Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜

第5話 Mysterious Forest -1-




「もう、ジハードもトーマ大臣もわたしのことを完全に子供扱いして! わたしだって調査くらいできるもん」


ベムジンの使者が立ち去った後、ジハードと口論の末に怒りのあまり謁見の間から飛び出してしまったティエル。
自分が子供じゃないと思い込んでいるティエルの認識と、幼い子供としか見ていないジハードとの認識の違いだ。
確かに経験も知識も豊富な彼と比べれば、まだまだ頼りない存在に思われても仕方がないのかもしれない。

それでも少しは大人として認めてくれてもいいのではないか。たまには頼りにしてくれてもいいのではないか。
メドフォード王家の立場として、危険なことには首を突っ込まないでほしいという彼らの言いたいことは分かる。
だがもしも、ティエルが百戦錬磨の勇ましい王であったならば。もしも高名な魔女であるミランダであったなら、
果たしてジハードやトーマ大臣は行くなと止めただろうか。

若かりし頃のミランダは、国外にも目を向けて様々な武勇伝を残していると聞いた。祖母のようになりたいのだ。
そのためには様々な経験を重ねていかなくてはならない。たとえ一人でもゴールドマインに行こう。
ゴールドマインの調査を終えて、無事にサキョウを連れ帰ってきたならば、ジハード達は認めてくれるだろうか。


周囲がすっかり夜の色に包まれた頃、ティエルはそんなことを考えながら広い中庭に面した廊下を歩いていた。
ジハードが予想していたとおり、やはり彼女は一人でゴールドマインへ旅立つことを決心していたのである。
きっとサキョウは無事に決まっている。行きは一人だとしても、帰りはサキョウ達と帰ってくるつもりであった。

何かあったとしても、なんとかなるだろう。
そんな彼女の能天気すぎる考え方がジハードの危惧するところなのだ。やはり少々世間を甘く見ている所がある。
明るく前向きな考えは決して悪くはないのだが……物事は常に最悪のケースも考えておかねばならないのだ。


「わたしはもう、昔と違って戦えるんだ。強くなったんだよ。一人じゃ何もできない姫なんかじゃないんだよ?」

次第に歩みが遅くなり、やがて立ち止まる。ゆっくりと広げた手のひらは、少女にしては硬く、少々痛んでいた。
今まで多くの者達に守られてきた。助けられてきた。だから、今度は自分が守り助ける番なのではないか。
確かにゴールドマインへはジハードが言っていたように、彼を含めた調査隊が向かった方が賢い判断なのだろう。

だが彼女はどうしてもサキョウの無事な姿をこの目で確かめたかった。大人しく留守番なんてできるはずがない。

そんなことを考えながら再び廊下を歩き始めると、ふと中庭のガゼボが視界に入る。こんな時間に人影があった。
ベンチに腰掛けながらぼんやりとした表情で夜空を見上げているサイヤーである。
彼には剣の試合に無理矢理付き合ってもらった。もしかしたらミルディン騎士団長に叱られてはいないだろうか。


「……サイヤー、こんばんわ。何してるの?」
「おや。これはこれはティエル姫様ではありませんか。こんな時間にお一人で出歩かれては危のうございますよ」
「占拠されていた頃じゃあるまいし、メドフォード城内に危険な場所なんてないもん」
「ははは、それもそうですねぇ。どうもまだ平和を実感していなくて」

ティエルが歩み寄って行くと、サイヤーはベンチから立ち上がって片膝を突きながら深々と首を垂れる。

「今夜は星がとても美しく輝き、思わず見とれていたところでございます。モテる男はロマンチストなのですよ」
「ふーん。自分でモテる男とか言っちゃうんだ。星に見とれるなんて、なんだかサイヤーらしくないなー」
「これでもなかなか繊細な男なのですよ。……まぁ、一番美しい星ですら姫様の笑顔には敵わないですけどねぇ」


歯の浮くような台詞をすらすらと口にしているサイヤーを一瞥し、ティエルはベンチに腰掛けて夜空を見上げる。
確かに満天の星空だ。ロマンチストでなくとも暫し目を奪われた。

「昼間はごめんね、サイヤー。ミルディン騎士団長に試合のことを怒られたりしなかった?」
「いえいえ。オレも久々に姫様と試合ができて楽しかったですし。昔はほら、あいつも交えて試合しましたよね」
「……うん」
「ガリオンのやつ、姫様をほったらかしにして一体どこに行ったのやら。帰ってきたら一発殴ってやりましょう」


サイヤーは親友の生存を信じている。あんな絶望的な状況だったのに。今でも尚、ガリオンの帰りを待っている。
確かにガリオンは生きていた。国も、家族も、親友も全て捨て去り、ゾルディス王国の考えに心酔している。
ゾルディスの考えとはリアンの考えであり、即ち全ての元凶ともいえるアスモデウスという人物の考えであった。

全ての者達が幸せに暮らせる王国を作るために、周囲を従わせるだけの絶対的な軍事力を手に入れる。
理想の王国を実現するためには、少々の犠牲はつきものだとガリオンは言った。
あの忘れられぬメドフォードの惨劇を、『少々の犠牲』という簡単な言葉でガリオンは片付けてしまったのだ。

だからこそ、サイヤーに言うわけにはいかない。ガリオンが変わってしまったことを彼に知られたくはなかった。


「あいつの部屋、あの日からそのままの状態なんですよ」
「え?」
「ほら、今は副騎士団長不在の状態が続いているんで、使うやつなんていないから。部屋はそのまんまなんです」
「騎士団長のミルディンも、トーマ大臣も副騎士団長に相応しいのはサイヤーしかいないって言ってるよ」

「ははは。冗談はよしてください、姫様。オレは責任ある立場はどうも苦手で。自由にやっていきたいんですよ」
「実力だけならメドフォード屈指なのにねー。勿体ない」
「まぁそれとは別に、誰かが副騎士団長になっちまったら……二度とあいつが帰ってこなくなるような気がして」


先程までの軽い調子とは違い、酷く寂しげな響きを含んだサイヤーの声に、ティエルは思わず顔を上げる。
力なく項垂れているサイヤーの瞳が潤んでいたのは気のせいだろうか。
そんな様子の彼を前にして、ティエルはガリオンの生存を伝えるべきだろうかとほんの一瞬だけ躊躇してしまう。

「……ねえ、サイヤー。もしもね、もしもガリオンがこの国を捨てて別の国で生きていたら……どうする?」
「あいつがメドフォードを捨てて別の国でですか。いやー、ありえないですねぇ。うん、ありえない」
「だからもしもの話だってば!」
「オレとガリオン、これでも二十年以上の付き合いなんですよ。あいつの考えくらいは大体分かりますって」
「……」

「もしも、そんなことがあれば……正気に戻るまで殴り続けてやりますよ。正気に戻るまで、ずっと。ずっとね」


言えない。やはり、言えるはずなんてなかった。
それと同時に、これほど信じ続けていてくれる親友や国を捨ててしまったガリオンに、初めて憤りを感じたのだ。

「わたし、そろそろ部屋に戻るね。今日は色々とありがとう。サイヤーもあまり夜更かししちゃ駄目だよ」
「お休みなさいませ、姫様。夜更かしは美容の大敵ですからね。……そうだ、ジハードと喧嘩でもしましたか?」
「えっ。どうして分かるの」
「午後からずっと機嫌が悪かったそうですよ。あいつの機嫌を左右させられるのは、姫様くらいですからねぇ」

増々顔を合わせにくくなってしまった。ジハードは普段にこやかな分、怒ると怖い。静かに怒り続けるのだ。
いっそのこと激しく怒ってくれた方が分かりやすいのだが、穏やかな表情で怒り続ける様は正直やりにくかった。
深々と一礼をするサイヤーに軽く手を振ったティエルは、彼に背を向けると慌てて自室へと向かっていった。







自室へと戻ったティエルはしっかりと鍵をかけ、夕食も取らずに早速ゴールドマインへ向かう旅支度を始めた。
衣装箱を何個も引っ張り出しながら、必要なものだけを選んでいく。今回の旅は長くはない。一ヶ月ほどだろう。
前回の旅の最中に散々お世話になった肩掛け鞄を取り出すと、一年前の思い出が次々と彼女の胸を過っていく。

ティエルにとって、これ以上にないほど大切な思い出だった。
辛いことも悲しいことも多かったが、それ以上に幸せなことも多かった。大切なことを沢山学んだ日々であった。
サキョウを無事に連れ帰ってきて、ジハードを驚かせてやろう。彼に頼ってもらえるような存在になりたかった。

支度が完了すると、部屋を抜け出すために昔から使用していた梯子付きロープを慣れた手付きで窓枠にかける。
何度かロープを引いてしっかりと固定されていることを確認すると、イデアを背に括り付けて梯子を下り始めた。
ティエルの部屋は五階であり、窓の下は裏庭が広がっている。この時間帯ならば誰にも見つからないだろう。


とん、と軽やかに芝生の地面に足を付けると、明かりが漏れる自室を軽く見上げてみる。
ジハードとは昼食の後から一度も顔を合わせていない。彼と仲直りできる絶好の機会である夕食も取らなかった。
三食だけは必ず一緒に取ろうと言い始めたのはティエルだ。それなのに意地を張って自ら約束を破ってしまった。

本音を言うと、ジハードと二人で行きたかった。だがあんな癇癪を起こしてしまった後に今更合わせる顔がない。

見張りの兵士の巡回に気付かれぬように暗闇に紛れ、城壁へ進んでいくと微かに色の違う壁が一か所だけあった。
その部分をそっと手で押してみると、小柄な人物が通り抜けられるような範囲で壁が外れたのだ。
ティエルだけが知っている秘密の抜け道だった。昔はゴドーの目を盗んでよく城下町へと遊びに出掛けたものだ。


高い城壁の外は深い森が一面に広がっている。メドフォードの北に位置する、光ゴケの森と呼ばれる森であった。
光ゴケとは夜にのみ淡い紫や青色に発光するコケであり、月明りすら届かぬ森では大変重宝される。
この光ゴケの森では青緑色に発光する光ゴケの生息地であり、森は全体的にぼんやりと青緑の光を発していた。

城壁の周囲の光ゴケはまだ疎らな状態であるが、森の奥へ進んでいくにつれてその数は増していくという話だ。
淡い青緑の光があちこちの木々で儚げに輝いており、同じく青緑の光を発する虫も所々浮かんでいるようである。
とても幻想的な光景に、ティエルは思わず瞳を輝かせた。

ゴールドマインに向かうためには、この光ゴケの森を抜けるのが一番の近道だった。
マンティコラの森とは違って凶暴な魔物の噂も聞いたことがない。そのためティエルは安心して森を進んでいく。


一つ一つの光ゴケの明かりは小さなものであったが、段々と数が増えてくると暗い森の中もはっきりと見渡せる。
獣道は真っ直ぐ奥まで続いている。所々ぬかるんだ地面には足跡もなく、久しく人が通った形跡は見当たらない。
メドフォードへ向かう者達は、殆ど東のマンティコラの森や西のフラワーガーデンの森を抜けてやってくるのだ。

幻想的な森の景色に目を奪われながら意気揚々と進んでいたティエルだったが、段々と歩みが鈍くなっていく。
思えば一人で旅をした経験などなかった。
旅の初日からマンティコラの森でリアンと出会い、彼女に助けられながらベムジンへ辿り着いたことを思い出す。


先程まではサキョウの無事を確かめることだけで頭がいっぱいだった。一人旅の心細さなんて考えもしなかった。
だが今更引き返すわけにはいかない。心細くとも前に進んでいかなくては。
一人旅が怖いから戻ってきてしまったなどと知れたら、今度こそジハードはティエルに対して呆れ果てるだろう。

そんなことを考えながら歩いていると、途端に今日の疲れがどっと押し寄せてきた。
当然だ。今日は朝から授業を受け、サイヤーとの試合にベムジンの使者からの衝撃的な報せ。ジハードとの口論。
その後はずっとつまらぬ意地を張り続け、ジハードと顔を合わそうとしなかった。これではただの子供の癇癪だ。


「わたし……ジハードの言うとおり、本当に感情で突っ走る子供だなぁ。ジハード、許してくれるかなぁ……」
「そう思っているんなら、これからはもっと考えて行動してくれよ」
「え!?」

心身ともに疲れ切ってしまったティエルの耳に、聞き慣れた声が響く。
とうとう幻聴まで聞こえてしまったのかと、驚いて顔を上げた彼女の前には光ゴケの付着した大きな岩があった。
その上で退屈そうに腰掛けていたのは……城にいるはずのジハードであったのだ。

「遅かったね。実に待ちくたびれたよ。……このままティエルが来なかったら、どうしようかと思った」





+ Back or Next +