Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第7章 姫君は遥かなる大地を征く

第68話 外壁庭園 -試練の森1-




「すぐに答えることができなくて当然ですわ。ティエル様、あなたは進むべき道を今迷っているのでしょう」
「わたしが迷ってる?」
「はい。道が分からなくなっている迷いが、あなたをここ……外壁楽園に呼び寄せてしまったのかもしれませんわ」

「……ねえ、ロイア」
「なんでしょう?」
「確かにわたし、少し前まで迷っていたのかもしれない。今までにないくらいどうしようもなく迷っていたのかも」
「そうなのですか」

ロイアから視線を逸らし、ティエルは両手をぐっと握りしめる。
確かに迷っていた。クウォーツを探しに行くことも。リアンと再び出会ったときに、自分は一体どうしたいのかも。

だが結論は出た。悩み抜いた末に結論は出した。たとえ一方的であろうと、クウォーツと会いたいから探しに行く。
リアンに対してもそうだ。彼女がどんなに罪を重ねていたとしても、ナズナのことを含めて一緒に背負っていくと。
ティエルはそう決心したのだ。そして動き始めた。……だから、今の彼女に迷いなどがあるはずがなかった。


「わたしは迷わない、自分で選んだ道を進んでいくだけだ。だからここで立ち止まっているわけにはいかないよ」
「ティエル様。あなたは……諦めないのですね」
「諦める?」
「ええ。この外壁楽園に迷い込んでしまった者達の大半は、諦めてこの場所で朽ちていく運命を選んでいきますわ」

「……」
「あちらの男性も、どこか迷っているような感情がありました。だから彼に何も申し上げることはなかったのです」

ロイアの言葉に、少し離れた場所で腰掛けていた青年がはっとした表情で顔を上げる。
確かに先程彼は『ロイアに問い掛けているけど、何も答えてはくれない』と言っていた。それは迷いの所為なのか。
いつまでも迷いを持ったままでは、この楽園を抜け出ることは決して叶わない。ロイアはそう言いたいのだろう。


「この楽園ならば迷いすらも忘れることができる。そしてわたくしも、それが一番幸せなのではないかと思います」
「幸せ、なのかな」
「どういう意味でしょう?」

「悩んだり迷ったりすることは確かに心を不安定にさせるよ。わたしだって、できることなら迷いがなく生きたい」
「はい」
「でもさ、ロイア。その迷いすら全て忘れてしまうことが本当に幸せなことなのかな? わたしは忘れたくないよ」

己の持てる力を振り絞り、精一杯足搔きながら生きていく。その結果出した答えがたとえ何であれ、後悔はしない。
ティエルならば全てを忘れ去ってしまうよりも、足搔き続けることを選ぶ。勿論、その考えは人それぞれだろうが。


「ふふふ。ここでは時間は永遠にありますわ。暫くのんびりと考えてみるのもいいのかもしれませんわね」

あどけない笑顔。ロイアは心から純粋な人物なのだとティエルは思った。そうでなければこんな笑顔などできない。
彼女については謎が多すぎる。こちらに敵意は持っていないのは明らかだが、手助けしてくれる理由が分からない。
ゴールドマインで出会った時からロイアに対してはつい心を許してしまう。そんな雰囲気の持ち主であった。

「……こんなに賑やかな日は久々ですわ。折角いらっしゃったお客様達に、とっておきの紅茶をご馳走いたします」


ティエルやあの癖毛の青年が久々の来客なのだろうか。そもそもロイアはこの外壁楽園に住んでいるのか。
彼女は随分と上機嫌な様子を隠しきれておらず、背後の古びた教会へと向かっていく。長い黒髪がさらりと舞った。
誘われるように歩き始めた青年とは裏腹に、ティエルの足は進まなかった。ロイアを見つめながら唇を噛みしめる。

「アレ、どうしたんですかお嬢さーん。お茶をご馳走してくれるって。考えるのは後にして行ってみましょうヨ」

ティエルの思い詰めた様子に首を傾げながら青年は立ち止まり、彼女を元気付けるように軽い口調で声を掛ける。
先程までの彼の態度から察するに、元々物事を深く考えない軽い人物なのかもしれないが……。


「まずはあのお姉さんに温かい飲み物でも頂いて、ゆっくり考えましょうヨー」
「……」
「そういえばここって空腹とかの概念ってあるんでしょうかね。生と死の狭間の場所らしいですし、ないのかなァ」

「お二人とも、どうかしましたか?」
「ほらぁ。お姉さんが呼んでますヨー」
「……わたくし、また変なことを言ってしまったのですね。昔からそういうことが多くて空気を読めと言われます」

「ううん、違うの!」
「ですが」

しゅんと項垂れてしまったロイア。ティエルと彼女に挟まれるような形で青年は困ったような表情を浮かべていた。
どうやらロイアは完全に誤解をしてしまっているようだ。


「ロイアのことは勿論好きだよ。美味しい紅茶を頂きながら、沢山お話したいけど……今はごめんね、できないの」
「どうして……でしょうか」

「こうしている今も、わたしの帰りを待っているひと達がいる。大怪我をして苦しんでいる大切なひとがいるんだ」
「……」
「どうしても仲直りをしたい大切な友達も、それに、必ず探し出して一緒に歩んでいきたいひとがいるから……!」


暫しの沈黙。ロイアは口を閉ざしたままティエルの瞳を優しげな黒い瞳で見つめていた。
まるで遠い昔からティエルを知っているような眼差しだった。遠い昔、どこかで出会ったことがあったのだろうか。
やがてふわふわとした足取りでロイアがこちらへ歩み寄ってくる。白いローブがまるで羽のように揺れていた。

「大切な人がいるのですね。だからティエル様には迷いがない。……そのお気持ちは、痛いほど分かります」
「ロイア」
「外壁楽園から抜け出す方法が全く存在しない訳ではないのです。ですがわたくしはあなたに行ってほしくはない」
「……」
「今まで多くの方が試練の森へ入って行かれましたが、その殆どが今も彷徨い続けています。だから、わたくしは」

「それでも。わたしは、みんなのところに帰る」

何もできないままじっとしているのが嫌だった。耐えられなかった。
たとえ可能性が低くても足搔いていたい。何もできぬまま、ここで朽ちていくだけの運命なんて絶対に嫌だった。
しっかりと前を見据えるティエルの様子を驚いたように見つめていたロイアだが、やがて穏やかな笑みを浮かべる。


「……分かりました。ティエル様、あなたを試練の森へと案内いたしましょう。どうか必ず、森を抜けて下さいね」
「うん、ありがとうロイア。ところで試練の森でわたしは何をすればいいの?」
「何か特別なことをする必要はありません。ただ、森を抜ければいいだけですわ」

「それじゃあとっても簡単だよね? ……なのに未だに森を彷徨い続けているひと達が大勢いるんだ。どうして?」
「どうしてでしょう」
「もしかして森を抜け出られない何かがあるんじゃ……うん、まぁいっか」

「それでは早速参りましょうか、試練の森へ。この教会からそれほど離れてはいません」


くるりと軽やかに身体の向きを変えたロイアは、足音を全く立てずに森の小道を進んでいく。
その背中をぼんやりと見つめていたティエルであったが、はっと我に返ると慌てて彼女の後を追おうと歩き始める。
だが癖毛の青年は切り株に腰を下ろしたまま彼女に向けて手を振るだけであった。彼は試練を受けないのだろうか。

「行かないの? おにいさん。ロイアが行っちゃうよ」
「僕は行きませんヨ。なにしろ迷いがありまくりですからねェ。暫くはのんびりと過ごすのもいいかもしれません」
「どうして嘘を言うの? 本当はそんなこと、心にも思っていないよね? 一緒にここから抜け出そうよ」

「迷いがあるのは本当のことですヨ。……僕の迷いの所為で君の道が阻まれてしまうことになるかもしれませんし」
「わたしはそんなことで足は止めない。ねえ、おにいさんは元の世界に帰りたくないの?」
「フフフ、勿論帰りたいですヨ。ですが」

「それならわたしと一緒に行こうよ。こうしている間にも、待っていてくれるひとが心を痛めているかもしれない」
「……」
「家族とか、友達とか。必ずおにいさんの帰りを待っているひとはいるよ」

「……家族ですかァ。そうですね、お嬢さんの言うとおり……僕を待っていてくれるといいんですが」


どこか寂しげに笑う青年。だがそれも一瞬の間だけであった。ゆっくりと切り株から立ち上がると歩き始めたのだ。
ティエルと共に試練の森へ行く決心がついたようだ。

ロイアに続くようにして二人が古びた教会の裏に回ると、じめじめと湿った空気が漂う深い森の入口が見えてきた。
周囲の明るく神秘的な森とは違い、太陽の光が殆ど差し込んでいない。対照的である。
そんな森を前にしてもロイアは歩みを止めずに進んでいく。絡み合う太い木の根など、意にも介していないようだ。

逆にティエルは何度も躓きそうになっていた。……そういえば、ゴールドマインでもこんなことがあった気がする。


森の中に一歩足を踏み入れただけで、周囲はまるで夜のように暗くなる。やはり日の光が殆ど入ってこないのだ。
聞き慣れぬ鳥の鳴き声が静かな森の中で響き渡り、不気味な余韻を残していた。
暗く湿った細い道を会話もなく歩き続けていると、やがて蔦が幾重にも垂れ下がった道の前でロイアが立ち止まる。

「……この先が、試練の森と呼ばれる道ですわ」
「ここが? なんだかただの森の中の道のように見えるよ。この道の先で試練を受けるの?」
「ええ。足を踏み入れた時から試練は始まっております。多くの者達が試練に挑戦し、今でも彷徨い続けています」

「今でも彷徨い続けているんだ?」
「進む道を見失い、永遠に森の中を彷徨い続ける迷い子達……どうか、あなた達は決して道を踏み外さぬように」
「うーん。難しいことはよく分からないけど、肝に銘じておくよ。ねっ、おにいさん」
「え!? あ、ああ……そうですねェー」


薄暗い道が真っ直ぐと続いており、この道をたった二人だけで進まなければならないのかと思うとやはり心細い。
しかし試練とは一体どんなものなのだろうか。試練と名が付いているからには、何かを試されるのかもしれないが。
肝心の試練の内容はロイアから語られることはなかった。無事に森を抜ければ合格したことになるのだろうか……。

にっこりと笑みを浮かべたロイアは静かに背を向けると元来た道を戻り始める。
周囲に霧が立ち込め、彼女の姿を覆い隠す。ゴールドマインの時と同じだった。彼女をこれ以上追ってはいけない。
今はただ前に進むだけだ。後ろを振り返っている場合ではない。必ずこの森を抜け出し、仲間の元へ帰らなければ。

同行者は得体の知れない派手な青年が一人。彼は一体どのような経緯で外壁楽園に迷い込んでしまったのだろうか。


「わたし、頑張るよ。……試練なんかに絶対に負けないから」
「森の中に危険な魔物なんて出てこないですかねェ。残念ながら僕はお嬢さんを守れるほど強くはないんですヨー」
「その時はわたしが戦って、おにいさんを守るから! それと、わたしのことはティエルでいいよ」

「じゃあティエルちゃんと呼ばせてもらいますヨ」
「おにいさんのお名前は?」
「僕の名前はテユーラといいます。フフフ。暫くの間ですが、よろしくお願いしますね」
「はーい! こちらこそよろしくね、テユーラおにいさん」

どこかで耳にしたことがあるような名前だとティエルは思ったが、それがどこで耳にしたのかまでは思い出せない。
きっとそのうちに思い出すことがあるだろう。ぐっと拳を握りしめると、彼女は幾重に垂れ下がる蔦を潜り抜けた。





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