Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第33話 長老とヴィステージ -1-
月の雫を手に入れたティエル達がエルフの集落に戻ると、十数名の村人が不安そうな顔で彼らの帰りを待っていた。
森の亡霊を相手にして無事に戻ってきた者はいない。生気を奪われるか、逃げる途中で傷を負うかのどちらかだ。
きっとヴィステージ達も大怪我をして戻ってくるだろう。いや、むしろ単なる大怪我ならまだ幸運かもしれない。
あの恐ろしい青白い霧に生気を奪われて、全滅してしまったとしても不思議な話ではない。
そんな不安に駆られた村人達は、漸く戻ってきた三人の無事な姿(ティエルは背負われている状態であるが)を
目にすると皆揃って安堵の溜息をつく。一応村人達には長老の治療に必要な薬草を採りに行くと伝えていたのだ。
ティエルは恐る恐る背後を振り返ってみるが森の亡霊の姿はない。どうやらここまでは追ってきていないようだ。
緊張していた身体から途端に力が抜け、ティエルはぐったりとジハードに体重を預けたのだった。
「おかえりヴィス、それにホフマンの恩人さん達。本当に三人とも無事に戻ってきてくれてよかった……!」
「心配かけてごめんなさい、でも月の雫を手に入れたんです。これでおばあちゃん……長老が助かるんですよ!」
「ああ、そのことなんだけど」
村人達に駆け寄っていったヴィステージに向けて、いつになく緊迫した表情を浮かべてジハードが口を開いた。
「早急に特効薬作りに取り掛かった方がいい。もしかしたら長老に時間はあまり残されてはいないかもしれない」
「は、はい! 分かりました、すぐに家に戻って調合を始めましょう」
「オレ達も手伝うぞヴィステージ。何か必要なものはあるか!?」
「倉庫のイロリナの葉と……お湯を用意してください。あたし達は先に家に戻っていますので、お願いします!」
ばたばたと急に騒がしくなる村の中。
森の亡霊を相手にし、尚且つこの村まで全力で走り続けてきたティエル達に正直体力は殆ど残ってはいなかった。
ヴィステージの家まで戻ってきた三人だったが、手伝いが却って邪魔になるかもしれないと判断したティエルは、
部屋で大人しく休ませてもらうことにした。ここは素人が口を出す場面ではない。捻挫した足の具合も気になる。
この部屋はヴィステージの両親の部屋だと言っていた。大きなベッドが二つ、可愛らしいカーテンやポプリの袋。
ティエルは一人ぽつんとベッドの上で腰掛けていた。扉の向こうの廊下が先程から騒がしい。
長老を蝕んでいるアゼカリナ病の特効薬の調合法は、一応ジハードから事前にヴィステージに伝えていたのだが、
実際に説明しながら調合した方が早いと彼は判断したのだろう。そのためこの部屋にジハードの姿はなかった。
彼が戻ってくるまでの間、ティエルは慣れた手付きで捻挫をした足の固定を始める。
月の雫を手に入れるという大きな目的は果たした。
あとは、ヴィステージの祖母が目覚めてくれることを祈るのみだ。気が緩んだのか、急激に疲労感に襲われる。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。……部屋の扉が開き、疲れた表情を浮かべたジハードが姿を現したのだ。
「あっ、ジハード。特効薬は完成したの? 長老さんの様子はどう?」
「特効薬は飲ませたし、ぼくらはやるべきことをやった。長老の看病はヴィステージ達が交代で続けるそうだ」
「そっか。無事に目覚めるといいね。……わたしには良くなりますようにって、祈ることしかできないけどさ」
「ティエルは十分頑張ったと思うよ。ぼくの方に森の亡霊が行かないように注意を引き付けてくれていただろう」
「後方支援の魔術師を守るのは剣士の役目ですから」
「ふーん。頼もしいこと言ってくれるじゃないか、剣士様。それじゃあこの調子でしっかりぼくを守ってくれよ」
「勿論です! あ、でも危なくなったらちゃんと助けてね?」
「あはは、頼りないなぁ」
どこか頼りのないティエルの台詞に、苦笑と共に思わず脱力するジハード。
だが彼もやり切ったという思いが強いのだろう。偽りの笑顔ではなく久々に本心からの笑顔を浮かべたのだった。
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「ティエルちゃん、ジハードくん。おはようございます! ……あれ?」
一夜明け。朝を告げる小鳥の囀りが身近に聞こえる実によい朝である。
ここユークリンド大森林は早朝ですら日光をあまり通さず薄暗い。だが村の中は朝の清々しい空気に満ちていた。
交代で長老の看病を続けていたとはいえ、殆ど一睡もしていないヴィステージの声は弾んでいるようだった。
扉を勢いよく開けたヴィステージの目に最初に飛び込んできたのは、ベッドから落下して床で眠るジハードの姿。
もう少し視線を移動させてみると、隣のベッドでは足首に包帯を巻いたティエルが大口を開けて熟睡していた。
昨夜はあれほど緊迫した戦いだったのだ。疲れ果てたティエルとジハードが寝坊をしてしまうのは無理もなかった。
「起きてくださいよう。聞いてください、おばあちゃんが先程目を覚ましたんですよ。全てお二人のお陰です!」
「……ふわぁ? おはようヴィステージ……」
「さっき横になったと思ったらもう朝か……で、何か言ったかい? もう少し寝かせてくれると嬉しいんだけど」
「もう、ちゃんと聞いてくださいよ。おばあちゃんが先程目を覚ましたんです。助かったんですよ……!」
やはり昨日の疲労が取れていないのか、ぼんやりとした表情を浮かべながら上半身を起こすティエルとジハード。
寝起きの良いティエルはともかく、筋金入りの寝起きの悪さを誇るジハードまでもがヴィステージのたった一言で
目を覚ますなど実に珍しいことであった。あまりにも短い睡眠時間だと、眠りも浅くなるのだろうか。
暫くぼうっとした顔付きでヴィステージの話を聞いていたティエルだったが、漸く会話が頭に入ってきたようだ。
一気に眠気が吹き飛んだのか、勢いよくベッドから飛び下りるとヴィステージに飛び付いたのだ。
飛び下りた拍子に下で寝転んでいたジハードの足を踏んだような気もするが、とりあえず今はそれどころではない。
「いってぇ……!」
「本当!? おばあさん助かったんだ! 良かったね、ヴィステージ!」
「はい! ティエルちゃん達のお陰です。生き字引のトトじじさまの話では、もう心配はいらないだろうって。
さっきなんておばあちゃん、突然お腹が空いたとか言い出して。お粥をぺろりと平らげちゃったんですよ?」
「すごーい、お粥を食べちゃったんだ。食欲があるなら安心だね。でも、ヴィステージも少し休んだ方がいいよ」
「そうですね。マナおばさまが看病を代わって下さっていますし……ってどうしたんですか? ジハードくん」
「どうしたも何も……ティエルに思いっ切り足を踏まれて、痛さで悶絶してたんだけど」
「ごめんねジハード! それよりも聞いた? ヴィステージのおばあさんが目を覚ましたんだって。よかったぁ」
「そりゃあアゼカリナ病の特効薬を飲んだんだし、目を覚まさない方がおかしいだろ……って聞いてないし……」
呆れ口調で言ったジハードの言葉など、既にティエル達の耳には入っていない。
手を握りながら喜び合っているティエルとヴィステージの姿を眺めつつ、大きな溜息をついたジハードであった。
「……それで、おばあちゃんがお二人にお礼が言いたいって。もう少し落ち着いたら、会っていただけますか?」
「えっ。病み上がりなのに、わたし達みたいな余所者に会ったら……おばあさん気疲れしないかな?」
「おばあちゃんは一度言い出したら聞かないんです。むしろ今すぐ会いたいっていうのを説得した方なんですよ」
「わたし達は、おばあさんさえ良ければ全然大丈夫だよ。ね、ジハード」
「うん? そうだな……この村に来た一番の目的は、長老に会うことだったしな。むしろ喜んでお願いするよ」
「お二人は石にされてしまった大切な人を助けるために、解呪魔法ディスペルの術者を探しているんですよね?」
キッチンに移動し、早速フライパンを手に取っているヴィステージ。そういえば朝食がまだであった。
彼女の作るハムエッグは絶品だった。新鮮な卵を使ったふわふわのハムエッグは城のコックに勝るとも劣らない。
途端にティエルのお腹が切ない鳴き声を上げる。だが殆ど一睡もしていないヴィステージは大丈夫なのだろうか。
「実はもうおばあちゃんに大体の話をしているんです。勿論、喜んで協力させてもらうって言っていましたよ!」
「それはとっても嬉しいんだけど……病み上がりの状態で一緒にゴールドマインに行くわけにはいかないよ」
「ティエルの言うとおりだ。せめてあと一週間くらいは安静にして、長旅に出るのは更に二週間後くらいかな」
「ディスペルの魔法は、別におばあちゃんが一緒に行かなくても大丈夫なんです」
「えっ?」
「お二人は魔法のスクロールをご存じですか? 術式を知らなくても、魔法を使うことができる巻物なんですよ」
「知ってるー! そのスクロールっていうのを使って、アリエスも石化の古代魔法を使ったって言ってた!」
耳にしたことのある単語が飛び込んできたため、ティエルは得意気に右手を上げた。どうだと言わんばかりだ。
しかし隣のジハードは実に微妙な顔付きである。魔法のスクロールに対して何か思うことでもあるのだろうか。
そんな様子の彼には気付かずにヴィステージは話を続ける。
「おばあちゃんはディスペルのスクロールを書いて、お二人に渡すと言っていました。お友達は助かるんです!」
「本当にありがとう、ヴィステージ! これでサキョウ達は石化から元に戻るんだ!?」
「いえ、むしろお礼を言うのはこちらの方ですよ。命を懸けて月の雫を採りに行ってくれましたし」
「あれっ? ……ねえ、どうしたのジハード。折角サキョウが助かるっていうのに、もっと喜ばないの?」
「うん、そうだなぁ……」
妙に歯切れの悪い返事のジハード。どんな時でも常に自信に満ち溢れている彼にしては随分と珍しい返事である。
目を瞬いてジハードの顔を覗き込むティエルだが、彼はこほんと一つ咳払いをするとヴィステージを振り返った。
「ヴィステージ」
「はい。なんでしょう?」
「魔法のスクロールの使い方を一応聞いてもいいかな」
「とっても簡単ですよう。ジハードくんほどの高い魔力の持ち主なら、何も心配はいらないです」
「ジハードは魔法のスペシャリストだもんね!」
「あはは……」
「スクロールを広げながら、書かれている詠唱を読み上げるだけです。古代魔法といえど攻撃魔法の一つなので、
いつものように唱えたらいいんです。変に気合いを入れてしまうと詠唱を間違えてしまうこともありますから」
「いつものように、ねぇ」
「え?」
「言ってなかったかな。ぼくは治癒魔法の使い手だから、相反する攻撃魔法の資質が残念ながら全くないんだよ」
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