Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド
第13話 死するもの達の誘い -3-
「……そこの部屋、娘さんのお部屋だったんだね。扉が開いていたから様子を見に行こうと思っていたんだよ」
何も知らなかったとはいえ、先程まではティエルにとってまさに恐怖の対象でしかなかった部屋である。
部屋の中の娘には大変申し訳ないことをしてしまったと思う。勝手に家に入り、勝手に怖がられているのだから。
むしろ怖いのは娘の方だろう。得体の知れない男女の二人組が、自分の部屋にそろそろと近付いてきていたのだ。
「わたし、勝手に怖がって娘さんには酷いことしちゃったな」
「娘は昔から身体が弱くてね、太陽の光を浴びると高熱を出して寝込んでしまうの。だから外にも出れなくて」
「そうなんだ……」
「せめてお外の様子だけでもあの子に見せてあげようと、薄いカーテンを引いた窓辺にベッドを置いているのよ。
それが余計に辛い思いをさせてしまったの。元気に遊ぶ子供達の姿を目にしながら、自分は遊べないなんて」
寂しげな笑みを浮かべた女は半開きだった扉を開け、闇に包まれた部屋の中へと足を踏み入れる。
ほんの軽い気持ちで、ティエルはひょいと部屋の中を覗いた。燭台のお陰で薄ぼんやりと中が照らされている。
広めの部屋の至る所に少女の姿を模したアンティークドールや、可愛らしい動物のぬいぐるみが犇き合っていた。
昔ゴドーに連れて行ってもらったドールショップにて、欲しいとティエルが駄々をこねていた人形に似たものも。
金髪の巻き毛をした、白い肌の美しい少女の人形だった。幼いティエルの身長と然程変わらぬ大きさであった。
人形はゴドーの手持ち金では買うことができぬほど高額だったため、代わりに猫のぬいぐるみを買ってもらった。
勿論猫のぬいぐるみも可愛らしく嬉しかったのだが、ティエルはあの金髪の少女の人形が忘れられなかったのだ。
「ジハード見て、可愛い人形がいっぱいだよ。わたしもこんな大きな人形達に囲まれて過ごしてみたかったなぁ」
「女の子は人形が好きだよな。ぼくは男だからそういう願望はなかったな。まぁ人形好きな男もいるだろうけど」
「……でも、おばあさまは昔から人形が好きじゃなかったみたいなの。魂が宿るとか言っていたっけな」
「気持ちは分からなくもないけど。ぼくの故郷では、寝室に人形を飾っておくと彼らに魅入られてしまうと聞く」
「ふーん、怖い話だなぁ」
「人を呪い殺すための呪いの人形とやらも存在してたし」
「えっ、人形で人が呪い殺せるんだ!?」
「迷信だけどね。それはともかくとして、今のティエルだったらどんな人形も思いのままに手に入るじゃないか」
「ジハードは繊細な女心を分かってないなー。そんな方法でたくさん人形を手に入れても嬉しいと思わないもん」
「?」
「わたしは……誰かがプレゼントしてくれた人形がいいの」
確かに彼の言うとおり、今のティエルならば好きなだけぬいぐるみが手に入るだろう。だがそれでは意味がない。
誰かが心を込めて贈ってくれた、そんな人形やぬいぐるみが欲しいのだ。
しかしそんな繊細な乙女心はジハードには理解できないらしく、そんなもんかね、と首を傾げているだけだった。
ティエル達が扉の前でそんな話をしている間にも、部屋の奥では女がぼそぼそとした会話を続けていた。
残念ながら娘の声までは聞こえてこない。部屋の隅に位置するベッドは人形によって完全に隠れてしまっている。
「私の可愛い天使ちゃん、お客様ですよ。あなたと近い年頃の女の子もいるわ。お友達になってもらいましょう」
「……」
「もう、我が侭言わないの。この間新しいお人形を買ってあげたのに、また新しいものが欲しくなったの……?」
こちらには娘の声が聞こえてこないため、まるで独り言のように女の声が響いてくる。
部屋の中に一歩足を踏み入れたティエルが目を凝らしてみると、ずらりと人形に囲まれたベッドの影が見えた。
暫くの間一方的な会話が続き、やがて諦めたように肩を落とした様子で女がティエル達の元まで歩み寄ってくる。
「ごめんなさいね、あの子ったら本当に恥ずかしがり屋で……せっかくわざわざお友達が遊びに来てくれたのに」
「えっ、遊びにって……まぁいっか。わたし達は全然気にしてないよ!」
「あの子は身体が弱くて学校にも通えなかったの。本当はお友達と一緒に勉強をしたり遊んだりしたかったのよ」
そう言いながら女はゆっくりと扉を閉じた。
さあ応接間に行きましょう、と廊下を歩き始めた女の背を見つめ、ジハードはどこか腑に落ちない顔付きである。
「どしたの、ジハード」
「……なんかさ、急に人が現れたって感じがしないかい? 突然生活感が出てきたと言った方がいいかな」
「そうかなぁ?」
「ぼくらはずっと応接間にいたんだぜ? なのに、彼らの気配に気付かないなんて変な話だと思わないのかい」
「確かに人がいて驚いたけどさ、これでもう怖くないなーって逆にほっとしちゃった。安心して眠れそう!」
「あなたに聞いたぼくが馬鹿だった」
楽観的な彼女に問い掛けたことを後悔するかのように、ジハードは額に指を当てると深い溜息をついたのだった。
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「そうですか、突然雨に降られて……それは災難でしたな。しかし雨宿りをしたのが我が家であなた方は幸運だ」
先程までティエル達が仮眠を取っていた応接間では、壮年の男の姿があった。
豊かな茶髪をきっちりと七三に分け、短く口髭を伸ばしている男である。恐らく彼も四十代後半くらいだろう。
たくさんの薪をくべた大きな暖炉の前で、突然の来訪者にも拘らず笑顔を浮かべながらティエル達を出迎えた。
「それにしてもあなた方は大変お若いとお見受けするが、こんな辺鄙な場所に一体何の御用があったのですかな」
「ぼくらはこの町に用があったわけじゃないんだ。正規の道筋から大きく外れてしまった上に雨にも降られてね」
「なんと気の毒な。……災難は重なるものですなぁ」
「それで雨宿りができる場所を探していたら、町人からこの屋敷のことを教えてもらったんだ」
「そう、そうなの! わたし達、一刻も早くゴールドマインへ辿り着かなくちゃいけないんだけど……」
呆れ顔のジハードに肘で突かれながらも、ティエルはテーブルの上に用意されたカップケーキを頬張っていた。
それも当然のことだ。思い返せば昼から何も食べていなかった。安堵した途端に食欲が湧いてきたのだろう。
カップケーキはチョコチップが控えめに塗されており、甘みもちょうどいい。
「ねえ、おじさん。この町からゴールドマインまではまだまだ遠いの?」
「何事もなければ一週間ほどで辿り着けますよ。多くの者達が夢を抱いて集まる、大変賑やかな金鉱なんですよ」
「でも最近謎の中毒症状で、町の人達が次々と亡くなっているっていう話を聞いたけど……何か知らない?」
「そのような話は初耳ですなぁ。なにせここは辺鄙な町ですからね、我々も情報には疎いのですよ」
首を傾げている男の様子から嘘をついているようには見えない。まだ情報は行き渡ってはいないということか。
男の傍らではティーポットを手にした女が微笑みを浮かべながら、空になった紅茶のお代わりを注いでいた。
「都会に引っ越すことも何度か考えましたが、病弱な娘の療養には静かで空気の良い所が一番だと思いましてな。
この町の人々は心優しく信心深い者達ばかり。きっと娘にもたくさんの友達ができるだろうと思っていたのに」
「あなた」
「おお、すまんすまん。少し話しすぎたな」
「……そうだわ! あなた達、暫くの間だけ屋敷に留まってくれない? 娘のお話し相手になってほしいのよ」
「えっ……?」
「おいおい、この方達を引き留めるんじゃない。彼らは急いでゴールドマインへ行かなくてはならないんだよ」
こんな断りにくい話をして申し訳ない、と男は妻に代わって頭を下げる。だが妻の方は諦めきれないようだ。
断りにくい話だったが、ティエル達は一刻も早くゴールドマインへサキョウの安否を確認したいのだ。
それでも娘を大切に思う夫婦の様子を前にして、ジハードはともかくティエルがあっさりと断れるわけがない。
「先を急ぐけど、一日くらいなら娘さんの話し相手になれるよ。わたしで良ければ喜んで友達になりたいな!」
「ちょ、ちょっとティエル勝手に……」
「本当に!? あらやだ、今夜はなんて素晴らしい日なの……あの不憫な娘に二人もお友達ができたのね……!」
思わず涙を浮かべて目頭を押さえる妻の肩を、そっと男が抱き寄せる。彼の方も小刻みに震えているようだった。
そんな様子を眺め、ティエルはこの屋敷に辿り着いて良かったと。心の底から思ったのだった。
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一夜の宿を快く提供してくれるという夫婦の申し出に、ティエル達は快く受けることになった。
案内されたのは二階の右側の客室で、暫く掃除がされていなかった割には埃や汚れなどはそれほど気にならない。
ベッドが二つ並び、ソファーとコンソールが設置されている。燭台で燃えている小さな蝋燭だけが明かりである。
おやすみなさい、と優しく女が微笑みながら閉じた扉から視線を外し、ジハードはソファーへ腰を下ろす。
「あのさあティエル、勝手な約束しないでほしいんだけど」
「勝手な約束って?」
「一日だけこの家の娘の話し相手になってあげるって言ったことだよ。ぼくらは急いでいるんだぜ?」
「……だったら、ジハードが断ってくれたら良かったんだよ。あんなお願い事を断るなんてわたしには無理です」
「ぼくが断るよりも先にティエルが勝手なことを言うから……」
「それはともかくとして、今日はもう疲れたから休もうよ。お小言は明日に聞きます」
「ぼくもあなたに変なところで起こされたから、正直お小言を言う気力も残っていないんだけどね」
確かにそうだ。
熟睡していたジハードを無理矢理叩き起こしたのは、一人で起きていることに耐えきれなくなった彼女である。
思わず言葉に詰まったティエルの態度を気に留める様子もなく、ジハードはソファーにごろんと横になった。
「えっ、なんでベッドで寝ないの?」
「何が起こるか分からないからね、ティエルもあまりあの夫婦に気を許しすぎないように」
「いい人たちだったじゃない」
「ぼくの取り越し苦労だといいんだけど、一応用心はしておいた方がいいってことだよ。それじゃ、おやすみー」
「……おやすみなさい」
燭台の明かりをふっと吹き消すと、ティエルもベッドの中へと潜り込む。一応きちんと衣服は身に着けたままだ。
イデアもベッド脇に立てかけておく。疲れのためか、ティエルはすぐに眠りの世界へと落ちていった。
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