Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第3章 戦慄のゴールドマイン

第18話 開け放たれた災厄 -1-




土の匂いを含んだ風が吹いた。
その一陣の風は、動く者のいないゴールドマインの町を吹き抜けていく。舞い上がっていく落ち葉や新聞紙。
至る所に大岩が突き出ている町であった。金鉱という砂の吹き荒れる土臭いイメージの割には整然とした都市だ。
舗装のされていない広い砂利道が町の中心を突き抜けており、そのまま一直線に金鉱まで伸びているようである。

大通りの左右には黒ずんだ木の建物がずらりと立ち並び、露天の名残であるテントもいくつか見受けられた。
店の看板は地に落ちたまま野晒しになっており、このゴールドマインの悲惨な現状を物語っているようであった。
壁に凭れ掛かるようにして項垂れている人影が時折見受けられたが、残念ながら既に白骨化しているようだ。

夢を追う多くの男達で賑わっている町だと聞いていたが、町を襲った謎の病とやらはここまで広まっていたのか。
ベムジンの使者から知らせを聞いて、約二週間かけて漸くゴールドマインへ辿り着いたティエルとジハード。
想像していた以上に凄惨な町の有様に思わず二人の歩みが止まる。誰一人として動く者のいない大通りであった。


「誰もいないね。もしかしたら、みんな家の中にいるのかもしれないけど……ねえ、早くサキョウ達を探そうよ」
「……ちょっと待ってくれ。この町は謎の中毒患者で溢れていると聞いた。むやみに足を踏み入れるのは危険だ」

「危険だって言われても、折角ここまで来たのに足を踏み入れないわけにはいかないじゃない」
「念のため防護の魔法陣をぼくらの周囲に仕掛けるから。ぼくらまで中毒患者になってしまったら笑えないだろ」
「そっかあ! ……でもジハードの防護の魔法陣って、病気まで防護できたっけ?」


すたすたと危機感もなく町へと足を踏み入れようとしていたティエルの肩を、厳しい表情のジハードが引き戻す。
ベムジンからの使者は、ゴールドマインを襲った謎の中毒症状は死人まで出ていると言っていた。
単なる凶悪な流行り病なのか、それとも金鉱の奥から毒ガスが滲み出てきたのか……理由は分からないという。

サキョウを助けに来たはずのティエル達まで病に倒れてしまってはいい笑いものだ。愚かとしか言いようがない。
その予防策として、極陣を唱えると言っているのだ。だが彼の防護陣は物理的なものに対してのみ有効なはずだ。
訝しげに首を傾げているティエルを前にして、ジハードはふふんと得意げに胸を反らして見せる。


「ぼくがこの一年間、料理と筋トレと研究以外何も努力をせずに日々を過ごしていたとティエルは思うのかい?」
「えっ。料理と筋トレと怪しい研究ばかりやっているように見えたけど違うの?」
「怪しいは余計だよ。……ではなくて、日々魔法の鍛錬も怠ってはいなかったってことさ」

「そうなんだぁ。さっすがジハード! まずは住人達から詳しい話を聞かなくちゃ何も分からないままだもんね」
「住人達が残っているといいんだけどな。ぼくならさっさと逃げ出しているだろうからね」


己の描く虹色の魔法陣を眺めながらジハードが呟くようにして言った。
未知なる病に対する防護の魔法陣といっても、決してその効果は完璧ではない。殆ど気休めのようなものである。
それでも極陣の淡い虹の光が二人を優しく包み込むと、不安であったティエルの心はどこか安らぎを覚えたのだ。

「残念ながらこの極陣の効果は長持ちしない。まずはサキョウ達の安否を確認しつつ、中毒の原因を探るんだ」
「うん。とりあえず……人が集まりそうな建物に入ってみようよ。あれはレストランかな? 誰かいるかも!」
「レストランというよりあそこは酒場かな。それにしても、ほんの一ヶ月程度でここまで荒れ放題になるかね」

ティエルとジハードが向かった先は、町の入口に近い位置にある酒場であった。
窓ガラスは割れ、酒瓶が周囲に散乱している。両開きの扉は片方の蝶番が外れているのか軋んだ音を立てていた。
完全に廃墟のように見える。かつては夢を抱いた男達の笑い声で賑わいを見せていたであろう面影は全くない。


「こんにちはー……誰かいませんかぁー?」


蝶番の外れた扉まで歩み寄って行ったティエルは、恐る恐る声を掛けながら酒場の中を覗いてみる。
店内も荒れ放題であった。明かりは全く灯っておらず、時刻はまだ昼を過ぎたばかりだというのに薄暗かった。
倒れたテーブルや椅子、割れた食器。店内は足の踏み場もないほど荒れており、やはり人の気配はないようだ。

「どうだい、ティエル。誰かいた?」
「うーん。誰もいないみたい。……あれ? なんだろ、入口にバリケードみたいなものがあるよ」
「バリケード?」
「椅子や樽が扉の前に置いてあるの。ねえ、ジハード。この町を襲ったのは……単なる中毒ガスだったのかなぁ」

そうティエルが呟いた時であった。店内のカウンターの陰に、大きな人影が蹲っているのが目に映ったのだ。
全く気付かなかった。店内を覗いたときは死角にいたのだろうか。
生き残りがいたのだと、安堵の表情を浮かべたティエルはジハードの制止も聞かずにバリケードを飛び越える。


「よかった、生き残ったひとがいたんだね。ねえ、ゴールドマインで一体何があったのかお話を聞かせて……」
「……てめぇら今更この町に何しに来やがった! さてはあいつらの仲間だな!?」
「えっ!?」

警戒心の欠片もなく蹲っていた人影に歩み寄って行ったティエルの腕を、突如伸ばされた太い腕が乱暴に掴んだ。
血に塗れた毛深い男の腕だ。突然のことに思わず腰を抜かしかけた彼女を下がらせ、ジハードが前に立ち塞がる。
指先に魔法陣を灯らせて店内を照らすと、腕を掴んでいたのはぼろぼろの服を纏った中年の男だったのだ。

「あなたは……ゴールドマインの住人かい?」
「オレは単なる日雇いの労働者だ! 一体何の用だよ、ここはもう希望に満ち溢れた金鉱なんかじゃねぇんだよ」
「おじさん、教えて。この町で何があったの? わたし達、ゴールドマインの異変を調査するために来たんだ」

「……ほ……本当にあいつらの仲間じゃねぇんだろうな……もう誰も信用できねぇんだ。
 とにかく入口のバリケードを元に戻しておいてくれ。あいつらに見つかっちまったら……今度こそお終いだぜ」


男の発した台詞は乱暴なものであったが、その口調は震えていた。余程恐ろしい目に遭ったのだろう。
ぼうぼうに伸びたヒゲに、くっきりと浮かんだ隈。男の右足首から下は、食い千切られたように無くなっていた。
暫く顔を見合わせていたティエルとジハードだったが、男の言葉に従ってバリケードを元の位置へと戻した。


「おじさんは、ゴールドマインの金鉱で働いていたひとなんだよね?」
「そうだ」
「お願い、知っていることがあったら教えて。どうして町がこんなことになったのか、あいつらって誰のこと?」
「……」

ティエルの問い掛けに答えることもなく、歯をがちがちと鳴らして震えていた男であったが。
孤独から解放された安堵感のために幾分か落ち着いてきたようだ。やがて男は呟くような小さな声で語り始めた。

「お前ら、ゴールドマインの調査に来たって言ったな」
「うん」
「調査なんざするだけ無駄だ。あいつらに見つかる前に早いところ逃げた方がいいぜ、この町はもうお終いだ」

食い千切られたような右足の傷が相当痛むのだろう。満足に止血もできておらず、傷口から腐食が始まっている。
歯を食いしばりながら男は痛みに耐えていた。大きな獣か、それとも魔物に食い千切られたのか。
無言のまま男に歩み寄ったジハードは静かに膝を突き、できるだけ男を怯えさせぬように優しく彼の脚に触れた。


「い、いってぇ! いきなり何しやがるんだ、てめぇ!?」
「動かないでくれ、傷口の腐食を止めるだけだから。痛みを取ることはできないけれど、何もしないよりはいい」
「腐食を止めるって……お前……」

ジハードが脚に触れた瞬間に身体を強張らせてた男だが、彼の手から淡い緑色の光が発せられると口を閉ざした。
ゆっくりとではあるが確実に、淡い光は腐食し始めた男の傷口を癒し始めている。
酒場の外で絶え間なく吹く風は冷たく、割れた窓から微かに冷気を運んでくる。もうすぐ日没が近いのだろうか。


「腐食するまで放っておくなんて。どうしてもっと早く医者に診せなかったのかい」
「これが治癒魔法っていうのか、すげぇなぁ……。医者なんざ全員最初の頃に逃げ出しちまって、この有様だぜ」
「……」

「オレだって足を食われていなけりゃ、逃げ出していたのによぉ。こんな身体で遠くに逃げられるわけがねぇ。
 すぐにあいつらに見つかって殺されちまう。それならここで隠れながら助けを待っていた方が賢い選択だろ?」

「……ねえ、おじさん。ここへモンク僧が助けに来たでしょう? そのひと達は今どこにいるの?」
「モンク僧?」
「その中に大きな熊みたいな色黒の男のひとがいたはずなの。わたしの大切なひとなんだ」
「確かに僧侶達は来たぜ。物資を置いて、金鉱に行ったきり戻ってこねぇ。……誰がいたかまでは覚えてねぇよ」

「そっか……」

男の言葉にティエルはがっくりと項垂れてしまう。
明るい返事を期待していた。無事を信じていた。しかし、確実にサキョウ達は何かに巻き込まれてしまったのだ。
気落ちしているティエルを励ますように、ジハードが優しく彼女の頭を叩く。今は落ち込んでいる場合ではない。


「約二ヶ月ほど前になるか……オレは数人の仲間達と共に、このゴールドマインに出稼ぎにきたんだ。
 坑夫の仕事はすぐに見つかったさ。日々指示通りに金脈を掘る仕事だった。あの頃は希望に満ち溢れていたな」
「それがどうしてこんなことに?」
「体力自慢の馬鹿な男ばかりが集まって、毎日が楽しかった。……畜生、あんなもの掘り出すんじゃなかったぜ」

「……あんなものって?」

「ある日、仲間の一人が変な通路を掘り当てちまったんだ。祭壇みてぇな部屋に続いている通路をな。
 大量の人骨と古い血の跡がそこら中にあって……見た瞬間全身総毛立つほど、そりゃあ禍々しい部屋だったよ」


金鉱の奥に隠し通路。更には古い人骨と血の跡が残る禍々しい祭壇。
いくら体力自慢の馬鹿な男達と自称している彼らであっても、関わってはならないと本能が警告を鳴らしていた。

「聞いている限り、とても不吉な遺跡にしか思えないけど」
「ああ、白髪の兄ちゃん。あんたの言うとおり……相当ヤバいもんだったらしい。
 オレ達は必死に町長達を止めたんだ。だけど町長は……ああぁ、畜生……た、たすけ……助けてくれぇぇ!!」

相当恐ろしい目に遭ったのだろう。
突然がたがたと震え始めた男は、まるで誰かに許しを請うように叫ぶと、頭を抱えながらその場に蹲ってしまう。


「おじさん達は……一体何を掘り出してしまったの?」

ティエルが問い掛けるが、男は震えたまま頭を抱えるばかりである。
そっとジハードに顔を向けてみるが、彼は目を閉じながら首を振った。男が落ち着くまで待てというのだろう。
荒れ果てた酒場の中では、許してくれ、助けてくれと嗚咽交じりの男の声が何度も響くだけであった……。





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