Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第3章 戦慄のゴールドマイン
第24話 大公爵アスモデウス -2-
この者には何があっても決して敵わないと、瞬時のうちにティエルとジハードは思い知ったのだ。
アスモデウスの封印を解いた張本人であるアリエスでさえも、表情を強張らせながら後悔の色が浮かんでいる。
しかし、もう遅いのだ。時を巻き戻すことなどできない。
アスモデウスの足元には、絶命してしまったゾルディスの祈祷師達の亡骸が重なり合うようにして倒れていた。
彼らはまさに己の命と引き換えにしてアスモデウスの封印の鎖を解き放ったのだ。
「ふむ……力を使い果たしたのか。実に優秀な祈祷師達よ。命を懸けた余のための働き、心から礼を言うぞ」
形の良い口髭の下から低い声が発せられる。意外にもアスモデウスの口調はとても優しく、慈愛に溢れていた。
それなのに一体なんだ、この寒気のするような恐怖は。優しい口調だからこそ恐ろしさを更に増幅させる。
長く艶やかな銀髪を優雅な仕草で払いのけると、アスモデウスは祈祷師の死体からティエル達へと顔を向ける。
ずん、と全身に圧し掛かる重圧。背中に冷たい汗が伝った。
「……偉大なるアスモデウス大公爵閣下。わたくしはゾルディス宮廷魔術師、アリエス=ファレルと申します」
「ゾルディス王国か」
「閣下のお力添えで巨大な軍事国家となったゾルディス王国です。ご復活を心よりお待ち申し上げておりました」
愛用の緑の帽子を手に取ったアリエスは、アスモデウスの前で恭しく片膝を突いて畏まる。
平静を装っているが、これは普段のアリエスの声ではない。緊張のあまり声が上擦ってしまっているようである。
顎に手を触れたアスモデウスは、ふむ、と首を傾げながらアリエスを眺めた。青い瞳の眼光が彼を鋭く射抜いた。
「あの封印の鎖からもう五年が過ぎたか。……くっくっく、余を五年も城に封じ込めるとはなかなかやりおるな」
「え?」
「そのお陰で久々に穏やかな日々を過ごしたよ。あいつには、いずれ心からの礼をしなければならんなぁ……」
明らかに周囲の空気が重く変わった。聞こえるはずのないぴしぴしとした空間の軋みまで聞こえてくるようだ。
考えてみれば、これほどの力を持ったアスモデウスが封印されるとは可笑しな話である。
一体どんな事情があったのか。ティエル達と同じくアリエスも疑問に思ったが、問い掛けをする勇気はなかった。
そんなアスモデウスの視線が突如アリエスから逸れ、立ち尽くしていたティエルとジハードへと向けられる。
顎髭を撫でながら暫く品定めをするかのように二人を眺めていたが、やがて満足そうに笑みを浮かべた。
「ほう、これはまた極上な血を持っている。お前達は死の恐怖に支配されているようだが、余は現在機嫌が良い」
「……」
「青い果実は熟した頃が食べ頃だろう。余に見合うほど熟した頃にまた会おうではないか。楽しみにしているぞ」
「アスモデウス閣下。ゾルディスまで簡易ワープゲートをご用意いたしますので、どうぞこちらへ」
「うむ」
頭を垂れたアリエスに続いて歩き始めたアスモデウスだが、ほんの一瞬だけティエル達に向けて笑みを浮かべた。
笑顔というものは他人に好感を抱かせるものだ。そのためにジハードは人畜無害な笑顔の仮面を常に付けている。
だがこのアスモデウスの笑みは一体なんだ。好感どころか心底恐ろしく、心を凍り付かせてしまうものであった。
祭壇を後にしたアスモデウス達の気配が完全に消え失せると、ティエルとジハードは脱力したように座り込んだ。
あんな人物と相まみえて命があることが不思議でならなかった。恐らく殺されるだろうと思っていたのだ。
アスモデウスにとってティエル達などまだまだ『青い果実』で、殺すにも値しない存在だったというのだろうか。
「石化魔法の解呪方法……聞くどころの話じゃなかったな」
漸く落ち着いたのか、ジハードが独り言のようにぽつりと呟いた。
博識なアスモデウスなら石化を解く方法を知っているかもしれない、とアリエスが言っていたような気がする。
「ここまで心底恐ろしいと思った相手は初めてだ。桁違いなんてものじゃない、格も次元も全てが違いすぎた」
「……あいつ、わたし達のことを青い果実って言ってた」
「アスモデウスにとっては自分以外の全てが青い果実なんだろうな。できれば二度と関わりたくはないけど……」
できれば二度と関わりたくはない。
しかし……アスモデウスがゾルディス王国の真の黒幕である以上、このまま関わらないわけにはいかないだろう。
厄介なことになった、とジハードが衣服の砂を叩きながら立ち上がろうとすると……きらりと光る物が目に入る。
一体何だろうと彼が手を伸ばすと、松明の光に照らされたそれは古いロケットペンダントであった。
洒落た作りの年代物だ。落ちていた位置からして、恐らくアスモデウスが持っていたロケットペンダントだろう。
「どうしたの、ジハード」
「うん? いやなんか、アスモデウスが落としたペンダントを見つけてさ」
「ペンダント?」
「我が最愛のローゼ、って刻まれてる。……どうやら中に写真が入っ」
言葉を不自然な形で止めたジハードは、中の写真を目にした途端強く握りしめるようにしてペンダントを閉じた。
両目を見開いたまま表情を強張らせている。中の写真を見ていないティエルは首を傾げて彼に歩み寄って行った。
ジハードは明らかに動揺している。彼にこんな表情をさせるほどの人物が写真に写っていたのだろうか。
「ジハード?」
「……」
「ペンダントの中の写真、見たんでしょ? もしかして、ジハードが知ってるひとが写ってたの?」
「……あいつに似ているどころの話じゃない。全く同じ顔だ。まさかアスモデウスは……いや、憶測は止めよう」
「ジハードってば!」
「えっ!?」
ティエルの呼び掛けにも気付かずに自問自答を繰り広げていたジハードに、堪りかねた彼女は大きく声を上げる。
漸くその声に勢いよく顔を上げたジハードは、自身の表情を瞬時に戻した。普段の穏やかな彼の表情であった。
先程のロケットペンダントは既にジハードの懐に隠されてしまった。どうやらティエルに見せる気はないようだ。
「ねえ写真、誰が写ってたの? 知ってるひとが写っていたんでしょ?」
「ああ……うん、そうだね。でも知っているというか……」
「?」
「とにかく、早くこの場を去ろう。暫くはゴールドマインに留まって、サキョウ達の解呪方法を考えるのが先だ」
確かにジハードの言うとおりだ。遥々ゴールドマインまでやって来たというのに何も解決していない状況である。
まずはサキョウを石から戻す方法を調べなくてはならない。メドフォードに帰るときは、必ずサキョウも一緒だ。
深く頷いたティエルは、ぐっと拳を握り締めるとジハードと共に坑道を戻り始めたのだった。
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「……おかえりなさい」
坑道から戻ってきたティエル達を優しく出迎えたのは、長い黒髪を微かに揺らせて微笑むロイアの姿であった。
金鉱前の広場に勿論人の姿はなく、物言わぬ石像が立ち並ぶだけだ。時折覗く月光が彼らを静かに照らしている。
こんな物寂しい場所で、いつ戻るとも知れぬティエル達の帰りをたった一人で待ち続けていてくれたのだろうか。
邪気のない純粋な彼女の微笑みを目にすると、先程まで感じていた恐怖や緊張が和らいでいくような気がした。
「ロイア。もしかして、わたし達を待っていてくれたの?」
「ええ、勿論です。あなた方はわたくしの大切なお客様ですもの。きちんとお見送りをしなければなりませんわ」
「悪いけど、ぼくらは暫くの間ゴールドマインに留まるつもりでいるんだ。だから見送りは要らないよ」
「留まる……? 何故なのでしょうか。この絶望に包まれた町には、もう何も残ってはいないのですよ」
「何も残っていないわけじゃないもん! ここには、わたし達の大切な仲間のサキョウがいるんだ」
「大切な仲間?」
「あの大きな石像はサキョウって名前で、わたしの大切なひとなんだ。こないだまでちゃんと笑っていたんだよ」
瞳に涙を浮かべながら思わずロイアに詰め寄るティエルと、言葉もなく暗い表情を浮かべているジハード。
言われなくとも分かっている。状況は絶望的なのだと。サキョウ達を元に戻す方法など……不可能に近いのだ。
そんな二人の姿を暫くの間見つめていたロイアだったが、ぽつりと小さく口を開いた。
「石化した人間を元に戻す方法……一つだけ心当たりがあります」
「えっ?」
「大切な人を何もできぬまま失ってしまうのは、とても悲しいことですわ。後に残るのは、深く激しい後悔だけ」
童女のようなあどけない表情で、だが、どこか瞳に寂しげな色を浮かべながらにこりと微笑みを浮かべるロイア。
かつて彼女に何かあったのだろうか。大切な人物を、何もできぬまま目の前で失ってしまったようなことが。
彼女の黒い瞳からは何も窺い知ることはできなかったが。
「……ユークリンド大森林をご存知でしょうか? 人を嫌う薬師のエルフ達の隠れ里とも言われている森です」
「名前だけなら聞いたことがあるよ、すごく大きくて綺麗な森なんだって。ジハードは知ってる?」
「このゴールドマインよりも僅か東に位置する大森林だね。エルフの隠れ里があるのは初めて聞いたけど……」
「ええ。その隠れ里の長老が、失われた古代魔法であるディスペルの術者であると聞きます」
「ディスペルの!?」
ディスペルといえば、魔法による石化や麻痺などのあらゆる状態異常を解呪することができると言われている。
勿論サキョウ達にかけられた石化魔法は、ディスペルによって解呪することが可能であった。
「それじゃあ、サキョウ達は助かるんだ!」
「……ですが……隠れ里のエルフ族は、完全に人間達と交流を断つために森の奥深くに住んでいるのです。
運よくエルフの隠れ里に辿り着くことができたとしても、長老が力を貸してくれるどうかは……分かりません」
「それでもいいよ。何も方法がないまま立ち止まっているよりは希望が見えてきた」
暗い表情で俯いているロイアとは裏腹に、ティエルとジハードの声は先程までとは比べ物にならぬほど力強い。
半ば絶望的であった石化を戻す方法が存在している。ただそれだけで前に進むための希望は十分であった。
何も方法が見つからないままこの町で時が過ぎていくよりもずっといい。彼女に感謝をしなければならなかった。
「ありがとう、ロイア。……あなたがいてくれて本当に良かった。感謝してもしきれないよ」
「いえ、わたくしは何も……」
満面の笑顔を浮かべたティエルに両手を握られ、暫く戸惑った様子のロイアであったが。やがて表情を綻ばせる。
「あなた方ならば、あの哀しいホロコーストの再来を……止めることができるのかもしれません」
「え?」
「どうか、ご無事で」
ぼそりと呟かれたロイアの一言に首を傾げるティエル。
だがそれに応えることもなく彼女は頭を下げると背を向けて歩き始めた。同時に深い霧が周囲に立ち込めていく。
ロイアを追ってはいけないと。……やはり、そんな気がした。
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