Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第30話 ユークリンドの薬師 -6-




「……先程言ったでしょう、おばあちゃんが原因不明の病で臥せっていると。あたしは長老の孫娘なんですよ」
「じゃあ、その病気のおばあさんがディスペルの術者ってこと!?」
「はい。なので、君達に力を貸したいのは山々ですが……あたしにはこれ以上どうすることもできないんです」

そう言ったヴィステージは膝の上に乗せていた両手をぐっと握りしめる。
村で二番目の腕の薬師だと自負していた彼女にとって、家族を助けることができないのは相当悔しい思いだろう。
だが原因不明の病とは一体何だろう。腕のいい薬師の集うエルフの隠れ里ですら、治すことのできない病なのか。

俯いてしまったヴィステージの姿を暫しの間見つめていたジハードだったが、思い出したようにふと口を開いた。


「原因不明の病といっても、明らかな症状がいくつかあるだろう。思い付く限り症状を言ってみてくれないか?」
「症状……ですか」
「先程のおじさん、ええとホフマンっていったかな。彼が言っていたんだ。森に引き籠っている数十年の間に、
 外の世界の医療は日々進化し続けていたのかってさ。数十年の医療の空白っていうのは、かなり大きいと思う」

「確かにそうですね。……でも、症状といってもただ眠り続けているだけなんです。発熱や発汗もありませんし」
「発熱も発汗もなく眠り続けているだけ、か」
「何か分かったの? ジハード」

「これだけじゃなんとも言えないな……ヴィステージ、その他に思い付いたことはあるかい?」


ジハードから問い掛けられ、彼女はここ一ヶ月の記憶を順々に思い返してみる。
眠り続ける前日に祖母は何か言っていなかったか。様子がおかしかったり、変わったことはなかっただろうか。
確か新種の薬草を一緒に取りに出掛けたような気がする。小さな紫色の花を沢山付けた、熱冷ましに効く薬草だ。

「おばあちゃんが倒れる前日、一緒に薬草を取りに出掛けたんです。紫色の花を付けた名前も知らない薬草です」
「紫色の花?」

「その日の夜、おばあちゃんは眩暈が酷いと言って早々に就寝していました。それからずっと目を覚ましません」
「……」
「呼吸も規則的で、手も温かい。肌艶もいいです。食事も水も取っていないのに、痩せ細ることもないんです」

「その紫色の花ってのは、花弁の先が少し淡い黄色をしていなかったか?」
「していたような気がします。薬草にしてはとても綺麗だねって、おばあちゃんは部屋に飾っていた気がします」
「それなら間違いないな。その紫色の花はアゼカリナといって副作用の強すぎる薬草だと言われている」
「え……?」

「あなたの祖母は恐らくアゼカリナ病だろう。三十日ほど眠り続けた後、そのまま息を引き取る病と言われている。
 免疫力の弱まっている高齢者しか罹らない病気だから、若いヴィステージは発病せずに無事だったんだろうな」


難しい顔付きのままジハードが顔を上げる。確かに、アゼカリナの花には素晴らしい熱冷ましの効能があった。
しかし近年、高齢者を稀に昏睡状態に陥らせてしまう副作用が発見されたのだ。今では毒草という認識が強い。
あの花が原因だったのかとヴィステージは衝撃を受けていたが、病名が判明すれば治す手立てが必ずあるはずだ。

何も分からない状態で為す術もなかった昨日までに比べれば、状況は一歩前進したとも言える。


「病名さえ分かればきっと治療法が見つかるよね。よかった、ヴィステージのおばあさんは助かるんだ!」
「ええ、夢みたいです! それでジハードくん、アゼカリナ病の治療法はあるんですか!?」
「勿論だよ。ここが薬師達の村でよかった。すぐに揃えるのは難しい薬草だけど、この村だったら手に入るだろう」

「そうですね! この村には多くの薬草が保管されていますから、どんな薬草でも今すぐに用意できますよ」
「よし。アゼカリナ病の特効薬はイロリナの葉と、月の雫。すぐに調合して飲ませればあなたの祖母は助かるんだ」


笑顔で言ったジハードの薬草の名前を耳にした途端、ヴィステージは一瞬目を見開くと表情が徐々に曇っていく。
先程までの喜びようが嘘のようにして消えている。一体どうしたというのだろう、もしや在庫のない薬草なのか。
力なく項垂れてしまった彼女は、両の手をぐっと握りしめる。小刻みに震えているようにも見えた。


「どうしたの?」
「……在庫がないんです。月の雫は森の中でも危険な場所に生えていて……とても採りに行けるような場所では」
「わざわざそんな危険な場所に行かなくても、大都市の市場なら置いている可能性が高い。今すぐに行けば……」

「ジハードくん、簡単に言いますけど……大都市までどのくらい時間が掛かると思っているんですか?」
「え? 一週間くらいだと思うけどな」
「駄目です。それじゃ時間が掛かりすぎます! おばあちゃんは眠り続けてもうすぐ三十日になるんですよ!?」
「……!」
「おばあちゃんは……もう助からないんです」


アゼカリナ病は三十日ほど眠り続け、やがては死に至る。祖母が眠り始めてから明後日で丁度三十日目だった。
きっかり三十日後に死に至るとは限らないが、かなり危険な状態だというのは確かだろう。
ぼろぼろと涙を零しながら顔を上げたヴィステージの剣幕に、ジハードは面食らった表情のまま固まっていたが。

その時。強く握りしめている彼女の拳に、前に進み出たティエルが己の手をそっと重ねた。


「諦めるのはまだ早いよ。……だってその薬草、森に生えているんでしょ? だったらすぐに採りに行けばいい」
「簡単に言わないで下さい、君はあの場所がどんなに恐ろしいのか知らないから、そんなことが言えるんですよ!」
「恐ろしい場所だから諦めちゃうの!? 他に方法がないのなら、恐ろしくても採りに行くしかないじゃない!!」
「……っ!」

声を張り上げたティエルの剣幕に押され、ヴィステージは涙を拭うこともせぬままぐっと言葉を詰まらせる。
ティエルに言われなくとも分かってる。絶対に諦めたくはない。できれば今すぐにでも薬草を取りに行きたかった。
だがあの場所だけは駄目なのだ。村人が何人集ったとしても全滅するのが目に見えていた。あまりにも無謀すぎる。


「あたしは……ただ誰も巻き込みたくないだけなんです。けれど、あたし一人で行ってどうにかできる問題じゃ」

「えっ、一人じゃないよ? わたしとジハードも勿論一緒に行くから!」
「一人よりも三人の方がまだ心強いだろ」
「き……君達は命が大切じゃないんですか!? あんな恐ろしい場所に関係のない君達を連れて行くわけには……」

「恐ろしいと言われたってさ」
「ぼくら、その恐ろしさを知らないもんなぁ」

顔を見合わせてティエルとジハードが首を傾げる。恐ろしいと言われても、知らないのだからぴんと来ないのだ。
しかしどんなに恐ろしい場所だったとしても、大切な存在を亡くす恐ろしさに比べたらほんの些細なことだった。
そんな二人の様子を眺めていたヴィステージは、脱力したように大きく息を吐き出した。


「……月の雫が生えている場所は、森の亡霊の住処なんです。他の魔物も逃げ出すほどの恐ろしい魔物です。
 森の亡霊は夜にしか出現しませんが、月の雫も夜にしか咲かない花です。確実に奴らに遭遇して殺されますよ」

「別に森の亡霊っていう奴を必ず倒さなきゃいけないわけじゃないし。薬草だけ採って逃げればいいじゃない?」
「囮役のティエルをぼくがしっかりと援護して、ヴィステージがその隙に薬草を回収するってのはどうかな」
「あっ、それいいね! わたし素早さにはちょっと自信があります」

「君達、随分と気楽に言ってくれますね……月の雫を採りに行って惨殺された村人の数は少なくないんですよ!?」
「それなら」
「殺されなければいいだろ?」
「……」


もうこれ以上この二人には何を言っても無駄だろう。ヴィステージはソファーにぐったりと身体を預ける。
一体彼らを無謀にさせる原動力は何だろうか。ああ、大切な人が魔法で石にされたと言っていたような気がする。
その存在は彼らをここまで命知らずの無謀な人間にさせてしまうのか。……いや、無謀ではないのかもしれない。
それほど大切な存在なのだ。何に代えても必ず助けたいと思わせるほどの人物。僅かな可能性にすら縋っている。

ティエルとジハードを眺めていると、先程からうじうじと悩み続けている自分が段々と馬鹿らしく思えてきた。
祖母はたった一人の大切な家族だ。失いたくない。両親を亡くしたヴィステージにとって親代わりの存在だった。
そんな祖母を救う僅かな可能性を、最初から無謀なのだと決め付けてしまうのはまだ早いのではないか。


「君達の意思は分かりました。巻き込んでしまうのは正直心苦しいですが、あたしと一緒に行ってくれますか?」

「もっちろんだよ!」
「ぼくらにも大いに関係のあることだから、あなたが心苦しくなる必要はないよ」

力強く頷くティエルと、にっこりと笑顔を浮かべるジハード。
一人じゃないということはこんなにも頼もしいことなのかと、ヴィステージは漸く涙を拭って笑ったのだった。







一夜をヴィステージの家で明かすことになったティエル達は、彼女の両親が使用していた部屋に通された。
両親が亡くなって数十年は経つと言っていたが、きちんと毎日掃除をしているらしく窓枠に埃すら見当たらない。
カーテンや可愛らしいポプリの袋はヴィステージの手縫いなのだという。彼女は見た目どおり家庭的なのだろう。

女としてティエルが見習いたい部分が多い彼女だが、姫君に裁縫は必要ないよとジハードに言われてしまった。
料理や裁縫よりも、姫君として学ばなければならないのは社交術や礼儀作法なのだと。
そんな長い説教が始まりそうな空気を察した彼女は寝たふりをするが、疲れのためにすぐに寝入ってしまった。


翌朝。可愛らしい小鳥の囀りと共に目を覚ましたティエルは、ベッドの上で大きく伸びをする。とてもいい朝だ。
暫くは森の中で野宿が続いていたため、久しぶりにベッドで眠ったような気がする。すっかり疲れが取れていた。
隣のベッドのジハードは己の身体に掛け布団をぐるぐると巻き付けて眠っている。相変わらず凄い寝相であった。

その時、ノックと共にピンクのエプロン姿のヴィステージが姿を現す。


「おはようございます。朝食の時間なので、二人とも起きてくださーい」
「おはよう、ヴィステージ! なんだかいい匂いがすると思ったら、わたしの大好きなハムエッグの匂いだー!」
「ワトスンさん家のハムは絶品なんですよ。うふふ、冷めないうちに早くリビングまで来てくださいね」
「はーい! ジハード早く起きてってば。美味しいハムエッグが待ってるよ、冷めたら勿体ないよ」

歓喜の声を上げつつベッドから飛び下りるティエルだが、案の定隣のベッドのジハードは起きる兆しを見せない。
彼女がいくら揺さぶり続けても、いやいやをするように首を振るだけだ。


「……なんだか……昨夜の博識で頼り甲斐のありそうなジハードくんとは別人じゃありませんか?」
「冴えてるときのジハードと寝起きのジハードを比べない方がいいと思うよ。寝起きだとほんと残念な子なの」
「落差が激しい青年ですねぇ」

ヴィステージと共に引きずるようにして未だ眠り続けるジハードを食卓まで運び、なんとか席に着かせる。
半熟ハムエッグに焼き上がったロールパン。果肉たっぷりの手作りイチゴジャム。湯気を立てるコーンスープ。
大好物がずらりと並ぶテーブルにティエルは目を輝かせた。ちなみにジハードはテーブルに突っ伏しているが。


「ねえ、ヴィステージ」
「なんでしょう?」
「朝のうちに森の亡霊の住処を見ておきたいな、って思ってるんだけど。あとどんな魔物なのかも教えてほしい」
「そうですね……日中なら魔物は出没しませんし、念入りに計画を立てておきたいところですね」

ティエルの言葉に深く頷くヴィステージだが、不安そうな表情で向かいの席で突っ伏しているジハードを眺める。
食卓でも眠り続ける実に残念な姿を目にすると、確かに不安になる気持ちも理解できる。

「でも、ジハードくんは留守番しておいた方がいいと思うんですけど……」
「下見したいって言ったのはジハードなのにー。もう、いい加減起きてよ。ヴィステージが呆れてるじゃないの」
「あ……呆れているわけじゃないんですよ? 少し驚いてしまっただけで。朝が極端に弱い人もいますもんね!」


ヴィステージの気遣いが逆に痛々しい。今夜のために一度は下見に行った方がいいと言ったのはジハードである。
朝が弱いにもほどがある、とティエルは大きく溜息をつきながら彼を眺めたのだった。





+ Back or Next +