Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド

第14話 死するもの達の誘い -4-




大きな雷鳴が轟く。
周囲をまるで真昼のように明るく照らした稲光は、ティエル達の眠っている部屋をカーテン越しに照らしていた。
日没から降り始めた雨は未だ止む気配を見せず、完全にぬかるんだ地面に己を叩き付けながら激しく降り注ぐ。

くすくすくす。どこからか、幼い少女の楽し気な笑い声が聞こえてきたような気がして、ティエルは目が覚めた。
ぼんやりとした意識の中部屋を眺めてみるが、近くのソファーで眠るジハードの姿だけで勿論少女などいない。
激しい雨音と雷鳴が響く。もしかしたら、葉の擦れる音を少女の笑い声と勘違いをしてしまったのかもしれない。

元来ティエルは朝まで目覚めないほど眠りが深い。それなのに、こんな真夜中に目覚めてしまうなんて。
先程ソファーで眠っていた所為かもしれない。その割にはよく眠ったという感覚がない。むしろ疲れている方だ。
ソファーで眠っていた時も、魘されていたとはいえ妙な時間に目覚めてしまった。

まさか。穏やかな王宮生活にすっかり慣れすぎていて、見知らぬ場所では眠れなくなってしまったのだろうか。
気を許しすぎないように、と言っていたジハードは起きる様子を見せない。どんな環境でも眠れる彼が羨ましい。
ごろんと窓側に寝返りを打つと、窓の外が稲光によって眩しいほど明るくなる。浮かび上がる木のシルエット。
痩せた老婆の腕のような枝が幾重にも絡み合っている影。一瞬だけ寒気を覚えたティエルは慌てて目を閉じた。


無暗に怖がってはいけない。第一この屋敷にはちゃんと人がいたではないか。そんなことを思っては失礼である。
早速二度寝を決意した彼女だったが、どこからか流れてくる冷たい空気に気が付いた。頬を撫でるような感覚だ。
不審に思いながら周囲を見回したティエルの瞳に映ったものは、僅かに隙間の開いている扉であった。

おかしい。
確かに眠りにつく前までは閉まっていたはず。廊下の空気は冷えるからと、夫人がしっかりと閉めてくれていた。
何かの反動で開いてしまったのだろうか。相当に古い屋敷のため、扉の建て付けが悪いことも十分考えられる。

このままでは部屋の中がどんどんと冷えていってしまう。仕方なくベッドを下りると、扉まで歩み寄って行った。
そして本当に何気なく、軽い気持ちで廊下の外へと顔を覗かせる。


(また開いてる……)

階段を挟んだ左側の廊下の向こう、最奥の部屋の扉が同じように開いている。あそこは確かこの家の娘の部屋だ。
この屋敷は余程建て付けが悪いのだろう。これほど古い屋敷ならば、何もおかしな話ではない。
廊下の空気は冷たく、僅かな扉の隙間からでも冷気が入り込んでくる。冷気で風邪を引いてしまうかもしれない。
身体の弱い少女が風邪を引いてしまっては大変なことになる可能性があった。

扉を閉めてあげようと、一歩廊下に足を踏み出したティエルの全身を、途端に言いようのない悪寒が包み込んだ。
身体の全身が警報を鳴らしているようであった。あの部屋に決して近付いてはいけない、そんな予感がしたのだ。
だが先程夫婦の話を聞いてティエルはこの家の娘の話し相手になろうと決めたのだ。友達を怖がってはいけない。

背後を振り返ると、ジハードはソファーの上で毛布に包まって熟睡しているようだ。
いつまでも彼に頼ってばかりではいけない。ぐっと唇を噛み締めたティエルは、廊下を一歩ずつ進んで行った。
皆寝静まっているとはいえ、まるで無人の屋敷に見える。夫婦と応接間で談笑していた記憶が嘘のようである。
長い間人が住んでいない空気。生ける者の気配を感じない、最初にこの屋敷に足を踏み入れた時に感じた空気だ。


キィ……。

小さく木の軋む音。半開きの扉の前に辿り着くと、ティエルが触れるよりも前に、扉がゆっくりと開き始めた。
外では大きく雷鳴が轟いている。幼い少女のように雷が苦手なわけではないが、決して心地の良い音ではない。
普段ならばベッドの中で丸まっていたい状況であったが、今はそんな気にはならなかった。

(娘さん……もう寝ちゃっているよね?)

特に部屋を覗くつもりはなかったのだが、こうも大きく扉が開いてしまうと、どうしても覗く形になってしまう。
どうやらカーテンが完全に開かれているようだ。時折強い雷光によって、ぼんやりと部屋の中が照らされる。
部屋中に鎮座しているぬいぐるみ達。可愛らしくデフォルメされた動物や、恐ろしく精巧な少女の姿をした人形。
それらが雷光によって陰影濃く浮かび上がり、寒気のするような不気味な空間を作り上げていた。

部屋の一番奥に、窓辺に添うように置かれた大きなベッド。
逆光のためにティエルにはよく見えなかったが、ベッドのヘッドボードに寄り掛かっている小柄な人影があった。
両耳の上で髪をリボンで結び、華奢な肩にネグリジェ。この部屋の少女の人形のように愛らしいシルエットだ。


「あっ、娘さん……だよね? 起こしちゃったらごめんね。扉が開いていたから、閉めようと思っただけなんだ」

まだ娘さんは起きていたんだ。
なんとなく安堵を覚えたティエルは、ほっと息を吐き出し、明るい笑顔を浮かべながらベッドに歩み寄って行く。
この家の娘は人見知りが激しく内気な性格なのだという。できるだけ怯えさせないように、優しい声を意識する。

「わたし、ティエルっていうんだ。本当はもっと言いにくい名前なんだけど、こっちの方が覚えやすいかなって」

……返事はなかった。
恐らく彼女を怯えさせてしまったのだ。それも当然の話である。やはり明日にした方が良かったのかもしれない。
せめて軽い挨拶だけでも済ませて部屋に戻ろうと、ティエルは僅かな疑いもなくベッドに歩み寄って行った。


「ねえ、あなたのお名前はなんていうの? わたし達、お友達になれたらいいなぁって思って……っ!?」


一際明るい稲光が部屋を照らす。にっこりと笑顔を浮かべつつ娘の顔を覗き込んだティエルの表情が凍り付いた。
レースの付いた可愛らしい白のネグリジェ。少し癖のある髪をリボンでまとめ、彼女は確かにこちらを見ていた。
見ていたというよりは、正しくは顔をこちらに向けていただけであった。

本来瞳のある場所は、ぽっかりと大きな空洞になっており、二つの黒い空間がティエルの方へと向けられている。
そしてネグリジェから覗く腕は……人形の腕。華奢な少女ではなかった。顔の抉られた少女の人形だったのだ。

「ひっ……うわああぁっ!?」


恐怖のあまり思わず後ずさったティエルの肘に当たったのか、飾られていた人形達がどさどさと崩れ落ちていく。
次々足元に転がった実物大の少女の人形。しかしよく見ると、どれも皆干からびたミイラのような顔をしていた。
……これは人形なんかじゃない、本物の死体である! 動物の人形に混じって死体が並んでいたのだ。

その時、凍り付いたようにその場に立ち尽くしているティエルの背後で影が動いた。
咄嗟に振り返った彼女の瞳に映った光景は、壊れた笑みを浮かべながら鉈を手にしたこの家の主人の姿であった。
先程まで見せていた温厚な表情は完全に消え失せ、口の端から涎を垂らしながら壊れた笑みを浮かべている。


「可愛いオレの娘……もう寂しい思いをしなくてもいいんだ。今からお友達を連れて行ってあげるからな……!」


鉈が相当重いのだろうか。よろよろと覚束ない足取りで、男は硬直しているティエルへ一歩ずつ歩み寄ってくる。
稲光によって浮かび上がる刃には、べったりと誰かの血が付着していた。
哀れにもこの屋敷に迷い込んでしまった旅人達の血か、それとも殺され人形のように飾られた少女達の血なのか。

「さぁ……お嬢ちゃん、こちらへおいで。怖くないよ……娘のお友達になってくれると言ったじゃないか……」
「お友達になるとは言ったけど、そのために殺されるなんて嫌だよ!」
「大丈夫、痛いのはほんの一瞬だけだよ……綺麗なお洋服も着せてあげるから、さあこちらへ来なさい……!」


勢いよく鉈が振り下ろされた。手加減など微塵にも感じられず、本気でこの男はティエルを殺すつもりであった。
殺して我が娘の友達にするつもりなのだ。白骨と成り果てても永遠にこの部屋の中で友達を続けさせられるのだ。
力の入らない足を必死に奮い立たせ、鉈を避けるためにティエルは横に倒れ込む。

男は反動で勢いよく人形達へと突っ込んでいき、耳障りな音と共に鉈は少女の白骨化した頭蓋骨に突き刺さった。
まずい、頼みの綱であるイデアは部屋に置いたままだ。一刻も早くジハードにこの状況を伝えなければならない。
予期せぬ恐怖のためにがくがくと震える足で、半ば這いずりながらもティエルは部屋の出口まで進み始めた。

「逃がさないぞぉ、久々のお友達なんだから。これ以上娘を悲しませないでおくれ……!」
「わぁっ!?」

「ほら見てごらん……娘がとっても喜んでるよ。待ちに待った新しいお友達ができるんだものなぁ。
 この間のお友達は遊びすぎてすぐに使い物にならなくなっちゃったからなぁ、今度は大切に遊ぶんだぞう?」

人形に突き刺さった鉈を抜き、男は這い蹲るティエルの髪を掴むと顔の抉られた少女の人形の前へと突き出した。
ティエルの足元に転がった人形達。皆可愛らしいドレスに、ウェーブのかかったウィッグを着けられていたが、
どれもが手足の欠損している死体ばかりである。彼女達は一体どれほど残酷な殺し方で命を奪われたのだろうか。

暴れるティエルの抵抗をものともせず、男は髪を掴んだまま彼女の首に向けて鉈を振り下ろした。
その時。扉が勢いよく蹴り飛ばされ、部屋で眠っていたはずのジハードがこちらに向かって突っ込んできたのだ。
寝起きにも拘らず瞬時に状況を理解した彼は、背後から男に羽交い絞めをするように掴み掛った。


「ティエルから離れろ、この野郎!」
「ジハード!」
「ぼくがこいつを押さえている間に、早くイデアを取りに戻れ! ……うわっ、なんだこいつの力!?」

鉈を握ったまま狂ったように奇声を発して暴れ続ける男を押さえ付け、ジハードが振り返った。
彼は最小限の力で相手の動きを封じる関節技が得意であり、今まで一回りも体格の違う相手を組み伏せてきた。
そんなジハードが全力で押さえ付けなければ、この男にあっさりと振り解かれてしまいそうだったのだ。

このままでは彼も危ないだろう。助けるためには、まずイデアを取りに戻らなければ話にならない。
やはりどんな時でも武器を身に着けておくべきだったと心底後悔したティエルは、勢いよく廊下に飛び出した。





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