Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第6章 Melodies of Heart
第62話 Melodies of Heart -2-
「ひっ……殺される……!」
「早く逃げろ、こいつはオレ達が敵う相手じゃない! 町を封鎖して、早く悪魔ハンターさんの所へ行くんだ!!」
「お、おい! 待ってくれよ、オレを置いていかないでくれぇ!」
両眼に赤い光を湛えて使い魔を従えるクウォーツを前にして、この場に残り続ける命知らずの者がいるはずがない。
紛い物などではなく本当の化け物という存在をまざまざと見せ付けられた町人達は、恐怖のあまり逃げ出していく。
後に残ったものは、地面に叩き付けられて割れてしまったカンテラや傘だけであった。
人々の姿が完全に見えなくなると、漸くクウォーツは肩を落とす。切れた額から流れ落ちる血は未だに止まらない。
先程召喚した使い魔達が彼の元に集っていく。もういい、と彼が指を鳴らすと使い魔達は煙のように消え去った。
邪魔な町人達はいなくなったが、瓦礫の下に生き埋めになっているヘイムダルを一人で助け出さなければならない。
いくらクウォーツが剣の扱いに長けた戦闘力の高い悪魔族といえども、腕力は通常の成人男性と大して変わらない。
その上左足にあまり負担が掛けられない病み上がりの身である。そんな状態で、大男を助け出すことができるのか。
だが誰の手も借りることができない。クウォーツが助けなければ、間違いなくこのままヘイムダルは死んでしまう。
「……どうしてだろうな。同じ人間を、ただ容姿だけで蔑んで忌み嫌うのは。私には……やはり分からない」
放置されている折れた板を手にしたクウォーツは、先程ヘイムダルの声が聞こえてきた付近を掘り起こし始めた。
声が聞こえてきたということは、それほど深くは埋まっていない。運が良ければ隙間に挟まっている可能性もある。
土砂を板で掘り起こし、大きな石は両手で抱えて取り除く。折れた板の棘が両手を傷付け、手の平が血に染まった。
暫く掘り続けていると泥に塗れた人の顔が見えた。運よく周囲に隙間が生まれており窒息は免れているようである。
誰かが投げ出していったカンテラを手繰り寄せて顔を照らすと、ヘイムダルだった。どうやらまだ息があるようだ。
折れた板を投げ捨て、クウォーツは素手のまま無言で石を崩していく。
降り続ける激しい雨が、泥や血で汚れた彼の顔を洗い流していくようにも見えた。傷付いた手の感覚は既にない。
しかしカンテラの光に照らされたクウォーツの顔は、やはり人形のように無表情であった。
何も思うこともなく、何も感じることもなく。痛みに顔が歪むこともなく。息を切らすこともなく彼は掘り続ける。
ただ薄いアイスブルーの瞳だけが、じっとヘイムダルを見つめ続けているだけであった。
……どのくらいの時間掘り続けていたのだろうか。
漸くヘイムダルの身体を掘り起こしたクウォーツは彼の首筋に触れる。温かく脈もある。ただ気絶しているだけだ。
息を吐きだしたクウォーツは、ヘイムダルを背負うために彼の手を肩に回すが。がくんと膝から崩れ落ちてしまう。
いくらなんでも己の三倍の体重の大男を背負うなんて無理がある。華奢な体格のクウォーツならば尚更だった。
しかしこんな冷たい雨が降り続ける場所に留まり続ければ、ヘイムダルの体温を根こそぎ奪い取ってしまうだろう。
無理だできない、ではなく。自分がやるしかないのだ。
「お前は私を助けてくれた。……だから、今度は」
ぐっと歯を食いしばり、重い身体を背負う。全身の骨がみしみしと軋むような感覚。足の関節が悲鳴を上げている。
それでもクウォーツは歩みを止めようとはせず、半ば引き摺るようにしてヘイムダルを背負いながら歩き続けた。
一歩進むごとに左足に激痛が走る。当然だろう。まだ完治したとは到底言えるような状態ではなかったのだから。
乱暴に扉を開け、転がり込むようにしてヘイムダルの家に戻ったクウォーツは、彼を自室のベッドまで運んでいく。
全身の切り傷や打撲。意外なことに、怪我の具合は命に関わるほどではない。
家を押し潰した土砂崩れに巻き込まれた割には、奇跡的な状態だと言える。身体の頑丈さゆえの幸運なのだろうか。
泥を濡れたタオルで落とし、籠に入った消毒液と包帯を取り出した。塗り薬や熱冷ましなど様々な薬が入っている。
目立った傷だけを手当てしながら、ふとクウォーツはヘイムダルの顔を見つめる。
気を失っているヘイムダルはもう苦しげな呻き声を発してはいなかった。とても安らかな顔付きで目を閉じていた。
その様子を目にした途端、疲労が一気に押し寄せてくる。
全身が重い。両脚が痺れて力が入らなかった。そのままクウォーツは倒れ込むように傍らの椅子に身体を預ける。
この程度のことで音を上げている場合ではない。……町人達に姿を見られてしまった。問題はここからなのだ。
「……私は忌み子らしい」
誰に語り掛けるわけでもなくクウォーツは独り言のように呟いた。
勿論返事をする者はいない。
「どうやら私は不幸を引き寄せてしまう運命なのだと。まぁこれは、私の性格も関係しているのかもしれないが」
「……」
「先程貴様が口にした言葉に悪気がなかったのは分かっている。だからこそ……貴様の側にいることはできない」
「どうして、ですか……?」
その時。眠っていたはずのヘイムダルから声が発せられた。
言葉を止めたクウォーツを黒い瞳でじっと見つめ、青痣だらけの顔を歪ませながらぼろぼろと大粒の涙を零した。
「オレの未来にあんたの姿はない。そんなこと、もう分かっています。でもオレは他の誰でもない、あんただけが」
ヘイムダルは震える手を伸ばし、泥に塗れたクウォーツの頬を優しく拭ったが。彼が表情を変えることはなかった。
冷たい白い頬はクウォーツの心をそのまま表しているようで、やはり彼にはどんな言葉も届かないのだと痛感した。
これ以上何を言っても彼を引き留めることなどできない。それをヘイムダルは漸く理解したのだ。
「町の者達に私の姿を見られた。だが、姿を見られた後始末くらいは自分で付けてくる」
「……クウォーツさん。そんなことよりも、今のうちにこの町から逃げるんだ。あんたを追って悪魔ハンターが」
「知っている」
「あの悪魔ハンターはクウォーツさんを恨んでいます。見つかったら何をされるか分からない。だから、早く……」
「もう話すな。貴様は休んでおけ」
「でも」
「眠りにつくまで、今夜は側にいてやる」
「……いつもより優しいなあ。クウォーツさんにそんなことを言ってもらえるなら、怪我をした甲斐がありました」
「馬鹿なことを」
「あははは、すみません。それじゃあ……あんたが優しいうちに、一つだけ……お願いをしてもいいですか?」
「?」
「手を握っていてほしいんです。……オレが眠っている間だけでいいから、側にいてずっと手を握っていてほしい」
こくりと頷いたクウォーツは、ヘイムダルの手に己の冷たい手をゆっくりと重ねる。
完全にヘイムダルが眠りにつくまで椅子に腰掛け、無言のままクウォーツは彼の血豆だらけの手を握り続けていた。
安らかな寝息が聞こえてくるまで、そう長い時間は掛からなかった。安堵のために気が緩んでしまったのだろうか。
醜い奇形と言われて皆から忌み嫌われているヘイムダルの容貌であったが、寝顔は子供のように安らかだったのだ。
ヘイムダルが寝入ったことを確認すると、クウォーツは静かに彼から手を離すと立ち上がった。
靴音を鳴り響かせ、壁に掛けていた愛用の黒のドレスコートに袖を通す。このコートを着るのも随分と久々だった。
クウォーツが一歩進むごとに裾が広がるコートは、世界でただ一着だけ彼のためだけに仕立てられた代物であった。
ドレスを模した優美なデザインは一見動きにくそうに見えるが、見た目よりもずっと軽い素材で作られているのだ。
クウォーツの最大の武器である素早さを欠片も損なうことがない。彼にとっては戦闘衣装のようなものである。
コートを着込むと微塵の迷いも見せず、一直線に戸口へと向かっていく。
既に扉の向こうでは数名の気配が感じられた。どうやら息を潜めながら、用心深く屋内の様子を窺っているようだ。
この扉を開けば戦いの始まりだ。決して気を抜くな。ゆっくりと手を伸ばすとクウォーツは勢いよく扉を開け放つ。
やはり想像していたとおり、家の前には悪魔ハンターを先頭にして武器を構えた町人達がずらりと待ち構えていた。
武器といっても町人達が構えているものは単なる農具である鍬や鉈だったが、十分武器として役に立つものだ。
悪魔ハンターは勿論、町人達に家の中に踏み入られると少々厄介だ。素早く扉を閉め、戸口の前に立ちはだかった。
あんなにも激しく降り続けていた雨はすっかり止んでいるようだ。
クウォーツの姿を目にすると、嬉しそうに口元に歪んだ笑みを浮かべた悪魔ハンター・ガッシュが前に進み出る。
「会いたかったぜ。愛しいヴァンパイア様よぉ」
「……」
「あの不細工な男を飼い馴らすのは簡単だっただろうな。へへへ、何回くらい抱かせてやったんだ? クソ淫売が」
この悪魔ハンターは、ハイブルグ城で暮らしていた頃にクウォーツが出会ってきた人間達と全く同じ性質であった。
下卑た好奇の視線。わざわざ否定をするのも正直馬鹿らしい。そう思いたければ、勝手に思っていればいいだけだ。
実際にクウォーツはヘイムダルとは肉体関係を持っていない。壊れものに触れるように本当に大切に扱ってくれた。
「そんなことはどうでもいい。私と取引をしろ」
「取引ぃ?」
「貴様は私を捕らえた賞金が欲しいのだろう。それならばくれてやる」
「どういうことだよ?」
「意味が分からないのか。大人しく捕まってやると言っているんだ」
周囲の者達に聞こえぬように、歩み寄ったクウォーツはガッシュの耳元で小さく囁いた。
ガッシュにとっては願っても無い提案だ。相手にするのが厄介な悪魔族と戦わずに済むなら、是非ともそうしたい。
しかし魅力的な言葉の裏には必ず条件がある。ほんの一瞬だけガッシュは目を丸くしたが、すぐに笑みを浮かべた。
「オレにとっちゃ随分と魅力的な提案だが……で、条件は一体何だよ? 勿論タダってわけにはいかねぇんだろ?」
「……奥で寝ている男の安全確保が条件だ」
「はぁ?」
「あの男は私に利用されただけだ。私がいなくなれば、町人達の次の標的は悪魔族を匿ったあいつになるだろう」
「そりゃそうに決まっているじゃねぇか。人間の恥さらしとして運が良くて監獄送り、最悪斬首刑だぜぇ?」
「貴様が何とかしろ」
「ちっ、この女王様は無茶苦茶なことを言いやがるな。確かにオレならできなくもねぇけどよ」
クウォーツが出した意外な条件にガッシュは目を瞬かせるが、すぐに好色そうな笑みを口元に浮かべて見せる。
「まずギルドに突き出す前に、お前には町の教会で裁判を受けてもらう。有罪が決まっている形式的な裁判だがな」
「……」
「裁判後も簡単にギルドには突き出さねぇぞ。散々手こずらせてくれた礼をたっぷりしてやるから、覚えておけよ」
まぁ、全てが終わった後には貴様を殺すだけだが。……と、僅かな殺気すら出さずにクウォーツは心の中で呟いた。
これで取引は成立した。ガッシュは軽く肩を竦める動作をした後、ごほんと咳払いをしてから町人達を振り返る。
「よし。全てこのオレの計算どおりだぜ。実を言うと、この家のヘイムダルって男はオレの協力者だったんだ」
「え……?」
「あのヘイムダルが悪魔ハンターさんの協力者だって!?」
「一ヶ月前オレはこの悪魔族に重傷を負わせたが、傷が癒えるまでこいつが町に潜伏するのは目に見えていた」
「確かに、ハンターさんの言うとおりだな」
「オレ達町人は化け物がいなくなったと喜んでいたが……一ヶ月間も近くに潜んでいたなんて恐ろしい話だ……!」
「身を隠すには、孤立した家に目星を付けるはずだ。このヘイムダルという男の家は、身を隠すには最適だろう?」
「あ、ああ……ヘイムダルの家は町から完全に孤立しているしな」
「おまけに誰も訪れない」
「だからオレはヘイムダルとやらに言った。悪魔族が現れたら、オレが来るまで絶対に家で足止めしておけとな。
この悪魔族はやたら勘が鋭いからな。オレ達が協力者だと悟られないように一ヶ月過ごすのは、苦労したぜぇ?」
ガッシュの言葉に、武器を手にしたまま顔を見合わせる町人達。言われてみれば確かにそのとおりだ。
いくら奇形の化け物と町中から蔑まれているヘイムダルとはいえ、本物の化け物を自ら進んで匿うはずがないのだ。
それならば悪魔ハンターの協力者だったと言われれば納得がいく。一ヶ月間は彼にとって恐怖の日々だっただろう。
「……ってなわけだ。善良な町人達を恐怖に陥れた罪は重いぜ、ヴァンパイア様。さぁ、早速オレと来てもらうぜ」
ガッシュの合図と共に横で控えていた町人達が、麻縄を手にしながら恐る恐るクウォーツへと近付いてくる。
両手を背後に回され、きつく縛り上げられる。縄が手首に食い込む感覚が気に入らなかったが、表情には出さない。
どこを見ているのかも分からない硝子玉のような瞳のままで、クウォーツは抗うことを一切しなかった。
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