Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第27話 ユークリンドの薬師 -3-




意識を失っていた男をジハードが背負い、ランプを手にしたティエルが先導しながら漸く野宿地点へと辿り着く。
平らな場所に寝かせて傷を改めて調べてみると、落下した時に捻ったのか男の右足首が赤く腫れ上がっている。
命に別状はないとはいえ全身に擦り傷や打撲の痕が見受けられた。当然だ。あんな高い場所から落ちたのだから。

濡れタオルで傷口の泥を軽く拭い、軽く治癒魔法をかけてから足首に薬草を染み込ませたガーゼを巻いてやる。
ジハードは緊急時以外は治癒魔法で傷を完治させることはない。自然治癒力が退化してしまうという理由だった。
見たところ五十代の中頃くらいの男だ。長く尖った耳はエルフ族と呼ばれる者達の特徴である。


「……それにしても驚いちゃった。まさかあんな場所にエルフのおじさんが倒れているとは思わなかったもん」
「あんな暗闇の中でよく見つけられたな。ティエルが気付かなかったら、多分ぼくも気付かなかったと思うよ」
「おじさん、早く目が覚めるといいんだけど。打ち所が悪かったりしてないよね?」

「泥や擦り傷の付き具合からすると、幸いにも頭は打っていないようだよ。さ、とりあえず夕飯にしようぜ」
「わーい、待ってましたー! お腹空いちゃった」
「ん? 鍋を放置しすぎて少し煮詰まっちゃったかな。味が濃いや」
「わたしは濃い味も好きだよ。味が薄すぎると食べた気がしないんだもん」


そろそろ今日の疲れが出てきたのか、ジハードは眠そうにあくびをしつつ湯気を立てる鍋を軽くかき混ぜた。
時刻は既に夜の十時。彼は早寝の習慣があり、本来ならば既に就寝しているであろう時間帯だ。
そんなジハードが朝から木の根を調べ続け、男を背負ったり手当てをしたりと疲労してしまうのも当然であった。

メニューは簡素な茸と草花と干し肉のスープ。森での捜索は長丁場になると考え、食材はなるべく節約している。
森の中で手に入れた有り合わせの物で作ってはいるが、それでも城のコックに勝るとも劣らない味であった。
彼の料理は豪勢な晩餐というよりも、温かい家庭の料理だ。見た目こそは派手さはないが、素朴な味は癖になる。


「そういえばさぁ」
「なんだい?」
「料理作っていたとき、やけに上の空だったじゃない。何を考えていたの?」
「ああ、あの時か。……ティエルと二人旅を始めてから、まだ三週間しか経っていないんだなって思ってさ」

「既に色々とありすぎて、もっと長い間旅をしていたような感覚なんだけど。わたし、軽く考えすぎてたみたい」
「ぼくだってまさかこんな大変なことになってるとは思わなかったよ」
「……言っておくけどサキョウを石化から戻すまで、絶対にわたしはメドフォードに帰る気はないからね?」


「……ううぅ……いたたた……」
「あっ、おじさんが目を覚ましたみたい!」

どうやら男が目を覚ましたようだ。ひょいと男の顔を覗き込んだティエルは、安心させるようににっこりと笑う。
自分が一体どういう状況にいるのか理解できていないようで、男は呆けた表情を浮かべながら首を傾げて見せる。
記憶を手繰り、やがて段々と思い出してきたようだ。男の顔色がさあっと青くなっていった。


「オ……オレは確か、足を踏み外して崖から転げ落ちたんだよな……もしかしてここは死後の世界なのか?」
「えっ」
「こんな森の奥で子供二人に出会うなんて現実的にありえない話だ。君達はオレを迎えに来た死神か、もしくは」
「いやいや何言ってんの」

妄想が炸裂している。目覚めたばかりで恐らく思考が追い付いていないのだろうが、死神とは酷い言い草だ。
その上さらりと『子供二人』と言われていた。実際に子供のティエルはともかくとして、ジハードは成人済みだ。
年相応の顔立ちだが、どことなく少年らしさが抜けきっていないジハードは彼からすると子供に見えたのだろう。

「老人と言われたり子供と言われたりと、ぼくとしてはどちらかに統一してもらいたいな。まぁそれはともかく」
「わたし達が死神なんてひどいよ。崖の下で倒れていたおじさんを、わたし達がここまで運んできたんだから」
「……そうだったのか……いやはや、命の恩人に申し訳ないことを言ったね」
「それはいいんだけど」


男はぺたぺたと己の顔に手を触れ、それから身体中に巻かれた薬草ガーゼに目を留めて感心したように口を開く。

「この特徴的な香りのする薬草はイロリナの葉だね。一般的には薬草と知られていないけど、高い治癒力がある」
「え? イロリナの葉は薬草の代表格だと思っているんだけど。おじさん、情報が少し古いだろ」
「なるほど。やはりオレ達が森に引きこもっている数十年の間に、外の世界の医療は日々進化し続けていたのか」

確かにイロリナの葉が薬草の代表格として一般的に広く知られるようになったのは、十年ほど前からであった。
この中年の男は、恐らくエルフの隠れ里の住人なのではないかとジハードは思い始めていた。
長年森に引きこもっていたために、イロリナの葉の流通を知らなかったのだ。ならば集落が近いということか。


「君達、助けてくれて本当にありがとう。昔から頑丈なのが取り柄でね、つい無茶ばかりしてしまうんだ」
「無茶していたら崖から落ちるの? ちゃんと足元見て歩かないと駄目だよー」
「ティエルもなかなか人のことが言えないと思うけどな」
「ひどーい」
「いや、本当のことだろ」

「はっはっは。オレは朝から薬草を取りに出掛けていたんだよ。崖の途中に薬草が生えているのを見つけてさ。
 手を伸ばしたら届きそうな距離だったし。大丈夫だろうと手を伸ばしたら……見事に足を滑らせてしまって」

「……ふぅん、薬草ね。もしやあなたは薬師だったりするのかな。その上軽装だ。近くに村があったりしてね?」


ジハードの言葉に、話し過ぎてしまったと男の表情が強張った。
確かに旅人にしては随分と軽装だ。ちょっと近所に散歩でも出掛けるか、というような簡単な出で立ちである。
男は隠し事ができない性格なのだろう。思い切り表情に『しまった』という感情が現れている。

エルフ族で薬草を探している。尚且つこの近所に暮らしているような雰囲気。明らかに男は隠れ里の住人だった。
やがて男は諦めたように溜息と共に口を開く。


「ははは……お兄ちゃん鋭いね。オレはこの森の中にあるエルフの隠れ里に住んでいるんだ。これは内緒だぞ」
「ほんとに!? おじさん、あの薬師の村の住人なの!?」
「そんな大それた村でもないぞー。少しばかり薬を作るのに長けたエルフ達が集まって暮らしている小さな村さ」

何という幸運なのだろう。一ヶ月は覚悟していた隠れ里探しが、ほんの五日で探し出すことができるなんて。
あまりの嬉しさにティエルは相手が怪我人だということも忘れて、勢いよく男に飛びついた。

「おじさん、お願い! わたしの大切なひとが石にされちゃって……エルフの長老さんに会わせてほしいの!」
「あいたたた! お嬢ちゃん、そこ、そこ、捻挫している所だから!」
「ご、ごめんなさい……」


勢いよく飛び付かれて痛みに悶絶している男と、慌てて身を離して謝るティエル。
その様子に何をやっているんだと溜息をついたジハードは、崩していた姿勢を正して真っ直ぐと男に向き直った。


「あなた達エルフの隠れ里の住人が、外界との接触を……特に人間達との接触を拒んでいることは知っている」
「……」
「無理を承知で頼みがある。ぼくらの大切な人が石にされた。助けるためには、ディスペルの魔法が必要なんだ」
「確かにうちの長老はディスペルの術者だが……」

「どうしても彼を助けたい。そのためにはぼくは何だってする。どんな条件でも飲むから、助けてほしい……!」


苦し気に深く頭を垂れるジハードに倣って、ティエルも同じく頭を垂れる。
ジハードの心のどこかでは、本当はサキョウを自分の力で治したいという気持ちがあったのだろう。
だがいくら治癒魔法に長けているとはいえ、治癒魔法は万能ではない。傷を治し、筋肉を解すことしかできない。

死者を生き返らせることも、呪いや石化を解くことも毒を中和することも単なる風邪を治すこともできないのだ。
誰にだって出来ないことは沢山ある。
それなのに周囲はジハードに過剰な期待をしていたのかもしれない。だから、彼も精一杯それに応えようとする。

相手に能力以上の期待をされ、それが出来なかったとき。
最後の望みを大きく裏切るような形になってしまったと、ジハードはいつも己の無力を責め続けていたのだった。
普段は殆ど本心を口にしないジハードの心の内が、ほんの少しだけティエルは理解できたような気がした。


「本来であれば、サキョウを助ける役目はぼくだったのに。ぼくが守らなくちゃいけなかったのに。……ぼくが」
「白髪のお兄ちゃん、もういいよ。……これ以上自分を責め続けていても辛くなるだけだ」
「……」
「確かにオレ達は外界との接触を避けている。昔、この村の存在を知った人間達に仲間が何人も殺されたからな」

男は続ける。

「だけど全ての人間が憎いわけじゃない。お兄ちゃん達みたいに、他人のために一生懸命な人間はむしろ好きだ。
 それに第一、君達はオレにとって恩人だ。できることなら願いを叶えてあげたいと心から思っているよ。でも」
「でも……?」

男が少し声のトーンを落とした時だった。

隠す気もないあからさまな敵意が辺りを包み込む。その敵意は明らかに、ティエルとジハードに向けられている。
ひゅっと風を切るような音が聞こえ、反射的に身を低くしたティエルの背後の大木が大きな裂け目を見せていた。
あと少し避けるのが遅れていたら、ただでは済まなかっただろう。


「な、何なの一体!?」

状況が全く理解できずに目を丸くするティエルであったが、すぐさま体勢を立て直すと背中のイデアを抜き放つ。
人の動きに反応したのか、青白い光を発する花たちが一斉に顔を持ち上げた。ぼんやりと明るくなる辺り。
直線距離で約十メートルほど先。魔力を帯びた大きな杖を掲げ、明らかに人と思われる影が立ちはだかっていた。


「ここは君達の来る場所ではありません! この森を侵す者は絶対に許さない……即刻立ち去りなさい!!」

立っていたのは若いエルフの娘だった。
大きな赤い瞳はふるふると怒りに震えており、あちこちに跳ねた長い薄桃色の髪をした、とても可憐な娘である。
掲げた杖の先には、詠唱を終えた高威力の魔法が宿っている。先程の一撃は風の魔法ウインドカッターだろう。


「おや、エルフ族の女の子じゃないか。やけにぼくら敵視されまくっているみたいだけど、気のせいかな」
「森を侵す者は許さないって、さっきあの子が言ってたじゃない。わたし達が森に入ったから怒ってるんだよ!」
「えぇー……森に入ったくらいでこんなに怒られてもなぁ」

気の進まない様子で緩やかに立ち上がったジハードは、リグ・ヴェーダのページをぺらぺらと弄んでいるだけだ。
まるでやる気がない。この分では全面的にティエルに任せる気なのだろう。
だが彼女もイデアを既に下ろしている。あのエルフの娘は何か誤解をしているのだ。戦うわけにはいかなかった。
ティエル達が立ち去る気がないことを察したのか、エルフ族の娘は厳しい表情を浮かべながら杖を構える。

「あたしはヴィステージ。……立ち去る気がないのなら、力ずくでも君達を排除します!」





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