Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第4章 ユークリンドの薬師

第41話 わたしができること -2-




「クウォーツを探しに行きたいという気持ちは理解できる。でもぼくらと生きる道よりも、あいつは一人を選んだ」


いつまでも過去に囚われ、強さに固執し続けているクウォーツには過去よりも未来に顔を向けて生きていてほしい。
あの夜。記憶を取り戻したいと言った彼を、ジハードにしては珍しくなりふり構わず止めたのだ。
だがクウォーツは二度と振り返らなかった。彼にとって愛情は単なる足枷でしかないのだとジハードは悟ったのだ。


「あいつはさ、大切なことを何一つ言わないやつだっただろ。本当はずっと追い詰められていたんじゃないかって」
「うん」
「あれほど近くにいたのに、ぼくは自分の意見をぶつけるだけで。あいつを余計に追い詰めていたのかもしれない」
「……」
「それでもさ……今でも少し後悔しているんだ。ずっと側にいようと思ったのに、どうして追わなかったんだって」

程よい温度に温められたホットミルクに口を付けたティエルは、向かいに腰掛けるジハードをじっと見つめていた。
砂糖は入れていないはずなのに温かいミルクは何故甘く感じるのだろう。口の中にほんのりと優しい甘みが広がる。
それにしてもジハードはどうしてこんなに簡単なことを難しく考えるのだろう。考えても、答えは一つだけなのに。


「なぁんだ、それじゃあ既にジハードの答えは出てるじゃない」
「え?」
「クウォーツを今すぐにでも探しに行きたいんでしょ。追わなかったことを後悔してるのは、そういうことだよね」
「あのさあ、話を聞いていたのかい? ……クウォーツにとってぼくらは足枷だったんじゃないかって言っただろ」

「うーん。また難しく考えてるー」
「難しくって……」
「クウォーツがどう思っているかなんて、わたし達がいくら考えても分からないよ。だって今聞けないんだもん」
「まあ、そりゃそうだけど」

「大切なのはジハードがこれからどうしたいかってことじゃないかな? 旅の準備、もう出来てるみたいだしさ」
「……!」

彼女の言葉に、ジハードは思わずはっとしたような表情を浮かべて部屋の隅に置かれていた肩掛け鞄に顔を向ける。
隠しておくのを忘れていた。あまりにも突然にティエルが部屋を訪ねてきたため、そこまで気が回らなかったのだ。
徹底的に秘密主義であるジハードにしては、あるまじき失態であった。

図星でしょうと言わんばかりに得意気な表情を浮かべているティエル。根負けしたようにジハードは肩を落とした。


「なんだか悔しいなぁ……」
「えっ、なにが?」
「まさかティエルに見抜かれるなんてさ。これでも隠し事は得意な方なんだよ? 気付かれない自信あったのにな」
「隠し事が得意なことは自慢になりませーん」
「あはは、そうだね」

少しだけ困ったようにジハードがふわりと笑う。これが彼の本来の笑顔なのだ。決して普段の満面の笑顔ではない。
久々にこの笑顔を見たような気がする。それほど彼は普段本心から笑っていないのだと、改めてティエルは思った。
旅をしていた頃は勿論偽りである満面の笑顔も多かったが、もっと彼は本心で笑っていたように思う。


「……実はさ、ティエルには伝えるつもりはなかったんだけど……クウォーツの手掛かりが全くないわけじゃない」
「本当に!?」
「サキョウとは定期的にあいつを捜すためのやり取りを続けていてね。ベムジンなら悪魔族の情報が集まるだろ?」

「確かにそうだけど……って、そんなやり取りしてたの全然知らなかったよ。教えてくれてもいいじゃない!」
「だって、あなたが知ればすぐにでも城を飛び出してしまうじゃないか」

思わず詰め寄ってくるティエルに対して、ジハードは静かに首を振る。確かに彼女の気持ちは痛いほど理解できる。
この一年間、ティエルが果たされるはずのない約束を信じながらどんな思いでクウォーツを待ち続けていたのかを。
ただ待ち続けるだけの毎日はどれほど辛いものなのか。それはジハードも心底理解しているつもりだ。それでも。


「このメドフォード王国で、ティエルの一番近くにいる者として……ぼくはあなたを止めなければならない」
「ジハード」
「……クウォーツは必ずぼくが連れ帰る。だからティエルは、安全な城の中でぼくの帰りを待っていてほしいんだ」

「お願い聞いて、ジハード。わたしは」
「なんて。今までのぼくなら、きっとそう言うだろうね」
「えっ?」

「メドフォード王国のティアイエル姫ではなく、ただのティエルという仲間に対して声を掛けるとするならば……」


そこまで言いかけて、ジハードはティエルに向けて柔らかな笑みを浮かべながら彼女の頭をぽんぽんと叩いたのだ。
先程までとは打って変わって優しい口調に思わず目を瞬くティエル。

「ティエル、あなたの言葉でトーマ大臣達を説得するんだ。ぼくは助け舟を出さない。でも、もしも説得できたら」
「できたら……?」

「……一緒に、行こう」







「えー……姫様。わたくしにはよく聞き取ることができなかったのですが。はっはっは。いやはやもう歳ですかな」
「奇遇ですな、トーマ大臣殿。実はそれがしもよく聞こえず……お互い歳には敵いませんな」
「何を仰るフレデリク近衛兵長殿。貴殿はわたくしよりも十以上もお若いではないか。男が一番脂が乗る頃ですぞ」

「それを言うなら大臣殿は、先日ゲートボール大会で見事優勝したとか。大臣こそ若い者には負けてないですな!」
「いやいや、はっはっは」
「わっはっは……」
「……ほっほっほ……」

場所は朝食の準備で忙しない大食堂。
ティエルを前にして白々しい盛り上がりを見せる会話を続けているのは、トーマ大臣とフレデリク近衛兵長である。
フレデリクはティエルが幼い頃から彼女の警護を一任されていた。五十代後半の厳つい体格をした男だった。

ティエルから大切な話があるからと、大食堂に呼び出されてみれば……とんでもない言葉が彼女から発せられた。
そのため先程から大臣と近衛兵長はまるで現実逃避をするかのように、関係のない話を延々と続けているのである。
ちなみに普段は彼女を諫めてくれるはずのジハードは口を出す気はないようで、黙ったまま壁に寄りかかっていた。


「ちょっと二人とも、真面目にわたしの話を聞いてよ。誤魔化したってわたしの意思は変わらないんだからね!?」
「ええ姫様。我らはいつだって真面目ですとも。ただよく聞き取ることができなかっただけで……」

「だから言ってるじゃない。クウォーツを捜しに行くから、暫く旅に出たいって。今度はちゃんと聞こえたよね?」


残念ながらティエルの話は現実であった。顔を見合わせたトーマ大臣とフレデリク近衛兵長は深い溜息をつく。
一度決めたら突っ走るこの姫君をどうやって諦めさせるか、それが問題であった。やはりジハードは素知らぬ顔だ。
しかもフレデリク近衛兵長にとって聞き捨てならない名前が飛び出してきた。

「ですが姫様、クウォーツという人物は……」
「フレデリクも会ったことがあるでしょ? わたしの仲間に、青い髪をしたすっごく綺麗な男の子がいたじゃない」

「……悪魔族ですよ!? 青い髪は忌み子の証。彼はこのメドフォードに必ず不吉を運ぶ存在となりますぞ!」


フレデリク近衛兵長が発した明らかに蔑みを含んだ声は、食堂に向かって歩いていたヴィステージの耳にも届いた。
あまりの大声に一瞬びくりと驚いた彼女だったが、なにやら食堂が騒がしいようだ。込み入った話なのだろうか。
立ち聞きをするのはよくないと考えたヴィステージは、踵を返して廊下を戻りかけるが……ふとその足が止まる。

青い髪の忌み子といえば、昨夜ジハードがうっかりと口を滑らせてしまった人物のことだろう。
決して近付くな。関わってはならない。人として扱うな。青い髪をしているだけで、それは最早罪であるという。
森の奥深くで暮らしていたヴィステージでさえもそんな認識だった。悪魔族で、青い髪で。正直恐ろしいと思う。

それでも彼女がこの場を立ち去らなかったのは、ただその青い髪の忌み子に対して僅かに興味を持っただけだった。
あのジハードが全ての不幸を受け止めてやりたいと思った相手を。一体どんな人物なのだろうかと。


「メドフォードに不吉を運ぶって、なんで? ……クウォーツはそういうことをする人じゃないよ」
「そういう言い伝えなのです。たとえ今はそうであっても、あの者は必ず姫様に刃を向ける存在なのですよ」
「だから、どうして?」
「どうしてと言われましても……」

「それだけじゃ分からないよ。むしろクウォーツは、メドフォードを取り戻すために命を懸けて戦ってくれたんだ」
「姫様。正直それがしもトーマ大臣殿も、姫様が旅に出ることに対しては悪いことだとは思っておりません」
「だったらなんで」

「若い頃のミランダ様も旅に出られて見聞を広めたと聞きます。……ですが、悪魔族と関わることはなりませぬ!」

厳しく響き渡るフレデリク近衛兵長の声。その言葉に一瞬だけ目を見開いたティエルだが、唇を噛みしめて俯いた。
……分かってる。これが一般的な悪魔族に対する考え方なのだ。頭のどこかでは理解しているが、納得ができない。
ゆっくりと顔を上げた彼女は、それからまるで己に言い聞かせるかのように一語ずつ丁寧に言葉を紡ぎ始めたのだ。


「もしも……クウォーツと関わっただけで不幸が訪れるのなら、わたしは今頃不幸になってるよ。でも違うよね」
「姫様」
「旅をしていた時も、訪れた先々で心無い言葉を投げ掛けられたことも少なくはなかった。彼は気付いていたんだ。
 気付いていたからこそ、わたし達の前から姿を消したんだと思う。自分と関わると不幸になるって思い込んでさ」

「ならば姿を消した彼を探すことは、意志に反するのではないでしょうか。彼の意思を尊重するべきなのでは?」
「……なんて言ったらいいんだろ。クウォーツは、何でも完璧なくせに生き方だけが物凄く不器用なんだよね」

しっかりとした意思を宿したティエルの大きな瞳。それが真っ直ぐにフレデリク近衛兵長を射抜いた。
あまりにも真摯な瞳に思わずフレデリクも言葉を失う。彼女はこんな強い瞳を持っていたのだと初めて知ったのだ。


「わたしは彼の手を絶対に離さないと約束した」
「……」
「悪魔族とか人間だとかそんな因縁を断ち切って、彼が掴んでくれた手を……絶対に離さないと約束したんだ!!」


しんと静まり返る食堂。慌しく朝食の準備をしていた侍女達も足を止め、固唾を飲んでティエル達を見守っている。
誰もが言葉を失って立ち尽くしている中で、ジハードだけが僅かに笑みを浮かべていた。
まるで永遠にも錯覚してしまうような長すぎる沈黙を破ったのは、やれやれと溜息をついたトーマ大臣であった。

「……これは珍しくフレデリク近衛兵長殿の負けですかな」
「トーマ大臣殿!?」
「姫様が一度決めたらやり遂げる強い意志を持っておられることは周知の事実。そして、必ず約束を守り抜くお方」

「勿論それは承知ですとも。しかし、約束した相手が悪魔族となると話が変わって……」

「フレデリク近衛兵長殿。わたくしは……種族で一括りにして考えてしまうのも勿体無いと思っているのですよ。
 人間に色々な者がいるように、悪魔族やエルフ族にも人の数だけ色々な者がいる。そうでしょう、ティエル姫様」


思いもしなかったトーマ大臣の言葉だったが、ティエルはしっかりと頷いて見せる。
大臣までもが賛同するとは思わなかったフレデリクは力なく項垂れる。最早止めることはできないと悟ったためだ。

「姫様……それがしは、ただあなたが心配なのです。幼き頃からお仕えしメドフォードの太陽であるあなたが……」
「ありがとう、フレデリク。でもわたしは、あなたが知っている幼い頃のままじゃない。少しは信用してほしいよ」
「勿論信用しております、ですが……ああ、これ以上お止めするのは、姫様を信用していないことになりましょう」
「必ず戻ってくるから、心配しないで待っててね」


にっこりと満面の笑顔を浮かべるティエル。
そんな笑顔を向けられて、フレデリクは今度こそ何も言えなくなってしまう。昔から彼女のこの笑顔に弱かった。

沈黙に徹していたジハードにふとティエルが視線を向けると、彼は柔らかく笑って見せる。一人で説得できたのだ。
一週間後にはサキョウがメドフォードに到着する。本当はサキョウと二人だけでジハードは旅立つつもりだった。
まずはサキョウに事の成り行きを説明しなくてはならない。そして反対をされたら説得しなければならなかった。

既に新しい旅のことで頭が一杯になっているティエルは、食堂の入口のヴィステージの姿には気付いていなかった。





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