Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第5章 シルヴァラース古代図書館
第44話 遥かなる古の図書館 -1-
「ようこそ、シルヴァラース古代図書館へ。ここであなた方の探している本が見つかりますように」
重々しい扉を開くと広めなロビーがあり、コの字型に並べられた渋い緑のソファーはとても座り心地が良さそうだ。
奥には古めかしい木のカウンター。制服を身に着けた職員が並び、何名かの利用客達が受付をしている姿が見える。
入口付近には訪れた者を案内する係なのだろう。白い制服を着た真面目そうな年配の男が笑顔で出迎えてくれた。
「……おや、誰かと思えばナズナではないですか。一体どこへ行っていたのです。先程から探していたんですよ」
「迷子を探しに行くってちゃんと言ったじゃないの」
「そういえば先程レイシーがそんなことを言っていましたね。それで、肝心の迷子は見つかったのですか?」
「無事に見つかったわよ! 図書館から少し離れた場所で迷子になっていたから、早めに探しに行って良かったわ」
細い眼鏡のフレームを指で持ち上げた男に対し、ナズナは溜息をつきながら背後のティエルの肩を前に押し出した。
彼が想像していた以上にティエルが子供だったのだろう。男はほっとしたように胸を撫で下ろす。
「こんな幼いお嬢さんだったとは、早めに見つかって何よりです。やはり近々道案内の看板を立てるべきですねぇ」
「どうせ道案内の看板を立てたって深い霧で目立たないかもしれないわ。……この霧、何とかならないのかしら?」
「仕方ありませんよ。シルヴァラース古代図書館が位置するこの森は、太古から霧の森と呼ばれているのですから」
「あたしは本が湿気てしまわないか心配だわ」
「心配には及びませんよ。その辺はしっかりと図書館全体に魔法が掛けられていて……おっと、失礼いたしました」
ティエル達に改めて顔を向けたナズナの司書仲間の男は、柔らかな笑顔を浮かべて見せる。
「この図書館で、必ずお嬢さん達の探し物は見つかりますよ。分からないことがあれば何でも司書に聞いて下さい」
「それじゃあこの子達の担当はあたしがするわ。ティエルをここまで案内した縁もあるから」
「本当に!? ありがとう、ナズナ」
彼女ならば図書館を訪れた利用客のことを覚えているかもしれない。
ソファーに向かって進むナズナの背を眺めてから、ティエルはぐるりと周囲を見回してみる。利用客の数が疎らだ。
大陸最大の図書館ならば、もっと賑わっていてもいいと思うのだが……確かに大抵の本は町の本屋に行けば買える。
霧深い森の中の図書館に赴いてまで探さなければならない本とは、余程マニアックな本を探している者なのだろう。
「ティエル、あんた達は確か人探しの本を探していたのよね? フロア七十五まであたしが案内してあげるからさ」
「あ、そうだ。違うのナズナ。実はわたし達」
「うん? 人探しの本って何の話だい」
ナズナの言葉に思わずティエルは我に返る。そういえば彼女に目的を勘違いされたままであった。
背後では『人探しの本ってなんだっけ』と、ジハードが首を傾げている。人探しの本ではなく実際に人探しなのだ。
「実はわたし達、人探しの本じゃなくて本当に人を探しているの。ここ半年以内の利用客のことを覚えてない?」
「……うーん。話したことのある相手なら大体覚えているけど、あたしも利用客全員と話しているわけじゃないし」
「それじゃあ受付さんとかにもお話を聞けないかな!?」
ティエルの発した声が案外大きかったのか、数名の利用客が振り返って彼女達を眺めていた。
口元に指を持っていき、静かにしろというジェスチャーをしたナズナは、空いているソファーへ彼らを案内する。
鮮やかなワインレッドの色をした絨毯に、深い茶の色のテーブル。想像どおりふかふかのソファーであった。
王宮の図書館といっても遜色がない。勿論メドフォードにも立派な図書館があるが、正直比べ物にならないだろう。
「人探しねぇ……本を貸し出す場合は名前を記帳してもらっているから、名前が分かったらすぐに調べられるわよ」
「本当!?」
「ええ。あと背格好とかの特徴も教えてくれたら、覚えている司書がいるかもしれないわ。ちょっと待っててね」
受付が落ち着いた様子を見計らい、ナズナは一冊の分厚い記帳本を手にして戻ってくる。半年間の貸し出し一覧だ。
そもそも『あの』クウォーツが本名で記帳をしているとは考えにくいが、僅かな可能性も無駄にしたくはなかった。
「捜しているのは青い髪で、すらっとした背の高い男の子なの。かなり目立つと思うんだけど……知らないかな?」
「特徴を付け加えると、仰々しい黒のドレスコートを着た美しいおなごのような顔をしている男なのだが」
「青い髪ですらっとしてて、黒いコートを着て、綺麗な顔してて……って、それジャックさんのことじゃないの!」
ティエルとサキョウが挙げた特徴に、腕を組みながら呟いていたナズナだが、思い出したように手を打った。
「間違いないわ。ジャックさん以外には考えられない」
「えっ、ジャックさんって?」
「そうよ。この世のものとは思えないほど綺麗な人だったわ。生きた感じがしないというか、心底怖いと思ったの」
「……」
「彼がフードを取った瞬間にロビーの空気が凍り付いてさ。男であれだけ綺麗だと、あたしも正直ドン引きしたわ」
「ひどいよ、別にドン引きすることないじゃない!」
「ごめんごめんティエル。それで、受付が怖がって誰も声を掛けないから……司書のレイシーが声を掛けたのよ」
恐らくクウォーツで間違いないだろうが、それにしても『ジャック』という名前は一体どこから出てきたのだろう。
ナズナは記帳本をぱらぱらと開き、半年前の日付を記したページをティエル達の前に差し出した。
そこには、流れるような丁寧な文字でジャックという名が記帳されている。明らかに見慣れたクウォーツの筆跡だ。
「……間違いなくクウォーツの文字だね。あいつ、子音をわざと掠れさせる書き癖があるし。ほら、こことか」
「あっ、ほんとだ。掠れてる。それにしても何でジャックなんて名乗ったんだろう?」
「そもそもジャックという名前は仮名で使われることが多い。痕跡を残したくなかったんだろうな」
やはりジハードの観察眼は恐れ入る。クウォーツにそんな書き癖があるなんて、ティエルは全く気付かなかった。
どうやらサキョウも知らなかったようだ。その隣のヴィステージは、男性なのに綺麗な字ですねぇと感心している。
男性の字が汚いとは偏見である。だが……残念ながらサキョウの字は汚い。ジハードは、割と読みやすい字を書く。
「このジャックさんがティエルちゃん達の探している人だとして、古代図書館に何を探しに来たんでしょうかね?」
「彼、一週間くらいここに滞在していたわ。その間に閲覧した本の数は、確か二百冊を超えていたわね」
「二百冊も!? ねえナズナ、クウォーツは一体何の本を借りていたの?」
「ジャックさんの貸し出し担当をしていたレイシーなら何か分かるかも。……レイシー、ちょっとこっちに来て!」
ナズナの発した大声で、一斉にロビーの皆が振り返る。
やがて振り返った面々の中から長い赤毛をお下げに編んだ女が、神経質そうに眉を顰めながらこちらにやってきた。
周囲は再び静けさに包まれ、彼女の足音だけがロビー内にかつかつと大きく響き渡っている。
「ナズナ。図書館では静かにって、何度言ったら分かるのよ。しかも司書とあろう者がお客様の前で大声なんて!」
「それはともかくレイシー。あんた半年ほど前に訪れたジャックさんのこと、覚えてるでしょ?」
「話を逸らさないでよ。まぁ、ジャックさんなら勿論覚えているわよ。一度目にしたら絶対に忘れられない人だわ」
一体何を言い出すんだとばかりに、きょとんとした表情を浮かべるレイシーと呼ばれた赤毛の女。
「それがどうかした? あ、やっぱり指名手配犯だった!? ……だから言ったでしょ、絶対に普通じゃないって」
「ちょっとレイシー」
「あれは人を不幸にする美貌だわ。だって、硝子みたいな瞳をしていたのよ? 感情なんて全く感じられなかった」
「レイシー、いくらなんでも言い過ぎだってば。ここにいるティエル達はジャックさんのお友達なんだからね」
「えっ!? ……ご、ごめんなさい。あたしったら」
しゅんと項垂れてしまったティエルの様子に漸く気付いたレイシーは、慌てて何度も頭を下げた。
彼女とは裏腹にジハードやサキョウは、レイシーの言うことも強ち否定できないと苦笑を浮かべているだけである。
確かによく知らない者は彼に対してレイシーのような感想を抱くだろう。そういう人物なのだから仕方がないのだ。
「お願いレイシー。ジャックさんの借りた本を全てリストアップしてほしいの。手掛かりになるかもしれないから」
「分かったわ。……そうだ。手掛かりになるか分からないけど、『最後の審判』について聞かれたわよ」
「……最後の審判?」
「あたしも何のことか分からなかったけどね。じゃ、ナズナ。早速本をリストアップしてくるから少し待っててね」
レイシーが去ると、ナズナは申し訳なさそうな表情を浮かべながら両手を合わせる。
「ごめんね、ティエル。レイシーは思ったことをはっきりと言っちゃうタイプなのよ。悪気はないんだろうけど」
「ううん。本もリストアップしてくれるみたいだし、レイシーおねえさんには感謝しなくちゃね」
「こうなったらあたしもとことん付き合うわよ。本を探すのは得意だから、少しはあんた達の役に立てると思うわ」
「本当に!? ありがとう、ナズナ!」
「心から感謝する。……ナズナよ、巻き込んでしまってすまんなぁ」
司書であるナズナが協力してくれるという。シルヴァラース古代図書館で、彼女ほど頼もしい味方はいないだろう。
ティエル達が口々に礼を述べていると、やがて紙の束を手にしたレイシーがこちらに向かって駆け寄ってくる。
クウォーツが借りた約二百冊の本のリストであった。不吉なタイトルが多いのは気のせいだろうか。
どうやら一つのフロアに集中しているらしく、ティエル達はナズナの案内でフロア六十六へと向かうことになった。
古めかしいソファーを立ち上がり、カウンターの前で簡単に入館許可のための記帳を済ませる。
一つのフロアだけで相当の広さなのだという。それが地下に百五十階も続いているのだ。考えただけで眩暈がする。
「……もしもさ。この図書館の本を全て読み終えようと思ったら、一体どれほどの年数が必要になるんだろうな」
「ジハード?」
「それこそ不老不死でもなければ読み終えるのは無理だろう。そう考えると、人間の寿命は短いと感じてしまうよ」
「でもジハードはリグ・ヴェーダとの契約の副作用で、人よりも加齢速度が緩やかになったって言ってなかった?」
フロア間を移動するワープゲートまでの道のりを並んで歩いていたジハードが、ふとティエルへと顔を向ける。
彼は魔本リグ・ヴェーダと契約した時から、副作用で加齢速度が非常に緩やかになったのだという。
ジハードがリグ・ヴェーダと契約を続けている限り、近いうちに彼の年齢を追い越してしまう日が来るだろう。
「だからぼくは怖いんだ。……いつか必ず、ティエルやサキョウの最期を看取らなければならない時が来るのだと」
「もー。ジハードは気が早すぎるよ」
「リグ・ヴェーダと契約をして後悔をしたことは一度もなかったけど、果たしてその時にぼくは耐えられるのかな」
あまりにも気が早すぎるジハードの発言に、思わず苦笑を浮かべたティエルは隣を歩いている彼を見上げるが。
彼の表情を目にした瞬間、ティエルの顔から笑顔が段々と消えていく。
突拍子もない話の内容とは裏腹に、こちらを見つめるジハードのスカイブルーの瞳は酷く哀しげな色であったのだ。
彼がどんな決意で魔本と契約を結んだのかは分からない。恐らく、契約に至るまでは相当な決意があったのだろう。
契約を解除する方法があるのかも分からない。もしかしたら契約者が死亡するまで解除ができないのかもしれない。
ティエルは彼の表情に全く気付かぬ振りをしながら、まるで冗談を言うような口調で言った。
「……ジハードよりも長生きするために、頑張って好き嫌いをなくそうかな」
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