Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第3章 戦慄のゴールドマイン
第23話 大公爵アスモデウス -1-
元々は北の小国であったゾルディス。数年間で急激に力をつけて、現在では巨大な軍事国家となりつつある。
宰相焔の魔女の背後で暗躍していたのは……老いたゾルディス王ではなく、大公爵アスモデウスという黒幕だった。
アスモデウスという人物は、全ての種族が幸せに暮らすことのできる理想の楽園を作り上げようとしている。
メドフォードを捨て去ったガリオンも完全にその考えに心酔してしまっている。
アスモデウスに架せられた封印の鎖を解き放つために、アリエスはこのゴールドマインを選んだというのだ。
限られた地形と魔力の流れに該当する場所は用意できた。更に極上の生贄の代わりに、多くの人命を代用した。
そして……全ての準備は整い、あとは儀式を遂行するだけなのだと。
「いいことを教えてやるよ。大人数を一気に始末するには、魔法よりも強力な病原菌をばら撒くことだってね。
殺し損ねた奴らはアンデッドの餌食になってもらったさ。気の毒だけど、やらなきゃオレが始末されるんでね」
「病原菌……」
「あっ、心配しないでくれよ。もう病原菌は死滅しているからさ。死体を触れても感染しないタイプの病原菌だし」
「禁呪のスクロールまで持ち出して、サキョウ達を石にしたのは何故だ。生贄の数ならもう十分だっただろう」
「……まぁ、サキョウのおっちゃんは残念だったな。でも決して生贄にしようと思ったわけじゃねぇよ。
命を奪わず、尚且つ邪魔をされないように足止めをするには……石化魔法のスクロールしか思い付かなかった」
へらへらと軽薄な笑みを浮かべていたアリエスだったが、ふとその笑みが消えた。
「最後まで戦わずにオレを説得し続けてくれたのは……サキョウのおっちゃんだけだったな。バカだなー、もう」
「アリエス」
「……なんだいティエルちゃん」
「お願い、石化の魔法を解いて。命は奪わずって、まだサキョウ達は死んではいないってことなんだよね……?」
「確かに石化魔法は死んだわけじゃないさ。けど、こればっかりはオレの力じゃどうすることもできないんだよ」
「どうして?」
「状態異常を解除する魔法、ディスペルも同じく現在では失われた古代魔法だからさ。もう術者は存在しない」
「……そんな、じゃあサキョウは? もう元には戻らないの……?」
涙を溢れさせ、がっくりと膝を突いたティエルだが、ジハードは涼しい顔付きのまま佇んでいた。
先程サキョウが石化した姿を目にした時は動揺していた彼だが、冷徹ともいえるような表情を浮かべていたのだ。
何か考えがあるのだろうか。暫くの間沈黙に徹していたジハードは、やがて彼にしては低い声で口を開いた。
「石化魔法のスクロールが存在するのなら、状態異常を解除するディスペルのスクロールだって存在するはずだ」
「うーん、そうかもなぁ。まぁ古代魔法のスクロール自体が超レアアイテムだから、探すのは難しいぜ」
「……もしくは、スクロールを使用した術者を殺せば魔法が解除される可能性もある」
「げっ!? 石化魔法が解除される確証もないってのに、ジハードくんまさかオレを殺す気満々でいるのぉ!?」
酷く落ち着いたジハードの声が、静まり返った坑道内に響き渡る。
坑道の奥は相当広い空間が広がっているのだろう、長い余韻を残しながらも再び辺りは不気味な静寂に包まれた。
ジハードの発言に驚いたような口調で答えていたアリエスだが、その表情は軽い。どこまでも読めない男である。
「まぁ、そりゃあ大切な仲間のためだもんなー。ジハードくんの気持ちも分からなくもないけどさ」
「……」
「でもさぁ、オレの葛藤も分かってもらいたいな。できればサキョウのおっちゃんを関わらせたくなかったんだ」
「どういう意味だ?」
「それだけヤバい案件だってことさ。あんた達二人もオレ的には関わってほしくはなかったんだけど、仕方ないな」
ゆらゆらと生き物のように揺らめく松明の光を暫く瞳に映していたアリエスだが、やがてゆっくりと顔を上げる。
坑道の奥から滲み出る妖気が段々と濃さを増していく。
確かに彼の言うとおり、これ以上関わってはならないと全身が警告を鳴らしている。だがもう後戻りはできない。
できれば一刻も早くこの場から逃げ出したいという感情とは裏腹に、坑道の奥へ引き寄せられているような錯覚。
まるで見えない魔力に絡め捕られ誘われているようだ。これもアスモデウスという人物の魔力なのだろうか。
「発見された遺跡は、大昔に何かの儀式を行っていたみたいなんだ。血生臭い儀式であることは確かだろうなぁ。
限られた地形と魔力の流れに該当する特別な場所ってのは、今も昔もろくなことに使われねぇなって思ったね」
「……遺跡を発見した坑夫の話では、大量の人骨と古い血の跡があったと聞いた」
「それだけ血生臭い場所だ。まさにあのお方の復活に相応しい場所だってな。ほら、よーく耳を澄ませてみなよ」
ひらひらと片手を振ったアリエスが口を閉ざすと、低音の詠唱のようなものが坑道の奥から響いているようだ。
「ゾルディスの中でも選りすぐりの祈祷師達だよ。一週間飲まず食わずで詠唱を続けてるんだぜ、ご苦労なこった」
「一週間もずっと詠唱を続けているの……!?」
「凄いよなー。オレには真似のできない精神力だぜ。その甲斐あって、漸く儀式は完成しようとしているのさ」
限られた地形と魔力の流れに該当する場所。大勢の生贄。祈祷師達が一週間詠唱を続けて、漸く完成される儀式。
そこまでしなければ解くことのできない封印の鎖とは、アスモデウスという人物とは一体どのような人物なのか。
リアンはかつて、我が王は全ての種族が幸せに暮らせる王国を作ろうと考えていると言っていたが……。
「オレはこの計画の責任者ってわけ。邪魔が入らないように見張ったり、場合によっては追い払ったりね。
ゾルディスでは焔の魔女殿に次ぐ宮廷魔術師のアリエス博士に、こんな地味な仕事させるなんて酷いよなぁ?」
「そんなことのために……サキョウを石にしたり、町のひと達を殺したりしたの……?」
「悲しい顔しないでくれよ、ティエルちゃん。オレはあんたのその顔に弱いんだから。オレも辛い立場なんだよ」
「……で? そこまでの犠牲を払ってまで完成させようとしている儀式を、今からぶち壊すこともできるのかな」
緊張感のないアリエスの声に重ねるようにして、ジハードの低い声が響く。一瞬でぴんと張り詰める周囲の空気。
表面的には穏やかな表情を浮かべているように見えるジハードだが、リグ・ヴェーダを掴む指が白くなっている。
怒りのために指に力が入りすぎているのだ。そして、余裕がないのだとティエルは感じた。
「うーん。残念だけど、止めるにはもう遅いかなー。封印の儀式は戻れないところまで来ちまったみたいなのよ」
「あなたと祈祷師達を全て殺してもかい?」
「オレ達を殺しても儀式は止められねぇよ。……まぁ、オレも本音を言っちまうと結構後悔してるのかもな」
「後悔?」
「封印の鎖を解き放つ前でもこの妖気だぜ? マジでやべー奴じゃん。封印を解いちまってもいいのかね、って」
もう遅いけどな、とアリエスは自嘲気味に言葉の最後に付け加える。
よく見てみると余裕の表情を見せている彼の額にはいくつもの玉汗が浮かんでいた。彼も恐怖を感じているのだ。
封印を解こうとしている人物がどれほど恐ろしく、決して関わってはならない人物なのかを本能で悟っている。
「勿論ヤバいことは重々承知の上だったさ。でも上からの命令なんでね、断れなかったんだ。
オレがやらなきゃ、見せしめとしてリナちゃんやモーリンが殺される。姪っ子や息子を出されると弱いんだよ」
アリエスの息子であるモーリンは、人質としてゾルディス王国に捕らえられている。
父が必ず助けに来てくれると信じ続けているモーリンと、ティエル達はゾルディスの牢で出会ったことがあった。
アリエスのアキレス腱といえるような存在。そしてリナとは彼が目の中に入れても痛くないほど大切な姪っ子だ。
「……ちょっと話し過ぎたかな、今言ったことは忘れてくれ。変に同情されても困るからね」
「しないよ」
「辛辣な言葉をありがとうジハードくん。……さて、そろそろ時間だ。一緒にあの方をお迎えに行かないかい?
アスモデウス閣下はとても博識なお方だから、石化魔法の解除方法を聞いたら教えてくれるかもしれないぜ」
帽子の鍔を軽く掴んでくいっと下げると、アリエスはティエル達に背を向けて坑道の奥へと進み始めた。
無言のまま二人も彼に続く。儀式を止めることはできなくとも、最後まで見届けなくてはならないと感じたのだ。
響いてくる祈祷師達の声はより一層重苦しい響きへ変化しており、反響して亡者達の呻き声のようにも聞こえる。
奥に進んで行くにつれ、周囲に漂う妖気も徐々に濃くなっていく。最早これは妖気などではなく毒の霧であった。
やがて、地面が石畳へと変わった。明らかに人工的に木の枠組みで補強された広い通路だ。
壁にはびっしりと血文字で描かれた文様が並んでおり、ここが坑夫達が掘り出してしまった遺跡の入口なのだろう。
酒場に隠れていた男が話していたとおり、奇妙な模様の描かれた通路の先にはレリーフの目立つ石の扉が見えた。
呪いの詠唱はその扉の奥から途切れもなく響いてきているようだ。
用心深くゆっくりと歩きながら、ティエルは隣を歩くジハードの様子をそっと眺めてみた。
完全なる無表情であった。優しい微笑みを常に絶やさない彼が見せるその表情は、総毛立つほどの恐怖を覚えた。
石化した者を元に戻す術はないと、はっきりとアリエスは言っていた。もうサキョウは元に戻らないのだろうか。
状態異常を解除するディスペルのスクロールというアイテムを探せば石化魔法を解除することも可能らしいが、
そんなスクロールは本当に出回っているのだろうか。いや、たとえ何十年掛かっても探し出さなければならない。
それにしてもこの妖気は、人を誘う毒のようだとティエルは感じていた。意思に関係なく引き寄せられてしまう。
大公爵アスモデウスといえば、リアンが心酔していた人物である。
全ては彼の理想のため。力を得るために封魔石イデアを探し、彼の封印を解くためにティエル達の命を要求した。
アスモデウスに近付けば、少しはリアンのことを知れるのだろうか。彼女の心に触れることができるのだろうか。
そんなことを考えながらティエルは歩き続けていた。
「二人ともお疲れさん。さ、この先が儀式の間だ。世にも恐ろしい大公爵様を一緒にお出迎えしましょうかね」
ティエル達にすっと道を譲ったアリエスが扉に向かって手を差し向けると、頑丈な鉄の扉は音もなく開いていく。
その途端重く圧し掛かるような威圧感が襲った。妖気だけでも完全に気圧されてしまいそうである。
しっかりと両足に力を入れていなければ、その場に崩れ落ちてしまうほどの迫力があるとティエルは感じていた。
ジハードは勿論のことアリエスでさえも額に汗を浮かせており、彼の顔にはありありと後悔の色が浮かんでいる。
扉の中は想像していたよりも広く、やはりここにも壁一面に血の文様が描かれているようだ。
広間の中心では円状に蝋燭が並べられており、十名ほどの祈祷師達が座禅を組んで一心不乱に詠唱を続けていた。
紫紺の霧のようなものが意思を持ったかのように絡み合いながら祈祷師達の周囲を蠢いている。
地の底から一層重い震動音が響く。突如祈祷師の一人が叫び声を上げ、両耳から血を噴き出して地に崩れ落ちた。
それでも残った祈祷師達は詠唱を止める気配はない。まるでその光景が目にも入っていないような様子であった。
ティエルとジハードは祈祷師達の様子をただ眺めていることだけしかできなかった。
詠唱を止めることも、この場から逃げ出すことすらできなかった。足が縫い止められたかのように動かないのだ。
「う……うげごげぇ!!」
「あぎゃああぁっ!」
一人、また一人と。身体中の穴から血を垂れ流し、断末魔の叫び声を上げながら重なり倒れていく祈祷師達の姿。
彼らの眼孔から零れ落ちた眼球が、ねちゃりとした音を立てて飛び出した。辺りに充満する咽るような血の臭い。
詠唱を続ける者のいなくなった祭壇にて、紫紺の霧が絡み合い、次第に人の形を作り上げていくのが分かった。
足元からゆっくりと霧が実体化しているようだ。黒光りのする皮のブーツに、重量のある長いビロードのマント。
霧が完全に晴れる頃、そこには大柄な体躯をした一人の男が立っていたのだ。
カールのかかった艶のある長い銀髪。口元には細いヒゲを蓄え、悪魔族の大公爵らしく、白皙の肌に端正な顔立ち。
外見だけで言うならば恐らく五十代後半だろう。しかし問題は、凄まじい威圧感を発している鋭い眼光であった。
にぃぃ、と口角を上げて彼はこちらに顔を向けた。ただ見つめられただけで、ティエル達は全ての敗北を悟る。
勝てるわけがない。魔力や妖気はおろか、存在そのものですらも。何もかもが桁違いで、全く別世界の人物だった。
……彼の名は、大公爵アスモデウス。
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