Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第32話 森の亡霊 -2-
「わたしとジハードが囮役になるから、森の亡霊の隙を見てヴィステージは月の雫を手に入れてほしいの!」
背から大剣イデアを引き抜いたティエルは両手でしっかりと握りしめた。
月の光に照らされて鋭く輝く銀色の刀身。ティエルに戦う勇気を与えてくれる、いわば戦友のような存在である。
慌てて態勢を立て直そうと杖を構えようとしているヴィステージは、何を言っているんだとばかりに目を見開く。
「無理ですよ! 森の亡霊にあたしの存在は知られてしまってます。隙を見て花を手に入れるなんてそんな……」
「それでも、こうなってしまった以上やるしかないだろ。少々の霧を受けても、ぼくらは頑丈だから大丈夫だよ」
「ジハードくん」
「……特にティエルは野生の生命力に満ち溢れているから、何回か霧を食らえばお淑やかになるかもしれない」
「なにそれ!? そう言うジハードの方こそ、少し霧を食らった方が大人しくなるんじゃないの?」
「お二人とも、こんな状況で本気で囮役になるだなんて言っているんですか。一歩間違えれば死ぬ可能性が……」
納得が行っていない顔のヴィステージ。それも当然だろう。彼女は森の亡霊の恐ろしさを目の当たりにしている。
奇襲を仕掛ければ不意を衝くことも可能かもしれないが、既にこちらの人数は森の亡霊に割れてしまっていた。
いくらティエル達が囮になって動いたとしても、ヴィステージを見逃してくれるほど森の亡霊は甘くはないのだ。
「さっき言ってくれたじゃないですか。月の雫を手に入れるためにあたしが死んだら、祖母は決して喜ばないと」
「言ったよ?」
「それは君達も同じことです。……石化から戻そうとしている人も、君達に何かあったら決して喜ばないんじゃ」
「……うん。だからこそ、わたし達はヴィステージに頼んでいるんだ」
「森の亡霊はぼくらが必ず引き付けておく。難しいことだと思うけど、月の雫を必ず手に入れてくれ」
真っ直ぐにヴィステージを見つめる二人を目掛けて、森の亡霊が吐き出した青白い霧が容赦なく向かってくる。
素早くジハードが防護の極陣を発動させるが、霧は虹の極陣をあっさりとすり抜けて彼らへと向かってきたのだ。
多くの魔法を跳ね返してきた極陣をすり抜けてしまうとは、この青白い霧は魔法や物理の類ではなさそうだ。
「ヴィステージ、お願い!」
霧を跳ね返すことができなかったと悟った瞬間、ティエルとジハードは地面を蹴って左右へと分かれた。
今は少しでも長く森の亡霊の注意を引き付けておかなければ。だが、無傷のまま逃げ続けるのは至難の業だろう。
恐らくあの青白い霧に触れてはただでは済まない。即死に近い攻撃を持つ相手と戦うのは正直やりずらかった。
幸いにも森の亡霊の動きは鈍い方だ。生気を奪う霧にさえ触れなければいい。体力が続く限り注意を引き付ける。
だがあらゆる武器も霧のようにすり抜けてしまい、物理攻撃が全く聞かないのだとヴィステージは言っていた。
これは剣をメインで戦うティエルにとっては大きな痛手である。戦わず注意を引き付けるだけにも限界があった。
「森の亡霊って名前が付いているくらいだし、やっぱり霊にイデアの攻撃は効果ないのかなぁ。どうしようかな」
恨めしげな表情でゆっくりとティエルへと向かってくる森の亡霊。ジハードではなく彼女を標的に定めたようだ。
動きはティエルの方が速い。むしろ森の亡霊は全身が隙だらけに見える。これなら倒すことも可能かもしれない。
イデアをしっかりと握り直して駆け出したティエルは、すれ違い様に森の亡霊の身体を横一文字に切り裂いた。
まるで空気を斬るような感覚。……手応えなんてあるわけがない。
一瞬だけ森の亡霊を形成している霧の集合体が拡散したように見えたが、やはりすぐに元の形に戻ってしまった。
勿論痛みを感じている素振りもなく、これは想像以上に手強い相手だ。なにしろ単なる霧の集合体なのだから。
「ティエル、深追いしすぎだ。その距離から霧の攻撃を受ければ避け切れない!」
「分かってる! でも早く月の雫の群生地からこいつを遠ざけないと……そうだ、ジハードの極陣は効かない?」
「防護の極陣は効かなかったみたいだけどな。じゃあ、これならどうかな? 極陣・凍雨の陣!」
ジハードの指先が空中で虹の魔法陣を正確に描き出す。
まるで刃のように鋭い氷の塊が次々と形成され、一直線に標的へと向かっていく。勿論向かう先は森の亡霊だ。
しかし魔力で生み出された氷の刃でさえも、霧の身体を持った森の亡霊には残念ながら効果がないようだ。
向かって行った氷の刃は霧の身体をすり抜けて地面に皆突き刺さってしまう。まるで美しい氷の剣山であった。
「思ったとおり極陣魔法も効果がないようだな。もしかして無敵だったりする? ……うわっ、危ねぇっ!」
全く効いている様子のない極陣魔法に溜息をついたジハードに向け、生気を奪い尽くす恐怖の霧が吐き出される。
森の亡霊の動きは確かに遅いが、吐き出される霧の速さは避けるのが精一杯であった。
「だから攻撃は全く効かないって言ったのに……!」
ティエル達の戦いを呆然と眺めていたヴィステージが唇を噛みしめる。
以前村人と共に森の亡霊を相手にしたことがあった。その時は半数以上の村人が生気を奪う霧によって殺された。
弓矢や棍棒そして彼女の魔法ですら霧の身体は虚しくすり抜けてしまう。倒す術など存在するはずがない。
この無謀ともいえる戦いを終わらせる方法はただ一つ。月の雫を手に入れてティエル達に合図を送ることなのだ。
……そして、今この場でそれが可能な人物はヴィステージだけだった。必ず薬草を手に入れて集落まで持ち帰る。
それが出会ってまだ間もない自分を信じ、任せてくれたティエルやジハードに対する最大の応え方なのだ。
恐怖で力が入らない足を必死に奮い立たせ、ヴィステージは立ち上がる。
祖母であるマシュリ長老は両親を失ってから親代わりでもあり、薬師としての厳しい師匠でもあった。
このまま祖母まで失ってしまったら、今度こそ一人きりになってしまう。そして、まだ何も恩を返してはいない。
一歩後ろに下がると、じゃりっとした砂の感触。
次の瞬間。強く地面を蹴り上げたヴィステージは、脇目も振らずに月の雫に向かって一直線に駆け出したのだ。
青白い月の光に照らされて、ぼんやりと輝く月の雫。淡い金糸のように輝く髪を振り乱し腕を伸ばして掴み取る。
月の雫さえ手に入ればもうこんな場所には用はない。後は一刻も早くティエル達とこの場を脱出するだけだった。
「ティエルちゃん。ジハードくん! 月の雫を手に入れました、早くここから脱出しましょう……!?」
思わず笑顔を浮かべて二人を振り返ったヴィステージだが、その表情が途端に凍り付く。
いつの間にかティエルとジハードは岩壁を背にして追い詰められていたのだ。青白い霧が予想以上に脅威だった。
転んだ時に足を挫いたのだろうか。膝を突いているティエルをかばうようにして、ジハードが前に立ちはだかる。
こんな状態では次の攻撃をジハードが避けることは難しいだろう。避ければティエルに直撃してしまう。
そんな二人に向けて容赦なく吐き出されようとする死の霧。生命力に溢れた者でも死に至らしめる亡者の怨念だ。
森の亡霊には、確かに物理攻撃や魔法による攻撃は効かないかもしれない。……それでもやるしかない。
相手は亡者の集合体。僅かな可能性があるのならば、二人を助けるためにはこの方法しか残されてはいなかった。
もう駆け寄っている時間はない。ヴィステージは愛用の杖を掲げると、大きく息を吸い込んだ。
「二人とも、しっかりと目を閉じていてください!」
「!?」
「広大なる大地を照らす光よ、罪深き者達の過ちを問い浄化せよ! ……フローライトシャワー!!」
眩い光の洗礼。月の光よりも、太陽の光よりも、全てを白く染め上げるほどの何よりも明るい強烈な光の洪水だ。
さしもの森の亡霊も、この強烈な光は堪えたのだろうか。苦し気な呻き声を上げながら激しく揺れ動いていた。
迷いもなく二人の元へと駆け出したヴィステージは、彼らに向かって手を差し伸べる。
「お二人のお陰で無事に月の雫は手に入れました、この隙に急いで逃げましょう。村まで逃げればもう安全です」
「た……助かったぁ、ありがとうヴィステージ」
「まさか光の魔法が効くとは思わなかった。全ての魔法に対して耐性があるわけでもなかったんだな」
戦い続けていれば他にも効果のある魔法が判明するのかもしれないが、目的は森の亡霊を倒すことではない。
最大の目的である月の雫を手に入れた今、ここで戦い続ける理由はない。すぐにでも離脱するのが正しい判断だ。
強い光を浴びたために視界を失っている亡霊の横を急いですり抜け、ティエルを背負ったジハードが走り出した。
「村までの道のりはあたしに任せてください。家に着いたら、すぐにティエルちゃんの足の治療をしましょう!」
「森の亡霊ばっかりに注意がいってて、全然足元見てなかったんだ。ごめんねジハード、わたし重いでしょ?」
「ティエル一人背負った程度で重いなんて言うほど、ぼくは軟弱じゃない。単なる捻挫だろうしすぐに治せるよ」
「おー、それは頼もしいなぁ」
「……お二人を見ているとまるで兄妹みたい。あたしにも昔、ティエルちゃんみたいな可愛い妹がいたんです」
「えっ」
洞窟内を二人並んで走りながら、ふとヴィステージが口を開く。
「よく泣いてよく笑う……いたずら好きだけど、とても元気でいい子でした」
「……そうなんだ……」
「二十五年ほど前でしょうか。あたし達が人間と交流を持っていた頃、突如ダフネという女が村を訪れたんです」
突如村を訪れたダフネと名乗った女は、優秀な薬師を奴隷として攫いに来たのだ。
勿論村人達は猛反発し、その結果あの惨劇が起こった。長老への見せしめのために多くの村人が惨殺されたのだ。
ぼろ雑巾のように打ち捨てられた死体達。その中にはヴィステージの幼い妹であるルトリシアも含まれていた。
「もう犠牲者を出したくはないと、村でも指折りの薬師だったあたしの両親がダフネに連れていかれました」
「……」
「両親は既に死んだと言いましたが、実は生死なんて分からないんです。でもきっと、生きてはいないでしょう」
「そのダフネって女の手掛かりはないの? もしかしたらお父さんやお母さんだって生きているかもしれないよ」
「分かりません。ただ……」
「ただ?」
「手掛かりがあったとしても、あたしはこの森を出ることはないでしょう。おばあちゃんを置いていけませんし」
そう言って再び視線を前に向けたヴィステージの表情は、どこか本心を押し込めているようにも感じられたのだ。
しかしこれ以上問い掛けるのも気が引けたティエルは同じく顔を前へと向けたのであった。
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