Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第3章 戦慄のゴールドマイン
第22話 坑道の先へ
人はいつだって、誰かを傷付けながら生きている。
誰かを傷付けて誰かに傷付けられて。誰も信じられなくなって。ぼろぼろになりながらも、それでも生きている。
どこかの誰かの犠牲の上で成り立った人生なのに、しれっとした顔で笑っている。……現実を認めたくないんだ。
綺麗ごとだけでは生きていけない。誰かを傷付けなくちゃ生きていけない時だってある。
大切な家族を守り抜くためなら、他の誰かを傷付けても構わない。名前も知らない誰かがどうなろうが構わない。
でも。手が汚れてしまうのを恐れている奴らは、決して臆病なんかじゃない。誰だって綺麗なままでいたいから。
オレはいくらでも手を汚そう。目の前で死にかけているどこかの誰かよりも、大切な家族を助けてやりたいんだ。
それがオレの行動理由の全てだった。それだけじゃ……駄目かな。
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ティエルとジハードが坑道に足を踏み入れると、今にも崩れ落ちそうなほどみしみしと低い地鳴りが続いている。
決して広いとはいえない内部には細々と松明が燃えており、道中に転がる紫色に変色した死体を照らしていた。
掘り起こした土に寄り掛かりながら項垂れる男の姿に駆け寄ろうとしたティエルを、無言でジハードが制する。
既に紫色の斑点が全身を覆っており、あれはここで働いていた坑夫達の成れの果てなのだろうと彼は言った。
亡者達に貪られ、腐肉すら残っていない死体も見受けられる。病死か亡者に食われるか、凄惨な二択であった。
しかしティエル達は充満する腐臭よりも、更に周囲に満ち溢れている濃い妖気の方が気になっていたのである。
坑道の奥から漂ってくる、じわじわと肌に染み込んでくるような濃厚な妖気。
これほど濃い妖気を長時間浴び続けていれば、頭がおかしくなりそうだった。精神的疲労が半端ではないのだ。
「……随分と濃い妖気だな。この妖気の持ち主がこの先にいるのか、それとも例の遺跡とやらが発しているのか」
「感覚の鋭いジハードならともかく、鈍いわたしですら感じるなんて。濃い妖気というよりすごく怖い妖気だよ」
「悪魔族の発する妖気とよく似ている気がするな。あのバアトリの妖気を何倍も濃くしたような感覚だ」
「でも、たとえどんな奴がいたとしても、絶対にサキョウ達を元に戻す方法を聞かなくちゃね。家族だもん!」
ジハードとは対照的に力強い声を発するティエル。
あらゆる魔力に対して敏感なジハードと比べると鈍感なティエルは、あまり気力を削がれてはいないようである。
謎の死病の流行る町。食い荒らされた死体ばかりの坑道。奥には何が待ち受けているのか分からない。
そんな不安な状況で彼女を支え続けているのは石になったサキョウを必ず助けたいという、その強い意志だった。
祖母ミランダを失い、ゴドーを失い。大切な人々を奪われ。ティエルがサキョウと出会ったのはそんな頃である。
彼女にとってサキョウは既に父親のような存在だ。あの夜全てを失ったティエルが手に入れた大切な存在だった。
力強いティエルの声を耳にしたジハードは、少しだけ彼女から視線を逸らすと小さな声で呟いた。
「ぼくも……いつかはティエルに家族と思ってもらえるような日が来るのかな」
「え? 何言ってんの。もうジハードはわたしにとって……」
そこまでティエルが口を開いた時だった。静寂に包まれた坑道の奥から、じゃりじゃりと砂を踏む音が響いた。
どうやらその足音は躊躇いもなく真っ直ぐにこちらへ向かってくるようだ。誰かが近付いてきている。
奥に続いている松明の火の勢いが突如弱まり、遂には突風に煽られたかのようにいくつかの炎が消えてしまう。
緊迫した表情で立ち止まるティエル達であったが、こちら側からでは相手の姿はまだ見えない。
「ようこそ、お二人さん。必ず来てくれるって信じていたよ。いやー、わざわざこんな場所までご苦労なこった」
「……!?」
「一年ぶり? それ以上か。久しぶりの再会だってのに、二人ともそんな怖い顔してこっち睨まないでくれよー」
薄暗がりに、ぼんやりとした人影。
その人影がどこかで聞き覚えがあるような声を発したのだ。緊迫した空気に反して軽い口調の若い男の声である。
心からティエル達との再会を喜んでいる弾んだ声。こんな場所でなければごくごく普通の再会のやり取りだった。
如何なる場合でも茶化した物言いをする人物は、ティエル達の知る限りではただ一人だけであった。
「……アリエス博士、やっぱりあなただったのか。緑の帽子と聞いていた時点でまさかとは思ったけどね」
「やあジハードくん。元からいい男だったけど、更に魅力に磨きが掛かったなー。よっ、この女泣かせの色男!」
「ふざけるなよ。あなたには聞きたいことが山ほどあるんだ」
「あらぁ……せっかくの再会だってのに、ジハードくんたら機嫌悪いなぁ。助けてくれよ、ティエルちゃーん」
吐き捨てるように呟かれたジハードの台詞と同時に、周囲の松明が一斉に火の勢いを強くさせた。
赤々と激しく燃える炎に照らされて、暗闇から浮かび上がるかのように姿を現したのは、緑の帽子を被った青年。
帽子と同じく緑のローブ。濃い茶色の髪。特徴的な帽子の下から覗く顔は、どこにでもいるような平凡な男の顔。
まさに少年と青年の中間といった様子の男であった。だがその狡猾なる緑の瞳は齢を重ねた老人にも見えたのだ。
アリエス=ファレル。
封魔石イデアを求めるティエル達に試験を出し、見事クリアした彼らと暫くの間行動を共にした男であった。
表向きの顔は魔物考古学の権威であり、荒野にテントを張って生活する古代アイテムコレクターの変わり者だ。
そして裏の顔は……焔の王国ゾルディスの宮廷魔術師。その魔力はゾルディス王国随一であった。
ティエル達を騙しているようで、時折親身にもなる。出会い方が違っていれば良き仲間になったのかもしれない。
何よりも大切な家族を人質に取られているために、アリエスは王国を捨てることができないでいるのだ。
仕事さえ絡まなければ、人情味に溢れた青年だったのだが……恐らく今回は仕事のためにここへ来たのだろう。
「アリエス、どうしてあなたがここにいるの!? もしかして博士もゴールドマインの異変を調べに来たの?」
「相変わらずティエルちゃんは可愛らしいねぇ。そうだ、国奪還おめでとさん。よく頑張ったなーえらいえらい」
「うん、みんなのお陰で国を奪還することができたんだ。勿論アリエスのお陰でもあるんだよ」
「え? なんでオレ?」
「……だって、アリエスのお陰でイデアが手に入ったんだもん。わたしはあなたにずっと支えられているんだ」
「そう言われるとは思わなかったなぁ。この無邪気さ、少しはジハードくんも見習ってほしいもんだね……」
「ティエル、あの男に近付くな」
アリエスと再会できた喜びのあまり彼に駆け寄ろうとするティエルの腕を、有無を言わさずジハードが引き戻す。
どうして、と困惑した表情を浮かべてジハードを振り返るが、彼は明らかにアリエスに対して敵意を抱いている。
緊迫した表情のジハードとは反して、アリエスはへらへらと緊張感のない笑顔を浮かべ続けていた。
「まぁ、ジハードくんの判断は正しいと思うぜ。恐らくオレがここにいる理由も既に察しているだろうしなぁー」
「アリエスが……ここにいる理由?」
「そ。勿論オレは調査に来たわけじゃないよ。まさかこんな場所が、あの方の復活の舞台に当て嵌まるとはねぇ」
「アリエス」
「なんだいジハードくん。ってかあんたの真顔は割と怖いから、できればにこやかに問い掛けてほしいんだけど」
「二つだけ質問をさせてくれ。一つは、この町に伝染病をばら撒き、サキョウ達を石にしたのはあなたか?」
「……」
「もう一つ。あなた達の目的は、ある人物の封印を解くこと。そのため町一つを滅ぼすという選択をしたのか?」
「怖いねー。そんな顔をしながら二つも質問されちゃ、チビっちまうわな。オレってよっぽど嫌われてんね」
身が竦むような殺気を発しながら睨み付けるジハードの視線も、おどけたようにやんわりと流しているアリエス。
こちらがいくら真剣に問い掛けても、全て冗談でかわされてしまう。正直この雰囲気は非常にやり難かった。
長い間裏の社会で生きるアリエスが身に着けた話術の一つである。相手を自分のペースに引き込んでしまうのだ。
ジハードが笑顔一つを己の武器にして生きてきたように、アリエスは巧みな話術で本日まで生きてきたのだ。
「まぁ……確かにジハードくんから嫌われても仕方がないことばかりやっちまってるから、別にいいけどさぁー」
「質問に答えろよ」
「ティエルちゃん、聞きました? このドスの利いた声。普段が如何に猫被ったぶりっ子だってのが分かるよね」
「わたしも真実が聞きたい。アリエス、お願いだから茶化さないで答えて」
「オレはいつだって真面目なんだけどな。ま、いっか。そうそう、お察しのとおり伝染病を広めたのはオレだよ」
「!!」
「んでもって、アンデッドを町に放ち……サキョウのおっちゃん達を禁呪で石にしたのも、このオレだ」
禁呪で石に。しかし石化魔法は、現在では失われてしまった古代魔法の一つであり、術者が存在するはずがない。
そんなジハードの疑問を感じ取ったのか、そうでないのか。アリエスは更に話を続ける。
「確かに石化魔法の術式は誰も知らない。今は滅んでしまったはずだけど、禁呪のスクロールってのがあってね」
「禁呪のスクロール?」
「術式を知らなくても魔法を使うことができる巻物だよ。たった一回使っただけで燃え尽きちゃうんだけどさ。
そんな禁呪である古代魔法を封じ込めたスクロールっていう希少なアイテムが、なんと闇市で出回ってんのさ」
「町を滅ぼした理由は何だ。遺跡が目的なら、多くの人命を奪う必要はなかっただろう」
「んー……本当は極上の生贄が数体必要だったんだけど、そんなもんすぐに用意できねぇし。数で補ったのよ」
「極上の生贄って、もしかして」
「ほらぁ、メドフォードで焔の魔女殿が言ってただろぉ? あのお方に架せられた封印の鎖を解き放つために、
復活の儀式をするんだって。限られた地形と魔力の流れに該当する場所。そして極上の生贄が必要なんだと」
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