Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第5章 シルヴァラース古代図書館

第48話 Endless Nightmare -1-




明くる日。宿で簡単な朝食を済ませたティエル達四人は、図書館一階ロビーへと繋がる階段を下りていた。

早朝のためかロビーに利用客は疎らである。大きな暖炉が見受けられるが、人が少ないために若干肌寒さを感じる。
ティエルが周囲を見回してみると、受付で隠そうともせずに大きなあくびを披露しているナズナと目が合った。
暫くの間ナズナはぎくりと口を開けたまま固まっていたが、やがて照れ笑いを浮かべながら足早に駆け寄ってきた。


「おはよう、ティエル。今日もフロア六十六で探し物の続きをするの?」
「おはよ。昨日と同じフロアで探すつもり。今はそれしか手掛かりがないから、他を探しようがないんだけどね」
「……元気ないわねー。大丈夫よ、これだけ探しているもの。ジャックさんの手掛かり、きっと見つかるわ」

「うん。ありがとう、ナズナ」

やはりティエルの返事にはどこか元気がない。
昨日一日かけて『クウォーツが古代図書館で調べたかった内容』は判明したが、肝心な動機や行方が分からない。
一体何のために彼はわざわざ目立つ行動をしてまでシルヴァラース古代図書館に立ち寄ったのだろうか。
溜息と共にがっくりと項垂れてしまったティエルを元気付けるように、ナズナは彼女の両肩をがしっと掴んだ。


「実はあたし、今日は仕事が休みの日なのよね。だからといって特に用事もないし……あんた達に付き合うわよ!」
「えっ!? で、でもいいのかな」
「どうせ暇してるし。四人よりも五人で探した方が何か分かるかもしれないでしょ。それにあたしは司書なのよ?」

「確かに司書のナズナがいてくれた方が助かるけど、身体を休めなくていいのかい? 昨日はあまり寝てないだろ」
「あ……あまり寝ていないとは何事だジハード。お前は昨夜ナズナと図書館デートで一体何をしていたのだ?」
「君達、もうデートしたんですかっ!?」


若干眠そうなナズナと同じくあくびを噛み殺したような顔で口を開いたジハードに、隣のサキョウの頬が赤くなる。
まるで熊のように厳つい大男が、年頃の乙女のように頬を紅潮させて恥じらっている姿はなかなか不気味であった。
サキョウの隣ではヴィステージも瞳を見開いて両手を頬に当てていた。彼女もなかなか純粋である。


「まさか……寝不足になるような如何わしいことを、ナズナと二人でしていたのではないだろうな?」
「やっぱり。あたしの思ったとおり、君は女たらしだったんですね……そういえば思い当たることが沢山あります」

「あはは、何言ってんのさ。サキョウもヴィステージも想像力が豊かだねぇ。昨夜は絵を見せてもらっていたんだ」
「絵?」
「二人とも知ってるかい? リーベルクの童話シリーズ。なかなか面白い童話だから今度貸すよ。一度読んでみて」
「ワシは読書が苦手なのを知っているであろう……」


苦笑を浮かべながらサキョウとヴィステージに昨夜のことを話しているジハードを、ちらりと盗み見ていたナズナ。
そんな彼女を隣でティエルは興味津々といった表情で見つめていた。その視線に気付いたナズナは思わず後ずさる。

「な、なによティエル」
「ナズナはジハードとデートをしたの?」
「……デートなんて言えるようなものじゃないわよ。第一、ジハードくんはまるっきりその気なんてないだろうし」

「ふーん、そっか。ナズナはジハードのことが好きなんだね!」
「声が大きいわよ! ……ねえ。ところで、ジハードくんって割とモテるでしょ。付き合っている人とかいるの?」
「付き合っている人? それって恋人ってこと?」
「そうよ。あんたは……まぁ、ありえないわね。例えばあのピンクの癖毛の子とか。少し野暮ったいけど美人だし」

「んー、分かんないなー。でも恋人はいないと思うよ?」


ナズナから根掘り葉掘りと問い掛けられ、そんな他愛のないやり取りを続けながらもフロア六十六へと辿り着いた。
昨日と同じ組み合わせで二手に分かれることにして、正午に一度中央の読書スペースで落ち合うことを決めたのだ。
反対方向へと歩き始めるジハード達に軽く手を振ったティエルから、段々と笑顔が消えていく。

本日の閉館時間までに何も手掛かりが見つからなければ、仕切り直すためにメドフォードへ戻らなくてはならない。
折角僅かな可能性を信じてこのシルヴァラース古代図書館を訪れたというのに、完全に振り出しに戻ってしまう。
クウォーツの痕跡を必ず見つけたいと意気込むティエルだったが、心のどこかでは無理なのではないと思っていた。


彼は……クウォーツは、そう簡単に自分の居場所が知れるような痕跡を残さないだろう。
何事にも抜け目のないクウォーツがむしろ痕跡を残すくらいであれば、彼の方からティエルに会いに来てくれる。
そういう人物なのだ。だから、何も痕跡が見つからないのであれば……恐らく顔を合わせる気がないということだ。

それをよく知っているはずなのに、何故在りもしない彼の手掛かりを探そうとするのだろうとティエルは考える。


「ねえ、サキョウ」
「うむ?」
「……サキョウとジハードは、クウォーツを探し出せたとして一体どうするつもりなの? 何を言うつもりなの?」
「わははは、お前がそれを聞くか!」

一冊の分厚い本を手にしていたサキョウは、一体何を言い出すかと思えば、と快活に笑いながら彼女を振り返った。

「あいつが姿を消した日からずっとワシは考えていたのだ。何故、あいつはこんな選択をしたのか。その意図をな」
「意図?」
「ワシらと離れる決心をしたことは、まぁ……悲しいことにあの時のあいつなりに悩んで悩み抜いた結果なのだ」

のんびりとしたサキョウの声。
何故彼の低い声はこんなにも聞いていて心地が良いのだろう。全てを包み込むような優しさが含まれた声であった。


「ティエルよ。お前はあいつが何故そんな選択をしたのか理由が分かるか?」
「……わたし達とは一緒に生きていけないと……思ったから?」
「仮にそうだったとして、お前はクウォーツに何を言うつもりなのだ。あいつはワシに負けないくらい頑固だぞー」

そんなことは勿論知っている。メドフォードで一緒に暮らそうと言っても、あの頑なな彼が素直に頷く訳がない。


「クウォーツに、メドフォードに戻ってきてなんて言うつもりはないよ。だって、聞いてくれるわけないじゃない」
「ほう?」
「わたしがただ彼に会いたいだけなんだもん。一緒にいたいだけなんだもん。クウォーツの意見は聞いてませーん」
「……お前は自分の感情に素直すぎるやつだなぁ!」

全く淀みもなく己の意見をすらすらと口に出したティエルがあまりにも正直すぎて、サキョウは笑いを噴き出した。
探したいから探す。会いに来てくれないのなら、こちらから会いに行く。そこに相手の意思は関係がない。
この話を聞いたのがもしもジハードであれば、眉を顰めながら『自分本位にも程がある』と説教が始まるところだ。

だがサキョウはどこか嬉しそうに笑い続けていたのだ。心からティエルは『種族に拘りがない性格』なのだな、と。
そんなサキョウの隣で、静かに話を聞いていたヴィステージも苦笑を浮かべる。


「あたしもティエルちゃんに負けていられませんね。そのくらいの意気込みでパパとママを探すつもりじゃないと」
「大丈夫だよ、わたし達も協力するからきっと見つかるはず……ん? あれ、珍しいね。他の利用客のひとかなぁ」
「えっ?」

その時。ティエルの大きな茶色の瞳が、こちらに向かってゆっくりと近付いてくる一つの人影を捉えたのだ。
彼女が現在腰掛けている脚立は高い位置にあり、左右に立ち並ぶ本棚の列の向こうまでよく見渡すことができる。
めぼしい明かりは彼女達が床に置いているカンテラが二つ。そして非常灯のぼんやりとした小さなランプのみだ。

薄暗いために性別や背格好までは分からなかったが、ふらふらとした足取りである。随分と具合が悪そうに見える。
左右に揺れながら、今にも倒れそうな足取りであった。


「なんだか歩き方がおかしいよ。もしかしたら気分が悪いのかも……ここ、空気が重いってナズナが言ってたし」
「あたし今、胃薬と頭痛薬と消毒薬しか持ってきていないんですけど、もしかしたらお役に立てるかもしれません」

「うむ、そうだな。おーい、そこの者! 気分が悪いのであればロビーに連れて行くぞ。おい、本当に大丈夫か?」


サキョウが声をかけても、相手から返事は発せられなかった。覚束ない足取りのままこちらに向かってくる。
もしや声も出せぬほど辛い状況なのだろうか。顔を見合わせたティエルとサキョウは、急いで駆け出そうとするが。
不安な表情を浮かべたヴィステージが、突然ティエルの腕を強く引き戻したのだ。

「ティエルちゃん、サキョウさん。待ってください!」
「……どうしたのヴィステージ?」
「なんだか様子がおかしいです。近付いてくる相手から、生きている気配を全く感じられません」
「なんだと?」


真剣な表情を浮かべるヴィステージの勢いに気圧され、ティエルとサキョウは近付いてくる影を改めて眺めてみる。
どこかで嗅いだことのある、微かに漂ってくる死臭。腐臭。
一体どこでこんな臭いを嗅いだのかとティエルは暫しの間だけ思案する。……そうだ。この臭いは一年以上も前に。

サキョウが掲げたカンテラの光に照らされた人物は、やはりどう見ても生きた人間ではなかった。
完全に血の気が失せて変色した顔色。死んだ魚のようにどろどろと濁った灰色の目。まさに生ける屍アンデッドだ。


「ティエル、よく見てみろ。あのアンデッドの服装を勿論覚えているな?」
「うん。あの服は……」

忘れるはずがない。メドフォード城を占拠され、嫌というほど何度も剣を交えたゾルディス屍兵のものであった。
拳を握り締めて構えの体勢を取るサキョウと、イデアを引き抜いたティエル。
そんな二人の様子から、近付いてくる屍兵が自分達の敵なのだと認識したヴィステージも杖をぎゅっと握りしめる。


「……ラ……スト……」
「え?」
「ラス……ト……ジャッジメン……ト……」

時折ひゅうひゅうと空気の音に紛れて聞き取りにくかったが、アンデッド兵は譫言のように何かを呟き続けていた。

「ラストジャッジメント?」
「確かにそう言っているように聞こえますね。どこかで聞いたことのあるような単語ですが……」
「気を付けろ、二人とも。どうやら周囲に屍兵どもが潜んでいるようだ。気配があちこちから感じるようになった」

「あちこちですか!? あ、あたし実はアンデッドが滅茶苦茶苦手なんですよぉ!」
「どうしてゾルディスの屍兵がここにいるの? このフロアだけなのか、それとも……。彼らの狙いは何なの!?」


サキョウの言ったとおり、周囲を観察してみると同じようにふらふらとした人影が本棚の影からいくつも見えた。
確かアンデッドは生ける者の肉を好んでいたはずだ。
虚ろな瞳で単語を呟いていた屍兵だが、サキョウが用心深く歩み寄った瞬間。歯を剥き出して襲い掛かってくる。

その行動を予測していたサキョウはこちらに向かってきた屍兵の頭を掴むと、そのまま勢いよく床に叩き付けた。
ぐしゃりと飛び散る腐った脳漿。こんな狭い場所での戦闘は大剣を扱うティエルにとってはかなりの不利である。

次々と姿を現す屍兵にティエルがイデアを構えようとすると、無言でサキョウがそれを制した。
背後から襲ってきたもう一体の屍兵を殴り飛ばす。丸太のように太い腕で殴られた屍兵の頭は呆気なく大破した。
アンデッドを殺すためには頭部を破壊することが確実なのだ。


「一刻も早くジハード達と合流せねばならん! あいつはともかく、一緒にいるナズナを安全な場所に逃がさねば」
「ぎゃーっ、やっぱりアンデッドは無理なんですうぅ! ティエルちゃん、早く逃げますよぉ!」
「う、うん……でもこの屍兵達、何かを探しているみたいだ」

ジハードと合流するべく先頭を走るサキョウ、それに続いて涙を浮かべながらティエルの手を引くヴィステージ。


「譫言のようにみんなラストジャッジメントって呟いているけど……なんだろう、もしかして魔法の名前なのかな」
「古代魔法でもそんな名前の魔法は聞いたことがありませんよ?」
「つい最近聞いたことがあるような単語だが、思い出せぬ。それがこのアンデッド兵達の目的なのかもしれん」

サキョウとヴィステージの二人も首を傾げている。確かについ最近どこかで聞いたことがあるような単語だが……。
狭い通路を走りながら、ティエルは辺りの温度が急激に下がったような錯覚に襲われ、思わず身震いをした。





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