Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜
第7話 Mysterious Forest -3-
ティエルとジハードの前に突如現れた老人は、明らかに人間ではない。
浅黒い肌に羽のように大きく広がった耳。そして大きな鼻。背丈はティエルの腰ほどしかない小柄な老人である。
警戒を緩めずに武器を構えるティエル達の前まで歩み寄ってきた老人は、彼らとは裏腹に警戒心の欠片もない。
無遠慮に老人を暫くしげしげと眺めていたジハードであったが、やがて何かを思い出したかのように手を打った。
「……じいさん、もしかしてあなたはコボルト族かい?」
「うむ。その通りじゃよ、白髪の坊や。ワシは決して怪しい者ではない。ただの善良なコボルト族の老人じゃ」
「その善良なコボルト族のじいさんが一体何の用だい。本来コボルト族は人に姿を見られるのを好まないと聞く」
「それは偏見というものじゃよ。人間に色々な者がいるように、ワシらコボルトにも色々な者がいるのじゃ」
「ふぅん。そうかい、それはすまなかったね」
「分かればよいのじゃ」
さすがジハードは切り替えが早い上に博識である。コボルト族だと名乗る老人と会話が見事に続いている。
しかし勉強不足のティエルは『コボルト』という種族を耳にしたことがなかったため、首を捻るだけであったが。
それでも、このコボルトの老人がこちらに敵意を持っていないことだけはティエルにも理解できる。
足首まで伸ばされた灰色のヒゲを撫で付けながら、老人はさも愉快そうに笑っていた。
それにしても立派な鼻である。皺くちゃな顔の中心で、これでもかというほど己の存在を主張しているようだ。
漸くジハードも警戒を解き、リグ・ヴェーダのページを指で弄んでいる。これは退屈している時の彼の癖なのだ。
「……で?」
「うむ?」
「ぼくらに用があるんだろ、じいさん。言っておくけど、こちらも暇じゃないんでね。長話は勘弁しておくれよ」
「おお……怖い怖い。見た目の割には、なかなか辛辣な坊やじゃのう」
「ジハードったら、相手は善良な老人なんだからさ。もっと優しくしなくちゃ。……ごめんね、おじいちゃん」
「このじいさんの話を聞くことで、ぼくらに得があるとは思えないしなぁ。面倒事はごめんだぜ?」
「うわ、また損得勘定で考えてる! そんなことばかりいちいち考えていたら、誰とも話せなくなっちゃうよ?」
完全に老人の話を聞く気がないジハード。
出会った頃に比べれば多少ましにはなったが、彼は心を許した相手以外に対しては損得勘定で物事を考えるのだ。
それは彼の幼い頃からの環境が大いに影響しているため、仕方がないことなのかもしれないが。やはり悲しい。
コボルト族の老人はそれでもめげずに、ティエル達に向けてちらちらとわざとらしい視線を投げかけている。
「あぁー、困ったのう。とても困った。どこかにワシの手助けをしてくれるような、優しい者はおらんかのう?」
「おじいちゃん何か困ってるの? わたしにできることがあれば協力するよ」
「ティエル、あなたは黙ってて。内容も聞かずに安請け合いするもんじゃない。ぼくらは先を急いでいるんだぜ」
「それはそうだけどさ、このままおじいちゃんをほっとくこともできないじゃない」
「もしもワシを助けてくれれば、光ゴケの森の近道を教えてやるのにのう。
抜けるのに三日はかかるであろうこの森は、コボルトの集落を通れば僅か一日とちょっとで抜けられるんじゃ」
「ふぅん」
「ほれ、白髪の坊や。先を急いでいるんじゃろ? 近道の情報を知りたくはないのかのう」
「まったく、強引なじいさんだな……。とりあえず話だけは聞くけど、力を貸すかどうかは内容によるからね」
細い瞳を涙ぐませながらこちらを見つめてくる老人に、さすがのジハードも根負けしてしまったようだ。
その瞬間老人は満面の笑顔を浮かべる。やはり先程までの涙は嘘泣きだったのか。なかなか演技派の老人である。
余程嬉しかったのだろう。ありがとう引き受けてくれるのか! とティエルとジハードの手を何度も握りしめる。
「そうかそうか、喜んで引き受けてくれるか! いやぁ、世の中まだまだ捨てたものではないのう」
「だから内容にもよるって言ってるだろ」
「わたし達、さっきから話の内容全然聞いてないんだけど。おじいちゃん、一体何があったの?」
「おお、そうじゃった。最近物忘れが激しくていかんのう……」
身体中の肉を震わせながら豪快な笑い声を発していた老人だが、やがて打って変わって神妙な表情を浮かべる。
辺りは薄い青緑をした発光虫がふわふわと漂っており、その幻想的な光景は光ゴケの森という名に相応しい。
「実は……昼頃から遊びに出掛けたワシの孫が、この時間になっても帰ってこないのじゃ」
「お孫さんが?」
「うむ。最近は森の奥に恐ろしい魔物であるマタンゴが住み着いておってな、もしも襲われでもしていたら……」
「マタンゴか。悪戯好きではあるけど、それほど恐ろしい魔物ではなかった気がするけどな。きっと大丈夫だよ」
「何言ってるの、ジハード! お孫さんが帰ってきていないんだよ!?」
「えっ、だから恐ろしい魔物じゃないって言ってるだろ」
「それはどうでもいいの! 襲われてなくても、どこかで怪我をして動けなかったりするかもしれないんだよ?」
「いや、まぁ……そうだけど」
「おじいちゃん、わたし達もお孫さんを探すの協力するからね!」
「げ、また勝手に」
既にティエルはジハードの制止など耳に入ってはいなかった。
完全に項垂れてしまったコボルトの老人の手をしっかりと握りしめ、励ますように力強い言葉を投げかけている。
コボルトの集落周辺は村人が捜索中らしいのだが、森の奥……つまりマタンゴの住処周辺は誰も近寄れないのだ。
今回ティエル達に頼みたい内容というのは、共にマタンゴの住処までついてきてほしいというものであった。
万が一戦闘になったとしても、マタンゴは戦闘能力が大して高くないから心配はないとジハードは言っていたが。
それよりも何よりも、まずはジハードに確認しなければならないことが一つあった。
「……どうかしたのかい、ティエル。何かぼくに聞きたそうな顔してるけど」
「すっごく大切なことなんだけどね」
「うん」
「マタンゴって何?」
「あなたはマタンゴが何かも知らないってのに、話をうんうんと頷きながら聞いていたのかい」
「話の邪魔をしちゃ悪いかなって。切りのいいところで聞こうと思ってたの」
「やっぱりティエルは剣術よりも一般常識を身に付けた方がいいよ。マタンゴなんてスライム並の有名度だぜ?」
完全に呆れた表情を浮かべているジハード。
この分ではマタンゴの説明の前に、長々としたお説教タイムが始まってしまう。それはできれば避けたかった。
そんな二人の雰囲気を察したコボルトの老人は、ティエルに助け舟を出すかのようにやれやれと口を開いた。
「マタンゴとは、巨大なキノコに短い手足が生えた魔物なのじゃ」
「ふーん、巨大なキノコ人間みたいな感じなのかなぁ」
「そんなものじゃな。他人を困らせることが何よりも大好きな悪戯好きで、うちの畑も奴に荒らされてしまった」
「畑を荒らされるのは困るよね。そんなに悪戯好きの魔物なら、お孫さんが心配になる気持ちも分かるかも。
大丈夫だよ。もしマタンゴに捕まっていたら、その時はわたしが魔物をぶっ飛ばして助けてあげるんだから!」
「ありがとうよ、お嬢ちゃん……」
コボルトの老人の両肩にそっと手を触れたティエルは、頼もしい笑顔を浮かべて見せる。
そんな彼女の一点の曇りもない明るい笑顔に救われたのか、老人は目尻に浮かべた涙を拭って微笑んだのだった。
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「ねえ、ジハード。キノコの魔物なんだよね。マタンゴって」
「うん?」
「いやだから、巨大なキノコに手足が生えたような魔物なんだよね」
「一説では、マタンゴとはキノコ嫌いの子供達に捨てられたキノコの怨念が魔物となったとされているけどね」
行方不明のコボルトの老人の孫を探しながら、光ゴケの森を奥へ奥へと進んでいくティエル達。
つい先程まで張り切って先頭を進んでいたティエルであったが、実に不安そうな表情を浮かべながら振り返った。
彼らが現在進んでいる獣道はこのまま真っ直ぐ進んでいくと、やがてはマタンゴの住処へと辿り着くのだという。
時刻はすっかり深夜のはずだったが、森中を仄かに照らす光ゴケの明かりが彼らを森の奥へと誘っているようだ。
「わたし、実を言うとキノコが苦手だったりするの」
「知ってるよ。いつもぼくの皿にこっそりと自分のキノコを除けているだろ」
「……うわ、やっぱり気付いていたんだ。もしかして、わたしもマタンゴを生み出した原因になっていたのかな」
「どうだろうね。どちらにしろ、好き嫌いは克服した方がいいんじゃないかな。他国の会食で出たら困るだろ?」
「そういうジハードだって貝類が苦手じゃない。克服する気はないの?」
「ぼくは一般市民だからいいんだよ、会食なんて行かないし。好き嫌いの所為で戦争なんてこともあるかもよ」
「えぇーっ? それはいくら何でもないんじゃない!?」
「ワシの孫のポムも野菜をよく残すんじゃ。好き嫌いをなくさぬと強い男にはなれんと言っているんじゃが……」
「わたしは野菜は大好きだよ。一番好きなのは真っ赤に熟れたトマトかなー」
他愛のない会話を続けながら、マタンゴの住処までの道のりを子供の姿を求めてゆっくりと進んでいく。
だいぶ奥まで進んだのだろうか。光ゴケの付着する大木の上部に、殆ど木と同化している家がちらほらと見えた。
コボルト族の集落である。光ゴケの森を抜ける旅人達は多いが、こんな場所まで入り込む者はいないのだという。
ティエルは初めて目にする幻想的な集落の姿に興奮を隠しきれていないようだ。
「こんな綺麗な森で暮らしていたら、毎日とっても楽しそう! 隠れ家みたいでどきどきしちゃうね」
「長年暮らしているとすっかり慣れてしまうものじゃよ。完全に自給自足の暮らしは、なかなか大変なのじゃ」
「そっかぁ」
集落には足を踏み入れずに、彼らはそのまま森の奥へと進んでいく。マタンゴの住処は更に奥にあるというのだ。
とても長い時間を歩き続けているような感覚と同時に、あまり時間の経過を感じさせない感覚もあった。
この幻想的な森の雰囲気が時間の感覚を狂わせているのだろう。ティエルもジハードも疲れは一切感じていない。
やがて、大木を中心として広場のようになっている場所へと辿り着いた。
大木の根元には大きな空洞があり、老人の緊張した表情から察するに、恐らくここがマタンゴの住処なのだろう。
「これだけ探し続けてもポムの姿が見えんとは……やはりマタンゴの住処に連れ去られてしまったのじゃ……」
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