Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第5章 シルヴァラース古代図書館
第47話 遥かなる古の図書館 -4-
「うむ? どうしたのだジハード。早寝のお前がこんな遅くまで起きているとは」
ゆらゆらと揺らめく蝋燭の光が手元の本をぼんやりと照らしている。
時折あくびを噛み殺しながら本を読んでいるジハードに明るく声を掛けたのは、風呂上がりのサキョウであった。
風呂をさっさと先に済ませていたジハードだったが、湿った髪を乾かさずにタオルを首にかけたままの状態である。
ティエルとヴィステージは隣の女性部屋で既に就寝している頃だろう。壁の時計の針は二十三時を過ぎている。
「髪もまだ乾いておらんではないか。そんな状態にしておくと、いくら健康自慢のお前だとしても風邪を引くぞ?」
「大丈夫だって。ここ十年くらいは風邪なんて引いてないから……って、ちょっと乱暴だなー!」
「健全な精神は健全な肉体に宿るのだ。体調管理もモンク僧の修行の一つ、これがモンク式髪の乾かし方である!」
「痛いって、髪の毛絡まってるから!」
突然ジハードからタオルを奪い取ったサキョウは、そのまま彼の白い髪をタオルでわしゃわしゃと拭き始めたのだ。
勿論力の加減ができていない。馬鹿力で髪の毛を揉みくちゃにされながら、思わず抗議の声を上げるジハード。
モンク式髪の乾かし方は乱暴である。僧侶の多くは頭髪を完全に剃っている者が多いため、乱暴なのも仕方がない。
少々乱暴なモンク式の洗礼を受けたことによって髪は完全に乾いたが、絹のような髪は所々絡まってしまっていた。
唇を尖らせながら髪の毛を梳かしているジハードの姿はどこか子供じみており、滅多に見れない新鮮な姿であった。
そんな彼の様子を眺めながら、サキョウは悪びれた様子もなく豪快に笑っている。
「もー、ぼくはサキョウの後輩達とは違って繊細なんだからさぁ。もう少し優しく扱ってくれないと困るんだけど」
「わははは、すまんすまん。……しかし、こうしていると本当に生きているんだと実感するな」
「え?」
「アリエスによって石にされた時、もう二度とお前達の顔を見ることができぬと……触れることができぬと思った」
「……」
「正直ワシは怖い。サクラのように、お前達をこの手から失ってしまうことが。できればずっと側にいたいと思う」
「……ぼくはこのとおり無茶をしない慎重な男だし、ティエルもぼくが必ず守る。心配することなんか何もないよ」
項垂れてしまったサキョウを慰めるように、ジハードは彼の頭をよしよしと撫でてやる。
確かにジハードは先の先の更に先を読む慎重な性格だ。決して無茶なことをしない。誰よりも引き際を心得ている。
だがサキョウは知っている。ジハードは大切にしている存在が絡むと、誰よりも無謀な行動に出てしまうことを。
彼が大切にしている存在とは、ティエルでありサキョウであり。そしてクウォーツやリアンに関することである。
ジハードが無謀な行動に出るときは必ず自分が止めなければならない、とサキョウはその時心から思ったのだ。
「ところでジハードよ。ワシはもう寝るが、お前は寝ないのか?」
「ああ……うん、そうだなぁ」
「どうした?」
「ナズナがさ。どうしてもぼくに見せたいものがあるから、図書館の消灯時間まで起きてろって言うんだよ」
「な、なんだと? 夜遅くおなごが嬉し恥ずかしながら男に見せたいものとは……いかん、婚前に不埒であるぞ!」
「いやいや不埒って、一体何を想像してんのさ?」
「ナニを想像とはふしだらな! いいかジハード。おなごを抱くならば、男としてきちんと責任を取らねばならぬ」
「ぼくにとってはサキョウが一番ふしだらなんだけど」
鼻息を荒くしながらぐいぐいと詰め寄ってくるサキョウを押し返し、ジハードは完全に呆れたように溜息をつく。
純情で穢れなき身体の持ち主であるサキョウは、男女関係の話題になると過剰に反応を示すのだ。
かといって色恋事に全く興味がないわけではない。むしろ興味津々だ。はっきり言えば大変むっつりスケベである。
「……ワシの知らぬ間に、一体いつの間にそんな関係になっていたのだ。確かにナズナはお前を気に入っていたが」
「そんな関係って、別にどんな関係でもないよ。サキョウが期待しているようなことなんて何もないからね」
「まぁそれはともかくだ。あまり夜遅くならんようにするんだぞ。寝坊するお前を起こすのはワシなんだからな!」
「あーはいはい、分かってるって」
「ではワシは先に休むぞ」
左側のベッドに潜り込んだサキョウからは、すぐに寝息が聞こえてくる。相変わらずの寝付きのよさであった。
今はまだ静かな寝息だが、すぐにイビキに変わるのだ。サキョウのイビキは鼻を摘まめば暫くの間は静かになる。
それにしても図書館の消灯時間とは一体何時なのだろう。もうすぐ時刻は零時に差し掛かる頃だ。
借りてきた本は既に読み終えてしまった。大きなあくびをしたジハードはテーブルに突っ伏しながら周囲を眺める。
シルヴァラース古代図書館に滞在する学者や旅人達のために作られたこの宿は、想像以上に内装が凝っていた。
さすがは大図書館内の宿である。この部屋なら何ヶ月も滞在するのも悪くはない。
何度目かのあくびをした時であった。
こんこん、と部屋の扉が小さく叩かれたのだ。気のせいかと彼が暫く黙ったままでいると、再びノックの音が響く。
椅子から立ち上がったジハードが静かに扉を開けると、薄暗い廊下に立っていたのは案の定ナズナであった。
余程急いで走ってきたのだろう。彼女の頬は上気し、息が荒い。
「やあ、こんな遅くまで仕事お疲れさま」
「ジハードくん、ごめんね。残務処理に手間取っちゃって、少し遅れたわ。ちゃんと寝ないで待っててくれたんだ」
「一応約束していたからなぁ。ぼくにとっては眠気と戦うことは、魔物と戦うよりも難しいんだよ」
「何を言っているのよと言いたいところだけど、起きていてくれていただけでも良しとするわ。さ、行きましょう」
「行くってどこへ? 消灯時間を過ぎてからじゃないと見せられないものって一体何なんだい」
「それは到着してからのお楽しみよ」
「ふぅん」
サキョウを起こさぬようにそっと扉を閉じ、先を進んでいくナズナの背をゆっくりと追っていく。
宿の消灯時間は既に過ぎているようだ。か細い蝋燭のみが残されており、廊下は暗い。勿論宿泊客の姿もなかった。
「興味のない人にとっては大したことがないかもしれないけど、ジハードくんなら価値を分かってくれると思うの」
「価値?」
「うん。あたしの勝手な思い込みなんだけどね。そうだったらいいな、って」
宿と図書館は階段で繋がっており、歩き始めてから数分ほどで午前中レイシー達と相談をしたロビーへ到着する。
消灯時間の過ぎたロビーには職員の姿はなく、非常灯の蝋燭だけが細々と光っているだけであった。
勿論各フロアに繋がっているワープゲートはしっかり施錠されており、夜間は誰も使用できないようになっている。
薄暗いロビーを迷いもなく進み続けているナズナ。
初めてこのロビーに足を踏み入れた時も静寂に包まれてはいたが、深夜となると静けさの度合いが全く違っていた。
薄暗い光を発する水晶のパネルに歩み寄っていったナズナは、慣れた手付きでゲート解除のパスコードを入力する。
がしゃんと錠の解除される音がロビーに鳴り響き、書庫エリアに通じる入口のゲートが徐々に開いていった。
「夜は盗難防止のために書庫エリアへのゲートは閉じられているのよ。ここには貴重な文献が沢山存在するからね」
「そんなゲートを勝手に解除しちゃってもいいのかい?」
「大丈夫よ。ちゃんと事前に許可は取っているから。いくらあたしでも、そこまで勝手なことばかりしないわよ」
「あはは、それは失礼したね。確かにここの文献は値段が付けられないほど貴重だ。学のないぼくでも分かるよ」
ナズナに続いてジハードが書庫エリアに足を踏み入れると同時に、背後で重い音を立てながらゲートが閉じていく。
古代図書館の一階部分はフロア零と呼ばれており、多くの童話が立ち並ぶフロアであった。
所狭しと本棚が連ねる長い廊下を暫く無言で歩き続けていた二人だが、やがて大きなカーテンの前で立ち止まる。
そのままナズナはカーテンの端を掴むと、一気にそれを引いた。
「これは……」
カーテンに包まれていたのは、暗闇の中で淡い光を発する巨大な絵であった。
恐らく発光する塗料が使用されているのだろう。徐々に目が慣れてくるにつれて、絵の内容がはっきりと分かった。
森林の中で、こちらに背を向けて佇む少年の絵だ。決して名画といえるような絵ではないが、妙な味わいがある。
「……リーベルクの童話シリーズの挿絵だね。もしかして原画かい? 光る塗料を使っていたとは知らなかったよ」
「ええ、そうよ。世界でたった一つの原画。他の原画は、作者の家の火事で焼失してしまったと言われているわ」
「印刷された挿絵でも素晴らしかったけれど、こうして原画を目の前にすると……言葉が出ないな」
「ジハードくんなら、そう言ってくれると思っていたわ」
「うん」
「あたし、よっぽど嬉しかったのかな。ジハードくんと大好きな物語の話ができたこと。誰も読んでないんだもの」
引いたカーテンを端に固定したナズナはジハードを振り返り、どこか満足そうに笑みを浮かべた。
静かに光を発するリーベルクの絵に照らされて彼女の笑顔は神秘的にすら見える。
「そんなに読者が少なかったんだ。ぼくにとっては名作中の名作なんだけど……。内容が心に訴えてくるんだよな」
ジハードはともかくとして、本を読む者達と多く関わりのあるナズナですら、誰も読んでいないという童話なのだ。
一言でいえばマイナーなのだろう。
皆の知らない隠れた名作を知っているのは嬉しかったが、内容について語り合える相手がいないのも寂しく感じた。
「ナズナ」
「え?」
「あなたはどうして司書になろうと思ったんだい? ……やっぱり、読書が好きだったから?」
「そうねぇ。古い本に囲まれていると安心するのと、ジハードくんの言うとおり読書が一番好きだったからかしら」
その場に腰を下ろしたジハードの隣に、同じくナズナも腰を下ろす。
「あたしの両親は移動露天商でさ。一ヶ月ごとに町から町を移動するから、仲の良い友達なんかできやしなかった」
「そうなんだ」
「幼いあたしの唯一の友達だったのが、両親が買ってくれたリーベルクの童話なのよ。何度読んだか分からないわ」
「うん」
「両親の仕事中はそればっかり読んでた。……でも、読んでいる間は寂しさとか全部忘れることができたのよ」
明るい笑い声を発しながらジハードに顔を向けるナズナ。
友達ができなかった幼い頃の寂しさを埋めてくれた童話に、彼女は相当な思い入れがあるのだと瞬時に理解できた。
ナズナに優しく微笑み返したジハードは、それからほのかに光を発するリーベルクの絵に顔を向ける。
「あなたにとってリーベルクの童話は……単なる童話ではなくて、幼い頃の思い出の象徴でもあるんだろうな」
「そうかもね。今思い返せば、貧しいながらもこんな素敵な童話を買ってくれた両親に感謝の気持ちで一杯だわ」
「割と高いからなぁ、リーベルクのシリーズって」
「ええ。……けど、ジハードくんにこんな話までするつもりじゃなかったのよ? あんたって結構聞き上手よね」
「あはは。それは結構言われるな。いつの間にか、ついつい秘密まで話しちゃうってね」
冗談なのか本気なのか分からないような台詞を口に出したジハードは、人の心を惹き付ける笑顔を浮かべて見せる。
「今夜はありがとう、ナズナ。うっかり寝てしまっていたら、こんな素敵な絵も……あなたの話も聞けなかった」
「どういたしまして。ジャックさんの手掛かりが何も見つからなかったら、ジハードくん達帰っちゃうでしょ?」
「うん、残念だけどね」
「司書としてあたしは、シルヴァラース古代図書館は素敵な場所だったっていう思い出を作ってほしかったのよ」
ジハードに笑顔を向けられて、思わず耳まで顔を赤くさせるナズナ。
しかしリーベルクの絵の淡い光だけでは隣のジハードは勿論、ナズナ本人でさえもそれに気付いていなかった。
+ Back or Next +