Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第7章 姫君は遥かなる大地を征く
第75話 煌く琥珀の都市 -4-
「姫様はチョコバナナクレープがお好きでしたね」
琥珀の宮殿前の広場を一望できる大きなカフェのテラスにて、ぼんやりと黄金の広場を見下ろしていたティエル。
そんな彼女の元へ、クレープの包みを手にしたガリオンがあの頃と全く変わらない笑顔を浮かべて歩み寄ってくる。
ガリオンを連れて時折城を抜け出して城下町へと遊びに出掛けた記憶が、今では随分と遠い昔に感じてしまった。
頑丈な石造りのテラスの手すりを掴んだまま振り返ったティエルへ、ガリオンはクレープの包みを差し出した。
何も変わることのない優しい笑顔。ゾルディス黒騎士団の一員となって、彼の顔付きが険しくなったわけでもない。
いつもと同じだ。メドフォード城で過ごしていた頃のガリオンと変わらない。それが余計に悲しく思えてしまう。
変わらぬ彼の姿を眺めていると、本当にメドフォード王国を捨ててしまったのだろうかと信じられなくなってくる。
もしかしたら、全ては夢だったのか。……祖母ミランダやゴドーが殺されたことも、全ては長い悪夢だったのか。
全てが夢であったならば、どれほど楽だっただろう。辛い思いをせずに今でも祖母達と幸せに暮らしていたはずだ。
だが辛い思い出ばかりではない。ジハードやサキョウ達と出会わなかった人生なんて、もう考えることができない。
「やっぱりガリオンだったんだね。ほんとに驚いちゃった。人違いだって思わずに探し続けていて……よかったな」
「姫様」
「どうしてこの町にいるの? 観光で来たわけじゃないよね。だったらお仕事で来たのかな」
「勿論仕事で訪れたのですが……どうやら当てが外れてしまいましてね。元々信憑性に欠ける情報だったんですよ」
「そうなんだ。あっ、このクレープ冷たくて美味しい! バニラのアイスクリームが入ってるんだね」
クレープを頬張るティエルの様子をガリオンは微笑ましく見守っている。
そんな彼の手にはコーヒー。ブラックで飲めない甘党の彼は少量のミルクとスプーン一杯の砂糖を必ず入れるのだ。
宮殿前の広場では人々が集っている。いよいよ琥珀祭最終日のメインイベント、琥珀の吐息が公開されるのだろう。
「それに、驚いたのはオレの方ですよ。こんなに遠い地でお一人なんて危険すぎる。お仲間の方々は一体どこへ?」
「……」
「今の姫様はあの頃よりも更に重要な立場です。ここからメドフォード王国に帰るためには数十年は掛かりますよ」
「ジハード達とははぐれちゃったけど……ひとりじゃないよ。今はテユーラっていうおにいさんと一緒にいるんだ」
「テユーラですって!?」
「うん。少し変なところもあるけど、面倒見が良くてとっても優しいおにいさんなんだよ。……どうしたの?」
「いえ、同じ名前の男を知っているのですが……その人物は、人の命を何とも思わぬ享楽主義で狂った男なのです」
「それなら絶対に人違いだと思うよ。テユーラおにいさんは大勢の人を元気にさせる魔法を研究してるんだって」
「同名の別人でしょうね。あの男が面倒見が良くて優しいはずがない。まぁ……今姫様が一人ではなくてよかった」
あの頃と同じように、ティエルの身を心から案じている表情。
ガリオンと話していると、まだ平和であった頃の自分に戻ったような感覚に陥る。何一つ知らなかった頃の自分に。
クレープを一口齧る。ほんのりと酸っぱいバナナと、甘いチョコレートシロップがどこか懐かしく感じる味だった。
そんなティエルを暫くの間黙ったまま見つめていたガリオンだったが、やがて言いにくそうな態度で視線を逸らす。
「姫様こそ、何故メドフォードから遠く離れたこの地にいるのです。何の目的でここへ?」
「……本当はジハード達と一緒にシルヴァラース古代図書館にいたんだ。クウォーツの手掛かりを探してたの」
「生前ミランダ様がよく訪れていた場所ですね」
「うん、その古代図書館。そこで……失敗作の簡易ワープゲートを使われて、ここまで飛ばされちゃった」
「失敗作の簡易ワープゲート? アリエス博士が開発した、硝子玉を投げ付けて発動させる魔法アイテムですか」
「今から思えば、わたしを傷付けたくなかったから使ったのかなって思って。そう考えると少し気が楽になるんだ」
「……」
「ガリオン?」
「本音を言うと姫様をメドフォードまで無事にお連れしたい。こんな遠い地に姫様を置いていきたくはないのです。
しかしそれは……ゾルディス黒騎士団のガリオンには許されぬこと。何もできない無力なオレを、お許し下さい」
ガリオンが忠誠を誓っているのはゾルディス王国だ。
元帥ヴェリオルと、宰相である焔の魔女の二人はティエル達とは敵対する相手。そのため力を貸すことができない。
だが、一年前と違ってメドフォード王国も平和を取り戻しつつある。そろそろ帰ってきてくれてもいいじゃないか。
ティエルがガリオンに向き直ると、夕日に照らされた彼の表情は……迷いを断ち切ろうとしているようにも見えた。
「ねえ、ガリオン」
「……はい」
「メドフォードに帰ってきてよ。わたしも、サイヤーだってあなたの部屋をそのままにして待ち続けているんだよ」
「サイヤー……なんだあいつ、しっかり生き延びていたんですね。……そうですか。あいつが……生きて……」
ティエルの口からサイヤーの名前が出ると、ガリオンは一瞬だけ嬉しさと哀しさが混ざったような表情を浮かべる。
こんな顔をする彼を初めて見た。常に穏やかで、礼儀を重んじるガリオンの隠れた一面を見れたような気がした。
「メドフォード城を取り戻す戦いの時、あいつは姫様の役に立ちましたか。へらへらせずに真面目に戦いましたか」
「へらへらはしていたかもしれないけど、常に最前線で戦って道を切り拓いてくれていたよ」
「ははは、サイヤーらしいですね。あいつとても強いでしょう? 本当はオレよりも副騎士団長に向いていたのに」
「……」
ゴールドマインへ旅立つ夜。ティエルは中庭でサイヤーと一緒にガリオンの話をした。
サイヤーは現在でもガリオンの自室をそのままの状態にしていると言っていた。彼がいつ帰ってきてもいいように。
自分のこの目で確認するまでは、ガリオンの死を信じたくないというのが本音だろう。その気持ちは理解できる。
「みんな待ってるのに。それでも、帰ってきてくれないの……?」
「それは言わないで下さい。オレはもう帰らないと決めました。ゾルディス王国に忠誠を誓い、殉ずる覚悟です」
「殉ずるって……ゾルディス王国と共に死ぬつもり!?」
「信じた道の果てに待っているものがたとえ死であったとしても、オレは決して後悔などありません」
「建前は何であれゾルディスの行っていることはただの侵略だ。一つの国が力を持つなんて考え方は危険すぎる!」
「戦争のない世界を作るために、恐怖で統治するのも一つの方法です。恐怖は何よりも強い抑止力になりますよ」
「わたしはいつまでも恐怖で縛り続けることができるとは思わない。……いつの日か必ず、ひとは立ち上がる」
最後の方は声が震えていた。
目が熱い。喉が熱い。ガリオンに言いたいことは山ほどあるのだけど、この台詞を口に出すだけで精一杯であった。
『一つの強国が恐怖によって全てを支配し、誰もが幸せに暮らせる戦争のない世界を作る』なんて、可能だろうか。
そもそもこの考えはアスモデウスや焔の魔女であるリアンのものであり、ヴェリオルの考えとは若干異なっている。
彼はゾルディスを世界一の強国に作り上げ、自分とティエルの二人だけの幸せな楽園を作ろうとしているのだから。
悪魔族を何よりも嫌悪しているヴェリオルのことだ。アスモデウスの考えに大人しく従うとは到底思えない。
「……姫様。オレはもう二度と、メドフォードのように辛い戦争を起こしたくない。これ以上見たくはないのです」
「ガリオン」
「次々と殺されていく仲間達。炎に包まれる城。無念の表情を浮かべた亡骸。
たとえ恐怖だとしても一つの国が全てを支配することができれば……こんな悲しい戦争はもう二度と起こらない」
今にも泣きだしそうな表情のティエルを悲しげに見つめ、ガリオンは彼女の両肩にそっと手を触れた。
「我が国が完璧な恐怖で世界を一つにする。オレは国も家族も友も捨て、彼らのために一番いい方法を選びました」
「彼らのために一番いい方法だと本気で思ってるの? あなたの家族やサイヤーの気持ちを、考えたことはある?」
「前にも言ったでしょう。大きなことを為すためには少々の犠牲はつきものなのです」
「聞いたよ」
「彼らに伝えて下さい。メドフォードの騎士であったガリオンは、あの炎の夜にもう……死んだのだと」
変わらぬ優しい表情を浮かべながらも、ガリオンの心の中はあの頃とは変わっているのだとティエルは漸く悟った。
誰にも彼の決意を変えることはできないのだ。
「姫様。あなたは確かに色々なものを失った。失ったけれど、それと引き換えに掛け替えのない仲間を手に入れた」
「……」
「だから姫様……ゾルディスの刃から彼らを守って下さい。もう二度と失わないように、今度こそ守り抜くのです」
「その言葉はゾルディスの刃であるあなたが、わたしの仲間を手に掛けるという意味?」
「ええ。そんな意味かもしれません」
「……絶対にそうはさせない。わたしの仲間達には指一本も触れさせないから」
「その意気です。さすがティエル姫様、あなたには悲しい顔よりも……凛とした表情と笑顔が似合うのですから」
下の広場がざわざわと騒がしくなる。
思わずティエル達が振り返ると、宮殿前の広場では物々しい顔付きの神官達が琥珀色をした台座を運んでいた。
台座の上には赤い布に覆われた大きな塊が乗っている。恐らくこの町の守り神である『琥珀の吐息』なのだろう。
「……これは単なるオレの独り言だと思って聞いて下さいね」
「え?」
「メドフォードに帰るためには、商業都市エルラカーヒラの通行証を手に入れるのです。全てはそれからですよ」
「商業都市エルラカーヒラの通行証?」
「この琥珀の都市アンブラから南下した場所に位置する独立商業都市ですよ。通行証がなければ入国ができません」
「ふーん。そんなに大きな独立商業都市なら、色々な人が集まるんだろうね」
「オレが申し上げることができるのはここまでです。姫様ならばきっと大丈夫ですよ、オレはそう信じております」
どこか申し訳なさそうにガリオンが笑う。
本来ならば彼は、ヴェリオルの命によってティエルを狙うゾルディス側の人間だ。助言に感謝しなくてはならない。
こうしてティエルを捕らえずにいてくれることも、ガリオンの精一杯の優しさなのだ。
その時。一際大きな歓声が上がった。視線を向けると、まさに琥珀の吐息が公開された瞬間であった。
眩い金色に輝く見事な琥珀の塊。夕日に照らされた守り神は息を呑むような美しさだ。この地の神に相応しい貫禄。
「……ティエル姫様」
不意にガリオンが口を開く。
まるで普段の何気ない会話の一つであるかのように、琥珀の吐息を眺めながら彼は言った。
「メドフォードにいた頃のオレはあなたの支えになれたでしょうか。姫様にとってオレは……どんな存在でしたか」
「わたしにとって、ガリオンは」
「はい」
「わたしにとってあなたは……兄のような存在だった」
目を閉じれば幸せだったガリオンとの記憶が鮮やかに蘇る。とても穏やかな日々で、今ではティエルの宝物である。
夕日を受けてきらきらと輝く琥珀の吐息。
この地を古くから見守ってきたといわれている守り神。様々な時代を眺め続け、守り神は今は何を思うのだろうか。
「……姫様にそう思って頂けて、大変勿体無く思います。本当に……頼りないオレには過ぎるくらいのお言葉です」
「ガリオン」
「離れていても、いつまでも姫様の幸せを祈っております。その幸せをオレが壊してしまうことになったとしても」
テラスの手摺りから身を離したガリオンは、やはりあの頃と変わらぬ優しい笑顔でティエルを眩しそうに見つめた。
恭しくメドフォード式の騎士の一礼をしてから、名残を惜しむかのようにゆっくりと背を向ける。
「次に出会った時にはオレは姫様に剣を向けるでしょう。迷いを捨て去り、敵として前に立ちはだかるつもりです」
「……分かってる」
「さようなら、我が親愛なる姫様。そして、あなたをお守りすることができなくて……申し訳ございませんでした」
歩き始める彼の姿が段々と小さくなっていく。
どうか行かないでと、もうティエルは口に出すことはしなかった。ガリオンとの道は完全に分かれてしまったのだ。
現実から目を逸らさずに、今度こそしっかりと心で受け止めなければならない。理解しなければならなかった。
「さよなら……ガリオン」
涙はもう流れなかった。
ティエルもまた静かにガリオンから背を向けると、夕日の沈んでいく地平線を真っ直ぐに見つめていた。
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