Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第7章 姫君は遥かなる大地を征く
第73話 煌く琥珀の都市 -2-
ティエルとテユーラが琥珀の都市アンブラに滞在してから既に一週間が経っていた。只今琥珀祭の真っ只中だ。
そう、ここは琥珀の都市。このアンブラの中心部には『琥珀の宮殿』と呼ばれる黄金色の大きな宮殿が建っている。
大変煌びやかで丸い屋根が特徴的な建物だ。ティエル達が町に初めて訪れた際に、ちらりと目にした建造物だった。
琥珀の宮殿の最深部には……この町の守り神である琥珀の吐息という名前の、同じく黄金の宝石が安置されている。
幸いにも今日までこの町では流行り病も大きな飢饉もない。これも皆琥珀の吐息の御利益だと町人達は信じていた。
そして琥珀祭とは一年に一度、守り神に日頃の感謝の気持ちを捧げて一週間祭を開催する、伝統的な行事なのだ。
勿論この一週間は琥珀祭を目当てに各地から観光客が大量に押し寄せる。アンブラの一年に一度の稼ぎ時であった。
宿屋の臨時従業員として雇われたティエル達は毎日忙しく過ごしており、琥珀祭を楽しむ余裕などは全くなかった。
宿泊客達の朝食の準備、後片付けに部屋の掃除。そして昼食の準備と後片付けだ。仕事は次から次へとやってくる。
漸くティエル達が休息を取れたのは既に十五時を回ろうとしているところであった。そういえば昼食もまだだった。
この宿屋はオーナー夫婦以外に従業員はいない。普段はそれでも人手が足りていたが、祭の最中はそうもいかない。
毎年ティエル達のような臨時の従業員を雇っているのだという。勿論、条件は成人済みの女性二人と決めている。
ティエルのような未成年や、テユーラのような男性従業員を雇ったのは今年が初めてなのだと女将は言っていた。
成人済みという条件は理解できるが、何故女性なのだろうと尋ねると……細やかな気配りができるからだと言った。
その話を聞いたテユーラは『男の中にも僕のように細やかな気配りができる者もいますヨ』と不満そうであったが。
……本日の休憩時間は約三時間ほどだ。それが終われば、今度は夜に向けて客の出迎えと夕食の準備が待っている。
元々募集は女性二人という条件だったため、初日からずっとティエルとテユーラは同じ部屋で寝泊りをしている。
一国の姫君が素性の分からぬ若い男と寝食を共にしているなどと、トーマ大臣が耳にすれば卒倒してしまうだろう。
しかしティエルは細かいことを気にする性分でもなく、同じくテユーラも彼女を『小さな女の子』と認識している。
テユーラにとっては年の離れすぎた兄妹、もしくは娘のような感覚なのだろう。若干保護者のような態度が目立つ。
勿論ティエルは年齢的にはそろそろレディと言っても差し支えないのだが、見た目は未だ幼い少女のままであった。
そんな二人は漸く訪れた休憩時間にほっとしつつ、厨房で遅い昼食を取っていた。賄い付きというのは大変有難い。
本日の賄いは豆を潰して揚げたコロッケを、野菜と共に簡単にパンで挟んだ料理である。
食べたことのない料理であったが、舌に慣れるとなかなか美味だ。この地方は特徴的な香辛料を用いる料理が多い。
「それにしても疲れましたねェ……さすがにこれほどハードワークとは思いませんでしたヨ」
「うん。一日があっという間に過ぎている気がする。あ、このコロッケ美味しいなぁ。レシピが知りたいなー」
「ティエルちゃんにとっては初めての労働ですよネ? 慣れない環境で大変でしょう」
「お金を稼ぐことはとても大変なんだなって思ったよ! ……でも、ほんの少し一人前になれたような気がする」
「フフフ、そうでしょうそうでしょう。僕は君がそう感じてくれるだけでも嬉しいですヨ」
「ちなみにテユーラおにいさんは、どんな仕事をしていたの?」
「え?」
「外壁楽園に飛ばされる前も、おにいさんは仕事をしていたんでしょう? その時のお話を聞かせてほしいな!」
「その時のお話ですかァ」
その時。いつもにこにこと笑っているテユーラの瞳に、一瞬だけ暗い色が宿ったことをティエルは見逃さなかった。
笑顔を絶やさない様子はジハードを連想させるが、心から笑っていないジハードとは違って彼は心から笑っている。
そんなテユーラが一瞬だけ真顔になっていたのだ。
もしかしてあまり思い出したくない仕事なのかもしれない。話題を変えるべきか、とティエルは口を開きかけるが。
「僕の仕事は、大勢の人々を元気にさせる魔法を研究することなんですヨ」
「人を元気にさせる魔法? あっ、分かった。治癒魔法の研究のことなんじゃないの!?」
「治癒魔法とは違いますが……そうですねェ、重病人ですら元気に動き回ることができる素敵な魔法というべきか」
「重病人も元気に? すごいなぁ、治癒魔法は病気や毒には効かないから、更にすごい魔法なんだね」
「どんなに不治の病に苦しんでいる人も、すぐに元気になれるんです。世界中の人々に掛けてあげたい魔法ですヨ」
それは凄い研究なのではないだろうか。
もしもこの場にジハードやヴィステージがいれば、きっと二人とも興奮しながらテユーラに詰め寄っていただろう。
古代図書館で離れ離れになってしまったこの場にいないジハード達の安否が気にかかる。どうか無事でいてほしい。
「そうだ。ティエルちゃん、今からでも琥珀祭を見に行きませんか? 僕達、全然お祭を楽しんでいないでしょ」
「琥珀祭を? ……とても楽しそうだけど、わたしは遊んでいる場合じゃ」
「思い詰めるのも良くないですヨ。たまには息抜きもしないと、気力を失ってしまいますから。行きましょうヨー」
「おにいさんひとりで行ってきていいよ。わたしはここで留守番してるから、お祭楽しんできてね」
「えーっ、僕は君と一緒に行きたいんです。それにほら、今は各地から多くの観光客が集まっているんですヨ?」
「それがどうしたの?」
「多くの観光客が集まるということは、色々な情報が集まるということです。帰る方法も見つかるかもしれません」
ティエルの不安を感じ取ったのか、テユーラはそれに気付かない振りをしながら明るい口調でぽん、と手を打った。
確かに彼の言うとおりだ。多くの観光客から有益な情報が聞けるかもしれない。新しい町での情報収集は大切だ。
琥珀祭に立ち寄ることがメドフォードに帰る第一歩になるかもしれないのだ。
「メドフォードを知っているひともいるかな!?」
「それは分かりませんが、決して無駄ではないと思いますヨ。ですが、情報収集は飽くまでもさりげなくですヨ?」
「はーい!」
「考えてみれば……僕達はこの町のことを知らないまま一週間が経ってしまいました。そろそろ動き出す時ですヨ」
「琥珀の宮殿って町の中心にある大きな建物だったよね? すっごく綺麗で、きらきら輝いて見えた気がするな」
「最深部にはこの町の守り神である琥珀の吐息とやらが安置されているそうですが、一度見てみたいですネー」
「あっ、おにいさんが観光気分になってる!」
「僕は派手なものが好きなんですヨ。そうですねェ……その守り神とやらに、僕達の旅の無事でも祈りましょうか」
「……なんとなく毎日を生きていると、生きていることが当たり前になって感謝の気持ちを忘れちゃうよね」
「フフフ。僕もそう思いますヨ」
どんなに大きな幸せであっても、当たり前になってしまうと……それがどれほど幸せであるのか忘れてしまうのだ。
琥珀の吐息に旅の無事をお願いしよう。見知らぬ地の守り神は果たして異国の旅人の願いを聞き入れてくれるのか。
守り神が公開されるのは祭の最終日。つまり三日後だ。それまでは周辺で聞き込みをするのもいいかもしれない。
ティエルとテユーラは宿屋の女将に祭に出掛ける旨を告げてから、琥珀の宮殿に向けて歩き始めたのだった。
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町の中心に向かう広いメインストリートは左右に露店がずらりと並んでおり、多くの観光客達でごった返していた。
見たこともないような奇抜な衣装を着た観光客。エルフ族やドワーフ族、それにティエルの知らない種族もいる。
この町に初めて訪れた時とは比べ物にならぬほどの人の多さだ。気を抜くとテユーラとはぐれてしまいそうである。
メインストリートを真っ直ぐに進んでいくと、琥珀の宮殿の正面ゲートに辿り着くのだと宿屋の女将が言っていた。
宮殿内は祭の期間だけ一般公開されているらしい。折角の機会なので、ティエル達は宮殿内部を見学するつもりだ。
焦っていても何も始まらない。時には立ち止まり、心の休息を得ることも大切だ。これはジハードの持論である。
ジハード達の安否はとても気掛かりである。できることなら、一刻も早く彼らの無事を確かめたい。
全員の無事を祈りつつ、それでもどうすることもできない現状に決して絶望しない。必ず再会できると信じている。
そんなことを考えながら進んでいた所為だろうか。人の波に飲まれていつの間にかテユーラの姿が消えていたのだ。
慌てて周囲を見回すが、特徴的な髪の色と奇抜な服装は見当たらなかった。
彼も琥珀の宮殿内部を見に行くと言っていた。目的地は同じである。ならば琥珀の宮殿に向かった方がいいだろう。
舞い上がる砂埃。周囲の観光客に何度かぶつかりそうになりながらも進んでいくと、やがて視界がさっと開けた。
……まるで黄金の宮殿である。町の入口からでもその迫力は伝わっていたが、間近で目にすると迫力が桁違いだ。
太陽の光を受けて黄金に輝く外壁。丸みを帯びた屋根に埋め込まれている宝玉は紅玉と翡翠で統一されている。
職人が丹精込めて丁寧に彫り上げたのだろう。外壁や柱には細かい彫刻が見受けられ、観光客の目を奪っていた。
正面ゲート前ではティエルと同じように、圧倒的な存在感に見惚れている観光客が数多く立ち止まっているようだ。
想像以上に荘厳美麗な建物だ。こんなに美しい光景を、一人ではなくて皆と見たかった。
思わずじわりと涙が浮かぶ。心の休息を取るはずだったが、どうしても仲間達との思い出に繋げて考えてしまう。
時刻はそろそろ夕暮れを迎える頃だ。オレンジ色を帯びた光を受けて、琥珀の宮殿はまさに黄金色に輝いている。
その様子はどこか神々しくもあり、琥珀がこれほど綺麗なものだとティエルは知らなかったのだ。
そうだ。早くテユーラを探さなければと、周囲の眩しさに目を細めた彼女の瞳に……その時信じられぬ人物が映る。
正面ゲートが開け放たれた中庭で不意に横切った人物。夕日に輝くプラチナブロンド。黒の衣装。あの横顔は……。
「……ガリオン!!」
「わっ、なんだなんだ!? 危ないな、ちゃんと前を見て走ってるのかぁ?」
「ちょっと何なのよこの子? もう、押さないでよ!」
大声で叫んだティエルは地面を蹴って無我夢中で走り出す。見間違えるはずがない、あの人物は確かにガリオンだ。
すれ違い様にぶつかってしまった観光客から抗議の声が上がっても、ティエルは振り返らずに走り続けた。
漸く先程ガリオンを見かけたゲート付近に辿り着くが、そこに彼の姿はなかった。つい先程見掛けたばかりなのに。
あのガリオンの姿は幻だったのか。会いたいと願う心細さのために、存在するはずのない人物を見てしまったのか。
それとも……よく似た別の誰かと見間違えてしまったのだろうか。
……そんなはずはない。あのガリオンを見間違えるなんて、ティエルにとっては決してありえないことだった。
それならば何故彼がここにいるのだろう。あまり考えたくはないが、ゾルディス黒騎士団の仕事でここにいるのか。
黒騎士団として琥珀の都市アンブラを訪れているのなら、何のために? この平和な町を武力で支配する気なのか。
いくら考えても答えが見つかるはずがない。考えれば考えるほど、彼女の脳裏には不吉な考えばかりが浮かぶのだ。
ぐっと強く手を握りしめたまま、ティエルはただ一人正面ゲートの前で立ち尽くしていることしかできなかった。
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