Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第7章 姫君は遥かなる大地を征く

第72話 煌く琥珀の都市 -1-




見渡す限り、どこまでも続いている荒れ果てた砂漠。
長い年月風に曝された巨大な岩や覇王樹と呼ばれる植物が、まるで天に手を伸ばしているかのように聳え立つ大地。
岩の周囲には小さな石の欠片がいくつも散らばっている。恐らく完全に朽ち果て、風で削り取られてしまったのだ。

時折激しい風が巻き起こり、砂埃となって小さな石が周囲に舞い上がる。気温も高く空気も乾燥しているようだ。
魔物か動物か。巨大生物の白骨化した死骸が砂に半分ほど埋もれており、生きる者の気配などまるで感じられない。
じりじりと太陽が背中を焼く。とんでもなく暑い。まさに『死の大地』といった表現がしっくりとくる場所だった。


「なんて暑いの……」

鞘に入ったままのイデアを砂に突き立てて汗に濡れた額を拭い、疲れ切った表情で呟いたのはティエルであった。
彼女の背後では同じく汗を浮かせたテユーラ。余裕の表情を浮かべている謎深い青年だが、さすがに暑いのだろう。
迷い込んだ外壁楽園で見事に試練に打ち勝ち、森を抜けたティエル達二人の目の前には砂漠が広がっていたのだ。

ある意味では外壁楽園の試練にも匹敵するほどの過酷さである。
森の試練は精神的に挫けそうになってしまったが、初めて足を踏み入れる砂漠は肉体的に挫けそうになってしまう。
途中に何度か休憩を挟んではいるが、飲まず食わずで歩き続けるには無理がある。砂漠に慣れぬ二人ならば尚更だ。

そんな過酷な状況の中でティエルの心を支え続けているものは、ただ『仲間と再会したい』という思いだけである。
しかし心ではそう思ってはいても身体の方はそろそろ限界だ。無理をして歩き続ければ、やがて足も動かなくなる。
足が動かなくなれば、いよいよ死が現実に迫ってくる。残念ながら気力だけではどうにもならないこともあるのだ。


ふと立ち止まったティエルは、流れ落ちる額の汗を拭いながら辺りを見回した。やはり見えるものは広大な砂漠だ。
このままでは二人ともここで行き倒れてしまうのではないか。そんな思いがじわじわと現実味を帯びてくる。
『砂漠にて、身元不明の男女二人の干乾びた遺体を発見』……そんな恐ろしい新聞の見出しが脳裏に思い浮かんだ。

むしろこの場合遺体を発見されるのならば、まだ幸せなのかもしれない。
誰にも気付かれぬまま人知れずこの砂漠で朽ちていく運命も大いにあり得るのだ。むしろその方が確率が高かった。


「それは嫌……それだけは絶対に嫌だよおおおぉぉー……」
「僕にはティエルちゃんが何を考えているのか手に取るように分かりますヨ。フフフ、当ててみましょうか?」
「おにいさん、汗でびちゃびちゃの顔で嬉しそうに言わないでくださーい。話すと体力を更に消耗しちゃいますー」

「いつでも楽しく愉快に過ごすことが僕の信条なんですヨ。笑顔のない暗い人生なんて面白くないですから」
「こんなことになるなら、ロイアから近くの町について聞いておけばよかったなぁ……」
「アレ?」
「でも今更ロイアに会いに外壁楽園に戻るわけにもいかないよね? 折角試練に合格したのに、また逆戻りなんて」

「ティエルちゃん」
「?」
「ほら、前方を見てください。微かに町が見えますヨ。僕達の苦労は無駄ではなかったんです!」


確かにテユーラの言ったとおり、虚ろになったティエルの瞳に揺らめく都市の影が映る。全く気付いていなかった。
暫くその影を無言で眺めていたティエルであったが、やがて我に返ったように目を見開いたのだ。
砂で霞んだ目をぱちぱちとさせて揺れる影を眺めてみる。確かに砂漠の中に都市がある。これは決して幻ではない。

「やったぁ、町だぁ! この距離なら後ちょっとで辿り着けそうだよ!?」
「運が良かったですねェ。間違いなく砂漠の都市ですヨ。ただ……蜃気楼の類でなければいいのですがネー」
「なに? 蜃気楼って」
「フフフ。何でもないですヨ。さあ行きましょう」

目標さえ見つかれば、足取りは自然と軽くなる。
先程までとは打って変わって軽快な様子で、ティエル達は朧げに揺れる都市に向かって意気揚々と歩き始めたのだ。


元気を取り戻してからの二人の足では、都市に辿り着くまで二時間もかからなかった。
所々砂埃が舞い上がり、全体的に粘土を練り固めて作ったような四角い建物がずらりと並んでいる大きな町である。
町のあちこちには覇王樹に囲まれた大きなオアシスが見受けられ、太陽の光を受けてきらきらと水面が輝いていた。

通りを忙しそうに歩く人々は日除けの布を頭から被っており、見たこともないような涼しげな服装を纏っている。
確かに気温が高い。高すぎると言ってもいいほどだ。しかし乾燥した空気のためか、我慢ができないほどではない。
日除けの布は色とりどりの糸で編み込まれており、鮮やかで美しい織物だ。こちらも目にしたことがない編み方だ。


「……随分と遠い場所に飛ばされちゃったような気がする」
「残念ながら僕もそう思いますヨ。まず元居た場所に徒歩で帰れる距離ではないことだけは確かでしょうねェ……」
「新しい場所に辿り着いたときには、宿の確保と地図の購入を一番最初にしなさいってジハードがよく言ってたよ」

「ジハード? ティエルちゃんのお友達ですか」
「うん。わたしの大切な仲間の男の子なんだ。今は大怪我しちゃってて……一刻も早く帰らなくちゃならないの」
「それは心配ですねェ。確かにジハードという人物の言うとおり、まずは宿の確保と地図の購入ですヨ」


道行く人々の浅黒い肌を眺めながら、ティエルは改めて遥か遠い地へと飛ばされてしまったことを思い知らされる。
少なくともメドフォード王国からは途方もなく遠い地なのだろう。目にしたこともないような文化であった。
この世界は果てしなく広いと聞く。徒歩で帰るのが無理だとしても決して諦めるわけにはいかない。必ず帰るのだ。

宿を探すために周囲を見回すと、都市の中心部には黄金色に輝く大きな建造物が見えた。丸い屋根が特徴的である。
町の入口で口を開けたまま呆然と見つめているティエルの側を、頭の上に大きな籠を乗せた女達が通り過ぎていく。
見たことがない文化というものは目を奪われてしまう。これがただの気楽な旅であれば、とても楽しかっただろう。

左右に所狭しと並んでいるのは様々な品物を並べている商店のテントだ。買い物客や観光客で大いに賑わっている。
気を抜くとうっかり人の流れに誘われて、とんでもない場所に流されてしまいそうであった。


「ところでテユーラおにいさん」
「なんでしょう?」
「宿の予約を取るのも地図を買うのもお金が必要なんだけど、わたしの手持ち金……一万リンくらいしかないよ」
「……困りましたねェ。僕もあまり現金を持ち歩かない主義で、同じく一万リン程度です」

「二人合わせて二万リンかー。地図を買うとすれば、五日も持たないかもしれないね」
「暫くこの町で情報収集をしつつお金を稼いで、ある程度貯めてから次の町を目指した方がいいかもしれませんヨ」
「うん」
「理想は三食付き住み込みの仕事ですが……そんな簡単に、これほど都合のいい条件の仕事の募集なんてあるわけ」

「おにいさん、あったよ!」
「えっ!?」


ティエルが指さした先には、大通りに向けて『急募! 宿の従業員二名募集』と書かれた張り紙があった。
短期間の従業員二名募集。しかも三食賄い付きの上に、住み込みだ。まさにテユーラが理想としていた条件である。
期間は約二週間。賃金は一日五千リン。二人合わせて一日一万リン。二週間で十四万リンはなかなか魅力的だった。

「どう? すごくいい条件じゃない。ここに行ってみようよ。丁度宿も探していたし、このままお願いしちゃおう」
「まさか本当にこんな募集が存在するなんて……早速行ってみましょう。場所は路地裏ですかァ」


張り紙に描かれた地図は路地裏を指している。
日陰になった路地裏は思ったよりも広い道だった。大通りと比べると人通りも少なく、どこかほっとできる空間だ。
若干気温も低く感じられる。辺りを見回しつつ進んでいくと、やがて突き当りで一軒の宿屋が二人を迎えてくれた。

「ふーん、随分大通りから離れた場所にあるんだ。まぁそっちの方が落ち着くと思うし、丁度いいかもしれないね」
「僕は割と賑やかな場所の方が好きなのですヨ。フフフ、パレードやカーニバルが大好きなんて意外でしょう?」
「……割とおにいさんのイメージどおりだと思うよ」

「えっ、それは一体どういう意味なんでしょうかねェ」
「どういう意味なんだろうねえ?」


テユーラの髪の色は賑やかな色合いの上に、服装も個性的である。彼が派手好きなのは誰の目から見ても明らかだ。
だが当の本人はそれに気付いていないようで訝しげに首を傾げているだけだったが……。

どうやらこの町の建物は全て粘土で作られているようだ。固められた頑丈な壁は、雨で濡れても崩れないのだろう。
そっと外壁に触れてみると想像していたよりもひんやりとした感触だ。粘土の硬度というよりも石の硬度である。
宿屋の入口は扉が見当たらず、元はさぞかし鮮やかな色合いだったであろう色褪せた布が垂れ下がっているだけだ。

恐る恐るティエルが垂れ布の隙間から覗いてみると、しんと静まり返ったロビーが視界に入る。休憩時間だろうか。


「あのう、すみませーん」
「僕達張り紙を見て来たんですけど」
「誰かいませんかー」

質素なカウンターに向けて声を掛けてみるが返事はない。
しかし入口で突っ立っているわけにもいかず、二人はとりあえずロビーの長椅子に腰掛けて店員を待つことにした。
長椅子といっても長方形に固められた粘土の上に簡素な布が敷かれただけの椅子である。多分、椅子で間違いない。

外の気温と比べると建物の中は比較的過ごしやすい。建物に使用されている粘土には気温を冷やす効果があるのか。
椅子に腰を下ろすと、今日の疲れがどっと押し寄せてくる。思えば外壁楽園からここまで睡眠を取っていなかった。


「ティエルちゃん。……まず僕らが知るべきことは、この町が一体どこの大陸に位置しているかということです」
「うん。あとはお金を稼いで地図を購入する。どんなに遠い場所でも、少しずつでもメドフォードに進みたいなぁ」
「その心意気は立派ですが、もしも数十年かかる距離だとしたら……現実的な方法を考えなければなりませんヨ?」

「現実的な方法ってどんな?」
「それはですねー……」

指を立てながら真剣な表情を浮かべたテユーラが口を開くと同時に、フロントの奥から恰幅のいい女が姿を現した。
驚いたような顔を見せた女だったが、すぐに笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。


「あらやだ! お客さん、気付かなくてすまないね。厨房で料理を作っていてさ。お二人さん、部屋の予約かい?」
「お客さんというか……わたし達、大通りの従業員募集の張り紙を見てここに来たんだ」
「フフフ、三食賄い付きの上に、住み込みは魅力的ですヨ」

「あー……張り紙ね、見てくれたのかい。この時期は琥珀祭で人手が足りなくなるから募集をかけたんだけど……」

「わたし達なんでもやるから、お願いします!」
「お嬢ちゃん、あんた未成年だろ? 張り紙の募集は成人済みに限るってしっかり書いてあったはずだよ」
「えっ」

「フフフ。安心してくださいティエルちゃん、僕なら大丈夫ですヨ。成人なんて随分昔に通り過ぎてますからねェ」
「お兄ちゃん、あんたも張り紙をよく見ていなかったのかい? 成人済みの女性を募集って書いてあっただろ」
「えっ」

まさかそんな事項があったなんて。条件の良さばかりが目に入って、二人とも完全に見落としてしまっていたのだ。
浮かれていた自分達が悪い。もう一度大通りに戻ってギルドを探そう。いや、その前にせめて宿の予約だ。
落胆のあまり肩を落とした二人の姿があまりにも哀れに見えたのだろう。宿屋の女将は溜息をついてから口を開く。


「まぁ……折角張り紙を見て来てくれたんだ。琥珀祭も来週から始まっちまうし、二人とも雇ってあげるよ」
「本当!? ありがとう、女将さん!」
「僕ら馬車馬のように働きますヨ」

普段は夫婦二人で営む小さな宿だが、来週から開催される『琥珀祭』の期間だけは臨時で従業員を雇うのだという。
今週のうちに仕事を覚え、来週の繁盛期までにベッドメイクなどの基本的な仕事をこなさなければならない。
だが見知らぬ地で二週間の寝床の確保と仕事が見つかったのはこの上ない幸運であった。一歩前に進んだと言える。

ティエルにとって初めての労働だ。今まで労働の真似事は経験があるが、本格的に働くのはこれが初めてであった。
一刻も早く仲間達と再会するために、国に戻るために。ティエルはやる気に満ちた瞳で拳を握りしめたのだった。





+ Back or Next +