Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第38話 メドフォードへの帰還
アリエスの魔法によって石にされていたモンク僧を、ディスペルのスクロールで無事に元の姿へ戻したティエル達。
壊滅状態であったゴールドマインは一時閉鎖とし、彼らは報告のために帰路に着くこととなった。
ティエルとジハードはメドフォード王国へ、サキョウはベムジン寺院へ。行きとは違い明るい表情での帰還である。
そして……ヴィステージは暫くの間メドフォード王国に、両親についての手掛かりを探すために留まるのだという。
サキョウとは途中ベムジンでお別れとなった。だが、彼は二週間後にメドフォードを訪れるつもりだと言っていた。
なんでもジハードに大切な話があるのだという。勿論ティエルは内容を尋ねてみるが、二人に笑顔で誤魔化された。
恐らくゴールドマインでこそこそと話していた『例の件』とやらだろう。隠されると妙に気になってしまうのだ。
話したくないことを無理に聞き出す訳にもいかない。
ティエルに関係があることならば、いつかきっと話してくれるはずだ。今はまだ話す時ではないのだろうと思った。
時刻は十九時過ぎ。目前に広がるメドフォードの城下町は、橙色の民家の明かりが夜の淡い色に溶け込んでいる。
大通りを歩いている者の姿も疎らで、すれ違う町人の中にはティエルの姿に気付いて深々と頭を垂れる姿もあった。
城まで続く整備された石畳。美しい街路樹。洒落た作りの家々。一年前の大戦の爪痕は全く残ってはいない。
初めて訪れる大きな国に、ヴィステージは溜息をつきながら物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回していた。
その姿はまるで田舎から都会に出てきたお上りさん状態だ。まあ実際にそうなのだから、その表現は正しいのだが。
頬が紅潮し、興奮を隠しきれていない。夜の城下町も美しいが、昼の城下町の活気を是非とも彼女に見てほしい。
「わー……ここがメドフォード王国の城下町ですか。想像していたより大きくて驚きました。すごい、すごいです」
「もう少し進んでいくと綺麗な噴水広場があるんだよー。あと、シャンメリー通りのバザールも今度行こうよ!」
「はい、楽しみにしています! ……でも本当にいいんですか? 暫くティエルちゃんのお家でお世話になっても」
「賑やかになってわたしは嬉しいな。ちなみにジハードも一緒に住んでいるんだよ」
「……えっ」
「えっ?」
「き、君達、同棲していたんですか。確かにそうですよね。あまりにも仲が良すぎると思っていましたもん……」
「どうせいってどういう意味?」
「それにしても同棲ですか。同棲……ジハードくんって結構タラシっぽいから、ティエルちゃんは苦労しそうです」
「うん。ジハードはタラシだってみんな言ってる!」
完全に誤解をして顔を赤くさせているヴィステージとは裏腹に、彼女の台詞が理解できずに目を瞬くティエル。
勿論ジハードは誤解に気付いているのだが、にやにやとした笑みを浮かべながらあえて誤解を解かずにいるようだ。
どうやら彼は状況を面白がっているらしい。タラシと言われて否定をしないのは、もしや認めているのだろうか。
「あたし二人のお邪魔じゃないですか? お邪魔ですよね!? やっぱり住む家くらい自分で探しますから……!」
「どうしてだい? ぼくはお邪魔だなんて全く思わないよ。むしろヴィステージなら大歓迎だな」
「ぎゃーっ!? き、君は見境がないんですか! ティエルちゃん、危険ですよ。この青年はとっても危険です!」
「ヴィステージが何を言ってるのか全然分かんないよー」
夜の城下町に声を響かせながら進んでいく三人。
やがてメドフォード城門前噴水広場に辿り着く。目前には城を囲む林が広がっており、周囲の民家の数も疎らだ。
それでも歩みを止めずに林へと進んでいくティエルとジハードに、若干ヴィステージは困惑したように口を開く。
「あっ、あのう」
「?」
「ところでティエルちゃんのお家はどこにあるんですか? この先はお城ですし、民家がないのでは……」
「そういえば、ヴィステージにはまだ言っていなかったっけ。あのね、実は」
「ティアイエル姫様、ジハード殿。おかえりなさいませ!」
その時。見上げるほど高い城壁の左右に位置する側塔の見張りが、どうやらティエル達の姿に気付いたようだ。
側塔や城門前を警備する兵士達が深々と頭を下げる姿は壮観だ。同時に重い音を立てながら城門が開かれていく。
開かれた城門の向こうに見えるのは、整然と整備された広大な敷地を持つ庭園であった。
中央に初代メドフォード国王リュミラージュの勇ましい像があり、メドフォードを見守っているようにも見える。
庭園を更に進んでいくと正面入口だ。厳つい体格の重装歩兵達が槍を手にして鋭い目付きで周囲を見渡している。
物々しい雰囲気を発していた重装歩兵であったが、ティエルの姿を目にすると途端に表情を綻ばせる。
「姫様、この度の遠征お疲れ様でございます。ジハード殿もご無事で何よりです」
「ただいま、ベイル!」
「ただいまー」
「!?」
軽く手を振りながら城内へと進んでいくティエルとジハードの姿に目を白黒とさせながらついていくヴィステージ。
その様子に漸く気が付いたジハードは、彼女を振り返りながら口を開いた。
「ティエルはおてんばで無鉄砲で考えなしの女の子に見えるけど、一応このメドフォード王国のお姫様なんだよ」
「え? あー、そうなんですね。メドフォードのお姫様ですか。お姫様……ええぇ!?」
「おてんばで無鉄砲で考えなしだなんて酷いよ、ジハードの馬鹿!」
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帰還の報告を受けて忙しない足音を響かせながら出迎えてくれたトーマ大臣に簡単な報告を終えたティエル達は、
広い中庭に面した廊下を並んで歩いていた。緑の匂いを多く含んだ風はメドフォードに帰ってきたのだと実感する。
久々の旅でお疲れでしょうというトーマ大臣の計らいにより、ゴールドマインの報告は実に簡単なもので終わった。
禁呪のスクロールによるモンク僧の石化、中毒症状の真実、ゾルディス国の暗躍。そしてアスモデウス公爵の復活。
そしてこれからのゴールドマインへの支援などの話は明日になったのだ。
その後は緊張のために固まっているヴィステージを含めた三人で夕食を終えたが、就寝するにはまだ早い時間だ。
今回の事件で大いに力になってくれた彼女の目的は『ダフネという女を探し出し、両親の行方を知る』ことである。
ヴィステージの悲しい境遇を知ると、トーマ大臣は涙を浮かべながら『力になりましょう』と拳を握り締めていた。
「わー、城に戻るのも久々だね!」
「途端に気を抜きすぎだよティエル。姫君たるもの、常に毅然とした態度を心掛けなきゃ」
「わたしはいつもこんな感じだからいいんですー。毅然とした姫君じゃなくて、親しみやすい姫君を目指してます」
「限度ってもんがあるだろ?」
「……あたしは衝撃的過ぎて頭がついていきません。そうとは知らず、ティエルちゃ……お姫様に失礼なことを」
慌てて言い直したヴィステージを見て、ティエルは明らかに不満そうに頬を膨らませる。
「今までどおりの呼び方でいいよ。友達として出会った子には、何があってもずっと友達として接してほしいな」
「そういう訳にはいきません、お姫様。おばあちゃんには礼儀を忘れるなと厳しく躾けられましたから」
「ふーん。だからヴィステージは誰に対しても敬語で喋るんだね。……じゃなくて、お姫様なんて呼び方嫌だよう」
「ですが、けじめというものが」
「今までどおりじゃなくちゃ嫌だよう。ヴィステージはわたしのこと、友達だと思ってくれていたんじゃないの?」
「思っていますよ! それに……死んだ妹が生きていたら、このくらいの年齢かなって……懐かしく思ったりして」
「……」
「まあまあ。ティエル、あまりヴィステージを困らせちゃいけない。彼女の意見も、ぼくは理解できるからね」
むすっと頬を膨らませているティエルと、おろおろと困った表情を浮かべているヴィステージ。
確かにヴィステージの言っていることは至極真っ当な意見だ。一国の姫君に馴れ馴れしく呼びかける方が失礼だ。
だが一方でティエルの言っていることも理解できる。『友達として出会った者には、友達として接してほしい』と。
普通の感覚の持ち主ならば、そう言われても恐縮してしまうだろう。
仲間として接してきた期間が長すぎたジハードだからこそ、変わらぬ態度でティエルに接することができるのだ。
まぁジハードは相手がいくら王族だからといって、態度を変えるような人物ではないというのが大きいが……。
「じゃあ、ぼくらだけの時は今までどおりに接するとかさ。それならヴィステージも納得してくれるだろう?」
「そうですね……それならなんとか」
「寂しいけど仕方ないなー。それともう一つ約束があるんだけど。朝昼晩は必ず三人で食堂でご飯を食べようね!」
「え!?」
「ヴィステージ、これは仕方がないから頷いてやってくれ。ほら。ぼくもいるし」
「……色々なことが一気に起こりすぎて、あたしは全くついて行けていませんが。頭がくらくらとしてきました」
大森林を駆け回っていたとはいえ、ヴィステージにとって初めての外の世界であり長旅だ。疲れも相当あるだろう。
その上ティエルが大国の姫君という事実を知り、彼女の頭は既に許容量を超えていた。
ティエルやジハードも含めて今日は早めに就寝した方がよさそうだ。明日には早朝から詳しい報告会が待っている。
「おやすみなさい。ティエルちゃん、ジハードくん。また明日ですね」
「おやすみー」
「おやすみ、ヴィステージ」
侍女に連れられて去っていくヴィステージは、侍女の前で『ティエルちゃん』と呼んでいることに気付いていない。
それほど疲れているのだろうと、思わずジハードは苦笑を浮かべるが。
何度も振り返るヴィステージに向かって、元気よく手を振るティエルの笑顔が段々と消えていくことに気が付いた。
「……ねえ、ジハード」
「うん?」
「アスモデウスって何者なのかな。あんなにも多大な犠牲を払ってでも復活させなければならないおじさんなの?」
「そうだな。ぼくには……復活させなければならないというより、決して復活させてはいけない人物に思えたよ」
「でも、リアンはあの悪魔族のおじさんに心酔していた。……わたし達を犠牲にしても構わないほどに」
「彼女とアスモデウスの間にどれほど強い絆があったのかなんて、ぼくには分からない。そして知りたくもないよ」
そう言ってから、ジハードは唇を噛みしめた。『知りたくもない』と。それが、彼の本心の全てを物語っている。
初めて相見えたアスモデウスは、確かに抗えぬような強烈な求心力があったように思う。
生まれながらに君主たる魅力を持った人物。容易く他人の心を奪ってしまい、心酔させる。心底恐ろしいと思った。
「とにかく。ゴールドマインの異変も知れたし、サキョウも石化から戻すことができた。あなたの冒険は終わりだ」
「……」
「明日からはいつもどおり姫君として勉強の日々が待っている。アスモデウスのことなんてもう考えなくていいよ」
「ジハード」
「ほら、明日は朝早いんだから。トーマ大臣への報告会が待っている。きちんとあなたが報告しないといけない」
「あのね、ジハード。わたし」
「ティエル」
その時。ざあっと強めの風が吹き、メドフォードが誇る薔薇の庭園から赤い吹雪が舞い上がる。
中庭を少し東に進むと見えてくる薔薇の庭園だ。ティエルの願いで、見事に赤い薔薇だけが咲いている庭園だった。
赤い吹雪の中で、ジハードは彼女の名を呼ぶと口を閉ざす。彼の空色の瞳は酷く哀しげな色を浮かべていたのだ。
「……おやすみなさい、ジハード」
その瞳があまりにも哀しげで、ティエルは胸が締め付けられるような思いに駆られた。
これ以上ジハードを見つめていることができなくなった彼女は、踵を返すと自室とは反対方向へと駆けていった。
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