Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第8章 ディア マイ フレンズ

第77話 戦いの爪痕 -2-




シルヴァラース古代図書館の正面左手の脇道を五分ほど歩き続けると、森に囲まれた日当たりの良い墓地があった。
古書の魅力に憑り付かれてしまい、一生を図書館で終える身寄りのない者の数は決して少なくはないのだという。
この共同墓地はそんな者達が安らかに眠る場所であった。死後も図書館と共に過ごし、思いを馳せているのだろう。

司書が定期的に掃除をしているのか、身寄りのない者達の墓にしては白い花に囲まれて荒れ果てた印象はなかった。
時刻は既に昼に近いというのに森の中は霧深く、降り注ぐ陽の光と相俟って墓地をどこか幻想的に見せている。
図書館の入口までサキョウに支えられながら歩いてきたジハードだが、一人にしてほしいと墓地への同行を断った。

両腕の脱臼は比較的早くに回復したが、右足の骨折はそうもいかない。添木で固定され、暫く安静を言い渡された。
慣れぬ松葉杖を使用しつつ森の中の道を進んでいくのはなかなか無理があるが、それでも進まなければならない。
意識が戻らなかった間に葬式まで済んでいたなんて。最期の別れすら言えなかったと、ジハードは唇を噛みしめる。


……共同墓地には先客がいた。
長い赤毛をお下げに編んだ女だ。どこかで見たような気がするが、記憶が混濁してすぐには思い出せなかったのだ。
気配に気付いたのか女が振り返る。その顔を目にして、彼女がナズナの同僚だったことをジハードは漸く思い出す。


「誰かと思えば……ジャックさんを探していたお客様じゃない。ナズナが最後に担当していた人だったわよね?」
「ああ、あなたはレイシーといったっけ」
「負傷者ってやっぱりあなたのことだったのね。本当にごめんなさい、あなたはただ巻き込まれただけなのに」
「巻き込まれた?」

「今回のことは、何者かが禁書を持ち出すために司書を狙った事件だったと聞いたわ。
 実際にナズナのカードキーが盗まれてロック解除されていた。あなたはあの子の近くにいたためにそんな怪我を」


確かに間違ってはいない。そういうことになるだろう。
リアンは禁書ラストジャッジメントの文献を求めて古代図書館にやってきた。司書の持つカードキーが目的だった。
そしてナズナはカードキーを渡すことを拒み、結果的に彼女に惨殺されて奪われてしまった。間違っては、いない。

間違ってはいなかったが、本当にナズナは殺されてしまう以外の道は残されてはいなかったのだろうか?
本来であれば助かるはずの道が存在していたのに、ジハードの所為で機会を失ってしまったのではないだろうか。
ナズナがもしも一人であれば、カードキーとジハードの命を引き合いに出されることはなかったのかもしれない。

そもそも彼女は仕事が休みだった。ジハードに関わらなければ、リアンの襲撃で命を落とすことはなかっただろう。


「ねえ、知ってる?」
「え?」
「ナズナはあなたのこと、かなり気に入っていたみたい。うふふ、分かるわ。だってあなた、すごく素敵だもの」

「そりゃあ気付いていたよ。……あれで気付かないのは男じゃないだろ」
「ナズナは感情がすぐに顔に出るから。あなたが生きていることを知れば、きっとあの子も天国で喜んでいるわ」
「……」

「だからお願い。ナズナの眠る前で、そんな哀しい顔をしないであげて」

そう口に出したレイシーは静かに背を向けると歩き始めた。肩が小刻みに震えている。ずっと涙を堪えていたのだ。
段々と遠くなっていく彼女の押し殺すような小さな嗚咽を耳にしながら、ジハードは大きな墓の前で立ち止まった。
ナズナの瞳の色を連想させるような鮮やかな黄色の花は、恐らくレイシーが持ってきたものだろう。


「……ナズナ、来るのが遅れてすまない」


ジハードの声は誰もいない墓地に虚しく響き渡る。勿論、返事をする者はいない。相手は冷たい石の下なのだから。
一体あの時はどんな選択をすれば正しかったのだろう。どうすればナズナを守れたのか、死なせずに済んだのか。
時間はできる限り稼いだつもりだった。ナズナが無事に逃げることができるように、最善を尽くしたつもりだった。

リアンもナズナも、傷付くことがないように。できるだけ傷付かぬように。誰もが助かる方法を選んだはずだった。
だがそれは間違いだったのだろうか。ジハードが選んだ道は、誰もが救われない最悪の方法だったのだ。

誰もが救われる方法など最初から存在しなかった。
立ちはだかるリアンを傷付けたくないと、そんな甘く中途半端な決意をしていたためにナズナを死なせてしまった。
本来であればリアンを殺すつもりで向かっていかなければならなかった。相手はこちらを殺す気だったのだから。

そろそろ覚悟を決めなければならない。
中途半端な決意のままだったために、罪のないナズナがあれほど無残に殺された。自分には止められたはずだった。
誰も傷付かない未来があるのかもしれないと夢物語をいつまでも信じ続けてはいけない。……それでも、今だけは。


「……さよなら、ナズナ。どうか……安らかに」







「大丈夫か、ジハード」
「顔色が優れませんよ。だから言ったじゃないですか、外を歩き回るのはまだ早いって……」

図書館内の医務室に戻ると、不安な表情を隠そうともせずにサキョウとヴィステージが彼の帰りを待ち続けていた。
当然だ。ジハードの容体はまだ安静が必要な状態であったのに、二人の制止を振り切って墓地まで出かけたためだ。
ヴィステージのポーションは確かに効果が高い傷薬だが、治癒魔法とは違う。時間を掛けてじっくりと治す方式だ。


「大丈夫だよ。……心配をかけたね、二人とも。ぼくはもう大丈夫だから」
「そうは見えないですよ。それと、治癒魔法は絶対に使わないで下さい。弱った身体では命を縮める行為ですから」
「はは。喉の火傷に使用しただけで、もう魔法は使ってないさ。折角助かった命なんだから大切にするつもりだよ」

「……ジハードくんの笑顔は信用できません」
「相変わらずぼくには手厳しいな。一応怪我人なんだから、もう少し優しくしてくれてもいいだろ?」
「君が大切だから厳しく言っているんです。どうでもいい相手なら、あたしは何も言わずに放っておきますからね」

「そう言ってもらえるのはとても嬉しいけど、明日にはメドフォードに一度戻ろうと考えているんだ」
「えっ、君はあたしが言ったことをちゃんと聞いていたんですか!?」
「ジハードよ。お前は自分で思う以上に肉体的にも精神的にも弱っている。暫くの間ここで療養をするべきだろう」

思わず声のボリュームが大きくなるヴィステージとサキョウ。
ここが病室であったことを思い出したのか、慌てて周囲を見回す。だが元々患者はジハード一人だけだったようだ。
命は大切にすると言ったその口で、彼はメドフォードに戻ると言った。決してまだ旅ができるような体調ではない。


「そういう訳にもいかないよ。……二人とも、ティエルの行方については何か思い当たることはないかい?」
「あたし達が医務室からフロア六十六に戻ってきた時には、ティエルちゃんもあの女性も忽然と消えていたんです」

「何か手掛かりは?」
「周囲には風の魔法を放った形跡と、少量の血痕。勿論致死量ではありません」
「……」
「ジハードくん?」

「恐らくティエルは転移魔法で姿を消したんだ。ナズナのようにあの場で殺されたわけでは……ないと思いたい」
「ワシもそう思っておる。さすがにティエルを直接手に掛けるのは躊躇ったのだろう」
「問題はその行き先だよ。最悪なパターンはゾルディス、海の真上、それと紛争地帯に転移してしまった場合だ」


転移魔法で飛ばされたのだとしても決して安心はできない。
転移先によっては魔法で殺されるよりも恐ろしい目に遭うかもしれないのだ。それが先程ジハードが挙げた例だ。
少女が一人見知らぬ地に飛ばされ、心身ともに無事に戻ってこれる確率は低い。世界はそれほど甘くはなかった。

今すぐにでも世界中を駆け巡ってティエルを探しに行きたかったが、それは現実的ではない。計画性のない行動だ。
ならば考えられる限りの最善の方法を取るしかない。それはジハードにとって大変歯痒い決断ではあったが。


「飛ばされた先がどこであれ、ティエルは必ずメドフォードを目指すはずだ。だからこそぼくらは戻る必要がある」
「……確かにそうですね。あたし達が今一番優先することは、ティエルちゃんと合流することです」
「だがジハードよ、言いたいことは分かるが……その身体では旅を続けるのは無理だ。お前はここにいるべきだ」

「あなた達の足手まといにはならない」
「この古代図書館からメドフォードまでどのくらいの距離があると思っているのだ。片道一ヶ月は掛かるのだぞ?」
「方法はあるよ」

ジハードは足手まといにならないと言っているが、この身体では旅を続けることはおろか日常生活もままならない。
彼の慎重な性格上、根拠のない軽はずみな発言はしないはずだ。それならば何か考えがあるのだろうが……。


「方法?」
「ぼくの予想が間違っていなければ、メドフォードまでは然程時間は掛からないだろう。長旅にはならないはずだ」
「確かにお前の予想は外れることがないと思うが……メドフォードまで時間が掛からぬとは一体どういうことだ?」

「古代図書館に行く前のティエルの言葉を覚えているかい。ミランダ女王が、生前散歩のようにここに来ていたと」
「うむ。週に一回は通っていたと言っていたな」
「あっ、メドフォード方面のワープゲートが存在するかもしれないってことですね!?」

そもそもシルヴァラース古代図書館は、生前ミランダが興味深い文献が多くて楽しい所だと気に入っていた場所だ。
そのためにメドフォードのワープゲートの行き先の一つに古代図書館を設定していたのだ。
ティエル曰く『近所に散歩に行くような感じ』で頻繁に出掛けていたという。ならば帰る方法があるのではないか。


「あたし、早速ワープゲートがあるか司書さんに確認してきます!」
「ワープゲートが存在していたとしても、明日出発という訳にはいかん。早くて五日後。それだけは譲らぬぞ?」
「……ありがとう、二人とも」

椅子から立ち上がったヴィステージは、ワープゲートの確認のために忙しない足音を立てつつ部屋から出て行った。
しかしサキョウは渋々といった様子だ。一見頑固に聞こえる彼の台詞だが、ジハードの体調が心配がゆえなのだ。
すぐに顔を見せるから大人しくしていろと言い残し、ヴィステージを追ってサキョウも病室を後にした。


二人が去った途端に病室が静寂に包まれる。先程までが騒がしすぎただけで、これが本来あるべき病室の姿である。
さすがに疲れを感じたジハードは、そのままベッドにどさりと倒れ込んだ。確かにこれでは旅など無理な話だ。
一人になると、途端に取り返しのつかない厳しい現実が押し寄せてくる。

ほんの一年ほど前に過ごした旅がとても幸せなものだったのだと痛感した。楽しい旅ではなかったが、幸せだった。
側にいることが当たり前なのだと思った存在が、目の前から消え失せてしまう辛さを……漸く分かった気がした。
大切なものほど離れていく。手を伸ばそうとすればするほど、離れていってしまうのだ。

ティエルは行方が知れず、生死すらも分からない。再会したリアンはあのように残酷に変わり果ててしまっている。
そして……癒術師であるジハードは重傷を負い、日常生活すらもままならない状態だ。そんな時なのに。


「そんな時だっていうのに、一体どこに行っちゃったんだよ。……クウォーツ……」





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