Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第7章 姫君は遥かなる大地を征く

第69話 外壁庭園 -試練の森2-




真っ直ぐに続く獣道。
じめじめと湿った印象が強く、周囲はまるで夜のように暗い。淡く輝く魔法ゴケがなければ一歩も進めない状況だ。
青緑色に光を発している魔法ゴケは、二人の行く先をぼんやりと照らしている。それでも十分心強い味方であった。
そう考えると森の中ではこの魔法ゴケには何度も助けられているような気がする。

魔法ゴケの光輝く色合いは種類によって異なる。一般的に魔法ゴケと呼ばれているものは青緑の光を発しているが、
生息地域によっては紫色や青色に輝く種類も存在しているのだ。しかし、赤や橙などの暖色系の種類は聞かない。
見知らぬ遥か遠い地では暖色系の魔法ゴケも存在しているのかもしれないが、機会があれば一度見てみたいと思う。


そこまで考えていたティエルの顔に、自然と笑みが浮かんだ。
まだミランダが健在だった頃は、魔法ゴケの知識など皆無だった。いつの間にか多くの知識を手に入れていたのだ。
平穏な生活と引き換えに掛け替えのない仲間達と大切な経験を手に入れた。一体どちらが幸せだったのだろうか。

それはティエルには勿論分からない。ミランダやゴドー達と過ごした日々も、彼女にとっては大切な日々であった。
大切さなど比べてはいけない。どちらも大切であればそれだけでいいのだと彼女は思っている。


「ティエルちゃん」
「えっ? なに、テユーラおにいさん」
「君はこの森を抜けたらどこに帰ろうと思っているんですか? 抜けた先が、その場所の近くだといいですネー」
「シルヴァラース古代図書館……ううん、やっぱりメドフォード王国に帰ろうと思っているんだ」

「メドフォード王国?」
「うん。知らないかな。水と緑が豊富で、すっごく綺麗な国なんだよ」
「いえいえ何度も耳にしたことがありますヨ。でもあの王国は……少し前まで、内乱で大変だったと聞いています」
「確かに色々とあったけど、今はとても平和になったよ。よかったらテユーラおにいさんも一度遊びに来てね」


穏やかな会話。暫くの間森の中を歩き続けているが、試練という感覚がいまいち分からない。
ロイアは森の中に入った時点で既に試練は始まっていると言っていたが、本当に歩いているだけで試練になるのか。
まあ試練が始まったときに考えればいいだろう。今はまずこのテユーラという青年のことをよく知りたいと思った。

知っていることは彼がエルフ族で、ティエルと似たような状況で外壁楽園へ迷い込んでしまったということだけだ。
大変謎めいた青年だが……せめてどこから来たのか、どこへ帰るつもりなのか程度ならば聞いてもいいだろう。


「じゃあ、おにいさんはどこに帰りたいの? 帰りを待っていてくれる人がいるんだよね」
「そうですネー……僕が本当に帰りたいのはもっと別の場所なのかもしれませんが。フフフ、そのうち話しますヨ」
「あれっ、なんだか誤魔化してる?」

「とんでもない。ただ国の名前を出すと、君が怖がってしまうかもしれないですし。それほど悪名高い国なんです」
「ふーん、テユーラおにいさんは怖いひとなんだ?」
「どうでしょうねぇ」

そんな会話を続けている間にも、同じような風景が延々と通り過ぎていく。
果たして出口に向かって進んでいるのかとティエルが眉を顰めた時、前方から駆け寄ってくる三つの人影があった。


「ティエル? 本当に……ティエルなんだね!?」
「おーい、ティエル! お前も無事だったのか、本当によかった!」
「もう一人で勝手にいなくならないで下さい! ティエルちゃんに何かあったら、あたしどうしたらいいか……」

一人は太陽の光を帯びた白髪の青年だった。額に貼り付けられた青の呪符が、彼が足を踏み出すごとに揺れていた。
もう一人は鋼の筋肉を持つ大男である。黒目がちな穏やかな瞳は、常にティエルを包み込むように見つめてくれる。
最後の一人は桃色の癖毛をした娘。困ったように怒ったようにくるくると表情を変えながら彼女に駆け寄ってくる。


「ジハード、サキョウ!? ヴィステージも、どうしてこの森にいるの……みんな図書館にいたんじゃないの?」

駆け寄ってきた三人に驚いて目を丸くさせたティエルであったが、すぐに満面の笑みを浮かべて彼らに飛び付いた。
ジハード達はそんな彼女を優しい笑顔で受け止めてくれる。そんな彼らの表情がとても懐かしく感じた。


「うん。実はあの後、ぼくらも焔の魔女に外壁楽園まで飛ばされたんだ。今までずっとあなたを探していたんだよ」
「あ……そうだったんだ……。でもジハード、すごい怪我を負っていたんじゃ」
「ぼくを誰だと思っているのさ。あの程度の怪我なんて、すぐに治癒魔法で完治できるぜ。知っているだろう?」

いつもと全く変わらぬはずのジハードの笑顔。彼が生きている。それだけで安堵のあまり足から力が抜けてしまう。
ナズナの首を抱えていた彼の腕は恐ろしく冷たかった。今、触れている腕もちゃんと温かい。大丈夫。生きている。
だが、ティエルはほんの少しジハードの言葉に違和感を覚える。それは些細なことのようで、とても大きなことだ。

それでも彼が無事でいれば、それだけでいい。もう、これ以上余計なことは考えないことにしよう。


「ジハードの治癒魔法は誰よりもすごいもんね! そんなこと、言われなくても知ってるもん」
「うむ、そうだな。ティエルよ、お前が焔の魔女の後を追って突然駆け出した後は……本当に大変だったんだぞ?」
「……勝手な行動をして……ごめんなさい」

「分かってくれればいいんです。あたし達もあの後すぐに飛ばされちゃいまして、行き先が同じでよかったですよ」
「ヴィステージ達もロイアと出会って試練を受けにきたの?」
「はい。ティエルちゃんのことですから、危険だろうと何だろうと必ず試練を受けるはずだと思いましたからね!」


今までティエルが抱えていた不安など、既に吹き飛んでしまっていた。
彼らと一緒ならば、たとえどんなことだって乗り越えられる。試練の森も一緒に乗り越えていけるような気がする。
そうだ。まずは三人にテユーラを紹介しなければ。彼もこの森を共に抜ける頼もしい仲間なのだから。

「三人とも紹介するね。このテユーラおにいさんは、わたし達と同じく外壁楽園に飛ばされてしまったひとで……」

「……ティエル、誰のことを言っているんだい?」
「どうした、後ろには誰もいないではないか」
「もー、ティエルちゃんったらまだ寝惚けているんですね! 目覚めるために丁度いい苦いお薬がありますよぉ?」

「えっ?」

振り返ったティエルの瞳に映った光景は、誰もいない薄暗い森の道であった。
……おかしい。先程までここには確かにテユーラが立っていたはずなのに。彼は忽然と姿を消してしまったのだ。
もしやジハード達に意識が向いていた僅かな時間に別の道を行ってしまったのか。だが試練の森は一本道のはずだ。


「ティエル、きっと夢でも見ていたんだよ。この森は何があっても不思議なことではないからね」
「でも」
「ぼくらが優先すべきことは、まずこの森を抜け出すことだ。そしてメドフォード王国に戻って一度立て直そう」
「それは……勿論そうだけど」

ぽん、と優しく頭を叩かれる。そのジハードの手の温かさは本物で、彼の姿は決して幻ではないと証明してくれた。
テユーラのことも気にかかるが、まずは一番確かめなくてはならないことがある。現実を直視しなければならない。
早速先へ進み始める三人の背を見つめながら、ティエルはおずおずと口を開いた。


「あ……あのさ。……ナズナは、どうなったの?」
「えっ、ナズナかい?」
「あの死体は、本当にナズナだったの?」

「……彼女はとても残念だったな。全く焔の魔女も酷いことをするよ、運が悪かったとしか言いようがないなぁ」
「え?」
「うむ、あれは仕方がないことであった。不慮の事故のようなものだろう。ティエルもそう割り切るしかない」
「そうですよ。終わったことをいつまでも悔やんでいては前に進めません。ナズナさんのことはもう忘れましょう」

三人から視線を向けられて、ティエルは思わずその場に立ち止まった。
ああ、そうか。先程から抱いていた小さな違和感は……こういうことだったのか。ほんの些細なことだったけれど。


「立ち止まったりなんかして一体どうしたんだい、ティエル?」

「ジハードは……焔の魔女なんて呼び方はしないよ。ずっとリアンとして彼が接し続けていたこと、知ってるから」
「あはは、そうだったかな」
「わたしの知っている三人は、ひとの死を事故だなんて簡単な言葉で片付けたりしない。あなた達は一体誰なの?」

「それ以上言ってはならん。ワシらと共にいたいのであれば、気付かない振りをすればいい」
「あたしはティエルちゃんとまた離れ離れになってしまうのは嫌です! お願いですから、そんなこと言わないで」

「……もう、いいから」
「ティエル」
「ティエルちゃん」

ぐっと目を閉じたティエルは、それから絞り出すような声を発した。本当は側にいてほしい。
ヴィステージの言うとおり離れ離れになるのはもう嫌だ。だが気付いてしまえばこの幸せな時間は終わりを告げる。


「あなた達は……わたしの弱さが作り上げた、ただの幻だ」


……三人からもう言葉は発せられなかった。
恐る恐る目を開けてみると、まるで最初から誰もいなかったように目の前には暗い道のりが続いているだけだった。
背後を振り返ってみるが誰もいない。勿論テユーラもあれから姿を消したままである。ただ静寂だけが包み込む。

まだ、大丈夫。前に進めるはずだ。……きっと、大丈夫のはず。
試しに一歩足を踏み出してみるが、ちゃんと言うことを聞いてくれている。足は先に進むことを拒んでいなかった。

溢れ出しそうになってしまった涙を堪えてティエルは再び進み始める。
森の出口に一刻も早く辿り着かなければならなかったが、はぐれてしまったテユーラも探し出さなければならない。
暗く湿った森の道は同じような光景が延々と続き、本当に出口に向かって進んでいるのか彼女には分からなかった。

早くこの森を出たい。これ以上ここにいたくない。それだけを考えながらティエルはただひたすら歩み続けていた。


どのくらい進み続けていただろうか。鬱蒼と生い茂る森の先に、一人の女が立っていたのだ。
その瞬間思わず身体が強張った。歩みを止めたティエルに気付いた彼女は、笑顔を浮かべながら駆け寄ってくる。
ああ、大好きだったはずの彼女の笑顔だ。とても心が温かくなって、何度も勇気を貰えたはずの笑顔であった。

くるくると波打つハニーシアンの長い髪に、蜂蜜を垂らしたカーネリアンの瞳。間違いなく……リアンであった。


「もしかして……ティエル? ねえ、ティエルなんですのね! こんなところで出会えるなんて夢みたいですわぁ」
「リアン……」
「私、やっぱりあなたが心配になって追いかけたの。怪我は痛くない? ああもう、本当にごめんなさいねぇ」

可憐な顔に笑顔を浮かべたままリアンは優しくティエルを抱きしめる。
懐かしい香り。彼女が旅の最中愛用していた香水が微かに漂う。この匂いに包まれていると、とても心が安らいだ。
本当はこのまま縋りたい。抱きしめたい。だがティエルは厳しい表情を崩さぬまま、そっとリアンから身を離した。


「どうしたんですのよ。ティエル?」
「そんなことよりも、言わなくちゃいけないことがあるはずだよ。リアン、どうして無関係のナズナを殺したんだ」
「……」
「でもね、わたしも一緒に背負っていく。一人でなんか背負わせないよ。だから今はまだ甘えるわけにはいかない」

しっかりと前を向き、リアンを見つめた。
哀しげな笑顔を浮かべた彼女の姿は段々と朧げになっていく。行かないでと手を伸ばしたくなるのを必死に堪える。

「けれど待ってて。……必ずリアンに会いに行くから」





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