Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師
第40話 わたしができること -1-
ティエルとジハードがメドフォードに帰還してから七日が過ぎた。
必ず三人で取ろうと約束をした大食堂での夕食も終わり、ティエルは早々に自分の部屋に戻って行ってしまった。
普段ならば夕食の後は他愛のない雑談を交わして就寝までを過ごすことが多いのだが、珍しいこともあるものだ。
夕食後は特に用事もなかったジハードは、先程から中庭のテラスにてヴィステージから薬草談義を聞かされていた。
テーブル上に様々な薬草を並べながら、控えめな彼女にしては珍しくどこか得意気に話し続ける姿が微笑ましい。
彼女の薬草に対しての知識はジハードの知らない事柄が多く、聞かされているとはいえなかなか興味深かったのだ。
行方不明の両親を探すためにダフネという名の女の情報を集めているヴィステージだが、収穫はまだないようだ。
なにせ二十五年も昔の話である。一日二日などでそう簡単に手掛かりが見つかるとは思っていない。
幸いにも彼女は長寿を誇るエルフ族だ。時間はたっぷりとある。まずは、外の世界を知ることから始めるつもりだ。
薬草談義もそろそろ終わりを迎える頃。明るい数名の声が段々と中庭のテラスへと近付いてきた。
ジハードがちらりと視線を向けると、サイヤーと数名の騎士団員が談笑をしながら中庭に向かって来ているようだ。
恐らく町へと週末恒例の飲み会に出掛けていたのだろう。誉れ高きメドフォード騎士団の週に一度の息抜きである。
仲間と談笑していたサイヤーは、ベンチに腰掛けるジハードの姿に気が付くと軽く手を振りながら歩み寄ってきた。
「よお、ジハード。遠征お疲れさん。帰ってきてるんなら、騎士団宿舎に少しは顔見せに来いっつーの」
「すまないね。ぼくもほら、割と多忙の身だから?」
「料理と筋トレと怪しい研究しかやってねーように見えるんだけどな。……で、隣の可愛い子は誰なんだよ?」
「うん? ああ、ヴィステージのことか。彼女は遠征先で知り合って、当分の間メドフォードに滞在する予定だよ」
「遠征して可愛い彼女を作ってきやがって……ヴィステージちゃん、気を付けろよー。こいつすっげぇタラシだぞ」
「あ、はい。タラシは凄く分かります。というか、彼女じゃないですよ。ジハードくんもちゃんと否定して下さい」
「あはは」
夜更けにも拘わらずひとしきり騒いだ後、ふとサイヤーは真剣な表情を浮かべるとジハードの肩に己の腕を回した。
「……で? あいつの手掛かりは何か掴んだのか。どうせお前のことだから、なかなか口割らねーとは思うけどな」
「はて、あいつとは一体誰かな」
「とぼけんな。あれほど綺麗な顔をした青い髪の男なんて目立ちまくりだろ? 見つからない方がおかしいっての」
「それがなかなか見つからないものなんだよ、世界は広いんだから。ほら仲間が待ってるよ。おやすみ、サイヤー」
「相変わらず徹底的に秘密主義なやつだなー、お前ってさ。……まぁ、オレにできることがあったら何でも言えよ」
ジハードから身を離したサイヤーは軽く溜息をつくと、待っていた騎士団の仲間達と共に中庭を去っていく。
誰に対しても物怖じすることもなく、相手の中身を知ろうとするサイヤーは本当にいいやつだとジハードは思う。
姿を消した彼を今でも気に掛けてくれているのは正直嬉しかったが、それでも巻き込むわけにはいかないのだ。
「ジハードくん?」
「ああ、ごめん。彼はサイヤーといってね。あれでもこのメドフォード王国で指折りの剣の腕を持つ騎士なんだよ」
「そうなんですか。あまりそうは見えない……というか、君も誰か探している人がいたんですね」
「え?」
「先程サイヤーさんから聞かれていたじゃないですか、手掛かりは掴んだのかって。でも青い髪って本当ですか?」
「本当だよ」
「生き字引のトトじいさまが言ってました。青い髪は、関わると不吉なことが降りかかるという忌み子なんだって」
「不吉なことが降りかかるかぁ。どうだろうね。あいつと一緒にいて、そんなことがあったかな」
本心の見えない極上スマイルをにっこりと浮かべていたジハードは、それから頬杖を突きながら目を細めて見せる。
ほんの一瞬だけ、見せたこともないような寂しげな表情が横切ったように見えたのは彼女の気のせいだろうか。
「……それでも、全ての不幸を受け止めてやりたいと思ったほど……ぼくにとっては本当に大切なやつだったんだ」
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メドフォード城西の塔。
一階は薬草研究室や医療研究室、二階には資料庫や図書館。そして三階は、文官や研究者の寝所が並んでいる。
勿論ティエルは滅多に足を踏み入れたことがない場所だ。彼女の生活圏は基本的にメドフォード城の中枢ばかりだ。
西の塔に住まう者は研究熱心な者達が多いため、夜十時を回る頃でも研究室からうっすらと明かりが漏れている。
しかし残念ながら、蝋燭のぼんやりとした明かりに照らされる三階の談話室には人の姿は見えなかった。
貴重な研究室や資料庫が存在するため衛兵の姿が至る所に見受けられる。門限は夜の十時だと聞いたことがあった。
夜の十時を過ぎてから三階の寝所を出る場合は、事前に申請が必要になるのだとジハードが笑いながら言っていた。
「これはこれは姫様、西の塔にいらっしゃるのは大変お久しゅうございますね。もしやジハード殿に御用ですか?」
「うん。ジハードはもう部屋に戻ってる?」
「暫く医療研究室の方におられたようですが、二十二時前にはお部屋に戻られました。意外に時間を守る方ですよ」
「ふーん……門限なんて全く気にしないタイプだと思っていたけど。まぁいいや、教えてくれてありがとう」
深々と首を垂れる衛兵に向けて軽く手を振ったティエルは、しんと静まり返った三階の廊下を歩き始める。
最初の頃はジハードの部屋に毎日のように遊びに行っていたため、勿論彼の部屋の場所はしっかりと覚えていた。
だが仮にも姫君が若い男の部屋に毎晩のように立ち寄るのは如何なものかと、ジハードから注意をされてしまった。
相手はジハードなのだから何も問題はないのだが……そう思わない者達もいるんだよと、彼は苦笑を浮かべていた。
そのため、ティエルは実に久々に彼の部屋に向かっているのだ。
「……ねえジハード、起きてる?」
簡単な差し入れの袋を手にしたティエルはジハードの部屋の前で立ち止まると、こんこんと二回だけノックをする。
彼は早寝のために既に就寝しているかもしれない。もっと早い時間に部屋に行けばよかった、と少しだけ後悔した。
やはり部屋の中からは物音一つせず、しんと静まり返った静寂が広い廊下を包み込む。
いつまでも部屋の前に立っているわけにもいかず、暫し思案したティエルはノブを掴もうとゆっくりと手を伸ばす。
しかし。扉は彼女が触れる前に開かれたのだ。
「こんな時間に誰かと思えばティエルじゃないか。また護衛もつけずに夜更けに一人でうろうろとしちゃ駄目だろ」
扉を開けたジハードは寝惚けているわけでもなく普段どおりだ。意外なことに、まだ就寝してはいなかったようだ。
普段の中東大陸の衣服ではなく、簡素な白いシャツを身に着けた彼の姿はとても新鮮だ。
ティエルの中ではジハードは家族という枠組みだが、こうして改めてみるとエレナ達侍女が騒いでいるのも頷ける。
「夜遅くごめんね。夜食でも食べながら、少しだけお話したいことがあるんだ」
「お話は別にいいんだけど、一応お姫様が男の部屋に夜遅く訪れちゃまずいだろー。男はみんな狼なんだからさ」
「どういうこと? ジハードは人間だよ。狼じゃないでしょ」
「……うん、そうきたか。まあ旅の最中は何度も一緒の布団で寝てるし、今更まずいも何もないけどな」
「ジハードは体温が高いから、くっ付いて寝ると暖かいんだよね!」
「そりゃどうも。立ち話もなんだから入って」
「お邪魔しまーす」
ちなみに手土産は料理長のスコットに頼んで作ってもらったお気に入りの夜食だ。砂糖を塗して揚げたパンである。
久々にジハードの部屋に入る。一歩足を踏み入れると、やはり相変わらず散らかった部屋だった。
そこら中に書きかけのレポート用紙が散らばり、恐らく資料として借りてきた書物があちこちに積み上がっている。
その分厚い本の一番上には、リグ・ヴェーダがぽんと置かれていた。うっかりと失くしたりはしないのだろうか。
整然とした部屋のイメージを持っていたため、初めてジハードの部屋を訪れた時は大変驚いたものだ。
「……わたしが言うのもなんだけど、もう少し片付けようとは思わないの?」
「どうしてさ。別に片付けるほどでもないだろ。男の部屋なんてこんなもんだよ、むしろぼくはまだマシな方だぜ」
「わたしには部屋を片付けろ、整理整頓しろって言うのに……ジハードは自分のことは棚に上げるんだから」
「あはは、ぼくはいいんだよ」
にっこりと満面の笑顔を浮かべるジハード。この天使のような完璧な笑顔に、一体何人が騙されたのだろうか。
「ティエルはこの国のお姫様なんだから。常に手本となるような行動を心掛けないと、皆に示しがつかないだろ?」
「はーい。それよりも夜食持ってきたんだ。ジハードも好きだったよね、これ。一緒に食べようよ」
「適当に座ってて。お茶淹れるから……ああ、夜も遅いからホットミルクの方がいいかな」
「おかまいなくー」
簡素なテーブルとソファー。ちょこんと腰掛けたティエルは、飲み物の準備をしているジハードから視線を外した。
旅から戻ってきて一週間が経つが、部屋の隅には旅の間持ち歩いていた肩掛け鞄がそのままの状態で置かれている。
片付けるのが面倒くさいために放置しているというよりは……まるで、これから新しい旅に出るような様子だった。
そこへ、湯気を立てるホットミルクが注がれたマグカップを二つ手にしているジハードが戻ってきた。
「そういえば……話があるとか言っていなかったっけ?」
「大切な話なの。わたし、もう決めたんだ! でもジハードにもきちんと話しておきたくて」
「うん」
「あのね、わたし。クウォ……」
「クウォーツを探しに行くんだろ?」
二人の声が重なった。
考えていたことを言い当てられ、二の句が継げられずにいるティエルを彼は笑顔を浮かべながら見つめている。
何故分かったのだろう。リックにはうっかり話したような気もするが、ジハードにはまだ伝えていなかったはずだ。
「え? あれ、どうして知ってるの……? わたし、ジハードに話したっけ。もしかしてリックから聞いたとか?」
「聞いていないよ」
「じゃあなんで分かったの!?」
「あいつが気に入ってた銘柄の紅茶飲みながら、何度も薔薇の庭園で一人でお茶している姿を見れば察しが付くよ」
「……」
「で、あいつの行方は分かっているのかい? 探しに行くのなら、勿論どこにいるのか確証があって行くんだろ?」
「分からないよ」
「確証もなく探しに行くのは無謀だよ」
「分からないけど、探していたら出会える確率だって高くなる。……何もしないで待ち続けるのはもう嫌なんだ!」
案の定行き当たりばったりのティエルの台詞だ。
予想はしていたが、相変わらず計画性のなさにジハードは肩を落とした。だがそこには確固たる意志が宿っていた。
何度もティエルの無謀をこの目にしてきた。そして、彼女は無謀と思えた全てを見事にやり遂げてしまうのだ。
揺らがぬ意志を宿した瞳は真っ直ぐにジハードを見つめている。
ちゃんと事前に伝えていることから、黙って出発してしまったゴールドマインの時よりは成長したのかもしれない。
こうなったら誰も彼女を止めることなどできないと、ジハードはよく分かっていた。分かってはいたが……。
それでも彼はティエルを止めなければならなかったのだ。
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