Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第2章 死神に捧ぐバラッド

第17話 死神に捧ぐバラッド -2-




「パパ……?」

「可愛いミカエラ……私の可愛い天使……もうこれ以上、お前だけが罪を重ねてはいけないよ……」
「どうして止めるの? だってミカエラ、悪いことなんて何にもしてないよ? お友達と遊んでるだけだもん!」
「……私だけの可愛い天使……いつまでもパパはお前を愛しているよ、ミカエラ……」


慌てて父親の手を振り解こうとするミカエラだが、彼の手は足首に深く食い込んでいて離れる兆しはなかった。
さしもの彼女も父親の腕をデスサイズで斬り落とすわけにもいかず、じたばたと暴れるだけである。
その様子を呆然と眺めていたティエルを現実に引き戻したのは、二階の部屋から廊下へ燃え移る激しい炎だった。

あの部屋は恐らく子供部屋、先程まで激しい戦闘を繰り広げていたミカエラの部屋である。
父親と同じように息を吹き返した母親が火を点けたのか、それとも倒れた燭台の火が人形達に燃え移ったのか。
炎の勢いは凄まじく、うねるように廊下を次々と飲み込んでいく。屋敷が焼け落ちるのも時間の問題だろう。
しかし扉は閉ざされたままである。『お友達』にされたティエル達もろとも、全てを灰にするつもりなのだ。


「ぼさっとするな、早く逃げるぞティエル! ぼくはこんな訳の分からない家族と心中するなんて御免だぜ!?」
「ジハード!」

このまま一家心中に巻き込まれてたまるかと、ティエルの腕を掴んだジハードは応接間に向かって駆け出した。
彼が言うには、応接間の窓ガラスには大きくひびが入っていたという。上手くいけば脱出できるかもしれないと。
やはり正面の扉は何度も体当たりをしても開くことはなかった。扉が駄目ならば残るは窓から脱出するしかない。

恐らくティエル達をこの屋敷から逃がしたくないという、夫婦の強い怨念によって扉が閉ざされているのだろう。
怨念を打ち砕かない限り、開けるのは無理だとジハードは判断していた。最早怨念は呪いとなっているようだ。
だからと言って、状況が全く理解できないまま一家心中に巻き込まれてはたまらない。

子供部屋から出火した炎は勢いを増していき、まるで意思を持ったかのように屋敷全体を飲み込もうとしていた。
可愛らしい装飾の子供部屋や、動物達のぬいぐるみ。そして少女達の干乾びた死体が次第に灰となっていく。
このまま二階が焼け落ちてしまうと倒壊の危険性がある。その前にこの屋敷から逃げ出さなくてはならなかった。


応接間に辿り着くと、確かにジハードが言ったとおり庭に向けた大きな窓ガラスに深い亀裂が入っているようだ。
暖炉の上には騎士をモチーフとした青銅の像が置かれており、窓に投げ込めば簡単に割ることができそうだ。
怪我をしているジハードを頼るわけにはいかない。ここは任せて、とティエルはおもむろに像へと手を伸ばした。

「えっ、一体何をする気なんだいティエル」
「怪我人は下がってて。こう見えてもわたし、力には自信があるから。窓を割るのはわたしに任せて!」
「任せてって……その像、結構重いんじゃないの」

どこか不安そうな表情を浮かべているジハードをよそに、ティエルは危なっかしい手付きで青銅の像を胸に抱く。
想像していた以上に重さを感じるが、投げられないほどではない。何度か弾みをつけて窓に向かって放り投げる。
ほんの少しだけ狙いが逸れ、凍り付いた表情のジハードを像が掠っていたのはこの際見なかったことにしよう。

しかし。粉々に砕け散るはずだった窓ガラスは、青銅の像を投げ付けられても、まるでびくともしなかった。
まるで強い結界に守られているかのように弾き返されてしまったのだ。


「うそ!? こんな頑丈な窓ガラスってあるの?」
「……というか見なかったことにしているみたいだけど、ぼくの頬を像が掠っていったんだけどね?」
「そんな細かいことを言ってる場合じゃないよ! 窓ガラスが割れないのなら、何か別の方法を考えないと……」

「夫婦の怨念以上の強い力をぶつけなければ無理だろうね。……ティエル、そこのソファーの陰に隠れててくれ」
「どうするのジハード!?」
「そのままの意味さ。あの夫婦の怨念以上に強い力をぶつけるんだよ。怪我をしたくなければ、早く隠れて!」

リグ・ヴェーダのページをばらばらと捲り、ジハードは既に詠唱を開始していた。
複雑に絡み合う魔力で構成された虹色のリボン。彼は極陣を屋内で使用する場合は、極力威力を落としている。
だが先程の台詞から察するに一切手加減はしないということだ。ティエルは慌ててソファーの陰に身を隠した。


「極陣・湿婆の陣!」

美しい魔法陣が完成すると同時に一気に弾け飛ぶ。虹のリボンが巨大な杭となって次々に窓へと向かって行く。
窓ガラスの破壊どころではない。最早壁の破壊となっているようだ。熱気を帯びた爆風が部屋中に立ち込める。
夫婦の強い怨念によって閉ざされた窓も呆気なく破壊され、もうもうと立ち込める砂埃と共に壁に大穴を開ける。

「……少しやりすぎたかな」
「外に出られたら何でもいいよ!」

ジハードが振り返るとティエルはソファーを乗り越え、燃え盛る屋敷から漸く脱出することができたのだった。







外は既に雨は止んでいた。荒れ果てた庭を駆け抜け、門の外へと飛び出した二人は背後の屋敷を振り返る。
二階部分は完全に火に飲み込まれていた。先程まで二人のいた応接間にも激しい火の手が回っているようだった。
あの夫婦とミカエラはどうなったのだろうか。そもそも夫婦は元々死んでいてもおかしくない怪我を負っていた。
それがまるで生き返ったかのようにティエルには見えたのだ。


『なんで? どうして、パパとママがまた死んでるの? あっ。もしかして、キミが殺しちゃったのかなぁ?』

初めてこの屋敷に姿を現したミカエラが口に出した台詞。『また死んでいる』とは一体どういう意味なのか。
もしやあの夫婦はミカエラによって仮初めの命を与えられた生ける死者だったというのか。
この程度であのミカエラが死んだとは考えられない。いつか必ず、彼女は逆恨みじみた報復をしてくるだろう。

そんなティエルの不安を察したのか隣に立っていたジハードが、とんだ目に遭ったな、と衣服の煤を叩いていた。
とんだ目どころの話ではない。やはり彼はどこか感覚がずれているような気がする。


「これからはむやみやたらにお友達になるなんて言えなくなっただろ、ティエル」
「え?」
「友達宣言しただけで殺されるなんて、命がいくつあっても足りないぜ。……あ、肩の止血だけでもしておくよ」

やれやれといった様子でそう言った彼は、ティエルの血が滲んでいる肩に手をかざした。
ミカエラのデスサイズの衝撃で負ってしまった傷だ。改めて傷口を目にすると、今更ながら痛みが襲ってくる。
優しげな淡い緑の光に包まれ、徐々に痛みが和らいでくる。化膿さえしなければ二週間ほどで完治するだろう。
彼の治癒魔法で治療した傷は、傷跡一つ残ったことがない。

やはりジハードの治癒魔法の威力は凄いなと改めて実感しつつ、ティエルはふと彼の額に目を留める。
小指の長さほどの傷口。花瓶で殴られた時に切れてしまった傷は出血が続いており、彼の白髪を赤く染めていた。
ジハードは自分よりも他人の傷の治癒を優先する。勿論、誰に対してもそういう行動を取るわけではなかったが。

……心を許している相手でなければ損得勘定で動き、時には冷徹ともいえる非情な選択をすることすらあった。


「もういいよ、痛くないから大丈夫。それよりも額の傷、血が垂れているから早く拭いて治した方がいいよ」
「うん? ……ああ、本当だ。道理で額が痛いと思った」
「ジハードって、自分のことに関しては割と抜けてるよね。他人のことには嫌になるくらい鋭いのになぁー」
「嫌になるくらいって失礼な言い草だな。むしろ他人のことに対して鈍感な性格よりはいいだろ?」

にっこりと彼が得意とする天使の笑顔を浮かべつつ、屋敷を背にして歩き始めるジハード。
単なる雨宿りに立ち寄った屋敷で、あんな一家心中まがいの出来事に巻き込まれるなんて思いもしなかった。
ミカエラとあの夫婦の関係や、十年前から化け物屋敷と呼ばれるようになった理由など結局何も判明していない。

彼女は夫婦をパパママと呼んでいた。しかし、あの夫婦はどう見ても人間である。悪魔族ではなかった。
人間に憎しみを持っているミカエラが、血の繋がらない彼らを両親と呼んでいる理由は一体何なのだろうか。

そんなことを考えてなかなか歩き出そうとしないティエルに向かって、振り返ったジハードが手を差し伸べる。
その拍子に光の糸のような白い髪がさらりと揺れ、天使のような青年、という形容は過言ではないと思った。
大丈夫。ジハードが側にいてくれるなら。彼と一緒なら、何も怖くはない。


「ティエル、行こう。サキョウが待ってる」
「……うん」
「サキョウの顔を見たら、きっと不安も吹っ飛ぶよ。彼以上に前向きな性格の持ち主はなかなかいないからな」
「確かにそうだね。早くサキョウの笑顔が見たいな!」

思わず笑顔を浮かべたティエルも、深く頷くと漸く一歩を踏み出した。
確かにサキョウよりも前向きな性格の人間は滅多に見たことがない。周囲の者に活力を与えてくれる人物なのだ。
彼の顔を見ればこんな不安も何もかも全て吹っ飛んでしまうだろう。早く無事を確かめたい。
目の前に広がるのは雨上がりの林。ぬかるんだ地面がブーツを汚すが、もう彼女が歩みを止めることはなかった。

……目指すゴールドマインは、もうすぐそこだ。





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