Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第37話 焔の魔女が目指したもの




モンク僧達が石化から解放されてもゴールドマインの壊滅的な状況は変わることはなかった。
生存者を求めて町を隈なく捜索したが、恐らく皆逃げ出した後なのだろう。生きている者は見つからなかったのだ。
犠牲者は町人の半数以上だろう。ベムジンに助けを求めた町長も机に突っ伏したまま息絶えた状態で発見された。

皆で手分けをして腐乱した死体を火葬するだけで手一杯である。勿論酒場に隠れていたあの男も運び出されていた。
燃え盛る炎に包まれた亡骸に、モンク僧達は目を閉じながら祈りを捧げる。願わくば、どうか安らかに眠れ、と。

現在のゴールドマインはほぼ壊滅状態だったが、やがては事件も風化して金鉱には多くの人が集まってくるだろう。
とても良質な金が多く採れるこの町は希望の溢れる場所として、再び栄える日が来るのかもしれない。
気の遠くなるような時間が掛かるだろうが、もしかしたら以前と同じような活気が戻る日が来るかもしれない。

ゴールドマインはアスモデウス復活のための犠牲になったのだ。一年前のメドフォードがまさにその状態であった。
あの時もしも阻止できていなければ、今頃はメドフォードが壊滅状態になっていた。他人事とは思えなかった。
少しでも復興の力になりたい。そう思ったティエルは、城に戻ったら大臣に提案するつもりだとジハードに伝えた。
彼女の話を聞くと、ジハードはいつものように優しく微笑みながら『うん、ティエルらしいね』と言ってくれた。


「改めてみると本当に酷い有様だな。ワシらが辿り着いた時には既に死体が溢れ返っておったが……」
「サキョウ」
「どうやら半数以上の死体が埋葬されて墓ができていたのだ。いつの間にか町の広場にずらりと墓が並んでおった」


今夜の野営地は採掘資材置き場であった。資材を片付ければ結構な広さが確保できたのだ。
焚き火の前で暖を取っていたティエルとヴィステージの元へ、作業を終えたサキョウが首を傾げながら戻ってくる。
彼が言っているのはロイアが佇んでいた場所である。夥しい数の墓の真ん中で、彼女は死者に祈りを捧げていた。

あの非力そうな彼女が一人で墓を作ったとは到底考えられない。だが、それならば一体誰が墓を作ったのだろうか。
もしやアリエスが作ったのだろうか。彼は意外にも情に厚い所がある。しかしそれは気に入った相手に対してだ。

難しい表情を浮かべて思案するティエルの隣では、リグ・ヴェーダを枕にして熟睡しているジハードの姿があった。
連日の緊張感で睡眠不足だと言い張る彼は、サキョウが助かった安堵感から全く起きる兆しは見えない。
ただ寝顔だけを眺めていれば天使のような美青年だと言えなくもない。だが彼は寝起きが悪い上に寝相も悪いのだ。


「アリエスの魔法で石にされた時は本当にどうなることかと思ったが、こうして生きていることに感謝せねばな。
 あいつを前にして少なからず油断をしていた……おっと、ワシとしたことがその前に大切なことを思い出した!」

突然サキョウは素っ頓狂な声を上げると、きょとんとした顔をしているヴィステージに向かって深々と頭を下げる。

「お初にお目にかかる、薬師殿。ワシはモンク僧のサキョウと申す。一応今回の遠征の責任者を務めている者だ」
「初めまして、お坊さん。あたしはヴィステージです」
「ティエル達から大体の経緯は聞いたが……モンク僧の皆に代わって心から感謝する。本当にかたじけない」


サキョウから頭を下げられ、ヴィステージも慌てて立ち上がると同じく頭を下げた。
彼女が勢いよく立ち上がった拍子に癖の強い桃色の髪がぴょこんと揺れ、起きたばかりの寝癖のようになっている。
何度髪を梳かしてセットをしても、結局はすぐに元に戻ってしまうという強力な癖毛であった。彼女の悩みの種だ。


「あたしもティエルちゃんやジハードくんには助けられたし、救われたんです。勝手にお友達だと思っています。
 そんな二人が命を懸けて助けたかった大切な家族は一体どんな人なんだろうって。あなたに会えて……よかった」

そう言いながら、ヴィステージはサキョウに向かって右手を差し出した。
事前に二人から『熊のような大男』とは聞いていたが、彼女が想像していたよりもサキョウは大柄な男であった。
正直驚きはしたが、海のように穏やかで父性に溢れた人物だと感じた。あの二人に愛されているのも大いに頷ける。


「ヴィステージはね、怪しい薬を作ったり眺めたりする変わった趣味を持っているけど、とってもいい子なんだよ」
「うむ。実に薬師らしい趣味だな……ん? 怪しい薬とは?」
「毒薬なんだよー」
「ど、毒薬!?」

「きゃーっ! ティエルちゃんったら、その説明じゃサキョウさんに変な誤解をされてしまうじゃないですか!」
「変な誤解というか、ただ事実を述べているだけなんじゃ」
「ジハードくんまで!」

憤慨したようにティエルを振り返るヴィステージだが、そこへ寝ぼけた顔のジハードの止めの一言が発せられる。
いつの間にか起きていたのだろう。
毒と薬は紙一重かもしれないが、眺めたりするのは十分変わった趣味なのではないか……と思ったサキョウだが、
その話題には触れずにごほんと咳払いをして口を開いた。


「……とりあえず、ゴールドマインは暫く閉鎖になる。ワシらはベムジンに戻って大僧正に報告せねばならん」
「うん」
「だがアリエスの狙いが全く分からぬ。金鉱の奥も先程調べてみたが、数名の祈祷師らしき死体があるだけだった」

そうだ。……サキョウには金鉱の奥で一体何が起こったのかを伝えていなかった。この騒動の核心となる部分を。
アリエスはアスモデウスの封印を解くためにゴールドマインの住人達を生贄に捧げたのだ。
斯くして最凶の悪魔族公爵は復活し、差別のない己の美しい理想郷を作り上げるためにゾルディスへと向かった。


「石化の魔法をかけられる前に、アリエスがどうも妙なことを言っておってな。それが少々気に掛かるのだ」
「妙なことって?」
「うむ。焔の魔女の意志から、大切なものを必ず守り抜いて見せろと。そんなことを……アリエスは言っておった」

「焔の魔女の意志……か。彼女の意志とはまさに、あの人物の意志になるんだろうな」
「どうした、ジハード?」

「サキョウにはまだ話していなかったけど、実はあの祭壇でアリエス達はアスモデウスの復活の儀式を行ったんだ。
 ぼくらはただ眺めていることしかできなかったよ。一年前、焔の魔女がメドフォードで行おうとしていた儀式だ」
「なんだと!?」

今でもあの時のことを思い出すと全身が寒気に襲われる。
アスモデウスを前にすると、己が如何にちっぽけで脆弱な存在なのだと思い知らされた。まさに蛇に睨まれた蛙だ。
あの時アスモデウスはいとも簡単にティエルとジハードの命を奪えたはずだ。だが、あの男はそれをしなかった。


『青い果実は熟した頃が食べ頃だろう。余に見合うほど熟した頃にまた会おうではないか。楽しみにしているぞ』


アスモデウスにとって二人はいつでも容易く殺せてしまうほど、取るに足らない存在だとこの台詞が物語っていた。
悔しいが最早全てにおいて次元が違う。あんな存在がよくもまあ今日まで大人しく封印され続けていたものだ。
また会おうとアスモデウスは言っていたが、できれば二度と相見えたくはない存在だとジハードは深く溜息をつく。

その拍子に彼の懐から金属の擦れる音が微かに鳴り響いた。
ゴールドマインの祭壇で、アスモデウスが落としたと思われるロケットペンダント。思わず拾ってしまったものだ。
中には、この世のものとは思えぬほど美しい女の写真が入っていた。ジハードですらほんの一瞬だけ目を奪われた。

あらゆる者を虜にし、破滅に導く魔性の美貌。そう思わされるほど写真の女は美しかった。あまりにも美しすぎた。
しかしその女は、ジハードのよく知る青年に酷似していたのだ。瓜二つなんてものじゃない。全く同じ顔であった。
違っているのは性別だけ。……いくらなんでも、これほど酷似した人物が世に二人も存在するのだろうか。


「ジハードくん?」
「ああ、ごめん。……それで、このゴールドマイン中の命を生贄としてアスモデウスは復活してしまったんだ」
「わたし達はアスモデウスの目を見た途端、指先すら動かせなかった。それはアリエスも同じだったみたいだけど」

「焔の魔女が……目指したもの、か。全ての種族が幸せに暮らせる世界は、実現すればさぞかし理想郷だろうな」

全ての種族が幸せに暮らせる戦争のない世界。そのために、圧倒的な力を持った一つの国が恐怖で支配する。
確かに戦争はなくなるかもしれないが、恐怖で支配された世界は果たして……幸せな世界だと言えるのだろうか?
ゾルディスでは今でも力のない悪魔族が性奴隷のように扱われているのが現状だ。
大事の前の小事といって見ぬ振りをするのではなく、理想郷を語る前にまずは彼らを救うのが先ではないのか。


「そのアスモデウスとやらが復活したとしても、ワシらが行動を起こす時は今ではない。
 動くとすれば、ゾルディス王国がこちらに何か仕掛けてきた時だ。それまでは静観するべきだろうとワシは思う」
「そうだね」

サキョウの言葉に面々は深く頷いた。確かにゾルディス国の動向が分からない今、ティエル達にできることはない。
いずれヴェリオルも行動を起こすだろう。ティエルにとってはアスモデウスよりもヴェリオルの方が脅威である。
彼はサキョウにとってもゴドーを殺した憎き仇だ。そして宮廷魔術師のアリエスはジハードとも深い因縁があった。


「……ところでジハード」
「うん?」
「例の件で話したいことがあるのだが」
「もしかして、何か分かったのかい!?」

話が一段落すると、サキョウは向かいのジハードに視線を送る。言葉を濁していることからここで話せないようだ。
瞬時に何かを悟ったジハードは立ち上がり、サキョウと共に少し離れた場所の民家へと姿を消してしまった。
完全に取り残されたような形になったティエルは首を傾げ、それから同じく首を傾げるヴィステージを振り返った。


「ヴィステージはこのままユークリンドに帰らないで、行方不明のお父さんとお母さんを探す旅に出るんだよね?」
「はい。手掛かりは何もない状態ですけど……待っているだけでは駄目なんだって気付いたんです」

「待っているだけでは駄目?」
「大切な人を待ち続けるのは辛いことです。こんなに辛いのに、状況は何も変わらないなんて背理じゃないですか」
「……」
「それならこちらから探しに行けばいいんです。手を尽くしても無理なら、その時は吹っ切れるんじゃないかって」


きっぱりと口に出したヴィステージの表情は迷いもなく生き生きとしている。
そんな彼女の顔をティエルは暫くの間ぽかんとした顔で眺めていた。まさに目から鱗が落ちたような心境であった。
『待つだけでは何も変わらない』。考えてもみれば当然の話だ。何故こんな簡単なことに気付かなかったのだろう。

そして……勿論ティエルは、ただ待ち続けているような大人しい姫君ではなかった。


「ヴィステージ!」
「は、はい?」
「ありがとう。なんか、今とってもすっきりした気分になったよ! うん。本当にわたしらしくなかったよね」
「……よく分かりませんが、ティエルちゃんが元気になったのなら良かったです」

突然ティエルから両手を握りしめられ、ヴィステージは驚いたように大きな赤い瞳をぱちぱちと瞬いていたのだが。
ティエルの笑顔に感化されて嬉しくなったのか、彼女も柔らかな笑顔を浮かべる。


「そうだ! お父さんとお母さんについて色々と情報を集めているなら、わたし達とメドフォード王国に来ない?」
「メドフォード王国って、ティエルちゃんやジハードくんが住んでいる国ですか」
「うん。立派な資料庫もあるし、他国のことに詳しいひと達もいるし。何か分かるかもしれないよ!」

「そうですね……とても大きな国のようですし、人が多く集まる場所なら手掛かりを見つけられるかもしれません」


メドフォード王国までの道中よろしくお願いします、と言いながらヴィステージは頭を下げた。
ティエル達との縁がまだ続きそうだというのが正直嬉しい。最初は、目的を同じとした同行者にしか過ぎなかった。
私利私欲に塗れたダフネという人間を目にしていた彼女の、『人間』に対しての認識を変えてくれた二人であった。

できればもう少し一緒にいたい。このままお別れするのは寂しいと、徐々にヴィステージは思うようになっていた。
闇雲に各地を転々とするよりも暫くメドフォードに滞在し、情報収集をしながら仕事を見つけて生活しよう。
そして、できることなら……ティエルやジハードと、もっと仲良くなりたいなと。そう彼女は思っていたのだった。





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