Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第34話 長老とヴィステージ -2-




「言ってなかったかな。ぼくは治癒魔法の使い手だから、相反する攻撃魔法の資質が残念ながら全くないんだよ」
「ええぇ……」
「攻撃魔法の資質が全くなかったから、わざわざ禁忌を犯してまで極陣魔法のリグ・ヴェーダと契約したんだし」

「いやいや……聞いていなかったですよ。むしろジハードくんが治癒魔法を使えるなんて、今初めて知りました」
「あ、そう?」
「確かに見たこともない虹色の魔法陣ばかりを使っているなぁとは思っていましたけど……」
「治癒魔法と攻撃魔法は相反する力だ。どちらか片方の資質しか持つことができないんだよね、これが。あはは」


重苦しい沈黙。
ジハードの場違いな笑い声だけが、静まり返ったキッチンに響き渡る。先程までの明るい空気が嘘のようである。
治癒魔法と攻撃魔法は相反する力ゆえに、同時に習得することは不可能だ。勿論ジハードとて例外ではない。
生まれた時から治癒魔法の資質を持った彼は、どんなに望んでも決して攻撃魔法を手にすることができなかった。

力を求め続けたジハードは禁忌を犯して魔本リグ・ヴェーダと契約し、極陣魔法という強大な力を手にしたのだ。
その話は何度か彼から聞いてはいたが、まさかスクロールを使用するためには攻撃魔法の資質が必要だったとは。
ジハードが桁外れの魔力を持っていようとも、資質がなければ使用できない。勿論魔力のないティエルは論外だ。

その時。そんな沈黙に包まれたキッチンに顔を覗かせたのは、恰幅の良い中年のエルフの女であった。
重苦しい雰囲気に気付いたのか一瞬だけぎょっとした表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直して声を掛ける。


「込み入った話の最中に悪いんだけどさ、ヴィス。さっきからマシュリ長老が呼んでるよ」
「おばあちゃんが?」
「ああ、いつになったら命の恩人である人間達に礼をさせてくれるのかって。長老として示しが付かないとか」

「……病み上がりのくせに、まだそんなことを言っているんですか! さっき納得してくれたと思ったのに……」
「示しも何も、あなたの祖母は昨日まで寝込んでいた病人の自覚はないのかい」
「おばあちゃんはそういう人物なんです。言い出したら話を聞かない頑固なところがあって。仕方ないですねぇ」


大きな溜息をついたヴィステージは、ハムエッグを作るために手にしていたフライパンを片付けると顔を上げる。
今からおばあちゃんに会いに行きましょう、と彼女の瞳が物語っている。
勿論ティエル達にとっては願ってもない話だった。元々長老と話をするためにユークリンド大森林を訪れたのだ。

ヴィステージの話によると特効薬の効果は凄まじく、月の雫が如何に希少な薬草なのだと思い知らされたという。
居間に隣接したキッチンの奥には何重にも垂らされた長い暖簾の廊下が続いており、その向こうが長老の寝室だ。
からんからんと乾いた音の鳴る暖簾を手で押さえ、ヴィステージはティエル達に目線を送る。


「おばあちゃん、一緒に月の雫を採りに行ってくれた人達を連れてきました。でも起き上がっちゃ駄目ですよ?」
「……相変わらずぐちぐちとうるさい孫娘じゃのう。ワシの身体のことは、ワシが一番分かっとる」
「まーっ、せっかく心配しているのになんて言い草ですか!」

敷布団の上で横たわっていたのは、随分と小柄で皺くちゃな老婆であった。ヴィステージと全く似ていない。
孫娘に対して憎まれ口を叩きつつも老婆の表情は柔らかい。つやつやとした赤い頬をした人好きのする顔である。
一ヶ月もの間臥せっていた割には全くやつれていない。まるでたっぷりと睡眠を取った休日の朝の様子だった。

長老が患っていたアゼカリナ病は別名眠り病とも言われているため、あながち間違った比喩ではないのだが……。


「ほーう? この二人かい。うちの血気盛んな孫娘と共に、命知らずな真似をした人間は。まだ子供じゃないか」
「お、おばあちゃんったら、そんなにじろじろと眺めたらお二人に失礼ですよ!」
「いいじゃないか、見たって減るもんじゃないし。病み上がりの老人の前で大声出すんじゃないよ、この子は」
「都合のいい時だけ病み上がりとか言うんだから……ごめんなさい、お二人とも。うるさいおばあちゃんで」

ティエルとジハードの顔を食い入るように眺めているマシュリ長老。だが、それほど不快というわけでもない。
なによりヴィステージと長老の掛け合いが微笑ましくて、思わずティエルとジハードは苦笑を浮かべてしまう。
背後に控えていた数名のエルフ族達も苦笑を浮かべて眺めていることから、いつものやり取りなのだろう。


「初めまして長老さん! 元気になってよかったね。わたしティエルっていいます。こっちの男の子はジハード」
「ほうほう、元気のいいめんこい子じゃな。ワシはマシュリ、このエルフの隠れ里の長老じゃよ」

「……マシュリ長老、病み上がりにすまない。ヴィステージから話は聞いていると思うけれど、ぼくらは……」
「聞いておるよ。魔法で石にされた大切な家族を助けるために、ディスペルの魔法を求めて来たんじゃろ?
 命を助けてくれた恩人には、誰であろうと協力は惜しまぬよ。すぐに魔法のスクロールを書いて渡してやろう」

「それなんですけどね、おばあちゃん」
「なんじゃい」
「スクロールはティエルちゃん達が扱えないんで無理なんですよ」
「ん? 確かお前の話では、魔力が桁外れに高い青年がおると言っていたじゃろう。その白髪のイケメンじゃろ?」

「……ジハードくんは治癒魔法の使い手だったんです。だからディスペルのスクロールは使えません」


再び重苦しい沈黙が周囲を包み込む。攻撃魔法の資質を持っていなければ魔法のスクロールは扱えないのだ。
しかしマシュリ長老は、何かと思えばそんなことか、と事も無げに言った。

「深刻な顔で言うから何事かと思ったわい。簡単なことじゃ、それならばヴィス。お前が彼らと共に行けばいい」
「えっ!?」
「魔法のスクロールを扱うことができる優秀な魔術師など簡単には見つからんよ。お前が行くのが一番じゃろう」
「そ、それは……勿論ティエルちゃん達にはお世話になりましたし、喜んで力を貸したいですけど……」

確かに魔法のスクロールは、使用時に高い魔力を求められるのだという。ヴィステージならば適任である。
しかし病み上がりの祖母の様子が心配なのだろう。彼女を置いて森を出るわけにはいかないと思っているのだ。
そんなヴィステージの心境を悟ったのか、マシュリ長老は大袈裟に溜息をついて見せる。


「……ヴィス。年は取ったが、ワシはひよっこの孫娘に世話されなきゃ生きていけないほどまだ耄碌してないよ」
「でも」
「ワシが気付いていなかったとでも思うのかい? お前の目は、この村ではなく常に外の世界に向けられていた」
「!」
「二十五年前、奴らに目の前で連れ去られたテユーラとジニーの行方を捜したいのじゃろう?」

マシュリ長老にはっきりと告げられ、ヴィステージは赤い瞳を見開いた。
祖母には隠していたはずだった。悟られぬようにしていたはずであった。両親を死んだと思い込もうとしていた。
しかし彼女は信じて疑わなかったのだ。……連れ去られた両親は、必ずこの世界のどこかで生きていると。


「おばあちゃん……」
「お前の母ジニーは、病弱ではあるがこのワシの娘じゃ。少々のことではくたばるまいよ。そしてテユーラもな」
「あたしが森の外に出てパパやママを捜しに行きたいってこと……ずっと気付いていたんですね」
「このひよっこ孫娘が。ワシを誰だと思ってるんだい? このエルフの村の長老様は、伊達に長生きしてないよ」

ゆっくりと手を伸ばしたマシュリ長老はヴィステージの癖の強い髪を優しく撫でてやる。
口調こそは素っ気無いものだが、確かな愛情がそこにはあった。本心では外の世界に出したくはないのだろう。
それでも長老は何よりもヴィステージの意思を尊重することを選んだのだ。それもまた一つの愛情の形であった。


「……人間の若者達よ。ティエルとジハードといったかな」
「はい」
「ゴールドマインまでワシの孫娘を連れていくがよい。少々暴走する部分もあるが、魔法の腕はワシが保証する」

「嬉しいな。これでもう暫くは一緒にいられるね、よろしくヴィステージ!」
「こちらこそ不束者ですが、よろしくお願いします」

喜びのあまり思わずヴィステージに抱き付くティエルに、どこか照れたように顔を赤くさせているヴィステージ。
旅行じゃないんだから……と呆れがちな表情を浮かべたジハードではあるが、すぐに顔を綻ばせた。
これで漸くサキョウを石化から戻すことができる。やはり彼も嬉しいのだ。思い返せばここまで長い旅であった。

一頻り喜んでいたティエルであったが、ふと表情を真剣なものに戻すとマシュリ長老に顔を向ける。


「人間であるわたし達を信じてくれてありがとう。でも、昔この村のひとに人間が酷いことをしたんでしょう?」
「……ヴィスから聞いたのかい。そうじゃな……今から二十五年前、ダフネと名乗る女がこの村にやって来た」
「ダフネ?」
「その女は己の永遠の美の研究のために、腕のいい薬師を数名よこせと言ってきたのじゃ。拒めば命はないとな」

「永遠の美の研究? なんだそりゃ。そんなもの研究してどうするっていうんだい」
「おぬしのような若い男には分からんじゃろうが、女の美に対しての執着は凄まじい。特にダフネという女はな」
「ふぅん。……で、ダフネとやらは薬師を集めて一体どんな美の研究をしようってのさ。まさか……」

「不老不死の研究だと言っておった。永遠の若さを保つことのできる秘薬作りの研究のために、薬師が必要だと。
 反抗的な村人達への見せしめのため、十名の村人が惨殺された。その中に……ワシのもう一人の孫娘もいた」


まだ幼かったヴィステージの妹であるルトリシア。小さな身体は、まるでぼろ雑巾のように打ち捨てられていた。
そして村でも指折りの薬師であったヴィステージの父テユーラと母ジニーがダフネに連れ去られてしまったのだ。
それから二十五年。エルフの隠れ里は人間達との交流を完全に断った筈であった。ティエル達が訪れるまでは。

「確かにワシらは人間達を許したわけではない。今でも恨みに思っている村人達は大勢いるだろう。
 じゃが全てを拒んでいては、いずれ破滅の道へと続いていくだろうとワシも含めて村人は気付いているのじゃ」

「破滅の道……?」
「うむ。ワシが罹ったアゼカリナ病とは、二十五年前には知られていなかった奇病じゃ。そしてその特効薬も」
「生き字引のトトじいさまも知らない奇病でしたもんね」

「ヴィスとおぬし達との出会いは、崖から落ちたホフマンを介抱してくれたことが切っ掛けだったと聞いた。
 もしかしたら……ヴィスがおぬし達二人と出会ったのは、神による運命の導きだったのかもしれんなぁ……」


そう言いながら微笑んだマシュリ長老の瞳には、ティエル達に対する憎しみなど欠片も見当たらなかった。
人間に対する蟠りがあるとはいえ、全ての人間を拒み続けるわけではない。世界には様々な人間がいるのだ。
永遠の美という私利私欲のためにエルフ族を利用する者。惨殺する者。傷付いたエルフ族を介抱してくれた者。

全てを拒んでいては、前に進めない。
ティエルとジハードの二人もそれを痛いほど理解しているからこそ、同じく曇りのない笑顔を浮かべたのだった。





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