Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第6章 Melodies of Heart

第63話 Melodies of Heart -3-




先程まで夜空を覆っていた分厚い雨雲はすっかりと晴れており、時折雲の隙間から大きな満月が顔を覗かせている。

……とても青白い満月であった。
町の中心に位置する教会までの道のりは、人々を恐怖に陥れた悪魔族の姿を一目見ようと見物人が押し寄せていた。
家から出る勇気のない者達は、明かりを消した窓からそっと息を潜めながら大通りの様子を窺っているようだった。


「この化け物、よくも今まで町を恐怖に陥れてくれたな!」
「裁判なんて必要ねぇよ。こんなやつ、さっさと殺しちまえ。どうせ生かしていたって不幸を呼び寄せるだけだぞ」

「……いやでも、こりゃまた……とんでもないほど綺麗な男だな。いくらなんでも殺しちまうのは可哀想だろ……」
「確かにこいつが何をしたかといえば、別に何をしたわけでもないしな。鞭打ちくらいで許してやるのはどうだ?」
「へえぇ。男だろうがこれほど美人だったら、悪魔ハンターさんに言われなくとも喜んで家で匿ってやるかもなぁ」

「お前ら、早速騙されているんじゃねぇよ! こいつらは容姿でオレ達を狂わせ、堕落させる化け物なんだぞ!?」
「だからって殺すのはやりすぎなんじゃないか?」
「悪魔族は人間なんかじゃねぇ。人間によく似た魔物だ。本当に同情を誘うのが上手いやつらだぜ」
「そうだそうだ、早く死んじまえよ! この化け物が!」


小さな石や生卵。腐った果実。下卑た視線。そんなものが罵声と共に次々とクウォーツに向かって投げ付けられる。
自分に向けられる様々な悪意を彼は他人事のように聞いていた。罵倒に対して怒りや悲しみを感じるわけでもない。
確かに人間から見れば、彼は精気を奪い血を食らう化け物だ。……そう呼ばれるのも仕方がないことだろうと思う。

悪魔族で青い髪で、人の範疇を超えた美貌の持ち主で。彼には化け物と呼ばれる要素は十分すぎるほど揃っていた。
もしも色々なことを感じる心を持っていたならば、そう呼ばれた時に一体どのように感じるのだろうか。

感情の大部分がぽっかりと抜け落ちてしまっていることは、他人に言われなくとも彼が一番よく分かっている。
そこだけが、まるで最初からそうであったかのように大きく穴が開いていた。何も存在しないのだ。
けれどクウォーツはそれでもいいと思っている。感情を持てば弱くなるだけ。ならば、自分には必要がないものだ。


前方を歩いていたガッシュの歩みが止まる。クウォーツが顔を上げると、いつの間にか教会の前に到着したようだ。
彼らしくもなく周囲が見えなくなるほど思考に没頭していた。
厳かな佇まいと厳つい鉄製の門。小さな町の教会の割には大きな建物だった。それほど町人達の信仰心が強いのだ。

重々しく扉が開かれると、一番初めにクウォーツの瞳に映ったものは最奥の像。彼らが信じ、縋っている神の姿だ。
その像の前に白い祭服に身を包んだ中年の男が立っている。禿げ上がった頭に立派なヒゲ。随分と肥えた体格だ。
暫くの間ぼんやりと神父の姿を眺めていたクウォーツだったが、早く進めとばかりに背後から強く突き飛ばされる。

……神父と目が合った。
その瞬間、神父は驚愕の表情で彼を見つめたが、すぐに穢らわしいものを見るような目付きで顔を背けてしまう。


「おお……なんと穢らわしい存在だ。姿かたちをそのように美しく装い、あろうことかわたくしを誘惑するなど!」
「?」
「神はお前の存在を決して許しはしない。そもそも悪魔族とは神を無礼にも誘惑し、地に堕とされた天使の末裔だ」

首から下げた神を模った小さな像を両手で握りしめると、神父は吐き捨てるようにして口を開いた。
吐き捨てたいのはこちらの方だとクウォーツは思った。そもそも誘惑したとは何のことだ。そんな覚えは全くない。
ただ目が合っただけで誘惑をされているとは勘違いも甚だしい。いくらなんでも自意識過剰が過ぎるのではないか。

相手の容姿に頓着をしないクウォーツではあったが、どうせ誘惑をするなら肥えた男よりもっとましな相手がいい。


「貴様を誘惑とは心外だ。私にも相手を選ぶ権利がある」
「……悪魔め、許可なく口を開くな!」
「!」

ぱぁん、と乾いた音が響き渡る。神父がクウォーツの頬を張った音である。
傍らの椅子に腰掛けていたガッシュは、顔はあまり傷付けるんじゃねぇよ、と不満そうに文句を口に出していたが。


「悪魔よ、これより裁判を始める。わたくしの問い掛けに嘘偽りなく答えるのだ。神は常に見ておられるからな」
「……」
「まずはその忌まわしき名前、年齢、そして出身地を答えよ」

両手を拘束され、膝を突かされている状態のクウォーツに向かって、聖書を手にした神父は勿体ぶった口調で言う。
だがクウォーツは何も答えなかった。名前はともかくとして、年齢や出身地は記憶がないのだから答えようがない。
恐らくハイブルグは本当の出身地ではないだろう。年齢も分からない。そして、元々答える気もなかったのだが。


「何をしている、さっさと答えよ! 生きることを許されない悪魔にも、つまらぬ名前くらいは存在するだろう」
「答える気はない」
「わたくしの問い掛けは神の問い掛けにも等しいのだ! お前は今、神の代理人に対してそのような暴言を……」

「貴様が神の代理人ならば、聞きたいことがある」
「なんだと?」
「神は全ての者に対して平等ではないのか。助けを乞う者がいれば、手を差し伸べるのが神という存在だろう」

「何かと思えば愚かなことを……神は平等だ。代理人であるわたくしも迷える子羊に対して平等に手を差し伸べる」
「ならば何故ヘイムダルを見殺しにした。あの土砂崩れの現場に、貴様も野次に紛れて眺めていたではないか」
「!」
「助ける素振りすら見せず、貴様は早々に立ち去った。神の代理人は迷える子羊に手を差し伸べるのではないのか」

「……ヘイムダルは奇形の化け物だ。あのように醜い人間がどこにいる。神は化け物の存在を決して認めはせぬ」


奇形ならば人間だろうが認めないというのか。ただ他人よりも醜い容姿で生まれてきただけで神に見放されるのか。
そんな馬鹿な話があってたまるか。全く理解ができない。

「醜いものは存在すら認めないということか」
「あの者の母親であるタダは赤子のあまりの醜さに一目見た瞬間に悲鳴を上げた。母親にも見捨てられた化け物だ」
「では聞きたい。……貴様は先程、私に対して美しいと言ったな。ならば私には手を差し伸べてくれるのか」

「わ……わたくしが救う者は、清く正しい心を持った人間だけだ。ヘイムダルや、お前のような化け物ではない!」
「ヘイムダルは人間だ。まさに今貴様が述べた、清く正しい心を持った人間なのではないのか」
「そ、それは」

「あいつの今日までの行いを思い返してみろ。それでもまだあいつを化け物という言葉で罵ることができるのか。
 一体どちらが化け物だ。……私には、貴様が神父という人間の皮を被っただけの醜悪な化け物にしか見えない」


決して激しい口調ではない。
むしろ淡々とした抑揚のない声であるはずなのに、クウォーツの声はしんと静まり返った教会に響き渡った。
硝子の瞳から目を離すことができない。まるで射抜かれたように神父は彼の瞳から顔を背けることができなかった。

ざわざわざわ。困惑したような表情を浮かべた町人達が顔を見合わせている。
ヘイムダルを化け物と呼んで差別をしている彼らでも、さすがに神に認められない存在とまでは思っていなかった。
確かにヘイムダルは醜く、常に背を丸めて俯いている暗い青年ではあるが、植物を愛する大変心優しい青年だった。


「な……なぁ、そういえばヘイムダルがオレ達に何かしたこと……あったか?」
「いやだって、この間の洪水や今回の土砂崩れはあいつの所為だっただろ? そう誰かが言い出したんじゃないか」
「誰かって誰だよ? オレはそんなこと言ってねぇぞ」

「だから言ったでしょう!? もうこんな差別はいい加減やめようって。それなのにあんた達が!」
「神父様はあの土砂崩れの現場にいたのか? ヘイムダルだとしても、さすがに神父様が見殺しにするのは……」

「静粛に、静粛に! 悪魔族の声に惑わされるでない、この者の言葉は正真正銘の悪魔の囁きであるぞ!」


やはり心の底からヘイムダルを嫌っている者ばかりではなかった。彼の献身的な性格を考えれば当然のことである。
誰かが化け物と呼んでいるから、深く考えずに同じように呼んでいた。それはとても残酷な行為だった。
この流れはまずい、と神父が周囲に静かにするように怒鳴るが戸惑いを含んだ町人達の騒めきは一向に収まらない。

その様子を表情すら浮かべることもなく眺めていたクウォーツの姿を、神父は憎悪を込めた眼差しで睨み付けた。


「悪魔よ、お前を見ていてよく分かった。……お前達は、想像以上に危険な存在だった。言葉にも魔力を持つのか」
「言葉に魔力などない」
「ならばこの状況を一体どう説明するのだ!? 町人達は皆、お前の言葉に惑わされているではないか!」
「それは貴様が一番よく理解しているのでは。神父の言葉と悪魔の言葉、人間達は果たしてどちらを選ぶのか」

神父にとってはまさに最上級の侮辱だったのだろう。神の代理人である己と、地に堕ちた悪魔族を同列に語るなど。
目を見開き、怒りのあまり小刻みに震えていたが、やがて神父は口元に寒気がするような薄ら笑いを浮かべたのだ。
視線の先は退屈そうに前列の椅子に腰掛けている悪魔ハンター、ガッシュであった。


「悪魔ハンター殿。この悪魔族を、裁判後に生きたまま引き渡すという約束はなかったことにしてもらいたい」
「はぁあ!? なんでだよ、約束が違うじゃねーか!」
「この者は生かしておくにはあまりにも危険な存在だ。神父であるわたくしの前で人の心を狂わせようとしている」

「いやいや、神父さん落ち着けって。こいつの美貌を見ろよ。殺すにはあまりにも勿体ねぇだろうが!」
「だからこそだ。……この者はいずれ神すら誘惑し我々を破滅に導くだろう。見よ、既に多くの者達が悪魔の虜だ」

ガッシュが振り返ると、教会に集った町人達は確かに神父の言葉よりも悪魔族の言葉を選んで動揺している。
だが生きたまま身柄を渡すということが条件で神父に引き渡したのだ。そう簡単に約束を破ってもらっては困るが、
これ以上裁判を引き伸ばしたくはない。ガッシュは気が短い性格だ。ここは納得した振りをしておく方が無難だ。


「神父さんがそう言うんじゃ仕方ねぇ。どちらにしろ死体でもギルドから賞金は貰えるからな」
「協力、感謝する。悪魔ハンター殿」
「だからとっとと裁判ってやつを終わらせてくれよ」

「うむ。……皆の者、静粛に! 町を恐怖に陥れ、あまつさえ惑わそうとした悪魔の処刑を明日の夜に執り行う!」


先程までの怒りの感情を微塵も感じさせることのない冷徹な神父の言葉が、ざわざわとした教会内に響き渡る。
……その時。突如乱暴に教会の扉が開いたのだ。まるで扉を勢いに任せて殴り飛ばしたような大きな音であった。
町人達は皆口を閉ざして一斉に扉を振り返る。誰かが小さくあっと声を上げ、ヘイムダルじゃないか、と呟いた。

考えていたよりも目覚めが早かった。クウォーツは小さく溜息をついてから、それからゆっくりと背後を振り返る。
開け放たれた教会の扉の前には、ぶるぶると震えながらこちらを見つめているヘイムダルの姿があった。





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