Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜
第6話 Mysterious Forest -2-
白い髪と華やかな刺繍の青い衣装。目の前の岩に腰掛けているのは間違いなくジハードである。
だがメドフォード城にいるはずの彼が何故光ゴケの森にいるのだろうか。いくら考えても答えは分からなかった。
そもそも今夜ゴールドマインへ向けて旅立つことなどジハードには勿論のこと、誰にも言っていなかったはずだ。
彼の姿を目にして笑顔を浮かべかけたティエルであったが、昼食時のやり取りを思い出して怪訝な顔付きになる。
ジハードはティエルがゴールドマインに向かうことを強く反対していた。恐らく彼女を連れ戻しに来たのだろう。
先程までは己の行動を深く反省していたティエルだが、あっさりと連れ戻されるのも情けない話であった。
「ジハード……」
「うん?」
「どうしてここにいるの……!? だってジハードはわたしのこと怒ってて、城に残っていたはずだったんじゃ」
「せっかく来たのに、どうしているのとは酷い言い草だな。言っておくけど別に怒っていたわけではないよ」
「嘘だよ! だって顔すっごく怖かったもん」
「怒っていたというより、どちらかというと呆れてたんだ。相変わらず後先考えずに行動する子供だなぁってね」
「……ち、ちょうど反省していたところだよ」
駆け寄ってきたティエルに向けて、ジハードは溜息と共に口を開く。
ティエルにとっては耳が痛い言葉ばかりだったが、彼が言っている台詞はこの上ない正論である。反論できない。
それでもジハードの姿を一目見た途端に、先程まで感じていた心細さなど遥か彼方に吹っ飛んでしまっていた。
たとえ連れ戻しに来たのだとしても、厳しいことを言いながらもこうして世話を焼いてくれる彼が大好きなのだ。
「あなたは思い立ったら即行動するからな。出発は今日しかないなと思って、こうして先回りをしていたんだよ」
「やっぱり、わたしを連れ戻しに来たんだ……」
「勿論最初はそのつもりだったんだけど、あなたはもっと世間のことを沢山知った方がいいかなと思ってさ」
「え?」
「大臣達と相談して、今回は特別に旅を認めようって。……ただし、ぼくが同行することを条件としてだけどね」
意外なジハードの返答に、ティエルは口をぽかんと開けたまま彼を見つめていた。
まさか旅を認めてくれるとは思わなかった。しかもジハードが同行してくれる。これ以上にない頼もしさだった。
大臣達を説得するのは苦労したよ、と微笑んだ彼の顔を真っ直ぐに見ていられなくなってしまったティエルは、
唇を噛み締めて俯いた。己が如何に無鉄砲で、周囲の迷惑を省みない行動ばかりしていると改めて思い知った。
ティエルの知らないところで彼女のフォローをしてくれているジハードに、申し訳なさで思わず涙が溢れてくる。
「それに夕食すら取らないで旅に出るなんて。三食だけは必ず一緒に取ろうと言い始めたのはティエルだろう?」
「……ごめんなさい」
「ティエルのことだから、恐らく拗ねて意地張っていたんだろうなとは思ったけど。やっぱりまだまだ子供だな」
「どうせわたしは子供だもん。でもジハードだってジョンやリック達と見た目の年齢は同じくらいじゃない」
二十三歳になるジョンやリック達は、確かに『悪ガキ』という印象がまだまだ強い。
そしてジハードも彼らと同じく二十三歳だ。初めて出会った二年ほど前から変わらず二十三歳と言い続けている。
彼は魔本リグ・ヴェーダと契約した時から、副作用で加齢速度が非常に緩やかになってしまったと言っていた。
もしかしたら、実年齢はとんでもないことになっているのかもしれないが……。あの知識量ではあり得る話だ。
「うん? 見た目の年齢とは引っかかる言い方だなー」
「ジハードはジョン達のこと割と子供扱いしてるしさぁ。本当はすっごいおじさんなんじゃないの!?」
「実年齢は一応まだ二十代だったと思うよ。まぁ、どちらにしろぼくにとってティエルはお子ちゃまなんだけど」
「お子ちゃまじゃなーい!」
「ああ、そうそう忘れてた。腹が減っては何とやら、っていうだろ? だから、はい。これ」
「えっ?」
唐突にジハードから押し付けられた布の包み。手にしてみると、何が入っているのかどっしりとした重さである。
開けてみろという彼の言葉に、ティエルは恐る恐る包みを開いてみた。
中に入っていたのは、器用にも全て同じ大きさに形が揃えられた簡素な握り飯がどかどかと並んでいたのだ。
「おにぎりだ……もしかしてジハードが作ってくれたの?」
「ティエルが来なかった夕食の後、厨房をちょろっと借りてね。何だかんだで握り飯は塩味が一番だと思うんだ」
「懐かしいな、旅の最中はよく作ってくれてたよね。わたし、ジハードの作るおにぎりが一番好きなんだ!」
「握り飯なんて誰が作っても同じ味になるんじゃ……と言いたいところだけど、そう言ってもらえると嬉しいよ」
元々はサキョウの出身国であるエルキドの料理である。彼のリクエストを受けて作ったのが最初のきっかけだ。
旅の最中はジハードの作った握り飯やサンドイッチが昼食の定番であった。
確かに握り飯やサンドイッチはそれほど難度の高い料理ではなく、誰が作っても然程味に違いはないのだろう。
それでもティエルはジハードの作る料理が大好きであった。名高い城のコックよりも美味しいと思っている。
「……昼食の時はごめんなさい」
「うん」
「意地悪とか、分からず屋とか言っちゃって。ジハードの言葉は、全部わたしのために言ってくれているのに」
「それを分かっているなら、もういいよ」
旅の最中も、そして旅が終わってからも。ジハードには散々迷惑をかけ続けてきたと思う。
まさにティエルのおもり役であった。それでも彼が側にいてくれることを、当たり前だと思ってはいけないのだ。
彼は厳しい。けれど、それと同じくらいに優しい。その優しさゆえに、彼女を放っておけないのかもしれない。
思わず溢れ出しそうになってしまった涙をぐっと堪え、ティエルは大きな握り飯を口に運ぶ。やはり美味しい。
味付けはただの塩味だけの簡素な握り飯だったが、絶妙な塩加減だ。
当のジハードはティエルがそんなことを考えているとは露知らず、周囲をぼんやりと照らす光ゴケを眺めていた。
「青緑色の光ゴケが綺麗だな。……バアトリの館があったロクサーヌの森の光ゴケとは、少し種類が違うのかな」
「種類って?」
「あっちのは淡い紫や群青色に発光していただろう? この森の光ゴケは、全体的に優しい青緑色をしているね」
森の中でぼんやりと光を発する淡い緑色は、ジハードの癒しの魔法の光によく似ていた。
眺めているとどこか安心するような、優しく包み込んでくれるような、そんな優しい色だとティエルは感じた。
「ねえ」
「うん?」
「ジハードは……実家が恋しくなったりしないの? 故郷に帰るという選択肢はないって前に言ってたじゃない」
「ああ、言っていたね」
「でもジハードが故郷に帰っちゃうのはすごく寂しいから、わたしお兄さん達に挨拶に行こうって思ってるの」
「ぼくの兄さん達に?」
「大切な弟さんを長い間お預かりしていてすみませんって。これからも末永くお預かりさせていただきますって」
「えぇー、兄さん達に挨拶って……」
一体何を言っているんだと呆れた表情を浮かべたジハードだったが、ティエルの顔付きは真剣そのものである。
本気で彼女はジハードの故郷へ挨拶に行こうと考えているのだ。そして家族が彼を心配していると思っている。
『故郷に帰る選択肢はない』という彼の言葉から、家族と確執があるという事情を察せないのがティエルなのだ。
「いや、挨拶なんてしなくていいからさ……向こうはぼくのことなんて、既に死んだと思っているだろうし」
「なんで!?」
「長兄はともかく、次兄とは昔から折り合いが悪くてさ。まぁ歩み寄ろうと努力はしたけど、全部無駄だったな」
「……血の繋がった家族なのに、諦めちゃうの?」
「もし吹っ切ることができたらそのうち話すよ。今のぼくにとって、家族と呼べる存在はティエル達だけだから」
実にあっけらかんとしたジハードの告白に、ティエルの表情が思わず曇った。
彼はいつも笑っていて、家族と折り合いが悪いなどと一言も口には出したことがなかった。だから忘れていた。
焔の魔女との戦いに勝利しゾルディスから脱出するときに、アリエスが思わずティエルに零してしまった言葉を。
『ジハードくんのこともよろしくな。あの兄ちゃん、意外と寂しがりだから。家族に思いっきり裏切られてるし』
ジハードが寂しがりだというのは割と思い当たる節がある。
他人には損得を踏まえた淡白な感情を持っているくせに、一度心を許した相手に対してはとことん親身になる。
家族と折り合いが悪いなどと言っているが、本当はティエルの知らないところで悩み続けているのかもしれない。
「ねぇ、わたしに……何かできることはないかな。お兄さん達と仲直りできるように、何だって協力するからね」
「ははは。ティエルの力にはあまり期待はしていないけど、もしもその時が来たら宜しく頼むよ」
「期待はしていないって、なにそれ!? ひどいよ、もっとわたしを頼ってくれてもいいじゃないのーっ!」
「ごめんごめん、頼りにしてるって」
頬を膨らませながら叩いてくるティエルを宥めるために頭を撫でてやっていたジハードだが、ふと眉を顰めた。
厳しく細められたスカイブルーの瞳は彼女の背後に向けられている。
「どうしたの?」
「……静かに。背後から気配を感じるんだ。魔物か……それとも人間の気配なのかは分からないけど」
先程までの和やかな雰囲気は消え失せ、二人は一瞬で戦士の顔になる。
ティエルは背負っているイデアの柄に手を掛けており、ジハードは既に強力な極陣魔法の詠唱を完成させていた。
用心深く無言で頷き合うと、勢いよく背後を振り返る。戦いは、まず先手を取った方が有利になるのだ。
「誰だ!!」
「ひ、ひえぇぇ!?」
ティエルの発した声に驚いたのか、背後の茂みから慌てたように飛び出してきたのは……大変小柄な老人である。
背丈などティエルの腰ほどしかないようだ。全身が浅黒く大きな耳に大きな鼻、そして大きな口が特徴の老人だ。
明らかに人間ではない。この光ゴケの森に住む妖精の類なのだろうか。
敵か味方か。未だ警戒を解くことのないティエル達に向かって、老人は特に悪びれた様子もなく笑い声を発した。
「血気盛んな若者達じゃのう……年寄り相手にそんな怖い顔をするでない。老人は労わってやらねばならんぞ」
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