Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第1章 光ゴケの夜

第9話 Mysterious Forest -5-




ティエルとマタンゴの間に両手を広げて立ちはだかるコボルトの少年。
唇を噛み締め、ぷるぷると小刻みに震えながら懸命に立っている姿は、まるでマタンゴを守っているかのようだ。
浅黒い肌に大きな耳に大きな鼻、そして大きな口。恐らくこの少年がコボルト老人の孫であるポムなのだろう。


「やめて、おねえちゃん! マッシュは悪くないんだ」
「えっ?」
「ボクがマッシュの家に遊びに行きたいって言ったから、連れてきてくれただけなんだよ」

「無事だったのじゃなポム! どこか怪我はしていないか!? マタンゴめ、やはり孫を誘拐しておったな!」
「違うんだおじいちゃん。ボクの話を聞いて、マッシュは全然悪くないんだよ……」

老人の言葉を遮るようにポムが声を張り上げた。
先程からどこかばつが悪そうに俯いているマタンゴに駆け寄ったポムは、彼の短い手をぎゅっと強く握りしめる。
その様子はマタンゴに誘拐された少年の姿ではなく、仲の良い友人同士のようにもティエル達には思えたのだ。


「おぉ、ポムよ……お前はその凶悪なマタンゴに誘拐されたのじゃよ。何故そんな悪党をかばうのじゃ……?」
「誘拐なんかじゃないよ、おじいちゃん。大人達に見つかると叱られるから……ずっと黙っていたんだけど」
「?」
「ボクとマタンゴのマッシュは友達なんだ。マッシュはただ、ボクと遊びたかっただけなんだよ」

思いもよらぬ孫の言葉に愕然としているコボルトの老人。そして事情が飲み込めていないティエルとジハード。
項垂れているマタンゴに寄り添っていたポムは、小さな声で口を開いた。


「大人達は何故かみんなマッシュを怖がっていたけど、マッシュは本当はいいやつなんだ。
 森で転んで怪我をしていたボクを手当てしてくれたんだよ。それからボク達は一緒に遊ぶようになったんだ!」

「いまいち事情が分からないけど、誘拐じゃなくてただ遊んでいただけだったの?」
「そうだよ、おねえちゃん」
「でも今までマタンゴは悪戯ばかりしていただよね? だから大人達は彼を凶悪な魔物と思っていたんじゃ……」


抜き放ったままのイデアを鞘に納め、できるだけ警戒させないようにティエルはゆっくりと二人に歩み寄る。

「ただ遊びたかっただけなら、わざわざ悪戯なんかしなくてもいいじゃない。どうしてそんなことをしたの?」
「そ、そうじゃそうじゃ! ワシの家の畑を荒らすこともなかろう」
「……だって!」

俯いていた顔を上げたマタンゴは、その小さな瞳から涙を溢れさせたのだ。先程までの強気な姿が嘘のようだ。
ぼろぼろと次から次へと溢れる大粒の涙が、マタンゴの足元に染みを作っていく。
やはりこのマタンゴは子供だったのだ。幼い子供ならば、先程までの幼い態度や発言も理解できなくはない。


「オレは森の嫌われ者で、一緒に遊ぼうって近付いても……みんな悲鳴を上げて逃げて行っちゃうんだ!
 オレがこんなに辛い思いをしているのに、みんな楽しそうに遊んでて、それが段々憎たらしく思えてきて……」

同じ年頃のマタンゴが周囲におらず、コボルトの子供達が楽しそうに遊んでいる姿を木陰からいつも眺めていた。
仲間に入れてもらいたくて、森の奥深くに咲いている珍しい花を手土産に話し掛けたこともあった。
だが子供達は親から『恐ろしいマタンゴ族に近付くな』と教えられており、皆悲鳴を上げて逃げ出したのだった。

一人その場でぽつんと取り残された彼は、手に持った花を乱暴に地面に叩き付けると泣きながら家に帰ったのだ。


「どうせオレは嫌われ者の悪い奴なんだし、それならお前らのお望み通り悪戯ばかりして困らせてやったんだ」
「……」
「でも、やっぱり遊んでいるみんなが羨ましくて……今更仲間に入れてほしいだなんて、どうしても言えなくて」

そんな時、このコボルトの少年ポムと出会った。
いつものように畑を荒らして悪戯をしていたマタンゴを、怖がることもなく物珍しそうな表情で眺めていたのだ。
マタンゴが睨み付けても逃げもしない。ただ一言、ポムは『おじいちゃんの畑を荒らすのは駄目だよ』と言った。
その純粋な言葉にマタンゴは改めて己が行った悪戯を心から反省し、ポムに涙を流しながら謝ったのだ。


「ねぇ、おじいちゃん。マッシュはボクと友達になりたかっただけなんだ。本当にそれだけだったんだよ」
「ポム……」
「いつかはおじいちゃんに話さなくちゃいけないって思っていたんだけど……なかなか言えなくてごめんなさい」

「そうは言うがな、マタンゴは恐ろしい魔物なのじゃ。小さなお前など簡単に殺すこともできるんじゃよ……」

そう言いかけたコボルトの老人だったが、言葉に勢いがなくなってきているようだ。
改めて思い返してみると、今までマタンゴが誰かを襲ったり傷付けたような話を聞いたことがあっただろうかと。
ただ恐ろしい巨大なキノコの魔物という先入観のために、凶暴なイメージを持っていただけではないだろうか。


「どうせオレなんて嫌われ者なんだ。気持ちの悪いでっかいキノコだって言われて、いつも怖がられるんだ!」

先程までの強気な態度はどこへやら。マタンゴの目から溢れ出る大粒の涙は止まる様子がない。洪水のようだ。
己も理不尽にキノコを嫌っていた一人なのだと気付いたティエルは、恐る恐るマタンゴに手を伸ばしていく。


「……ごめんね、何も知らないで怖がったりして。わたし、キノコ嫌いを克服できるように頑張ってみるから!」
「本当に? ……キノコ、好きになってくれるの?」
「うん。時間はとっても掛かるかもしれないけど、せめて残さないように……好きになれるように頑張るから」

そう言ってから、ティエルはにっこりと満面の笑顔を浮かべる。
だがコボルトの老人の表情は厳しいままだ。孫としっかり手を繋いでいるマタンゴを眺め、深く溜息をついた。


「ワシらの古い考え方も、変えねばならんのかもなぁ……。勿論、マタンゴ全てを受け入れるわけではないが。
 じゃが、こんな時間まで遊んでいる言い訳にはならん。これはれっきとした誘拐じゃ。罰を与えねばなるまい」

「……!」
「おじいちゃん!?」

びくっと硬直したように顔を上げるポムとマタンゴ。不安そうなティエルに、あくびを噛み殺しているジハード。
事情は理解したが、ポムを家に帰さなかったのは事実なのだ。罰を与えるとは、一体どんな内容なのだろうか。
しかし老人は言葉とは裏腹に柔らかく微笑みながら口を開く。

「罰は……そうじゃな、今度家に夕飯を食べに来てもらおうかのう。その後は好きなだけポムと遊んでもらうぞ」







こちらに向かって手を振り続けるマタンゴに別れを告げ、ティエル達はコボルトの集落へ向かっていた。
集落の周辺を捜索し続けてくれていたコボルト達に老人は深く礼を言い、先程までの簡単な経緯を説明したのだ。
事実を話したとはいえ、恐ろしい魔物と知れ渡っていたマタンゴを受け入れるためには長い時間がかかるだろう。

それでもいつかは互いに手を取り合える日が来るだろう。……お互いが歩み寄ろうと努力を続けていたならば。


一夜の宿を提供してくれるという老人の申し出を断る理由はなく、ティエル達は漸く身体を休めることができた。
コボルトの集落は大木に密着するようにして作られた家が多く、案内された部屋は飾り気のない狭い部屋である。
この部屋は老人の孫であるポムの部屋を貸してくれたのだろう。ポムは今夜、祖父の部屋で眠ると言っていた。

勿論メドフォードの自室にある大きなベッドや、ふわふわの羽毛の掛け布団などはない。
年季の入った布が敷き詰められただけの質素な寝床の割には大変居心地が良く、今夜はぐっすりと眠れそうだ。
狭い部屋のためにティエルとジハードは殆ど密接した状態だが、この二人の間に色気のある話は全く存在しない。


「ねえ、ジハード。起きてる?」
「起きてるよ。眠さと疲労はもう限界だけどね。今日はどこかのおてんば姫の所為で、一日振り回されていたし」
「ご……ごめんってば」
「まぁ、ティエルに振り回されるのは慣れたし……案外誰かに振り回されるのもそう悪くないかって思ってるよ」

ティエルの隣で、見たこともないような不思議な編み方をした布に包まっていたジハードが寝ぼけた返事をする。
元来ジハードは世話を焼くことが好きなのだろう。子供好きなのも大いに頷ける。
超マイペースで空気を読まず、彼の方こそ周囲を振り回しそうな雰囲気だが、意外にも振り回される側らしい。


「そんなにわたし、振り回してるかなぁ。まぁジハードがいいなら別にいっか」
「いいのかよ」
「あのさ。今日のマタンゴくんみたいに……他にも偏見によって寂しい思いをしている子達もいるんだよね」

「そうだろうね。誤った思い込みのために、皆から忌み嫌われ続けている種族も存在しているのかもしれない」
「……うん」
「ティエルもよく知っていると思うけど。誰かが歩み寄る切っ掛けを作らないと、いつまでも変わらないんだよ」

今回のマタンゴの件も、ポムが歩み寄らなければ誰一人としてマタンゴの抱える寂しさに気付かなかっただろう。
そしてコボルトの老人が彼らを認めなければ、種族を越えた友情はそこで終わってしまったのかもしれない。
分かり合うためには、ただじっと黙ったまま待っているだけでは駄目なのだ。


「勿論、それはぼくらにも当てはまる。ティエルが歩み寄ってくれたから、ぼくも応えることができたんだ」
「わたしは歩み寄って行ったという意識は全くなかったよ。海底神殿の時点で、勝手にもう友達だと思ってたし」

「確かにあれは面食らったな。自分で言うのもなんだけど、ぼくって結構信用ならない胡散臭いやつでしょ」
「自覚があるなら直してよう」
「あははは」
「笑って誤魔化さない!」

「……それはともかく、明日からはゴールドマインに向かうんだろ。早く寝ないと起きられないよ。特にぼくが」
「うわーっ、そういえばそうだ! お願いだから早く寝てよ、ジハード!」


ジハードの寝起きの悪さには定評がある。明日からは毎朝ティエルが彼を起こさなければならない。
掛け布団をぐいぐい押し付けてくるティエルに、あなたから話しかけてきたんじゃないかと溜息をつくジハード。

おてんば姫や悪魔族の伯爵様に、振り回され続ける人生も悪くはない。ジハードは確かにそう思い始めていた。
ティエルをフォローしつつ進む明日からの旅路は険しいだろう。何があったとしても、彼女だけは守らなければ。
そんなことを考えながら一つ大きなあくびをすると、ジハードは静かに目を閉じたのだった。





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