Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第25話 ユークリンドの薬師 -1-
……ねえおばあちゃん。何があっても、必ず助けてあげるから。いつか必ず、あたしが病気を治してあげるから。
この村はあたしが守る。人間達から必ず守って見せるから。パパやママ、妹を奪い去った人間達を絶対に許さない。
村に一歩でも足を踏み入れる人間を許さない。私利私欲のために、あたし達を利用しようとした人間を許さない。
この村はあたし達の最後の安らぎの場所なんだ。穏やかに時を過ごすことのできる、たった一つの場所なのだから。
失うわけにはいかない。奪われるわけにはいかない。これ以上大切なものを、この手から失うわけにはいかない。
素敵なアクセサリーも流行りのドレスも何もいらない。あたしはただ……家族と幸せに暮らしたかったんだ。
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連絡の途絶えたサキョウの安否を確かめるために、ティエルとジハードはゴールドマインを目指して旅に出た。
漸くゴールドマインに辿り着くも、彼はゾルディス宮廷魔術師アリエスの手によって石像と成り果てていた。
石化魔法は今では術者が存在しない古代魔法だ。アリエスは禁呪のスクロールを使用して魔法を発動させたのだ。
命を奪わず、尚且つ邪魔をされないように足止めをするには石化魔法のスクロールしか思い付かなかった、と。
アリエス本人は自嘲気味にそう呟いていた。軽薄な言動とは裏腹に、アリエスは意外にも情に厚い部分がある。
だがいくら命を奪っていないといえども、石像のままでは死んでいるのと何ら変わりがない。
そんな絶望しかけていたティエル達に手を差し伸べてくれたのは、神秘的な雰囲気を持った黒髪のロイアである。
ユークリンド大森林の奥深く。人間達との交流を完全に断ち、ひっそりと隠れ住むエルフの里があるのだという。
その隠れ里の長老は、石化や麻痺などの状態異常を解呪することができるディスペルの術者だと彼女は言った。
石化魔法と同じくディスペルも失われた古代魔法の一つだったが、滅んだはずの術者が存在しているというのだ。
これ以上にない吉報である。勿論エルフの隠れ里に辿り着いたとしても、長老が力を貸してくれるとは限らない。
人を嫌うエルフ達の里なのだ。最悪殺される可能性もある。それなりの覚悟を持って行かねばならない。
ゴールドマインの入口近くの酒場に立て籠もっていた男は、ティエル達が戻ってくる頃には既に息絶えていた。
酒場で出会った時からアンデッドに食われ千切れた足からじわじわと腐食が始まっており、手遅れだったのだ。
「……ねえジハード」
「なんだい?」
「思ったんだけどさ。ユークリンド大森林って、すごーくすごーく広い森なんだよね」
「そりゃあ大森林っていうくらいだから広い森なんだろ」
「森に入ってから言うのもなんだけど……こんなに広い大森林の中で、どうやってエルフの隠れ里を探すの?」
ゴールドマインよりも僅か東。ここはユークリンド大森林と呼ばれる森である。
メドフォードも四方を森に囲まれているが、森といっても人間の顔にそれぞれ違いがあるように様々な森がある。
それは目に見える違いもあれば目に見えない感覚的なもの、森全体に漂う空気や木々の違いなどが挙げられる。
天まで届くかのような齢を重ねた大木があちこちに立ち並び、昼間でも森の中を薄暗くさせていた。
しかし、これだけ薄暗くとも全く陰鬱な雰囲気を感じられないのは何故なのだろう。むしろ神秘的ですらあった。
太い木の根が幾重にも絡み合い、地面に凹凸を作り上げている。付着しているコケは光ゴケではないようだ。
時折響き渡る鳥の声。近くに小川でもあるのだろうか、水のせせらぎのような涼やかな音も微かに聞こえてくる。
まるで別世界に迷い込んでしまったかのようだ。こんな場所に本当にエルフの隠れ里が存在するのだろうか。
ユークリンド大森林に足を踏み入れてから早くも二日が過ぎた。ティエルは野宿は苦ではなく、むしろ大好きだ。
あちこちに小川が流れており、水に困ることはない。風呂はジハードが極陣魔法によって湯を沸かしてくれる。
夜は毛布に包まり、お互いに寄り添うようにして眠った。いくら過ごしやすい季節とはいえ、夜は若干肌寒い。
人の体温の心地よさにティエルは思わず涎を垂らして寝てしまい、何度かジハードの衣服を汚して怒られたが。
ユークリンド大森林三日目の朝。
軽い朝食を取った後、先程からジハードは何かを調べるようにしてあちこちの木の根元にしゃがみ込んでいる。
草の根を分けて覗き込み、そうかと思えば迷いもなくずんずんと進んで行く。一体何を調べているのだろうか。
「あはは。闇雲に歩き回っているわけではないから安心してよ」
「さっきから何を調べてるの?」
「……レゴルスタの木の葉って知っているかい? ほぼ全ての薬を調合するために必要とされる薬草なんだ」
「ふーん、そうなんだぁ」
「ティエルが風邪を引いた時に飲む、あの不味い薬にもこの薬草が入っているんだよ」
「あの薬嫌いだなー、古本みたいな臭いがするんだもん。もしかしてその薬草が苦い成分を出してるのかなぁ?」
「良薬口に苦しって言うだろ。……それはともかくとして、レゴルスタの木は調合に必要不可欠なものなんだ」
そこでジハードは一旦言葉を区切り、人差し指を立てて見せる。茶目っ気のある表情はどこか楽しそうである。
「隠れ里に住んでいるのは薬師のエルフ族だってロイアが言ってただろう?」
「うん、言ってた! それなら、彼らもレゴルスタの薬草が必要になってくるよね」
「そのとおり。……では、閉鎖された集落に住む彼らは一体どうやってこの薬草を手に入れようとするのかな?」
「そりゃあ、レゴルスタの木の近くに住んでいたら手に入りやすいんじゃないの? ……あ」
「気付いたようだね。そうだよ、わざわざ遠くに取りに行く必要はない。集落の近くに木を植えるだろうと思う」
「なーるほど!」
「レゴルスタの木ってのは特徴的でね、とても目立つ青い木なんだよ。
その青い色素は自身だけではなく半径数十メートルの木々の根を青く染め上げてしまうと言われているんだ」
「……だからジハードは、森に入ったときからずっと木の根を調べ続けていたんだね!」
相変わらずの雑学の豊富さにティエルはふんふんと頷くことしかできない。彼の知識に何度助けられてきたか。
同年代の青年達とは比べ物にならないほどジハードは博識である。比べる相手がジョンとリックなのも悲しいが。
料理や生活の知恵など興味がありそうなことは勿論、あまり興味がなさそうな意外な事柄にも精通している。
先日など、釣りの蘊蓄を語りながら小川に生息する小魚を何匹も見事に釣り上げていた。
そして食べられる魚の見分け方などを教えてくれたが正直話が長く、ティエルは半分も聞いていなかったのだが。
ジハードは話が長い。蘊蓄を語り始めたら止まらない部分がある。その上お説教も長い。それが玉に瑕であった。
「ティエル。……ぼくの顔を見ながら、何か失礼なことを考えてない?」
「えっ!? そんなこと考えてないし! もー、ジハードは考えすぎだな。さあ早く青い木の根を探そうよ!」
「あなたは思っていることがそのまま顔に出るからね。これ以上深くは詮索しないでおくけどさ……」
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……ィス。……ヴィス……。
どこからか声が聞こえる。優しく名前を呼ぶこの声は、一体誰のものだったのだろう。父か、それとも母か。
うたた寝をしてしまった自分を起こしてくれているのだろうか。風邪を引くよ、と温かい手がそっと肩に触れる。
大好きなパパとママ。可愛い妹。こんなにも唐突に別れが訪れるなんて、あの頃は思いもしなかった。
「……ヴィス、ねえヴィスったら! こんな所で寝てちゃ風邪を引くよ。寝るならちゃんとベッドで寝なさい」
急に声がはっきりと聞こえ、うたた寝をしていた彼女は現実に引き戻される。
揺さぶられていたのは夢ではなく現実だったのだ。そして温かい手の持ち主は両親ではなく、近所に住む女性だ。
恰幅の良いこの女性は彼女を実の娘のように可愛がってくれており、こうして毎日様子を見に来てくれるのだ。
幼い子供だった頃はともかく、もう成人もしている立派な大人なのだから少しは信用してほしいと思うのだが。
それでも心配をしてくれる気持ちは嬉しかった。誰にも頼らず、一人で生きていくことなんてできないのだから。
「あ……ごめんなさい、マナおばさま。あたし、晩御飯作ろうと思って。そのまま眠ってしまっていたんですね」
そう言いながら顔を上げたのは若い娘。長く尖った耳はエルフ族の証だ。
薄い桃色の長い髪は癖が強く、あちこちに跳ねてしまっている。これは激しい寝癖ではなく元々の癖毛のようだ。
仄かにピンクに染まった白い肌。ぱっちりとした大きな赤い瞳。薔薇色の唇。よく見れば美人の部類の容姿である。
「晩御飯だって? おいおい、もう夜の十時を過ぎてるよ」
「うふふ、今日は何にしようかなって献立考えていたら寝ちゃってました。これじゃあもうお夜食の時間ですね」
「仕方がないよ。ヴィス、あんた長老が病に倒れてから殆ど寝てないんだろ? 後はあたしに任せて休んでな」
「……でも」
「差し入れ持ってきたからこれ食べてから寝るんだ。ほら茸の炊き込みご飯と人参の甘煮、ヴィスの好物だろ?」
「ありがとうございます。マナおばさまの炊き込みご飯、あたし大好きなんです。懐かしい味がして」
疲れの色がありありと顔に浮かびながらも笑って見せる彼女に、中年の女エルフは深く溜息をついた。
二人が話しているのは簡素な家の居間である。決して広いとはいえないが、生活感がある。居心地の良い居間だ。
居間の奥には短い廊下が続いており、その向こうは長老と呼ばれる者の寝室だった。
「もう一ヶ月になるかね。……マシュリ長老が病に倒れてから」
「あたし達の調合したどのお薬も効かないなんて、おばあちゃんを眠らせている病気は一体何なんでしょうか」
「ただ流行り病ではないことだけは確かだね。そして、どの文献にも載っていない原因不明の病だ」
「生き字引のトトじじさまも見たことがない症状だと言っていました。もしかしたら、新種の病かもしれません」
「新種の病だとしたら困ったことになったね。うちらは二十年以上も外界とは繋がりを持たずに生きてきたんだし」
「……ええ。新種の病に対して、あたし達の知らない治療法が生み出されているのかもしれません」
一ヶ月ほど前から奥で死んだように眠り続けているのは、彼女のたった一人の身内である祖母マシュリだ。
表情に影を落とした彼女は拳を握りしめ、奥の廊下へと顔を向ける。この位置からでは寝室の様子は分からない。
(おばあちゃん、必ずあたしが助けるから。この隠れ里を出ることで、おばあちゃんが助かるなら……あたしは)
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