Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第5章 シルヴァラース古代図書館
第51話 Endless Nightmare -4-
ティエル達三人が漸くジハードの元へと辿り着くと、既にそこは思わず目を背けずにはいられない惨状であった。
辺り一面血の海だ。元は一人の人間の身体だったのかと疑いたくなるような、無造作に散らばっている手足や内臓。
血の海の中心で、同じく真っ赤に染まったジハードが何かを抱えながら倒れていた。
「……ジハード!!」
ティエル達が駆け寄っても彼はぴくりとも動かなかった。触れた腕のあまりの冷たさに、ティエルはぞっとする。
体温の高いジハードにしてはあり得ないほどの冷たさだった。これではまるで死人の肌である。
周囲に散らばっている人間の塊は、状況から察するに恐らくナズナだ。そして彼が抱えている頭は彼女なのだろう。
一体ここで何があったのだろうか。散乱する本。焼け焦げた本棚。ナズナの凄惨な死体。誰が、こんな酷いことを。
ジハードは決して弱くはない。むしろ彼以上の魔術の使い手など見たことがなかった。そんな彼が何故負けたのだ。
それとも……負けたのではなく、戦うことができない理由があったのだろうか。
「おいジハード、しっかりしろ!! 今すぐにワシが医務室に連れて行くからな。必ず助けてやる!」
「待って下さいサキョウさん、無闇に動かすと危険です。まずは止血処置をしてから医務室に連れて行きましょう」
「う、うむ。そうだな。……ヴィステージよ、お前は医療の心得があるのか?」
「ええ。応急処置程度なら少し。ティエルちゃん、あたしの鞄から止血セットと緑のポーションを取って下さい」
「分かった!」
ヴィステージが日頃から持ち歩いている鞄の中には、様々な効力を持つポーションと救急セットが常備されている。
使うことがないといいんですけどね、とシルヴァラース古代図書館に出発する前に彼女はそう言って笑っていた。
まさかこんな状況で使うことになるなんて、とヴィステージは唇を噛みしめる。
「……やっぱりさすがですね、ジハードくんは」
「え?」
「右肩と脇腹、そして一番深い腹部の傷も……全て傷口を炎で焼いて止血しているみたいです。焼灼止血法ですよ」
傷の様子を調べていたヴィステージが思わず驚いた声を発した。既に全ての傷口が綺麗に止血されているのだ。
出血部位を焼くという、かなり乱暴な止血方法ではあるが、この処置のお陰で失血死を免れていると言ってもいい。
しかしティエルは思わず眉を顰めた。極陣の中には確かに炎の魔法はあったが、ここまで限局的に扱えただろうか?
極陣魔法は範囲が広いゆえに、ジハードほどの使い手でさえも己の極陣に足を踏み入れてしまうことがあったのに。
「止血処置が済んでいるとなれば、一刻も早く彼を医務室に運びましょう。ここでは満足な治療ができませんから」
「そうだな。だが、アンデッド兵にこのような真似はできまい。一体誰がジハード達にこのようなことを……!」
「ナズナさんは明らかに爆破の魔法で殺害されています。アンデッドが魔法を使うなんて聞いたことがありません」
簡単な処置で治せるような状態ではない。設備が整っている医務室に彼を連れていくためにサキョウが抱き上げる。
普段ならばジハードが治癒魔法で皆の傷を治してくれていた。彼が何度もティエル達の命を救ってくれていたのだ。
そこまで思考を巡らせてから、ティエルは凍り付いた。……では、ジハードの命は誰が救ってくれるというのだ?
彼が傷付いても誰も治すことができない。彼ほどの治癒魔法の使い手は、恐らくこの施設内には存在しないだろう。
「ティエル、行くぞ!」
「……ティエルちゃん?」
「う、うん」
呆然と立ち尽くしていたティエルは、二人の声で漸く我に返った。
あまりの惨状に足が思うように動いてくれなかった。底知れぬ恐怖が全身を襲う。ティエルは小刻みに震え始める。
ジハードは常に冷静で、物事を一歩引いて見ることができる青年だ。敵ならば容赦なく討ち、感情に左右されない。
そんな彼が、一体どうして。
ジハードのこんな姿を見たのは初めてだ。彼が死ぬかもしれないという恐怖。彼を失ってしまうのが心底怖かった。
心臓の鼓動が胸を突き破りそうだ。口の中がからからに乾いている。握りしめた拳に冷たい汗が溜まっていく。
早くこの状況を誰かに伝えなければ。一体今、このフロアで何が起こっているのだろう。
どうしてナズナはあれほどまで無残に殺されなければならなかったのだろう。彼女が一体何をしたというのだ。
もうすぐ書籍検索機が設置された読書スペースに辿り着く。そこを抜ければあとはワープゲートまで一直線だった。
交わす言葉もなく走り続けるサキョウの大きな背を眺めていると、……急にぎくりとしたように彼が立ち止まった。
立ち止まっている余裕などないはずだ。どうしたの、とティエルは眉を顰めながら前に進み出る。
サキョウは目を見開いたまま前方を見つめていた。彼の視線を追うようにティエルも顔を向けると……人影がいた。
ぼんやりと光を発している書籍検索機の前に立ち、タッチパネルに手を触れながら何かを検索しているようだ。
やがてその人物は気配に気付いたのか、ゆっくりとこちらを振り返る。
「騒がしいわねぇ……あら、誰かと思えばティエルじゃないですの。それにサキョウも。相変わらず元気そうねぇ」
淡いタッチパネルの光に照らされた女は、ティエルやサキョウがよく知る顔であった。
ハニーシアンの長い髪。女性らしい悩ましい曲線を描く肢体。旅をしていた頃は『リアン』と名乗っていた人物だ。
リアンはサキョウに抱きかかえられている意識を失ったジハードの姿を見つめると、悲しそうに口を開く。
「あぁ可哀相なジハード……。あの司書がつまらない意地を張り続けていた所為で、彼はこんな目に遭ったのよ」
「まっ……まさか、その服に付着している血は……ジハードくんやナズナさんを襲ったのは君なんですか!?」
「誰よ、あなた。知らない顔ねぇ。まぁいいわ。ティエル、サキョウ。くれぐれもジハードを死なせないで頂戴ね」
「リアン、やっぱり生きていたんだね!?」
「……待て」
リアンに向かって歩み出そうとするティエルと、怒りのあまり前に出るヴィステージをサキョウが突如止める。
聞いたこともないような怒りを帯びた声。静かで落ち着いた声にも聞こえるが、明らかに普段のサキョウとは違う。
「リアンよ」
「なぁにサキョウ? そうそう、ゴールドマインではごめんなさいねぇ、まさかアリエスが石化魔法を使うなんて」
「ワシのことはいい。それよりも、違うと言ってくれることを祈るが……ジハード達を襲ったのは本当にお前か」
「……私だと言ったらどうするつもりなんですの?」
「!!」
「ジハードと同じように、あなた達に私は止められないわ。傷一つ付けられない。無駄なことはやめておきなさい」
「……リアン……どうして? あんなにジハードとは仲が良かったじゃない。どうしてこんなことを……」
「頭が悪い娘ねぇ、私は焔の魔女。リアンではないわ」
涙を堪え、顔を歪ませながらふらふらとティエルが歩み寄ってきても、リアンの顔色が変わることはない。
寒気がした。目の前に立っている人物は、リアンでありながらリアンではない。中身はまるで別人のようであった。
姿も声も以前のままなのに。決定的な差は何だろう。……ティエル達を見つめる瞳に欠片も愛情が存在しないのだ。
「言ったでしょう? リアンという人物は全て私のお芝居。あなた達はそれを、面白いほど信じ込んでいただけよ」
「リアン! ……これ以上ティエル達を馬鹿にする発言はワシが許さん!!」
「やぁね、野蛮で怖い顔。あなたはレディに対する態度を、少しは勉強した方がよろしくてよぉ?」
「今までお前のことを信じてきたからこそ、娘のように大切に思っていたからこそワシはお前が許せない!
焔の魔女として罪なき者を殺してきたお前が! ジハードやナズナにこれほど無残な仕打ちをしたお前が……!」
怒りのために目を血走らせるサキョウ。ジハードを抱える腕が震え、彼の怒りがどれほど深いのかを物語っている。
リアンはその様子をつまらなそうな表情を浮かべながら眺め、溜息と共に口を開いた。
「威勢だけはいいですわねぇ……で、どうするつもりなんですの。サキョウ?」
「悔しいが、今はお前に構っている暇はない。そこをどけ、ジハードを早く連れて行かねばならんのだ」
「だから言っているでしょ、ジハードを死なせないでって。今回の目的はラストジャッジメントの文献だけですし」
涼しい顔でそう口にしたリアンは、しゃらしゃらと鈴の音を鳴り響かせながらゆっくり歩き始めた。
一瞬だけ緊張した表情を浮かべたサキョウだったが、リアンは彼の前を通り過ぎると本棚の向こうへと進んでいく。
彼女の姿が闇に紛れて消えると、険しい表情を戻したサキョウはティエル達へと顔を向けた。
「ティエル、ヴィステージ。急ごう」
「は、はい」
「……」
「ティエル?」
名前を呼ばれても彼女はぶるぶると震え、立ち止まったままだった。
サキョウに抱えられたジハードを見つめる。血に濡れ、血の気を失った顔色。薄暗い明かりの元では人形のようだ。
ナズナの亡骸は頭部と共に先程の場所に置き去りにしたままだ。唇を噛みしめ、リアンの消えた方向へ顔を向ける。
「……ごめん……ごめんなさい……」
「なに?」
「サキョウ、ジハードを……どうか、お願いします……」
瞳から溢れた大粒の涙が床に小さな水溜まりを作っていく。顔を歪ませたティエルは、絞り出すように口を開いた。
「リアンを追わなきゃ。ジハードをどうして傷付けたのか。だって、だって……わたし達、仲間でしょう……?」
「いかん、あいつはもう以前のリアンではないのだ! お前も分かっているはずだ、もう声など届くはずがないと」
「わたしはあの日からリアンと何も話していない! 話す前から諦めたくないよ……!」
「ティエル! 戻ってくるのだ、ティエルっ!?」
「……それでも、わたしはまだリアンが好きなんだ!!」
サキョウの制止の声も虚しく、ティエルはリアンが消えた方向に向かって駆け出してしまったのだ。
溢れ出る涙で視界がどんどんとぼやけていく。薄暗い非常灯だけが頼りの本棚の列。涙で歪んだ廊下を走り続ける。
フロア六十六の最北。厳重に施錠された鋼鉄の本棚の前でリアンは立っていた。
恐らくナズナから奪ったであろう金色のカードキーを手に、今まさに彼女は禁書のロックを解除しようとしていた。
「待って、リアン!」
「……」
力一杯に叫んだティエルの声にリアンの手が止まった。煩わしさを全く隠そうともせずに、彼女は静かに振り返る。
口元に呆れたような笑みを浮かべながらハニーシアンの長い髪を優雅に払い除けた。
その動作は以前のリアンと全く変わらぬ様子であったが、微塵の隙もない。明らかな殺気を放ち続けているのだ。
「ティエル、あなたも馬鹿ね……ジハードと同じ目に遭いたいの? 彼は最後まで、私を殺すことができなかった」
「当たり前でしょう!? 彼はずっと苦しんでた。わたしの前では顔に出さなかったけど、ずっと、ずっと……!」
「うふふ。あんなに近くにいたのに、私のことに気付けなかったって? 自分を責めるのが好きな彼らしいわぁ」
「……ジハードのことを、そんな言い方するのはやめてよ!」
「駄目よぉ、そんな怒った顔をしちゃ。何度も言ったでしょ、女の子は笑顔でいることが一番なんですのよ?」
「こんな時にどうやって笑えっていうの!? ねえ、本当に……本当に今までのリアンは全部嘘だったの……?」
「あなた達に対する愛情は嘘ではなかったわよぉ。でも許してね、これも全てアスモデウス様の理想のためなのよ」
見慣れた赤い瞳を細めてリアンはにっこりと笑うが、背筋が凍るような冷たさを帯びている。目が笑っていない。
ティエル達に対する愛情は嘘ではないと言っているが、それもアスモデウスのためならあっさりと捨てられる。
目的のためなら生贄にして殺すことだってできるのだと、メドフォード城での戦いでティエル達は思い知らされた。
「あのおじさんの理想? 全ての種族が仲良く暮らせる王国を作るっていう……?」
「そうよぉ。イデアを探していたのもアスモデウス様のためでしたけど、まさかあなたがイデアに選ばれるとはね」
「……わたしがイデアに選ばれた後も、リアンは旅についてきてくれたじゃない! ならどうして、そんなことを」
「不幸な事故であなたが死ねば、イデアはアスモデウス様を必ず選ぶわ。ただその機会を窺っていただけよぉ」
「違う! わたしを殺してイデアを奪おうとしたけど……リアンは殺すことができなかったんだ」
「はぁ?」
「殺す機会は沢山あった。わざわざ旅についていかなくても、わたしを殺してイデアを奪い取る方が早かったのに」
「小娘が、勝手な憶測を言わないで頂戴!!」
明らかに怒りの混じった声。躊躇いもなくリアンはティエルに向けて、風の魔法ウインドカッターを発動させた。
咄嗟に避けたつもりだったが、風圧だけで左腕が大きく裂けていた。背後の本棚は真っ二つになって崩れ落ちる。
痛い。しかし、これは現実なのだ。左腕を押さえながら、ティエルはそれでもリアンから顔を背けなかった。
「憶測なんかじゃない。わたしは、今でもリアンを信じてる。大切な仲間だと思っている」
「……」
「リアンが今までやってきたどんなに酷いことだって、わたしも一緒に背負っていく。……それが仲間なんだ!!」
目を逸らさず真っ直ぐに見つめてくるティエルを暫くの間眺めてから、リアンは溜息をつくと少し寂しげに笑った。
以前のリアンと全く変わらぬ姿であった。ティエル達を心から愛していた『演技』をしていた頃の彼女だったのだ。
微笑みながら、リアンは胸元から黒く輝く小さな玉をゆっくりと取り出すと、それをティエルの足元に放り投げた。
「えっ!?」
「ああもう……ジハードと同じことを言うのね。私の決意が揺らぐから、もう二度と会うことがないように願うわ」
投げ付けられた硝子玉が割れ、黒い煙が噴射する。どこかで見たことのある光景だった。とても不吉な予感がする。
そうだ。サバトの福音の象徴である地下神殿。ヴェリオル配下の黒騎士達が使用したものであった。
あの時は魔法封印効果のある透き通った檻になり、ジハードとリアンの二人を完全に閉じ込めてしまったのだ。
「うふふ、今度の中身は魔法封印効果のある檻ではないわよ。失敗作の簡易ワープゲートが詰まっているんですの」
「失敗作の……簡易ワープゲート!?」
「どこへ飛ばされるかは神のみぞ知る……素敵でしょう? きっとあなたの大好きな冒険が待っていますわよぉ」
黒い煙は既にティエルの身体の半分ほどを覆っている。
涙を堪えた瞳でリアンへと顔を向けるが、彼女はティエルの消えゆく様子を無表情のまま眺めているだけだった。
「……リアン……」
それがティエルの最後の言葉となり、黒の煙は完全に彼女の姿を覆い尽くすと、この場から消し去ってしまった。
世界の果てか、それとも死後の世界か。どちらにしても、もう二度とティエルとは生きて出会うことはないだろう。
彼女がいた形跡すらもなく、完全に消えてしまったのだ。アンデッド兵がふらふらと彷徨う、静まり返ったフロア。
そこには、さも愉快だと言わんばかりに笑い続けるリアンの声だけがいつまでも響き渡っていた……。
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