Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜

第8話 Mysterious Forest -4-




とうとうマタンゴの住処まで辿り着いてしまったティエル達。
不気味な静寂。周囲は奇妙なほど静まり返っており、時折小さく鳴く虫達の声が聞こえてくるだけであった。
本当にコボルトの老人の孫はマタンゴに連れ去られてしまったのだろうか。確認しようにも方法が見つからない。


「……で。マタンゴの住処とやらに辿り着いたのはいいんだけど、これからどうするつもりなんだい。じいさん」

大あくびをしつつ、眠気を堪えているような表情でジハードが口を開く。
もしかしたら時刻は既に深夜なのかもしれない。普段から早寝の習慣がある彼は、そろそろ限界が近付いていた。
睡眠時間は十時間プラス昼寝三時間がジハードの基本なのだ。そして……恐らく彼は、今日は昼寝をしていない。

昼食の後にベムジンからの使者の話を聞き、その後はティエルが旅に出られるように計らってくれ、現在に至る。
思い立ったら即行動してしまうティエルの先回りをするために、昼寝をする時間などなかったのだろう。
一度眠ったジハードはなかなか起きない。旅の最中彼を起こすためにどれほど苦労したか。しかも寝起きが悪い。


「できれば穏便に、手っ取り早く済ませたいんだけど。眠くなってきたから、極陣の手元が狂うかもしれないし」
「あーっ、コボルトのおじいちゃん大変だよ! ジハードの目が眠気で段々と虚ろになってきてる!?」
「しかも恐ろしいことを口にしておるのう」

「お願いだから、寝るのはもう少しだけ我慢してよ。お孫さんが見つかったら好きなだけ寝ててもいいからさ!」
「そうじゃ。今夜はワシの家に泊まるといい。野宿をするよりも、柔らかな寝床でぐっすりと眠りたいじゃろ?」
「……うーん、そうだな……」

完全にうつらうつらとしているようだ。マタンゴの住処を前にしていながら、緊張も何もあったものではない。
今にも眠り込んでしまいそうなジハードの肩をティエルは揺さぶり続け、老人は必死に大声で語りかけている。
その時。彼らの声よりも更に大きな声が周囲に響き渡った。


「さっきからぎゃあぎゃあとうるせーよ、お前ら! こんな静かな森で、馬鹿みてーに騒いでるんじゃねぇよ!」
「!」
「しかも何故かオレんちの前で騒いでいるし、怖い魔物が襲ってきたかと思ったじゃんか。驚かすんじゃねぇよ」
「……」

目を丸くしたティエル達が勢いよく振り返ると、そこには子供の背丈はあるだろう大きなキノコが生えていた。
いや、生えているのではなさそうだ。身体の割には小さな手足があり、ちゃんと地面に足を付けて立っている。
くすんだ朱色の笠に、薄い黄色の斑点模様。そして笠の下には確かに顔があった。豆粒のような目に大きな口。

この者がまさしくマタンゴだろう。想像どおり『キノコ人間』といった形容がしっくりくるような容姿であった。


「う……うるさくしてごめんなさい」
「おのれ、とうとう姿を現しおったな凶悪なマタンゴ族め! ワシの孫を誘拐したのはお前じゃろう!?」
「あぁん?」
「知らんとは言わさんぞ。さぁ、ポムを返すのじゃ!」

マタンゴに怒られて反射的に謝るティエルの隣で、怒りの形相を浮かべたコボルトの老人が一歩前へと進み出る。
よく眺めてみると、このマタンゴはどこか子供のような顔付きをしている。まさにいたずら小僧といった表情だ。
もしかしたらまだ子供なのかもしれない。大人のマタンゴはもっと大きいはずだ、とジハードは首を傾げていた。

「ふーん。あんた、あのコボルトのガキのじいちゃんかい。確かにあいつは、今オレの家にいるぜ」
「や、やはり……お前がポムを誘拐したんじゃな!」
「残念だけど孫と会わせることはできねーな。わざわざここまで来てもらって悪いけど、とっとと帰れバーカ!」

「おお……噂に違わずなんと凶悪な魔物じゃ。どうしても返さぬというのなら、力づくでも孫を返してもらうぞ」
「じいちゃんよ、そのために後ろの助っ人を連れて来たんだろ? この人間ども、役に立つのかよ?」
「なんじゃと!?」

「そこの人間ども、もしかしてオレと戦うつもりかい? やめておいた方がいいぜ、だってオレ超強いもんねー」


大きな口から同じく大きな舌を出しながら、嘲るようにしてティエル達を挑発するマタンゴ。
役に立つのかと言われ、さすがにむっとした様子のティエルの横を通り過ぎ、前へ進み出たのはジハードである。
もしかして少しやる気を出してくれたのか。彼が本気になればマタンゴなど一撃で仕留めることができるだろう。

「おっ、やるってのかよ白髪のにいちゃん!」
「勿論勝負は受けようじゃないか。……ぼくではなくて、こっちのティエルがね。後は全部ティエルに任せるよ」
「え!?」
「さぁティエル、ここまで馬鹿にされて黙っている気かい? ぼくは後ろで応援しているから、あとはよろしく」


言うだけ言って、ジハードはさっさと背後の大きな岩に腰掛けている。完全にやる気がないようだ。
そもそも当初は一人旅の予定であった。彼の力を当てにしてはいけないのだ。一人で解決しなければならない。

ティエルを大きく成長させることもこの旅の目的の一つだろう。そのため、ジハードはあえて非協力的なのだ。
単に眠いからという理由だけで非協力的のようにも見えるが、それは気にしないでおこう。気にしてはいけない。
ジハードの意を察したティエルは、用心深くマタンゴへと歩み寄っていく。


「キノコ苦手だからできれば戦いたくないけど……お孫さん、家の中にいるんだよね?」
「ああいるぜ。でも返してやんねーよ!」
「おじいちゃんが迎えに来ているんだよ。夜も遅いし、意地悪言ってないで早くお孫さんを返してあげてよ」

「うるせーよ、お前みたいなガキに命令される筋合いはねぇし。仕方ない、すこーし怖い目に遭わせてやるか!」
「怖い目?」
「今更泣いて謝ったって遅いからな。それ、飛んで行っちゃえ胞子達!」


まさに無邪気ともいえるような表情を浮かべたマタンゴは、短い手足をばたばたとさせながら前へと進んでくる。
埃が舞い上がるかのように、マタンゴの笠から胞子が一斉に舞い上がったのだ。一見すると単なる埃である。
そんな胞子達の群れに頭から突っ込んでしまったティエルは、何が起こったのか理解できずに目を瞬いていたが。

「うわあぁぁっ、なにこれぇ!?」

なんと彼女の服や髪に付着した胞子がありえない速さで成長していき、次々とキノコを生やしていくではないか。
瞬く間にティエルの姿は全身から無数の小さなキノコを生やした、不気味な『キノコ人間』へと変化していった。


「嘘ぉ!? いやあぁぁ、すっごいキノコの臭いがする! 絶対に無理だって! ジハード何とかしてよ!!」
「キノコ嫌いを克服するいい機会じゃないか。これだけキノコに囲まれたら、好きになるかもしれないだろ?」
「むしろ、更に苦手になりそうだよ!」

ティエルの叫びも空しく、ジハードは天使の笑みを浮かべて岩に腰掛けたままだ。手助けをする気配もなかった。
この程度の困難ならば一人で簡単に乗り越えてもらわねば困る、といった態度である。確かにそのとおりだ。
だがそんなジハードや、はらはらと見守るコボルトの老人に対してもマタンゴの放った胞子が向かってきたのだ。

「ぼくは別にキノコは苦手ではないけど……あれだけのキノコ達に囲まれるのはちょっと嫌だな。重そうだし」


一つ大きなあくびをしてから、リグ・ヴェーダのページをぱらぱらと捲り始める。
虹色をした美しい本の中には様々な魔力の込められた魔術が描かれており、契約者だけが使用することができる。
とあるページで手を止めたジハードは、簡単な虹の魔法陣を描き始める。極陣魔法と呼ばれる魔術であった。

真っ直ぐにジハードへ向かって行った胞子達が、次々と虹の壁に弾き返される。極陣魔法の一つ、障壁陣である。
跳ね返された胞子は勢いよくマタンゴに降り注ぎ、胞子を放った当人ですら容赦なくキノコが寄生していった。
巨大なキノコに次々と生えていく小さな無数のキノコ達。キノコがキノコに寄生するという凄まじい光景だった。

キノコ嫌いにとっては、何よりも恐ろしい魔物の姿である。じたばたと動くマタンゴの姿にティエルは戦慄する。


「ひ、ひぃいいい……」
「ほらティエル、しっかりしてくれよ。キノコは粗方むしり取ってあげたから。残りくらいは自分で取ってくれ」
「今まで見てきたどんな魔物よりも勝てる気がしないんだけど……暫く夢に出てくるかも……」

「情けないなぁ、もう」
「キノコ克服どころか、余計に苦手になった気がするよ!」
「よし、それならキノコと思わなければ大丈夫。マタンゴではなくて、巨大なナスだと思ってみるのはどうかな」

「全然よしじゃないし! どう見たってあれはキノコの魔物です!」


ジハードの無理矢理な台詞に半ば呆れつつ、涙目になったティエルは背中からイデアを抜き放つ。
封魔石イデア。使い方を誤れば国一つ滅ぼすことすらも可能だと言われ、人々の欲望の象徴となった宝石である。
光ゴケに照らされて白銀に輝く刃は強力な魔力で保護され、如何なる状況でも決して欠けることのない刃なのだ。

一見すると少女が使用するには厳つい印象が強いイデアだが、ティエル本人は重さなどまるで感じてはいない。
封魔石が認めた主だけが扱うことのできる魔の刃。時の権力者達が奪い合い、幾人もの命が奪われたという。

城を奪還してからのティエルは確かに以前よりも剣を握る時間は減っていたが、決して修行を怠っていなかった。
毎日ではないが、できる限り時間を作って稽古を続けている。しかし師のいない現在は、上達は伸び悩んでいた。
一度サイヤーに頼んだこともあったのだが『姫様に怪我をさせるわけにはいかない』と笑顔で断られてしまった。


「おお、その剣はもしや封魔石か。最早マタンゴに勝ち目はなくなったのう……さぁ、ワシの孫を返すのじゃ!」
「……うーん。残念ながら、そうでもないみたいだぜ」
「なんじゃと!?」

巨大なキノコを前にして若干逃げ腰のティエルの姿を目にしたジハードが、実に残念そうに首を振って見せる。
一年ほど前の戦いにて勇ましくイデアを握り、ヴェリオルやゲードルを相手に戦った姫君とはまるで別人である。
今回は相手が悪かったと言えばそうなのかもしれないが、あまりの情けなさにジハードは溜息をつくしかない。

「ティエル、さっさと勝負をつけよう! マタンゴは然程手強い相手じゃない、あなたなら余裕で勝てるはずだ」
「それならキノコが平気なジハードが勝負をつけてよ! そっちの方が早く終わるんだから!」
「面倒くさ……じゃなくて、ぼくはあなたが自立できるように願っているんだ。手助けしたいのは山々だけどね」

「ジハード今、面倒くさいって言いかけたよね!?」


半分はティエルのため、後の半分は眠くて戦うのが面倒くさいからという理由だろう。
いくらキノコが苦手だと言っても、こんなところで逃げるわけにはいかない。そして前に進まなくてはならない。
サキョウのいるゴールドマインでは、比べ物にならないほどの困難が待ち受けているのかもしれないのだから。

イデアを強く握りしめ、前方のマタンゴを睨み付ける。寄生されたキノコを短い手でむしり取っているようだ。
動きも鈍く、特殊な魔法を使ってくるわけでもない。胞子を飛ばすだけだ。確かに強敵ではなさそうだが……。
一気に勝負をつけよう。覚悟を決めたティエルはイデアを構えたまま、一直線にマタンゴへと突っ込んでいった。


「やめて、おねえちゃん!」

だが。突如人影が前に飛び出し、ティエルとマタンゴの間に両手を広げて立ちはだかったのだ。
全身が浅黒く大きな耳に大きな鼻、そして大きな口。コボルトの老人とよく似た容姿をした、幼い少年であった。





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