Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第36話 ゴールドマイン、再び




……ゴールドマイン。
かつては働き口を求める男達で溢れ返った賑やかな町だった。だが現在は、まるで寂れた廃墟のようにも見える。
いや、既に廃墟であった。住人は皆病に倒れ、生き残った者達はアンデッドに食い殺されてしまったのだから。

ヴィステージと共にユークリンド大森林を出発してから一週間。
彼女はあの村で生まれ育ち、森の中で今日まで過ごしてきた。一般常識が多少ずれていても仕方のない話である。
まず彼女はお金の存在を知らなかったのだ。森では物々交換が当然だった。調合した薬をパンや卵と引き換える。

ヴィステージの目的はダフネという女を探し出し、両親を村へと連れ帰ることであった。
残念ながら現在は手掛かりが何もない状態だ。恐らく長い旅になるだろう。そのためには旅の知識が必要だった。
ゴールドマインへの道すがら、ヴィステージは旅の心得や常識などを覚えるために色々な質問を投げ掛けてきた。

あまり他人から頼られることのなかったティエルは上機嫌で答えていたが、時折ジハードから訂正されていた。
非常に残念なことにティエルもまた、別の意味で一般常識が乏しい人間だったのだ。


漸く到着したゴールドマインは既に夜の気配が漂っており、静寂に包まれた大通りに一人も動く人影はなかった。
ティエル達から大まかな話は聞いていたヴィステージだったが、町の惨状に思わず眉を顰める。
野晒しになった白骨。食い千切られた手足の骨が、酒瓶と共に地に転がっている。町中に濃い死臭が漂っていた。

足を負傷した男が隠れていた酒場の前を通り過ぎる。
アスモデウスと対峙した後に立ち寄ったが、男は既に息絶えていた。千切れた足の腐食が相当酷かったのだろう。
様子を見ようと軽く中を覗き込もうとしたヴィステージだが、やんわりとジハードに止められる。それも当然だ。


「そんなに酒場が気になるのかい?」
「大きな酒場ですね。……あたしの村にも酒場はありましたよ! ゼノさんの作るハニーエールは絶品なんです」
「ハニーエール?」
「蜂蜜が隠し味のエールなんです。男の人にはビターエールが人気でしたけど、あたしは断然ハニーエールです」

「そうなんだ。ハニーエール、わたしも飲んでみたかったな」
「こらこら。まだお子様のティエルに酒は十年早いってば。ぼくはビターエールとやらが気になるところだけど」

「……この酒場も、少し前までは人々の明るい声で賑わっていたんですよね。中には誰もいないんですか?」
「多分、腐乱した男の死体があるかもな」
「ひぇっ!?」

さらりと口に出したジハードの言葉に、ヴィステージは思わず顔色を青くさせながら覗こうとした首を引っ込めた。
極めて特殊な性癖でも持っていない限り、腐乱した死体など誰も目にしたくはないだろう。


「あたしにはここが活気溢れる町だったなんて信じられません。まるで、数十年前から廃墟だったように見えます」
「わたし達だって信じられなかった。でも……サキョウの石像を目にしたとき、全ては現実なんだって思ったよ」
「どんな理由があったとしても本当に許されないことです。石にされたお友達も、さぞかし無念だったでしょうね」
「……うん」

ヴィステージを巻き込むわけにはいかないため、彼女には詳細を伏せた大凡な事柄しか説明をしていなかったのだ。
アスモデウスやアリエス、ゾルディス王国の件を伏せながらの説明はなかなか辻褄が合わないことも多かったが、
それでもヴィステージは納得してくれたようだ。洞察力の鋭い彼女は、詳しく話せない事情を察してくれたらしい。

穏やかでおっとりとした見た目に反して、ヴィステージは空気を読むことや他人の感情を察することに長けている。


魔法によって石にされてしまったサキョウ達を元に戻すため、三人は動く者のいないゴールドマインを進んでいく。
町の中心部だろうか。かつては露店がひしめき賑わっていたであろう大きな広場へと辿り着いた。
一体誰が拵えたのか……夥しい数の簡素な十字架が立ち並び、この町で多くの命が奪われたことを物語っていた。

初めてここへ訪れた時はロイアが佇んでいた。無垢な笑顔を見せながら、金鉱までの道のりを案内してくれた。
勿論今は彼女の姿は見えない。このゴールドマインでロイアと出会い、アリエスやアスモデウスと遭遇して。
色々と分からないことが増えてしまった。そして、確かめなくてはならないことが増えてしまったように思う。

けれど今は……サキョウのことだけを考えようと、彼を元に戻すことだけを考えようとティエルは思った。
きっと、全てはそれからでも遅くはないのだから。


「ヴィステージ、本当にごめんね。こんな場所まで一緒に付き合わせちゃって。……歩くの疲れてない?」
「えっ、あたしですか?」
「大森林を出てから一週間結構なペースで歩き続けていたし、初めて旅に出たヴィステージはどうかなって思って」

ジハードは勿論、ティエルもどちらかというと旅慣れていると言ってもいいだろう。
ゴールドマインへの道のりは然程苦ではなかったが、初めて外の世界へ旅に出たヴィステージはどうだろうか。
サキョウの安否が気に掛かるために速めのペースでここまで来た。旅慣れていない者にとっては辛い道のりだろう。

しかし意外にもヴィステージは笑顔を浮かべながら首を振って見せる。


「確かにあたしは人よりも鈍くさいですし、体力もありませんが……これからはそうも言っていられませんし」
「お父さんやお母さんを探したり、ダフネを探したりと色々と忙しくなるもんね」
「ええ、できる限り体力を付けなくちゃと思っています。むしろ疲れているのはあたしよりも……」

胸を張って答えたヴィステージには少々疲れの色が浮かんでいた。
しかしその背後で歩いていたジハードの方がよっぽど疲れた顔付きをしている。原因は恐らく睡眠不足だろう。


「……大丈夫ですか、ジハードくん。ここ最近あまり眠れていないようでしたし」
「うん? そうだなぁ。やっぱりサキョウのことが気になってさ。普段のように十二時間も眠り続けられないんだ」
「十二時間ですか……」
「サキョウのことが気になるのは分かるけど、わたしはやっぱり十二時間は寝すぎだと思うなー」

「それはさておき。ヴィステージ、そろそろサキョウ達の場所に到着する。ぼくらに何か手伝えることはあるかい」


低い柵を乗り越えて金鉱の入口まで真っ直ぐに進む。初めてこの光景を目にした時は、二人は思わず言葉を失った。
金鉱前の広場に立ち並ぶ苦悶の表情を浮かべた石像達。その周囲には大小様々な形の石塊が転がっていた。
腰を抜かして逃げそうとしている石像、立ち向かっていこうとしている石像。必死の形相で今にも動き出しそうだ。

何もできないまま己の足元からじわじわと石に成り果てていく様子を眺め、さぞかし絶望に打ちひしがれただろう。
一体どれほどの苦痛を味わったのかティエル達には知る由もなかったが、石像の表情はどれもが苦悶に満ちていた。

サキョウの石像はあの日のまま驚愕の表情を浮かべ、全ての時を止めている。
優しい笑顔を浮かべながら両手を広げてティエルを抱きとめてくれるはずもなく、彼の瞳には何も映ってはいない。
話には聞いていたが実際に目にするとあまりにも凄惨な現場だ。眉を顰めながらヴィステージが歩み寄ってきた。


「この大きな男の人が、ティエルちゃんとジハードくんが家族のように思っているサキョウさん……なんですね」
「うん」
「石化魔法は禁呪と言われ、今では唱えられる魔術師はいないとされています。それだけ外道と言われる魔法です」
「……」
「ティエルちゃん、そんな顔をしないで下さい。君達の大切な人は必ず助かりますから」


優しくティエルに微笑んだヴィステージは己に気合を入れるために、ぱん、と胸の前で大きく両手を叩き合わせる。
暫くその体勢のまま目を閉じていたが、やがてゆっくりと開いていく。鋭い深紅の瞳であった。
長老から託されたスクロールの紐をヴィステージが解くと、難解な魔法陣や詠唱の描かれた光の帯が周囲に広がる。

夜の闇の中で淡い黄金に煌いている光の帯はとても幻想的で美しく、状況も忘れて思わずティエルは目を奪われた。
失われた古代魔法を扱うことができる唯一の方法。古代の魔術師達は皆、斯くも美しい魔法が扱えたのだろうか。
ヴィステージの声にならない声で紡ぎ出されるディスペルの詠唱は細かい光の粒子となって周囲に広がっていく。


「静謐なる穢れ無き天上の光よ、遍く軛を打ち砕き給え……ディスペル!」


光の粒子は巨大な魔法陣を描いて金鉱前の広場を完全に包み込んだ。
凄まじい魔力の放出である。魔法のスクロールは並大抵の魔力の持ち主では扱うことができないのも大いに頷ける。
やがて幻想的な光景は終わりを迎え、出現した魔法陣は闇に紛れて消えていく。再び静寂に包まれる金鉱前の広場。

一見すると石像の様子は何も変わらないように思えた。しかし、石となった者達の肌に赤みが戻り始めていたのだ。

「うぅ……いてて……」
「……オレ達は一体どうなったんだ?」
「おい、緑の帽子の魔術師の姿が見えないぞ!? おかしいな、先程まで戦っていたはずなんだが……」
「あの魔術師め、逃げおったな!」

石にされていたモンク僧達が次々と意識を取り戻していくではないか。
彼らは一体何が己の身に起こったのか全く把握できていない様子で周囲を見回している。それも当然のことだろう。


意識を取り戻した者達の声で次第に騒がしくなる広場にて、サキョウは呆然とした表情で己の両手を見つめていた。
未だにぼんやりとした頭を振って、ゆっくりと周囲を見回した。確かに先程までアリエスと戦っていたはずだった。
アリエスとの久々の再会に思わず喜んだのも束の間で、この騒ぎの元凶が彼だと知りサキョウは衝撃を受けたのだ。

恐らくアリエスから何らかの魔法を受けたのだ。そしてアリエスも、恐らく魔法を唱えるのは本意ではなかった。
サキョウの意識が途絶える寸前に、悲しげな声で『おっちゃん、ごめんな』と。そんな声を聞いたような気がした。


「ワシは魔法を受けて……そうか、生きていたのか……」

互いに無事を祝っているモンク僧の仲間達。どうやら誰一人として欠けている者はいないようだ。
だが町の住民を結局救うことができなかった。サキョウ達がゴールドマインに辿り着いた時、全ては遅かったのだ。
町は身体中に紫色の斑点が浮かんだ病人や、アンデッドに食い千切られた無残な死体で溢れ返っていた。

病人達が既に手遅れだということは一目で理解できた。せめて原因を探るためにサキョウは金鉱にやって来たのだ。
だがそれも結局はアリエスによって返り討ちに遭うという結果で終わってしまった。
本当にすまぬ、と手を合わせてサキョウは町の住人達に祈りを捧げる……が。その時、彼はありえない声を聞いた。

会いたいと無意識に願う心が幻聴を作り上げてしまったのか。そう思いながらもサキョウは顔を上げて振り返る。


「サキョウ! サキョウ、よかったぁ!! 助かったんだね!?」
「この馬鹿野郎! ぼくらがどれほど心配したと思っているんだよ!!」
「うおっ!?」

モンク僧の間をかき分けて、泣きそうな表情を浮かべた少女と青年が勢いよくサキョウに向かって飛び付いてきた。
二人分の体重を一気に受けても決して揺らぐことのないサキョウの身体は、二人をしっかりと受け止めてやる。


「ジハード、それにティエルまで……お前達、何故ゴールドマインに? ワシは幻覚を見ているのではあるまいか」
「わたし達は幻覚なんかじゃありませーん。ちゃんとここにいる。サキョウを助けに来たんだよ」

「……そうだよ。サキョウは知らないだろうけど、ぼくらが一体どんな思いでここまで来たと思っているんだ。
 ああ、もう! ぼくらの苦労をサキョウが知らないってのも悔しいな。悔しいけど……もう……どうでもいいや」

言葉の最後がうっかりと震えてしまい、ジハードは慌てて誤魔化すためにサキョウからふいと視線を外した。
彼らの表情から相当の苦労を掛けたのだと漸く悟ったサキョウは二人を引き寄せると、わしゃわしゃと頭を撫でる。
大きく温かい手。普段ならば子供扱いするなと文句を言うティエルとジハードだが、やはりこの手が大好きなのだ。


「どうやらお前達には随分と心配をかけたようだ。……すまんかったな、だがワシはもう大丈夫だ」





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