着なのだ。それが天然タラシと言われる所以であった。


「まぁ確かに恥じらいは大切だとして、今はそんな場合ではないと思うんだ。ぼくも冷えて風邪引きたくないし」
「そうだけど……」
「大丈夫。たとえティエルが裸になったとしても、ぼくは気にしないさ。まだまだあなたはお子ちゃまだからね」

「お子ちゃまじゃないよ! もうすぐ十七歳になる立派なレディです」
「年齢はレディだけど、見た目がね……うん」
「どういうこと!?」


そんなやり取りを続けながらも、洗面所はすぐに見つかった。正面ホール左側の廊下を入ったところにあった。
初めは拗ねたように文句を口にしていたティエルだが、あっさりと自分も下着姿になると服を絞り始めていた。
これほど水分を吸っていた重い服を、よくもまあ今まで着続けていたものだと感心する。

応接間の暖炉の前に服を吊るし終えると、大きなあくびをしたジハードは脱力したようにソファーに倒れ込む。
相当疲れていたのだろう。すぐに静かな寝息が聞こえてきた。しかしティエルは横になっても眠れずにいた。
若い男女が下着姿でソファーで横になっている光景はなかなか壮観だが、やはりこの二人に色気のある話はない。

警戒心の欠片もなくすうすうと寝息を立てながら眠るジハードをじっと見つめる。
常に隙を見せずに他人を信用することをしない彼が、完全に心を許しきっている相手にしか見せない一面である。
できることなら彼といつまでも一緒にいたい。お別れなんて嫌だ。だがそれは不可能なのだとジハードは言った。


「ジハードが旅立つとき、わたしも一緒に行っちゃ駄目かな。……駄目だよね、ジハードは絶対そう言うもん」


彼から返事は発せられない。勿論それを承知でティエルは口に出したのだ。
……ジハードはもう気持ちの整理がついているのだろうか。あの日以来、彼は『焔の魔女』の話を絶対にしない。
『リアン』の話はする。だが、まるで忘れてしまったかのように『焔の魔女』の話だけは口に出すことはない。

忘れてしまったなんてありえない。ジハードは意図的に話題を避けている。彼もずっと苦しみ続けているのだ。

それはティエルにも同じことが言える。
彼女も旅をしていた頃の楽しい話はよく話題に出していたが、肝心なところは話題に出すことすら避けていた。
あの日から一年近く経ったが、それでもティエルは気持ちの切り替えができずにいた。


「気持ちを整理するって……どうしたらいいの? どうすれば整理できるのか、誰か教えてよ……」

ごろんと寝返りを打ち、自分を抱きしめるようにして身体を丸める。
ティエルの問いかけに答えてくれる者はおらず、遠くで轟く雷鳴だけが静寂の中で響き渡っているだけであった。





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