Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第28話 ユークリンドの薬師 -4-




大きな赤い瞳に明らかな敵意を浮かべ、真っ直ぐにこちらを睨み付けるヴィステージと名乗ったエルフ族の娘。
掲げている杖の先には詠唱済みの魔力が宿っており、ティエル達が下手に動けば問答無用で発動させるつもりだ。
先程ティエルを襲った一撃は恐らく風の魔法なのだろうが、全く風の刃が見えなかった。凄まじい速さである。


「ち、違うんだ癖毛のおねえさん。わたし達は、別に森をどうにかしようってここに来たわけじゃなくて……」

できれば意味のない争いは避けたい。
幸いにもヴィステージという娘は説明すれば分かってもらえそうだ。悪い人物には見えない。きっと大丈夫だ。


「お願いだから話を聞いて、わたし達の目的は」
「あれっ。君、よく見たら子供じゃないですか! さてはその白髪の青年に騙されて連れてこられたんですね?」
「うん?」
「なんて胡散臭い笑顔の青年なんでしょう……こんな小さな女の子を騙した挙句、この森までほしいんですか!?」

「えぇー……どうしてそんな話になるんだよ。人の話を聞かない上に、思い込むと突っ走る傾向のある娘だな」
「ジハード、どうしよう。このおねえさん全然話聞いてくれない!」
「ティエルもなかなか話を聞かない上に突っ走る傾向があるからね。まるであなたの将来の姿を見ているようだよ」

「もう、落ち着いて解説なんてしてる場合じゃないでしょ!?」


どうやらヴィステージには、ジハードが少女を拐かし胡散臭い笑顔を振りまく信用ならない男に見えているようだ。
完全に勘違いをしてしまっている。どうやら見た目よりも彼女は大変思い込みが強く、説得するのは難しそうだ。
このままでは埒が明かないと、先程ティエル達に助けられたエルフの男が前に進み出る。

「いい加減にしないかヴィステージ。森を大切に思うのは良いことだが、無実の人間に牙を向けてはいけないよ」
「……ホフマンおじさま?」
「もしや心配して探しに来てくれたのかい? だが心配は無用だ。彼らは怪我をしていたオレを助けてくれてね」

幸いにもこの二人は知り合いのようだ。これなら誤解が解けるかもしれない、とティエルは胸を撫で下ろしたが。
ホフマンと呼ばれた男をぎょっとして眺めたヴィステージの表情が段々と険しくなっていく。明らかに怒っている。
どうやら様子がおかしい。……もしかしたら、また大きな勘違いをしているのではないだろうか。


「ホフマンおじさまを脅して村に案内させようとしていたなんて……おじさまの怪我も君達のせいですね!?」
「い、いや違うんだヴィステージ! 頼むから落ち着いて話を聞いてくれ、むしろオレは彼らに助けられて……」
「可哀相なおじさま、脅されてそんなことを言っているんですね。大丈夫ですよ、男の人達もすぐに来ますから」

「本当にオレは脅されてなんかないってば。あちゃー、村の奴らもここに来るのか」
「大体助けられたなんて変な話です。勝手知ったるこの森で、おじさまが怪我をすることなんてありえませんよ」
「それが怪我しちまったんだって」
「……」

おろおろとした表情を浮かべているホフマンやティエルとは裏腹に、完全に遠い目をしているジハード。
いつまでも誤解が解けないばかりか、むしろ悪化しているこの状況が段々と面倒くさくなってきているのだろう。
自分の得にもならない面倒事は華麗に受け流す。極力関わり合いにならない。ジハードは元々そういう青年なのだ。


「……勝手知ったるこの森で、ぼくらに助けられるのは変な話なんだってさ。おじさん」
「本来彼女は気立てが良くて優しい娘なんだよ。しかも村一番の美人だ。白髪のお兄ちゃん、嫁にどうだい?」
「村一番の美人とか嫁とか以前に、まずは誤解をどうにかしてもらいたいんだけど」

「ああなったらあの子はもう手が付けられないんだ。暫く時間を稼いで、冷静になってくれるのを待つしかない」
「そんなに待てるかよ」

ぼりぼりと白髪頭を掻きながら、ジハードは面倒くさそうな態度を全く隠すこともなく一歩ずつ彼女へと歩み寄る。
それでも警戒されぬようにできるだけ優しく穏やかな声を意識しながらゆっくりと口を開いた。


「ヴィステージといったね、ぼくらは森を侵略しに来たんじゃない。ただディスペルの術者を探しているだけだ」
「君の言うことは信用できません」
「まずは落ち着いてくれ。このままじゃ話し合いもできやしない。……戦ってもいいけど、ぼくは結構強いよ?」
「ひ……ひどいです! か弱いエルフ族の女を脅すんですか?」

思わずじりじりと後ずさりを始めるヴィステージ。
ジハードの台詞が決して冗談なのではないと感じたためだ。確かに彼の全身から溢れ出る魔力は桁違いの迫力だ。
この男が本気になれば、彼女など簡単に消し炭にすることも可能なのだろう。そんな恐ろしい相手だったとしても。
杖を掲げたヴィステージは詠唱の終えていた風の魔法を次々と発動させる。高等技術である連続魔法であった。


「それでもあたしは誓ったんです。おばあちゃんが倒れた今、村のみんなを守れるのはあたしだけなんだって!」

「ああそう……じゃあ、力ずくでも冷静になってもらうしかないな」
「待ってジハード、これ以上おねえさんを挑発したら駄目だよ!」
「ティエル、ぼくから離れるな。彼女の魔法を全て撃ち落とす。魔法が効かないと知れば少しは冷静になるだろう」

ジハードが虹の魔本リグ・ヴェーダを開くと、絡み合った虹のリボンが出現する。
美しい虹の光は目にも留まらぬ速さで複雑な防護の魔法陣を描き、ヴィステージの魔法を次々と跳ね返していく。
渾身の魔法が全て撃ち落とされたのを目にした彼女は愕然とし、ジハードはその隙を見逃すことはなかった。


「……え!? 何ですかこれ、身体が動かない!? ……ひどい、変な術を使いましたね!」

急に足元に浮かび上がった虹色の魔法陣に慄くヴィステージだが、虹の帯が身体中に纏わり付いて動けなくなる。
勿論ジハードの仕掛けた不動陣である。対象者の動きを封じてしまう半ば反則的な極陣だが、発動までが難しい。
戒めを解こうと藻掻く彼女の前に、ティエルに支えられたホフマンが歩み寄って行く。

「ヴィステージ」
「おじさま……」
「村を守ろうとする決意は大変立派なものだが、少しは話を聞きなさい。この人達は本当にオレの恩人なんだよ」

ホフマンは困ったような表情を浮かべながら、彼女の頭をぽん、と優しく叩いた。


「崖に咲いている薬草を取ろうとして足を滑らせてしまったオレを、この二人は手当てをしてくれたんだ」
「……でも二人とも怪しかったですし」
「失礼なおねえさんねー。わたしのどこをどう見たら怪しいの? ジハードは……怪しく見えても仕方ないかな」

「ぼくにとってはヴィステージよりあなたの方が失礼なんだけど」

ティエルの隣で思わず眉を顰めるジハード。
しかし額に呪札をひらひらとさせ、身体中の刺青が目立つ彼の姿は見慣れぬ者が目にしたら異様な姿なのだろう。


「じゃあ、君達は本当にホフマンおじさまの恩人だったんですね。あたし……そんな優しい人達になんてことを」
「話は聞かないわ逆上するわ胡散臭い笑顔とか言われるわ、急に襲い掛かられた方の身にもなってくれよ」
「……本当にすみません……」
「ジハード、おねえさんの誤解も解けたしそこまで言わなくてもいいじゃない。幸い誰も怪我しなかったんだし」

ジハードが不動陣を解き、ヴィステージもホフマンの説明でようやく理解してくれたようだ。
先程までの威勢はどこへやら。急にしおらしくなってしまった彼女に向けて、ティエルは手を振りながら笑った。

「それだけ村の人たちが大切だったんだよね。守りたかったんだよね。わたし達、もう全然気にしてないから!」
「またそうやってあなたは勝手に決めるんだから……」
「……あたし、村のことになると周りが見えなくなっちゃうんです。今は長老の代理を任されている身ですし」


ヴィステージがティエル達に向けて深々と頭を下げた時。
遠くの方角から大勢の男達の声が聞こえた。ゆらゆらと揺れる松明。恐らくホフマンを探しに来た村人達だろう。
ホフマンが呼び掛けに応えるように大声を上げると、やがて足音と共に松明を掲げたエルフの男達が姿を現した。

「ホフマン、ヴィステージ!」
「ヴィステージちゃん、怪我はないかい!? 一人で村を飛び出したって聞いていたけど無事でよかった……!」
「き……君に何かあったらと思うと、僕は心配で心配で……」
「お前達こんな所にいたのか、随分と探したんだぞ!? ……ん、その人間達は?」

駆け寄ってきた男達はヴィステージ達の無事を喜び、そして当然ではあるが視線はティエル達へと向けられる。
先程の例もあり、森の侵略者と勘違いをして向かって来る者達がいるかもしれない……と危惧をしていたが、
ホフマンの素早い事情説明により、男達は皆口々に仲間を助けてくれた礼をティエル達に述べたのであった。


「君達……もしかして、今までずっと森で野宿をしてきたんですか?」


さて村に帰ろう、とホフマンを支えた男達が歩き始めた時。ふと思い付いたようにヴィステージが口を開いた。
軽く目を瞬いたのち、ティエルはこくりと頷いて見せる。

「うん。この森は魔物がいないのかなぁ。だから安心して野宿できたんだよー」
「なんて危険なことをしていたんですか! この辺りは夜になったら森の亡霊が現れるんですよ!?」
「森の亡霊?」

「魔物が出ないのは、森の亡霊を恐れて逃げ出してしまっただけなんです。魂を食らう恐ろしい魔物なんですよ」
「そんなに怖い魔物が出るんだぁ……でも大丈夫だよ。わたしにはジハードがついてるもん! えへへ」

満面の笑顔を向けてくるティエルに、ヴィステージはあまりの危機感のなさにくらくらと眩暈を覚えてしまった。
子供だから危機感が足りないのか。それともこの白髪の青年に全幅の信頼を寄せているのか。
森の亡霊の恐ろしさを理解してもらいたいが、いつまでもこんな場所で立ち止まっているわけにもいかなかった。


「説明は後です。君達、森で野宿なんてしていないで、とりあえず村に来てください」
「えっ、だっておねえさん達は人間との接触を避けているんじゃ」
「だからと言っておじさまの大切な恩人を、このまま森に放り出すわけにはいきません。お詫びもしたいですし」

「ヴィステージの言うとおりだ。いくら人間だからといって、ホフマンさんの恩人まで排除するわけじゃない」
「ホフマンを助けてくれた若者達が森の亡霊に殺されるなんて、あってはならないことだからな」

彼女の言葉を聞いていた数名の村人達が振り返る。どうやらティエルとジハードを受け入れてくれるようだった。

荷物を素早く纏め、村人達に連れられて歩くこと数十分。
どこも同じように見える深夜の森を、彼らエルフ族は周囲を警戒しながら立ち止まりもせずに歩き続けている。
この森は彼らにとっては庭も同然なのだろう。今ここではぐれてしまったら、確実にティエルは迷う自信がある。

まるで迷路のように入り組んだ道なき道を進んで行くと、やがて想像していたよりも大きな集落へと辿り着いた。
ジハードの読みどおり、村の周辺の木々は全て青い色に染まっている。レゴルスタの木である。
ここが人を嫌う薬師のエルフ達が集う隠れ里だった。しかし予想よりも村人達はティエル達に好意的のようだ。

首を傾げているティエルの隣を歩いていたヴィステージが、それを察したのか静かに口を開く。


「確かにもっと昔は、全ての人間達に対して警戒をしていました。でも近年その考え方は変わってきたんですよ」
「変わってきた?」
「ええ。いつまでも閉ざされた空間で生きていれば、やがては滅びの道に進んで行くだろうと。
 新しい考え方も取り入れて生きていかなくてはならない。あたしだって全ての人間が憎いわけじゃありません」

「その割には、善良な好青年であるぼくに対する態度とティエルに対する態度が違うんじゃないかい」
「君はちょっと信用ならないです」
「ふぅん。どうしてだい?」

「偽りの笑顔を浮かべているからですよ。君はきっと、本当はそんな顔で笑わない。だから信用できないんです」
「へぇ……可愛い顔してこれは手厳しいね」
「からかわないでください!」

意外にも核心を突いたヴィステージの台詞。おっとりとした可愛らしい見た目に反して洞察力の鋭い言葉である。
手厳しいと言いながらもジハードは気分を害す素振りもなく、どこか面白そうに笑みを浮かべただけであった。





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