Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第3章 戦慄のゴールドマイン
第21話 戦慄のゴールドマイン
立ち去ってしまったロイアを追うわけにもいかず、ティエルとジハードは低い柵を乗り越えて金鉱へと進んで行く。
至る所に人影が転がっている。身体中に紫色の斑点が浮き上がっている者や、身体中を食い千切られた者。
ぴくりとも動くことのないその様子から恐らく生きてはいないだろう。骨のようなものも周囲に散らばっている。
アンデッド達の凄惨な食い残しであった。つい最近まで生き延びていた者達もこの中に含まれているのだろうか。
辺りの強烈な腐臭に、ティエルは思わずハンカチで鼻を押さえる。それでもほんの気休めにしかならなかったが。
このまま真っ直ぐに進んで行けば、やがて金鉱前の広場に辿り着くとロイアが言っていた。
ふと隣を歩くジハードの様子が気になりティエルが顔を向けると、彼は厳しい表情で町人達の死体を眺めている。
死体達の表情までは遠目で分からなかったが、できるだけ目にしないようにティエルは前に進み続けた。
「町の規模を考えると、沢山のひと達が暮らしていたと思うんだけど……本当に、誰も生き残りはいないのかな」
「動ける者達は皆早いうちから避難したんだろうね。残っているとしたら、病に侵された者や怪我人だろう」
「……ほんとにサキョウ達はこの先にいるのかなって、不安になっちゃってさ。誰の声も聞こえないじゃない?」
「ああ、ぼくもそれが気になっているんだ」
あまりの重苦しい沈黙に耐え切れなくなったティエルが口を開く。強めの風が腐臭を薄めてくれているようだ。
何か話していなければ、不安でおかしくなりそうだった。まるで全ての者達が死滅してしまったような町である。
こんな場所を長い時間歩き続けていて、気丈でいられる方がおかしいのだ。
「ロイアや酒場の男の話を信じるならば、サキョウ達は間違いなくこの先にいるはずだ」
「うん」
「ベムジンへ帰れない事情があるのかもしれない。それとも……もしや『あいつら』とやらに捕まっているのか」
普段のジハードらしからぬ低い声。
表情に出していなくとも、全く動じていない素振りを見せていても、彼もティエルと同じく不安であったのだ。
肌寒い風が吹き抜ける。いつの間にかすっかりと陽が落ちており、周囲は夜の気配を漂わせ始めているようだ。
暫く進んで行くと、前方に大きく口を開けた金鉱の入口が見えてくる。まるで二人を冥府へ誘う入口にも見える。
薄暗いために気付きにくかったが、金鉱前の広場にはいくつかの人のようなシルエットが浮かんでいた。
その周囲には大小様々な大きさをした石塊がごろごろと転がっているようだ。金鉱から転がってきたのだろうか。
「ねえ、ジハード。広場に結構な人数のひとがいるみたい。もしかしたらサキョウ達かも……早く行こうよ!」
「ちょっと待てったら。むやみに近付いて、酒場の男が言っていた『あいつら』だとしたら危険だ!」
「大丈夫だよ、きっとサキョウ達だもん」
だがティエルはジハードの制止も聞かずに駆け出してしまう。大きく溜息をつきつつ彼も後を追って走り始める。
サキョウ達かもしれないと、駆け寄ったティエルの希望は呆気なく打ち砕かれてしまった。
人間のシルエットだと思っていたものは、確かに人の形をしていたが……全て苦悶の顔をした石像だったのだ。
周囲に転がっている巨大な石塊も、よくよく眺めてみると全て人の形をしている。
どれほど高名な芸術家が作成したのか、実に見事な石像である。苦悶の表情を浮かべているのが勿体ないほどだ。
石像達に刻まれた恐怖の色が作り物とは思えない。これほど恐怖を表現できる芸術家など存在するのだろうか。
逃げ出そうとしているのか四つん這いになった石像もあり、今にも動き出しそうなほど恐怖が伝わってくる。
続いて広場に足を踏み入れたジハードは、石像一つ一つの前で立ち止まって顔を覗き込んでいるようにも見えた。
一体何をしているんだろう、とティエルが首を傾げた時。彼は一つの石像の前で凍り付いたように立ち止まった。
スカイブルーの瞳を大きく見開き、酷く擦れた声でティエルを呼ぶ。手招きしようとも身体が動かなかったのだ。
常に冷静なジハードが激しく動揺している。これほど彼が動揺したことがあっただろうか? 恐らくないだろう。
ただならぬその様子にティエルは恐る恐る彼の前に立つ石像に顔を向けた。
……他の石像達よりも、一際大きな像であった。同じように驚愕の表情を浮かべたまま全ての時を止めている。
短く刈った髪に太い眉と厚い唇。無駄な肉など一切見当たらない、鍛え抜かれた鋼の筋肉をした大男の像である。
それは、ティエルとジハードが家族のように大切に思っている男の石像であった。
「この石像って……まさか、嘘だよね……? だから連絡ができなかったの? ……いや……いやだよ……!!」
「……恐らくサキョウだろう」
「だって、これ石像だよ……? なんでサキョウが石像になってるの!?」
「調査から戻らないと聞いた時点で、もしかしたらと最悪のケースを考えていたんだ。でも、いざ現実になると」
否定を求めるティエルの訴えに、それを打ち消すようにジハードは首を振った。
調査に向かったサキョウ達は確かにゴールドマインにいたのだ。だが、何者かによって石像にされた姿のままで。
どんなに否定をしたくとも残酷な現実を突き付けられている。しかし認めたくない。心が完全に否定している。
乾いた笑いを浮かべたまま、ジハードは一歩後ろに下がる。細かい砂利を踏む音が静まり返った周囲に響き渡る。
「ははは、情けないな。歩こうにも足に力が入らない。想定していたはずだったのに、本当に情けないったら」
「ジハード……」
「誰がこんなことを? どうして、一体何のために? ……畜生、誰がやりやがった!!」
暫く乾いた笑い声を発していたジハードから、突如激高した声が発せられる。
これほど怒りを露わにした彼の姿を目にするのは初めてだった。その迫力にびくりと身を震わせたティエルだが。
大きく肩で息をするジハードに優しく触れると、彼を落ち着かせるようにできるだけ穏やかな声を発した。
「……ジハード。必ずサキョウを助ける方法はあるよ。方法を探そう。まずはこんなことをした奴を探さなきゃ」
それは殆どティエルの希望でもあった。一度石化した者を元に戻すことは難しいのかもしれない。
たとえ何らかの方法で生身の肉体は取り戻せたとしても、止まった心臓は二度と動き出さないのかもしれない。
足元に転がった石像は、殺されてから石にされたのか。それとも生きたままじわじわと石にされたのか……。
「とにかく今は、サキョウ達を石にした奴らを探しに行こう? ……わたし達にできることは、それしかない」
「ティエル……」
ティエルの発した力強い声に、漸くジハードが顔を上げた。
先程までの激高した表情は消え失せて、普段の冷静さを取り戻しているようだ。ティエルは少しだけ安心する。
しかし瞳だけは怒りを隠しきれてはいなかった。一年前のあの日、リアンとの戦いで見せた瞳と全く同じである。
「人間を石にする魔物で思い当たるのは、バジリスクやメドゥーサだ。けれど彼らは決して人里に姿を現さない」
「サキョウ達はその魔物に襲われたんじゃないの?」
「いや……もう一つ考えられるのは、現在では失われた古代魔法の一つに石化魔法が存在したと聞いたことがある」
失われた古代魔法。唱えられる魔術師も今は存在していないはずだ、と低音でぶつぶつと呟き続けるジハード。
やはり普段の彼とはどこかが違う。周囲が見えていないようにも見えた。そんなジハードの姿を見つめていると、
言いようのない不安がティエルの胸に押し寄せてくる。取り返しのつかない事態になっているのではないかと。
「ジハード」
「ごめん、不安にさせてしまって。酒場にいた男の話では、『あいつら』とやらは遺跡が目的だったはずだ」
「うん。おじさんが言うには、一億リンで買い取ったって言ってたよね」
「どれだけ貴重な遺跡か知らないけど……奴らは大金を提示し町長を油断させ、邪魔な住人達を皆殺しにした」
「だとしたら、『あいつら』の居場所は」
「間違いなく金鉱の奥深く、例の遺跡だろう。既に立ち去っていないことを祈るばかりだけど」
ジハードの視線の先には、飢えた口をぽっかりと開けている金鉱への入口。勿論人影は見受けられなかった。
所々に灯っている頼りなげに揺れる松明の光が奥まで続いているようだ。
死に絶えた町であるはずなのに、一体誰が灯したのか。答えはただ一つ。この先に元凶となった者達がいるのだ。
「おじさん達は何を掘り当てたんだろう。どうして……サキョウ達がこんな目に遭わなければならなかったの?」
やっと会えたのに。やっとここまで来れたのに。
サキョウは笑ってくれない。大きな腕を広げて抱きしめてくれない。ただ、冷たい石の身体で佇んでいるだけだ。
彼と最後に会ったのは二ヶ月ほど前だ。遠征先の雪山での修行の日々を、彼は目を輝かせながら語ってくれた。
完全に弱肉強食、そして自給自足の世界であった。モンク僧のキャンプ地に襲いかかる獰猛な獣や魔物達も多い。
断り続けるジハードの肩に腕を回し、『次回は一緒に行こう』と、言っているサキョウの姿が最後の姿であった。
「彼らは確かに恐ろしいものを掘り当ててしまったのだろうけど、命を失うほどの犠牲を払うなんて馬鹿げてる」
「うん」
「たとえ古代魔法だとしても、術者の首根っこを掴んで引きずり回してでも解呪方法を吐かせてやらないとな」
「ジハードがそう言うと冗談には聞こえないよ」
「……本気で言ったんだけど」
俯いてしまったティエルを今度はジハードが励ますようにして笑顔を浮かべる。
ティエルだけが辛い思いをしているわけではない。彼も同じような思いを抱いている。それを忘れてはならない。
旅の最中サキョウと共にいる時間が多かったジハードならば、その苦しみはもしかしたら彼女以上かもしれない。
無言で頷き合った二人は、ゆっくりと金鉱の入口に向けて歩き始めた。
段々と闇に紛れていく物言わぬ石像達。涙で視界がぼやけるが、それでもティエルは歩みを止めはしなかった。
心の中でサキョウに暫しの別れを告げる。今までだって何度も困難を乗り越えてきた。今回も乗り越えて見せる。
奥で誰が待ち受けていようとも、そんなことはどうでもよかった。絶対に負けるものかと強く拳を握りしめた。
しかしこの時ティエルはまだ気付いていなかったのだ。この奥で一体何が、誰が待ち受けているのかを。
決して出会ってはならない恐ろしい人物と出会ってしまうことを。……ティエルとジハードは、まだ知らない。
+ Back or Next +