Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第29話 ユークリンドの薬師 -5-




ティエル達が集落の前まで辿り着くと、不安そうな表情を浮かべながら帰りを待つ老人や女達の姿があった。
恐らく行方不明のホフマンの捜索隊には加われなかった者達だろう。
夜の森には恐ろしい魔物、森の亡霊が出没する。そのため捜索隊には腕に自信のある男達しか選ばれなかったのだ。
帰りを待っていた村人達はホフマンとヴィステージの姿を目にすると、安心したような顔付きで駆け寄ってきた。

「ホフマンさん、ヴィステージ! よかった無事だったんだね」
「本当にもうこの子は……女の子が一人で夜の森を歩き回ることがどれほど危険なのか分かっているのかい!?」
「ご、ごめんなさいマナおばさま」

村人達の中から恰幅の良い中年の女が、どすどすと足音を響かせてヴィステージの前までやってくる。
向こう見ずなヴィステージの行動に対して完全に怒っている。拳を握り締め、こつんと軽い拳骨を食らわせる。
それは実の娘のようにヴィステージを可愛がっている彼女だからこその行動であったが。


「やあ、君達。今日は本当にありがとう。お陰で命拾いをしたよ」

村人に肩を支えられながら、ティエル達の前までホフマンが歩み寄ってきた。
彼らと出会っていなければ今頃森の亡霊に襲われていたのかもしれない。正に命の恩人といっても過言ではない。

「お礼も兼ねて、今夜はオレの家に泊まるといいよ。男の一人暮らしで部屋は少しだけ汚いかもしれないけどさ」
「本当!? ありがとう、おじさん!」
「それは助かるよ。森の亡霊とやらの話を聞いた後じゃ、もう野宿する気なんて起きないしな」

村に案内されたとはいえ、泊まる当てがあるわけでもない。
そもそも誰も訪れることのない森の奥のエルフの隠れ里に、宿屋という宿泊施設が存在しているのかも疑わしい。
ホフマンからの願っても無い提案にティエル達が礼を述べていると、おずおずとヴィステージが右手を挙げる。


「あのう……確かホフマンおじさまの家、散らかっていて寝るスペースすら無いって言っていませんでしたっけ」
「えっ?」
「最近は壁に寄り掛かって、座ったまま寝てるとか言ってましたよね。あれから片付けをしたんですか?」
「そうだっけかな。片付けは……うん、してないな」

「それでしたら、宜しければあたしの家に来ませんか? お二人には多大なご迷惑をかけてしまいましたし……」

ホフマンおじさまの家は洒落にならないほど散らかっているんですよ、と言葉の最後に付け加えるヴィステージ。
どっと周囲に響き渡る笑い声。
どうやらホフマン家の散らかり具合は周知の事実なのだろうか。当の本人は苦しい言い訳をしているようだが。


「ほら、片付けちゃうとさ……次に散らかした時にそれが目立ってしまうだろう? また片付けなきゃいけない」
「片付ければいいじゃないですか」
「それは違うぞヴィステージ。だったら最初から片付けなきゃいい。散らかっている方が目立たなくていいんだよ」
「……」


完全に呆れているヴィステージから逃れるようにティエル達を振り返ったホフマンは、ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。

「今から頑張って片付ければ、三人座れるスペースくらいは何とか作れそうだけど……どうする?」
「えーと。どうしようか、ジハー……」
「喜んでこちらのヴィステージの家に世話になるよ。横になって眠りたいし、正直片付け手伝うのも面倒くさいし」

「うわぁ……君ってば本音がだだ洩れていますよ。って、いちいち手を握らないでいいですから!」
「ああ、ごめん」

ティエルが顔を向けるまでもなく即答するジハード。
彼にとって睡眠は何よりも重要だ。できるだけ良い環境で眠りたいという、そんな心情がありありと見て取れる。
この好機を絶対に逃してなるものかとヴィステージの両手をしっかりと握りしめ、本音がだた洩れていたのだが。

そして男女の区別なくスキンシップの多いジハードの行動に、免疫のないヴィステージは慌てて手を振り払う。
それも当然の行動だろう。ジハードはそういう性格なのだとティエル達が慣れすぎているのだ。
ジハードからにっこりと悪気のない笑顔を向けられると、ヴィステージはこれ以上何も言えなくなってしまう。

彼の笑顔はたとえ偽りの笑顔なのだと頭では理解していても、他人を惹き付けるような力があることは認めよう。
整った容姿というのはそれだけで得である。ただし、ジハード本人にはその自覚があまりないのが性質が悪い。
『無意識のうちに人を誑し込む天然タラシ』とは、彼を表現する上で言い得て妙である。


「それでは決まりですね。お二人とも、あたしについてきてください。おじさま、おばさま。おやすみなさい」
「ああ、おやすみヴィステージ」
「そうだ。ホフマンさんの恩人に、明日の昼頃に美味しい差し入れ持って行ってあげるよ」

ぺこりと頭を下げたヴィステージに、村人達が笑顔で手を振ってくる。
村の入口付近に集っていた村人の輪から外れて歩き始める彼女の背を、ティエル達は二人は並んで追っていく。
木々の合間に見える家々の明かりは皆消えており、現在の時刻は相当遅い時間だということが見て取れた。


「そういえば今は何時頃なんだろうね。わたし、少しお腹空いてきちゃった」
「あれだけ何杯もスープを平らげておいて、もう腹が減ったのかい? あなたの胃袋は一体どうなってんだよ」
「月の位置からすると、恐らく深夜一時くらいでしょうか。この村の就寝はとても早いんですよ」
「ふぅん。そうなんだぁ」

「森と共に生き、森と共に死ぬ。森の番人と言われるあたし達エルフ族にとって、それは自然なことなんです」
「なんだか素敵な考え方だね。わたしも夜更かしなんかしないで、これからは早く寝るようにしようかな!」
「うふふ。いい心掛けだと思いますよ! ……さあ、到着しました。ここがあたしの家です」

どこか誇らしげな様子でヴィステージが振り返った。彼女は己がエルフ族であることに誇りを持っているのだ。
彼女が立ち止まった前には、どっしりとした丸太で作られた一軒の大きな家があった。
一人暮らしには大きい印象の家だ。もしかして家族がいるのだろうか。彼らが人間嫌いではないといいのだが。


「わぁー、大きな丸太の家だ! こんなに立派な家だし、誰かと一緒に暮らしてるの?」
「昔は五人暮らしでしたが……両親と妹は随分前に亡くなったので、今はおばあちゃんと二人暮らしなんですよ」
「おばあさんと?」
「ええ。現在は原因不明の病で臥せっていますが、以前は元気すぎるくらい元気なおばあちゃんだったんです」
「え……」

病人が臥せっている家に果たしてお邪魔してもいいのだろうか、とティエルとジハードは思わず顔を見合わせる。
しかしヴィステージはそんな様子の二人を目にしても、気にしないでください、と言って扉を開けた。
彼女に促されるようにティエル達が家の中に足を踏み入れると、女性らしく可愛らしい内装が飛び込んできた。

ふんわりとした色合いのピンクのカーテン、丁寧に編まれた温かい色合いの敷き物。所々ポプリも見受けられる。
そして可愛らしいアイテムの中で一際目立つのは……これまた可愛らしい瓶が並ぶ棚であった。
赤や青、黄色にピンク、緑や橙など、色鮮やかな液体の収められた小瓶だ。香水を集めるのが趣味なのだろうか。


「綺麗な小瓶がたくさんある! ねえ、おねえさん。近くで眺めてもいい?」

物珍しそうに部屋を眺め、ティエルは透き通った綺麗な水色の瓶を指さした。まるで南国の海の色のようである。
部屋の中の仄かな明かりに照らされて、濃い水色と淡い水色がマーブル状に混ざり合っている。

「構いませんよ。でもその水色の瓶は猛毒ですので、ひっくり返さないように気を付けてくださいね」
「え?」
「今なんて」
「飲めば三日三晩地獄の苦しみを味わった後に衰弱死してしまう、毒薬ブルーカラットです。綺麗でしょう?」

けろりとした口調でヴィステージが言った。まるで、この瓶はジャムの小瓶だと言うように。
よくよく棚に並ぶ小瓶を眺めてみると、中に入った液体の色合いがはっきりと左右で分かれているようである。
向かって左側は鮮やかで幻想的な色の液体が多く、逆に右側は茶や黄土色、深緑など渋い色合いの液体ばかりだ。


「そちらのピンク色の液体の小瓶はピーチドリームといって、全身がピンク色に腫れ上がってしまう薬なんです」
「ああそう……」
「ちなみに左側の棚は毒ポーションで、右側は風邪薬のポーションです。全てあたしが調合して作ったんですよ!」

生き生きとした表情で、むしろどこか興奮したように小瓶の中身を語るヴィステージ。
ティエルは興味深そうに彼女の説明を聞いており、逆にジハードは強張った表情で棚から徐々に身を離していた。
控えめな印象があるヴィステージにしては興奮気味に語り続けている。放っておけば止まらないかもしれない。


「……機嫌よく語っている最中悪いんだけど、そろそろ座らせてくれ。今日は歩きまくってくたくたなんだよ」
「あっ! ご、ごめんなさい。あたしったら夢中になって気付かなくて」

あまりにも熱心にティエルが聞いてくれるために、つい白熱したポーション解説に突入してしまった。
村ではあまり聞いてくれる者がいないのだろう。ジハードの半ば呆れたような声に、我に返って顔を赤くさせる。
慌ててリビングのソファーを勧め、温かい飲み物を用意しますね、と言ってヴィステージはその場を立ち去った。

壁掛け時計が指している時刻は深夜の一時過ぎだ。都会ならば、まだまだこれからという時間帯である。


「あー……それにしても今日は疲れたな。本当だったらぼくは今頃寝ているはずなんだけど」
「ジハードはいつも早寝だもんね。でも良かったじゃない、エルフの隠れ里に辿り着くことができたんだもん」
「問題はここからだよ。隠れ里の長老とやらを探さなきゃならない。そもそも協力してくれるかどうか……」

「きっと長老さんも、一生懸命説明したら分かってくれるよ!」
「あなたのそのポジティブさはどこからくるんだろうな」

サキョウ達にかけられた石化の魔法を解くことができるのは、解呪の力を持った『ディスペル』の術者であった。
今は失われた古代魔法というディスペルの術者は無きに等しい。ただし、エルフの隠れ里の長老を除いては。
人間達との接触を拒み、森の奥深くに暮らすエルフ族の長老に協力を仰がなければならないのは至難の業だろう。

二人が小声でそんなことを話していると、ホットココアを乗せたトレイを持ったヴィステージが姿を現した。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。あたしはヴィステージ。これでも村で二番目の腕を持つ薬師なんですよ」
「わたしはティエルだよ。見習い剣士してまーす!」
「ぼくはジハード。一応薬学も勉強しているけど、ハーブの調合くらいしかしたことはないな」

「……先程森の中でちらっとお聞きしましたが、君達はディスペルの術者を探しに来たとか言っていましたよね」
「そうなの。大切なひとが魔法で石にされちゃって、解呪するにはそのディスペルっていう魔法が必要なんだ」
「この村の長老が術者という話を聞いた。ヴィステージ、頼む。ぼくらを長老に会わせてくれないか?」
「お願いします!」

「長老に……ですか」

真剣この上ない様子で頭を下げるティエルとジハードの姿に、ヴィステージは少しだけ悲しげな表情を浮かべる。
それは困っているような、どこか言いにくいことを言わなければならないといった表情も含まれていた。


「君達はおじさまの恩人ですし、迷惑を掛けてしまったお詫びもあるので……できることなら会わせてあげたい」
「だめ、なの?」
「駄目というわけではないんです。長老は割と人間に対して好意的ですから、きっと力になってくれるはず」
「それならどうして……」

「……先程言ったでしょう、おばあちゃんが原因不明の病で臥せっていると。あたしは長老の孫娘なんですよ」





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