Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド

第15話 死するもの達の誘い -5-




少女達の死体が溢れる部屋から脱出したティエルは、幾分かは落ち着きを取り戻して一直線に己の部屋へ向かう。
それでも状況が把握できない。先程まであんなにも親切だったこの家の主人が、何故鉈を持って襲ってくるのだ。
部屋中に置かれた少女達のミイラは、恐らく娘が寂しくないように『お友達』として殺されたのだろう。

一体肝心の娘はどこにいるのだろう。自分のために親が殺人を犯していることを知れば、心を痛めているはずだ。
ベッドの上にいたのは顔を抉られた人形だった。もしかしたら……既に娘は亡くなっているのかもしれない。
亡くなっている事実を認めたくない父親が、人形を娘と思い込み、未だお友達を狩り続けているのかもしれない。

単なる雨宿りをするためにこの屋敷を訪れただけであった。それなのに、どうしてこんなことになったのだろう。
完全に無人だと思われた屋敷に突如として夫婦が出現し、身体の弱い愛娘の話し相手になってほしいと頼まれた。
雑談を交わしていた時は、ごく普通の夫婦だったはずだ。むしろ人の好さそうな金持ち夫婦といった印象だった。

だが先程ティエルを襲ったのは間違いなくあの夫婦の片割れである。
完全に狂った笑みを浮かべながら、硬直しているティエルを『お友達にするために』鉈を振り下ろしてきたのだ。


滑り込むようにして客間に飛び込むと、ベッドの傍らに立て掛けたままのイデアを手に掴む。
剣を手にすると勇気が湧いてくる。すぐさま廊下に飛び出すと、ジハードと男が取っ組み合っているのが見えた。
普段のジハードならば並の男など軽く取り押さえることができるはずだ。

しかし狂気に支配され、箍が外れた人間の力は恐ろしいものだ。追い詰められていたのはジハードの方であった。
男の手にはしっかりと鉈が握られており、まずはあの鉈を男から離さなければならない。
鞘に納められたイデアを構えながら地面を蹴ったティエルは、鉈を持つ男の手首に向けて力を込めて振り下ろす。

ぎゃっと上がる悲鳴。
男の手首は逆方向へと曲がっており、衝撃で手放された鉈をティエルは素早く廊下の向こうへと蹴り飛ばした。
乾いた音を立てながら暗闇へと消えていく鉈。壊れた叫び声を上げた男は、いとも簡単にジハードを振り解く。


「ああぁ……鉈がぁ! あれがないと、オレの可愛いミカエラにお友達を作ってやることができないんだ……!」
「……ミカエラ?」

手から鉈が離れると男は急に暴れるのを止め、転がって行った鉈を求めてふらふらとした足取りで歩き始める。
突き飛ばされて床に座り込んでいるジハードや、イデアを構えるティエルの姿も目に入っていないようだ。
夢遊病患者のように覚束ない足取りで、一階へ続く大階段の近くに差し掛かった時。ぐらりとバランスを崩した。

「おじさん、そっちに行くと危ない……」

ティエルが駆け寄る間もなかった。断末魔の叫びを上げながら男はもんどりを打ちつつ階段を転がり落ちていく。
暫く呆然とした表情で階段を見つめていたティエルとジハードだが、はっと我に返ると恐る恐る階下を覗いた。
正面ホールでうつ伏せに倒れていた男は、首や身体のあちこちがありえない方向へと曲がっていた。

逆向きに折れ曲がった首。手足の関節から折れた骨が飛び出ている。その様子から、もう生きてはいないだろう。


「死んじゃった……の?」
「だろうな、多分」
「あのおじさん、さっきミカエラって言っていたよね」
「言っていたかもしれないけど、これ以上彼らに関わるのは危険だ。今すぐこの屋敷を出るよ」

階下を不安そうな表情を浮かべて覗き込むティエルの隣で、感情の全く込められていない声を発するジハード。
彼の意見に反対する理由もなく、深く頷き合った二人は注意深く階段を下りていく。まだ油断はできなかった。
階段下に横たわる男の死体に少し視線を向けたティエルだが、彼女の腕を掴んだままジハードは歩みを止めない。

玄関の扉を押してみるが、びくともしない。勿論閂は外されており、鍵が開いているのにも拘らず開かないのだ。
力の限りにティエルが扉のノブを引こうとしても、ジハードが体当たりをしても開く兆しはなかった。
ティエル達をこの館から逃げ出さないようにするためか。永遠に屋敷に留まらせ、娘のお友達にする気なのだ。


「ど……どうしようジハード、扉が開かないよ!?」
「扉が駄目なら窓ガラスを割るしかない。確か応接間の窓ガラスに大きくひびが入っていたから、そこから出る」
「うん! 応接間に立派な置物もいくつかあったから、きっとそれを投げたら割れるはずだよね?」

やはりジハードはいつでも冷静だ。完全に気が動転しているティエルとは違い、常に状況に応じた判断をする。
少しは落ち着かなくちゃ、と応接間に足を向けたティエルに凭れ掛かるようにして、突然ジハードが倒れてきた。
思わず彼を支えた手にぬるりとした感触。ジハードの背後で稲光に照らされた姿を見てティエルは目を見開いた。

歪んだ笑みを浮かべて花瓶を手にしている女の姿だった。娘の母親がまだ残っていたことを今更ながら思い出す。
ティエルに凭れ掛かっているジハードの額から血が溢れていた。花瓶で殴られた時に切ってしまったのだろう。


「そんなに慌てて……こんな夜中にどこに行くのかしら? 外はまだ雨が降っているわ。早く部屋に戻りなさい」
「ジハード、しっかりしてジハード!?」
「いってぇ……畜生、血が目に入った」

「あなた達は娘の大切なお友達。この屋敷から絶対に逃がすわけにはいかないわよぉ……!」

ジハードの血に染まった額の傷口を目にした瞬間、ティエルの頭の中が一瞬で真っ白になった。
途端に一気に溢れ出る激しい怒りの感情。ぎりと歯を食いしばり、彼女は目の前で花瓶を抱える女を睨みつける。
何よりも大切な存在を傷付けられ、ティエルの中で恐怖よりも怒りが勝った瞬間であった。

「お友達? 娘のため……? ふざけるな、そう言いながらお前達がやっていることは単なる人殺しなんだ!」


しかしそんなティエルの怒りの声に女が動じるはずもなく、花瓶を手にしながらじりじりと歩み寄ってくる。
額を押さえて蹲るジハードから、まずはこの女を遠ざけなければならない。
挑発するようにティエルは階段へ向かう。願いが届いたのか、女はジハードの横を通り過ぎて彼女を追っていく。

途中に男の死体が転がっていたが、夫であるにも拘らず女は死体を乱暴に踏み付けながらティエルを追っていた。
最早正気ではない。娘を想うあまり、夫婦揃って気が触れてしまったのだろうか。


女がゆっくりと階段を上がってくる様子を確認すると、二階の廊下に辿り着いたティエルは左右を見回した。
一番近くの扉を押してみるが、どうやら鍵が掛かっているようだ。
ただ一室だけ開いている扉があったが……先程ティエルが命辛々逃げ出した、少女達の死体が転がる部屋である。

迷わず部屋に飛び込んだティエルは、屋敷から脱出するために役立ちそうなものを求めて部屋中に目を走らせた。
足元に転がる少女達のミイラ。ベッドの上には桃色のウィッグを付けられた少女の人形。
あの夫婦はこの人形を愛しい娘だと思い込んでいる。人形を人質にして、屋敷から脱出できないものだろうか。
しかし少女の人形は、まるでこの騒ぎなど無関係だと言わんばかりに抉られた顔で虚空を見つめ続けている。


「……ねえ、あなたは何も思わないの?」

人形に向かって思わず声をかけるティエル。勿論返事がないとは知りながら。
廊下からは静かな足音が真っ直ぐに近付いてくる。漸く階段を上り終えた女がこの部屋に向かってきているのだ。

「あなたは……お父さんやお母さんが自分のためにたくさんの女の子達を殺しても、何も感じないの……!?」


何も答えることのない少女の人形の肩を両手で掴んだティエルは強く揺さぶった。床に落ちる桃色のウィッグ。
その時、彼女の瞳にベッドサイドのテーブルに飾られた古い写真立てが映った。
見覚えのある夫婦の姿。そして、彼らの間に映っているのは、幸せそうに笑っている幼くも美しい少女であった。

色素の薄い肌。赤い瞳。少し癖のある桃色の髪を赤いリボンで結っている。作り物のように可憐で儚い少女だ。
なにより、ティエルはこの少女に見覚えがあった。
かつて島国エルキドを訪れた時、サキョウの最愛の人物であるサクラを惨殺した、悪魔族の少女ミカエラである。


「ここにいたんだねぇ……さあ、可愛いミカエラのお友達になってもらうわ……!!」


背後を振り返ると、遠くに転がっていったはずの鉈を振り上げる女の姿。
夫婦はミカエラの両親なのだろうか。だが夫婦からは悪魔族の気配は全く感じ取れなかった。確実に人間である。
何故これほどまでに壊れてしまったのだろうか。勿論、いくら考えてもティエルには察することができなかった。

鉈を避けるためにティエルが身を翻した瞬間。足元に折り重なった少女達の遺体に、夫人が足を取られてしまう。
転倒した勢いで夫人の手から鉈が離れ、くるくると綺麗な弧を描きながら鉈は一直線に夫人の首に突き刺さった。
押し殺したような悲鳴と共に上がる真っ赤な血飛沫。鉈の重みで、夫人の首は半分ほど切断されてしまっていた。

これは単なる偶然か、それとも彼らに惨殺された罪なき少女達の怨念が夫人を死に導いたのか。
暫く呆然と夫人の死体を眺めていたティエルであったが、はっと我に返るとイデアを床に突いて立ち上がった。
ぼんやりしている場合ではない、早くこの屋敷から逃げ出さなければ。階下のジハードは無事でいるのだろうか。

その時。


「パパ……ママ……?」

背後から幼い少女の声が響いたのだ。あの夜も降りしきる雨だった。食屍鬼達の群れ。苦しみに呻く門下生の声。
できることならば二度とその声を聞くことがないようにと願うばかりの声であった。
ぐっとイデアを握り締めたまま振り返ったティエルの瞳に映った人物は、やはり想像していた通りの少女だった。

艶やかで癖のある桃色の髪。病的なほど白く透き通った肌。鮮血を連想させる真紅の瞳。小柄で華奢な身体つき。
まるで天使が舞い降りたのかと錯覚してしまうほど愛くるしい顔立ちの少女だ。
だがその少女の顔に浮かぶ表情はあどけないほど残虐で、穢れを知らぬほど純粋で危うい狂気を秘めていたのだ。

……彼女の名は。

「ミカエラ……!」
「なんで? どうして、パパとママがまた死んでるの? あっ。もしかして、キミが殺しちゃったのかなぁ?」
「パパとママって……ここはあなたの家だったの……?」
「さっさと質問に答えなよ、人間。聞いているのはミカエラの方だよ。ん? キミの顔、何だか見覚えがあるな」

きゃらきゃらと笑い声を上げながら、お気に入りのクマのぬいぐるみを胸に抱えて歩み寄ってくるミカエラ。
ティエルの顔を物珍しそうに眺めていた彼女は、やがて思い出したように歪んだ笑みを浮かべたのだ。


「キミ、エルキドでミカエラを酷い目に遭わせてくれた人間どもだ! ……なんでミカエラのお家にいるのぉ?」





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