Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜
第4話 ベムジンからの使者
王家のために用意された広々としたメドフォード城大食堂。
大きく並んだ窓は全て開け放たれ、清々しい光と爽やかな風を肌で感じると今この国の平和を感じさせてくれた。
どっしりとした古めかしい木で作られた長いテーブルは、初代国王の時代から使用されていたと伝えられている。
所々の金の細工が質素すぎず豪奢すぎず、派手さをあまり好まぬメドフォード王国らしい程よいアクセントだ。
椅子も同じ作りで統一されており、大食堂はどこか温かな雰囲気に包まれている。これも初代国王の意向だろう。
ミランダが生きていた頃は、いつも二人でこの場所で食事を取っていたことをティエルは思い出す。
多忙の祖母だったが、食事だけは必ず共に取るようにしてくれていた。家族の時間を大切にしたかったのだろう。
なかなか祖母とのふれあいの時間が取れなかったティエルは、朝昼晩の食事の時間がとても楽しみだったのだ。
夜に見た夢の話や、今日一日の出来事、頑張ったこと、苦手な教科の話など本当に色々な話をした。
他愛もない話であったが、祖母は常に微笑みながら聞いてくれていた。
やはり食事は一人で取るよりも、誰かと楽しく取った方が何十倍も美味しく感じられるとティエルは思っている。
そのため、いくら忙しくとも食事の時間だけは必ず一緒に取ろうと、ティエルはジハードと約束をしているのだ。
城奪還の戦いの後、溢れ返った怪我人達のために急遽立ち上げられた医療チームの中心となっていたジハードは、
事態が収束した今となってもそのまま医療チームに引き留められ続けていた。
勿論チームの中には名医と呼ばれる医者も何名か所属しているのだが、ジハードの治癒能力と優れた医療技術、
そして豊富な知識は手放すには実に惜しい人材なのだそうだ。
確かに『稀代の癒術師』などと自負するだけあって、ジハードの医療に対する知識は他の追随を許さない。
チームの研究の仕事の傍ら、筋トレに料理……と、割と忙しい毎日を送っているジハードとのふれあいの時間が、
三食の食事時のみ。という日々は少なくはなかった。だからせめて、食事だけは必ず一緒に取ろうと決めたのだ。
「ねぇジハード、今度は何の研究してるの? こないだまで作ってた変な絆創膏が成功したって言ってたでしょ」
「変な絆創膏とは何だよ。あれは傷口をあえて密閉し続けることによって治癒力を高める、画期的な絆創膏でね」
「そうなんだ」
「勿論受けた傷の種類にもよるけど、あまり治癒魔法に頼りきりになっていたら自然治癒力の低下に繋がるんだ」
「……だからジハードはいつも、非常時以外には治癒魔法で傷を完治させないんだね」
「ああ。だけどあの絆創膏は、治癒魔法を使わずとも己の治癒力を高めてくれる代物だ。どうだい、凄いだろ?」
具材のたっぷり入ったキッシュをフォークの上に乗せながら、ジハードはさも得意げに笑みを浮かべて見せる。
普段は何事にも動じずに一定のテンションを保っている彼だが、こういう一面を見ると年相応のただの青年だ。
常に物事を一歩引いた目で捉え、大人びた余裕の表情を浮かべている彼が見せるこんな一面がティエルは好きだ。
「今度のテーマは一筋縄ではいかなそうなんだ。これが解明されれば、絆創膏どころじゃない騒ぎなんだけど」
「そんなに難しい研究テーマなの?」
「状態異常魔法に対する防御策がテーマだよ。状態異常というのは毒や麻痺とか、石化だとか色々とあるけどね」
「治癒魔法は毒には効かないって、前にジハード言ってたもんね。あと風邪とかにも」
「まぁ、石化魔法や麻痺魔法なんて古代魔法クラスだから……今では使用者がいるのかも分からないけどさ」
「わたしは眠気を覚ます防御策が聞きたいな。授業中居眠りしちゃうのを防いでくれたりするの!」
「……ティエルはそんな防御策を聞いていたとしても、しっかり居眠りすると思うけどな」
「ひどーい!」
食堂に響き渡る楽しげな笑い声。話の内容は他愛のないものであったが、とても平和を実感する一時であった。
その時。そんな大食堂の入口に、突如見知った顔の近衛兵が姿を現したのだ。表情からただ事ではなさそうだ。
「ティエル姫様、ジハード殿。お食事中大変失礼いたします!」
「いいよ、どうしたの?」
「はい。先程ベムジンの使者と名乗る僧侶が現れ、早急にお二人にお伝えしたいことがあると申しております」
「……ベムジンから?」
「ベムジン寺院の正式な使者の証である、シグン大僧正の印が入った書簡も所持しており……恐らく本物かと」
ベムジン寺院という名を耳にして、ティエルとジハードの表情が曇る。ベムジンといえばサキョウの住む町だ。
急ぎの使者を送ってまでティエル達に伝えたい内容とは一体何だろう。もしやサキョウに何かあったのだろうか。
今月はまだ彼から手紙の返事を貰っていない。いつもならばもう届いてもおかしくはない頃なのに。
「分かった、話を聞く。謁見の間にベムジンの使者を通してくれる?」
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「ティアイエル王女殿下、癒術師ジハード殿。突然のご無礼をどうかお許し下さい。
こちらにシグン大僧正からの書簡がございますが、まずはわたくしの口から直接お話しさせていただきます」
謁見の間。一年前の戦いにて半崩壊してしまっていたが、今ではすっかり元の荘厳な様子に修繕されている。
メドフォードの象徴である謁見の間は、トーマ大臣によって修繕費の三分の一を使って最優先に工事が始まった。
勿論ティエルとしては膨大な予算のかかる謁見の間の修繕は後回しでも構わなかったのだが、
『ミランダも同じような決断をするだろう』といったトーマ大臣の意見によって、仕方なく首を縦に振ったのだ。
ベムジンの使者は僧侶と名乗ってはいたが、質素な僧服に身を包んだ屈強な男だった。恐らくはモンク僧だろう。
小柄なティエルには大きすぎる玉座に半ば埋もれながら腰掛け、彼女は使者に顔を向ける。
「一体何があったの? その様子じゃ……いい知らせではないみたいだけど」
「はい。王女殿下はベムジンよりも更に北の方角に位置する、小さな都市ゴールドマインをご存知でしょうか?」
「名前だけなら何回かは聞いたことがあるけど、あまり詳しくは知らないな。ジハードは知ってる?」
「小さいけど、それなりに栄えている金鉱らしいね。この地域一帯で流通している金の半分はそこが産地だとか」
「仰るとおりです。一ヶ月ほど前、その都市で謎の中毒症状を起こした者が次々と亡くなる事件が起きたのです」
「謎の中毒症状?」
「流行り病なのか、それとも金鉱の奥から毒ガスが滲み出てきたか……理由は分かりません」
「ふぅん。太古の地層には、今では考えられないような毒を含んだ物質が含まれていることがあるかもね」
中毒症状に対しては、治癒魔法は全く効果がない。旅の最中、ジハードは何度も歯痒い思いをし続けてきたのだ。
先程食事中にティエルに語った状態異常に対する防御策の研究テーマは、その理由から生まれたと言える。
毒や石化、麻痺などに対する知識をつけ、有事の際にはすぐに対応できるようになりたいという願いでもあった。
「金鉱は一時閉鎖。町は病人で溢れ返り、他の町へ逃げ出す者も後を絶たない状況でした。
町長からの調査の要望もあり、サキョウは物資と数名の僧侶達を引き連れてゴールドマインへ向かったのです」
「……サキョウが?」
「はい。しかし調査期間の二週間を過ぎてもサキョウ達は未だ戻らず、完全に連絡が途絶えてしまった状況です。
何かあったのでは、と向かわせた者達も連絡がなく……大僧正は、どうか王女殿下の力をお借りしたいと……」
話を整理すると、一ヶ月ほど前から金鉱都市ゴールドマインにて人々が中毒症状を起こし亡くなる事件が起きた。
サキョウ達数名のモンク僧は調査のために現場に向かったが、期限の二週間が過ぎても連絡がない状態だった。
彼らの様子を見に行った者達も戻ってこないことから、もしやサキョウは何か事件に巻き込まれたのではないか。
それならば心配だ。すぐにでもゴールドマインに向かい、サキョウの安否を確かめなくては。
「勿論力を貸すよ! シグン大僧正にはとてもお世話になったし、なによりサキョウが関わっているんだもん。
今日明日にでもゴールドマインへ調査隊を送るから、あなたはベムジンに戻りシグン大僧正にその旨を伝えて」
「おお……なんとありがたきお言葉、ベムジン僧侶一同心より感謝いたします。ティアイエル王女殿下!」
ティエルの力強い言葉に深く頭を垂れた使者は、待機していた近衛兵と共に謁見の間を後にした。
広い空間に緊張の空気が走る。先程まではあんなにも清々しいと感じた風がティエルはどこか肌寒く感じられた。
重苦しい場に残ったのは、王座に腰掛けるティエル。そして彼女の傍らに控えていたジハードとトーマ大臣だ。
そんな中で、緊迫した沈黙を一番初めに破ったのはティエルである。
「ねえ、二人とも」
「駄目だよ」
「なんで? まだ何も話していないのに。話を聞く前から駄目だなんて、せめて内容を聞いてからにしてよ!」
「内容を聞いてからもなにも……その先を聞かなくとも、あなたの言いたいことは大体察しが付くからね」
「えっ」
ぴしゃりと厳しい口調でジハードに言葉を遮られてしまい、ティエルは不満そうに頬を膨らませる。
そんな彼女の態度を気に留めることもなく、依然穏やかな表情を浮かべたままジハードは淡々と言葉を続けた。
淡々とした口調ではあるが、彼の声色は有無を言わさない響きを含んでいる。
「あなたは先程ゴールドマインへ調査隊を送ると言っていたけど、どうせ自分も行く気満々なんだろ」
「当たり前じゃない、だってサキョウが関わっているんだよ? ジハードは心配じゃないの!?」
「心配に決まってるだろ。……だから調査隊には、ぼくが参加する。サキョウのことはぼくに任せてくれ」
「わたしも心配だよ。自分の目でサキョウの無事を確かめたいの!」
「サキョウは何か事件に巻き込まれた。そもそも中毒患者が大勢いるような場所に、あなたが行ってどうする?」
「わ……わたしだって何か役に立つことがあるかもしれないし、治療のお手伝いとかできるもん」
「自分の立場を分かってないなぁ。あなたはこの国のたった一人の姫君だ。何かあったじゃ済まされないんだよ」
「……」
「この件は、医療の知識があるぼくが適任だろ。……ティエル。いい子だから大人しく聞き分けてくれよ」
「また子供扱いする! それで、もしジハードまで戻ってこなかったら……わたしどうしたらいいの!?」
「大丈夫、必ず戻ってくるから。じゃあ、トーマ大臣。そういうことで」
ひょいとトーマ大臣に顔を向けたジハードに、トーマ大臣は深く頷くと、すぐに兵の手配をいたしますと言った。
調査隊の編成や日程について詳しい相談を始めるジハードとトーマ大臣。完全にティエルは蚊帳の外である。
確かにこの件はジハードが適任だろう。それは勿論分かっている。だが一緒に行かせてくれてもいいではないか。
「ひどいよ二人とも、行かせてくれてもいいじゃない。わたしだってサキョウが心配でたまらないんだよ!?」
「それは分かるけど! ティエル、我が侭もいい加減にしろよ。それだからいつまでも子供扱いされるんだぜ?」
「姫様。ジハード殿の言うとおりですぞ、ここはぐっと堪えてご自分の立場を理解して下され」
「もう聞きたくないよ、ジハードの意地悪! 分からず屋! ばかぁっ!!」
顔を真っ赤にさせて叫んだティエルは、背を向けるとそのまま振り返らずに走り去ってしまった。
勢いよく開け放たれた謁見の間の扉。ばたばたと激しい足音が遠ざかっていき、近衛兵の驚いた声が廊下に響く。
やはり完全に子供の癇癪である。もうすぐ十七歳になろうとしているのに、とジハードは思わず頭を抱えた。
「意地悪で言っているんじゃないんだ。どっちが分からず屋なんだか。どうして分かってくれないんだよ……!」
「やれやれ。我がメドフォードのおてんば姫には、さすがのジハード殿も手を焼いておられますなぁ」
「……いや、何で若干楽しそうに言ってんのトーマ大臣。あんたのとこのじゃじゃ馬姫が暴走してるんだけど」
「今日も我が姫様は元気でよろしい。……と冗談はここまでにして、姫様は暴走すると突っ走る傾向があります」
「自分がこの国にとってどれほど大切な存在か分かっていないんだよな」
「はい。ですので、まだまだ周囲がフォローをしてやらねばなりませぬ。ジハード殿、頼りにしていますぞ!」
これじゃあ本当に子供のおもりだ、とジハードは落胆したようにぐしゃぐしゃと己の白い髪を掻きむしる。
それから何かに気付いたように手を止め、ゆっくりとトーマ大臣を振り返った。
「まずい。今までの傾向からすると、ティエルは黙って城を抜け出してゴールドマインに行くかもしれない……」
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