Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第26話 ユークリンドの薬師 -2-
ティエルとジハードの二人がユークリンド大森林に足を踏み入れてから、そろそろ五日が経とうとしている。
どこまでも果てしなく続いている大自然の中を歩き続けていると、改めて自分達の存在の小ささを思い知った。
これほど広大な大森林だ。そう易々とエルフの隠れ里が見つかるとは思っていない。
ティエル達もそれを承知の上で手掛かりを探し続けているのだが、やはり時間が経つにつれて疲労が襲い掛かる。
隠れ里を見つけ出す唯一の手掛かりが薬草の材料となるレゴルスタの木。青く染まった特徴的な木なのだという。
ジハードの話によると、レゴルスタの木は半径数十メートルはあらゆる木々の根元を青く染め上げるらしい。
レゴルスタの木の近くに必ず隠れ里はある。サキョウ達を石化から戻すことができるのはディスペルの術者のみ。
古代魔法ディスペルは、魔法による石化や麻痺などのあらゆる状態異常を解呪することができるのだ。
エルフの隠れ里の長老がディスペルの術者なのだとロイアは言っていた。
必ずや隠れ里を探し出し、長老と話をしなくては何も始まらない。協力を断られた場合はその時に考えればいい。
「……ねえ、わたし達って今大森林のどの辺にいるのかなぁ」
「んー?」
「この五日間結構進んだじゃない? もう真ん中くらいに来たかな。隠れ里に少しずつ近付いているといいな」
「そうだなー」
周囲がそろそろ暗くなってきたため、今日の探索は終了である。
夜の森は無暗に歩き回らない方がいい。視界が悪いために木の根に躓くことも、崖から足を踏み外すこともある。
今日も野宿である。夕食の準備をしている向かいのジハードに声を掛けるティエルだが、先程から彼は空返事だ。
これは何か別のことを考えており、一応返事をしているが話などほぼ聞いていない状態のジハードの姿なのだ。
空返事をしつつも手際よく夕食を作っている。今夜は茸と草花と干し肉のスープである。いい香りが周囲に漂う。
彼がそんな調子なので、退屈したティエルは空を見上げてみる。しかし木々の葉に遮られて星空は見えなかった。
「隠れ里の長老さんってどんな人なのかな。長老っていうくらいだから、きっと物知りで厳しそうな老人だよね」
「そうだね」
「ちゃんとわたしの話聞いてる? 聞いてないよね」
「聞いてる聞いてる」
「あのさ」
「うん」
「……ジハードって、男の子なんだよね?」
「うん。……えっ?」
暫しの沈黙。ここで漸く顔を上げたジハードは、訝しげな表情を浮かべた。男じゃなければ一体何だというのか。
ティエルが何を質問しているのか分からない。質問の内容は理解できるが、質問の意図が全く分からなかった。
真剣な顔で一体何を言い出すんだ、と半ばジハードは呆れ気味である。
「まさかとは思うけど、ぼくが女に見えるとでも言うのかい。女顔でもなければ声が高いわけでもないんだけど」
「女の子に見えるわけないでしょ。でもなんでだろ、ジハードは男の子って感じがしないんだよね」
「ごめん、言ってる意味が分からない。……仕方ないな、それなら男のシンボルを見て納得してもらうしか……」
「……ん? やっだ、信じられない! 冗談やめてよ!? 変なもの見せようとするのやめてったら!」
ごそごそと腰帯に手を掛けて男のシンボルとやらを見せようとするジハードに、ティエルは慌てて両手を振った。
顔を赤くしながら全力で拒否をする彼女の様子を眺めていたジハードは、にやぁと意地の悪い笑みを浮かべた。
やはりティエルをからかって遊んでいるだけだったのだ。爽やかな顔をしながらとんでもない下ネタ披露である。
「なに慌ててるんだよ。変態じゃあるまいし、こんな所で脱ぐわけないだろ。まさか本気にしちゃったとか?」
「だ、だって……ジハードがやると冗談じゃ済まなそうなんだもん!」
「失礼だなー。そもそもティエルが変なことを聞いてくるから、茶目っ気たっぷりで答えてあげたのにさ」
完全にからかわれていた。
そう理解した途端に、ティエルは急に冷静になってくる。にこにこと笑っているジハードの笑みは魔性の笑みだ。
このジハードの姿を彼のファンである侍女エレナ達に見せてやりたい。そしてがっかりされてしまえばいいのだ。
「わたし、そんなに変なこと聞いたかな!? ただ、ジハードは全然ヒゲが生えないなぁって思ったの!」
「……ヒゲ?」
「サキョウなんて二日くらい剃らなかったらクマさんみたいになってたじゃない? 乙女の素朴な疑問なんです」
「乙女の疑問ねぇ。まぁヒゲなんて個人差があるからな。ぼくは数ヶ月に一回剃ればいいくらいだし……」
そう言いながらジハードは己の顎に手を触れる。そんなこと、今まで気にしたこともなかった。
体毛が薄いのも関係しているだろう。毛が白いために半年以上伸ばしっ放しにしていても殆ど目立たないのだ。
こんな質問をリアンからもされた記憶がある。女にとって男のヒゲ事情というのはそれほど気になるものなのか。
「ふーん、そっかぁ。個人差があるのかぁ。謎が解けてすっきりしちゃった」
「それは良かった。じゃあすっきりしたところで水を汲みに行こうか。料理に使いすぎて足りなくなってきたし」
「すぐ近くの小川だから、わたし一人で行ってくるよ」
「夜の森は危険だって言っただろ。それに二人で汲みに行けば、今夜はもう行かなくても済みそうだ」
このユークリンド大森林では、まだ一度も魔物と遭遇していない。野生動物達が多く生息しているだけだった。
今のところ魔物の気配は感じられなかったが、用心はした方がいいだろう。
簡易なランプを手にしたティエル達は周囲を照らしつつ、太い根に躓かぬようにして近くの小川を目指していく。
「そういえばティエルは、汗の飛び散るヒゲの濃いマッチョ男が好みのタイプだと聞いたけど……本当かい?」
「えっ、なにそれ。別にそんなことないよ。というか、好みのタイプとかよく分かんないし」
「この分じゃティエルの恋愛はまだまだ先になりそうだな。頼むから悪い男にだけは引っかからないでくれよー」
「恋愛は別にどうでもいいかなぁ。わたしはジハードと一緒にいられるだけで十分だよ」
「あはは。ぼくは悪い男だから気を付けた方がいいかもね」
「ジハードのこと、天然タラシって誰かが言ってた! でもタラシって何のこと? 何をタラすの……あれ?」
そこまで言いかけたティエルは、ふと首を傾げて見せる。
ジハードの手にした簡易ランプの光に照らされて、ほんの一瞬だが川縁に人が倒れているような気がしたのだ。
「ん、どうしたんだい?」
「ちょっとジハード、ランプ貸して。確かこの辺りで見えたような気がするんだけど……あ、やっぱりいた!」
「いたって何が……」
ランプを手にしながら駆け寄っていったティエルが周囲を照らしてみると、仰向けに倒れている男の姿があった。
どうやら全身に傷を負った中年の男のようだ。よく眺めてみると耳が長く尖っており、男はエルフ族なのだろう。
男のすぐ側には切り立った崖のような場所があり、恐らく彼は誤ってそこから転がり落ちてしまったのだ。
見たところ随分と軽装だ。旅人のような雰囲気ではない。
「……大丈夫、どうやら意識を失っているだけだ」
「ほんとに? よかった!」
「全身の擦り傷、それと右足を捻挫しているかもしれない。ぼくは彼を運ぶからティエルはランプを持ってくれ」
「うん、分かった。一応水も汲んでおくよ。濡れタオルとか作らないといけないもんね」
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彼女は眠り続ける祖母の前でじっと座り続けていた。
一体どのくらいの時間こうしていたのだろう。それでも彼女の祖母は、一向に目覚める素振りを見せなかった。
祖母が眠り続けて一ヶ月か。食事も水も取らないのに、見た目はまるで普通に眠っているだけのように見える。
しっかりと呼吸も規則的で、手も温かい。肌艶もいい。ただ……目覚めないだけだ。
こうしていても始まらない。まずは夕食の準備をしなければ。料理好きの祖母に色々な料理を教えてもらった。
一ヶ月ほど前は二人で食事の準備をしていたことを思い出す。包丁の扱いが危なっかしいとよく言われたものだ。
そんな遠い昔の思い出ではないはずなのに、今では胸が締め付けられるほど懐かしい。ああ、何故こんなことに。
食事の準備をするために彼女がゆっくり居間に向かうと、何やら外が騒がしい。この村の就寝は早いはずなのに。
彼女が首を傾げていると、荒いノックの後に扉が開かれた。姿を現したのは中年の男。向かいの家の主人であった。
「ヴィス、こんな夜更けにすまん。ホフマンを見かけなかったかい!?」
「こんばんはフロイおじさま。……今日はホフマンおじさまを見かけていませんが、何かあったんですか?」
「朝から長老の病に効きそうな薬草を取りに出掛けたまま、まだ家に帰っていないらしいんだ」
「えっ、もう夜の九時過ぎですよ? 帰ってこないなんておかしいじゃないですか!」
「この辺りは夜になると『森の亡霊』が出没するから、ホフマンも危険だってことは知ってるはずなのに」
「そうですよ、早く探しに行きましょう!」
「ああ。これから集団で村の外を探しに行こうと思っているんだ。とりあえず男達を集めて相談をしてから……」
「……それでは遅いです。こうしている間にも、もしかしたらおじさまは襲われているかもしれないんですよ!」
村の周辺には夜になると『森の亡霊』という魔物が出没する。
どんな屈強な男エルフでさえも、亡霊から放たれる青白い霧に生気を奪われると自力で立つことすら危ういのだ。
村の誰もが森の亡霊を恐れている。しかし強く両手を握り締めた彼女は、それから意を決したように顔を上げる。
「あたしが先に行きます。ホフマンおじさまは、おばあちゃんのために薬草を取りに行ってくれたんですから」
「いけない、一人で行っては危険だぞ! ……おい、ヴィス戻ってこい!?」
必死な呼び掛けにも彼女は立ち止まろうとはしなかった。村人達の制止も振り切って、真っ直ぐに駆け続けた。
決して森の亡霊が怖くないわけではない。彼女自身も何度か遭遇し、危険な目に遭ったこともある。
誰よりもこの村の平穏を願っていた。あの悪夢のような日から、彼女はずっと村人達を守り続けようとしてきた。
きっと大丈夫。
相手が森の亡霊なら対策は考えている。倒すことはできなくても、ホフマンを連れて逃げ出すことならできる。
長老である祖母が眠り続けている今、この村を祖母に代わって守るのは自分の役目だと彼女は思っていた。
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