Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第8章 ディア マイ フレンズ
第78話 週末のメドフォードにて
「今日はここまで! 各自鍛錬を怠らないこと。夜勤担当の者は詰所に残り、それ以外の者達は解散だ」
「お疲れさまでしたー!」
「おう、お疲れー」
空が茜色に染まる頃。水と緑の王国メドフォードの誉れ高き騎士団詰所にて賑やかな声があちこちから響いてくる。
メドフォードに住まう男達ならば誰もが一度憧れた経験のある、エリート揃いの由緒正しきメドフォード騎士団だ。
団員は普段の黒の衣装ではなく皆軽装で木刀を手にしており、先程まで乱戦を想定した模擬戦を行っていたのだ。
濡れたタオルを首にかけて顔を拭う者や、水筒に手を伸ばして水を頭から浴びる者。訓練後の様々な光景であった。
広大な敷地を誇るメドフォード城の中庭は、中央の薔薇の庭園から西へ進むと騎士団詰所と寄宿舎が存在する。
逆に東の方角へ進むと兵士団詰所と寄宿舎だ。詰所は訓練所を兼ねた大きな建物で、連日試合なども行われていた。
騎士団詰所の前では大勢の騎士団員達が談笑しながら集っているようだ。
今日は週末。勿論休日は交代制で取っているが、やはり週末となると気分的にどこか開放的になるのは仕方がない。
騎士団員は己が騎士であることに誇りを持ち、国を愛する者達ばかりではあるが……たまの息抜きも必要である。
「おいサイヤー。お前、今日の夜勤はなかっただろ? それに明日は非番だったはず。これから飲みに行こうぜ!」
「サイヤーが行くならオレも行こうかなー。ほら、こいつがいると飲み屋の女の子達が寄ってくるだろ」
「ノールブリントン通りでこないだボトルキープしたバーがあっただろ。あそこの姉ちゃん色っぽいんだよなー」
「いいねえ、あの店にしようぜ! あの娘の名前なんていったっけ? 確かサマラちゃんだっけ」
「ベティちゃんだっつの。……ん? おーい、サイヤー聞いてんのかよ」
これからバーやクラブに向かうために集っている騎士団の面々が、茶色の癖毛をした一人の青年に声を掛けた。
木刀でとんとんとリズミカルに己の肩を叩きながら振り返った青年は、どことなく面倒くさそうな表情であった。
彼の名はサイヤー。飄々とした性格だが、このメドフォード王国でも五本の指に入るほどの剣の腕の持ち主だった。
「あぁん? あの店の娘はシンシアちゃんだろ。一度会った女の子の名前くらいは憶えておかないとモテねーぞ?」
「そうだシンシアちゃんだった! 早速シンシアちゃんに会いに行こうぜ、サイヤー」
「悪いけど、オレは今日はパスかな。今から行きたい場所があってさ。それじゃ、シンシアちゃんによろしくなー」
「えっ? 酒好き女好きのお前が行かねーのかよ!?」
思いもしなかった意外な言葉に皆が驚きの声を上げるが、サイヤーはひらひらと手を振りながら歩き始めていた。
そんな彼の後ろ姿を眺めていた一人が何かを思い出したように、あっと声を上げる。
「……そういえば、今日は確か」
「そうだったな。やっぱりあいつ、まだ吹っ切れていないんだ」
「あいつら本当にいいコンビだったもんなぁ」
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一人で騎士団の寄宿舎に戻ったサイヤーは、住み慣れた自室の扉を開ける。
騎士団長と副騎士団長のみが最上階の個室であり、その他騎士団員は二人部屋。更に騎士見習いは四人部屋だった。
そしてサイヤーも勿論二人部屋だ。部屋の相方は先程飲みに誘ってくれたメンバーの一人お調子者のニールである。
簡素なベッドが二つ。木製の本棚が二つ、小さな机も二つ。
ベッドの上には双方とも服が脱ぎ散らかされており、シーツも皴々。精鋭の騎士団といえども、私生活は大雑把だ。
整理整頓、綺麗な部屋を心掛けることは健全な精神にも繋がる。頭では分かっているのだが……なかなか難しい。
ぽりぽりと頭を掻いたサイヤーは散らかった己のベッドまで歩み寄り、脱ぎ散らかしたままのシャツを手に取った。
こんな皴の寄ったシャツを着ている姿を真面目一直線の親友が目にしたら、一体何と言われることか。
『サイヤーお前、またそんなよれよれのシャツを着ているのかよ。脱いだ後に畳んでおかないから皴になるんだぞ』
毎日のように親友に言われていた台詞が、ふと脳裏を過ぎった。
呆れた顔でぶつぶつと文句を言いながらも、親友はサイヤーの脱ぎ散らかしたシャツを畳んでいたことを思い出す。
そんな親友が姿を消してからもう一年以上が経ったが……やはりシャツを畳まない癖はどうしても抜けなかった。
こればかりは癖なのだから仕方がない。今のところ誰にも迷惑を掛けていないということで、どうか許してほしい。
心の中で親友に謝りつつ、サイヤーは皺くちゃのシャツに袖を通す。早く出掛けなくては日が暮れてしまう。
「そんじゃ、行くとすっか」
城門にて見知った顔の衛兵達と軽口を叩き合い、城をぐるりと取り囲む小さな林を抜けると城下町が広がっていた。
夕暮れ時の町は各家から腹の虫を刺激する美味しそうな夕餉の匂いが漂ってくる。
歩き慣れた大きな石畳。近所でも評判の悪ガキだった幼い頃は、友人と日が暮れるまでこの道を駆け回ったものだ。
向かう先はラッセン通りのパン屋であった。
サイヤーの実家はラッセン通りに位置しており、ごく普通の父と母の三人暮らしであった。月に一度は帰っている。
暫く石畳の道を進んでいくと、やがて一本の大きな街路樹に突き当たる。右に曲がると実家はすぐそこだった。
だがサイヤーは左に曲がる。この道を左に曲がったのは本当に久々だ。幼い頃は、毎日のように通っていたのに。
古くから続いている小さな店が並んでいる。あの頃と全く変わらない街並みに、心なしかほっとする。
そして一つの生菓子店の前で立ち止まり、モンブランにショートケーキなど適当なケーキをいくつか包んでもらう。
こんな生菓子を多く買ったのも本当に久々であった。バーで知り合った女への手土産でケーキを買った以来だった。
やがて一軒のパン屋へと辿り着く。この店も昔から何一つ変わらない佇まいであった。古びた看板。黒ずんだ煉瓦。
既に店仕舞いの時刻だったようで、入口の戸には閉店を告げる看板がぶら下がっていたが……彼は構わず中に入る。
こちらに背を向けながらカウンターを拭き掃除していた若い店員は、気配に気付き申し訳なさそうに振り返った。
絹のようなプラチナブロンドに濃く青い瞳。端正な甘いマスク。青年が振り返った拍子に髪が柔らかく揺れている。
「お客さん、すみませーん。今日はもう店仕舞いなんですよ。また明日来て……って、サイヤーのアニキかよ!?」
「そんなに驚くことねーだろが。相変わらず元気そうだな、レオ」
「サイヤーのアニキがうちを訪ねてくるなんて本当に久々だからさ。昔はよく寄ってくれてたのになー」
サイヤーよりは若干年下だろうか。プラチナブロンドの青年が、人懐っこい笑顔を浮かべながら駆け寄ってくる。
この青年も全く変わっていない。快活で、誰とでもすぐに打ち解ける性格。パン屋バロナッティの看板息子だった。
端正な容姿の彼を目当てに立ち寄る女性客も大変多く、今ではラッセン通りの名物パン屋となっている。
レオと呼ばれた青年は一頻り喜んでいたが、ふとサイヤーの右手に視線を向ける。先程購入したケーキの箱である。
「あ……そうか。うちに寄ってくれたのは、今日が兄貴の……ガリオン兄ちゃんの誕生日だから?」
「まぁな。もうあいつの墓まであるっていうのに、オレもいい加減に現実を認めなくちゃいけないんだけどなぁ」
「それはうちの父ちゃんや母ちゃんも同じさ。兄貴の部屋、片付けずにそのままにしてるんだ。現実見てくれよー」
「逆に弟のお前は随分とあっさりしてるもんだな。あんなに慕ってた兄貴だってのに」
「オレは常に明日を見てるの! 確かに兄貴の戦死はとても悲しかったけど、国を守るために兄貴は頑張ったんだ」
「……ああ」
「だからオレは兄貴を誇りに思ってる。悲しんでばかりいたら、兄貴の死が無駄になっちまう気がして」
「レオは強いんだな。オレも見習わなきゃならねーかも」
「げっ!? サイヤーのアニキからそんなことを言われると、明日雪が降りそうで怖いんだけど……」
「お前、オレを何だと思ってやがる」
ガリオンが戦死して二年が経つ。ただ一人だけ遺体の見つからなかった彼だが、あの状況で生きているはずがない。
人肉を好むアンデッドに恐らく遺体を食われてしまったのだろうという見解となり、遺品を収めた墓も存在する。
もしもガリオンが生きていたならば、真っ先に家に戻ってくるはずだ。彼は家族をとても大切にしている男だった。
それが二年も帰ってこないということは……そういうことなのだ。
ガリオンはメドフォード城を守る戦いで命を落とした。いつかはそう認めなくてはならない。それが今なのだとも。
「そうだ、レオ。ケーキ買ってきたんだ。親父さんやお袋さんの分もあるから食ってくれ」
「お茶淹れるよ、もう少ししたら仕入れに行ってる父ちゃん達も帰ってくるからさ。二人とも会いたがっていたぜ」
「親父さん達にも随分と会ってねーな。そんじゃ、待たせてもらおうかな」
「イートインスペースで適当に座っててくれよ。サイヤーのアニキは紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「コーヒーかな」
「あいよ」
エプロンを傍らの椅子に掛け、レオはテーブル上の明かりを灯した。いつの間にかすっかり日が暮れていたようだ。
レオはガリオンの三歳違いの弟だ。顔立ちや雰囲気はよく似ている。ハンサムな容姿、柔らかな金髪。濃く青い瞳。
だが性格がまるで違うのだ。几帳面で真面目な兄とは逆に、弟のレオは若干適当で大雑把な性格である。
昔はよく三人で悪戯ばかりしており、有名な悪ガキ達であった。勿論ガリオンは二人に振り回されていただけだが。
今では想像もつかないが、昔のガリオンは気弱で泣き虫だったことを思い出す。
騎士となってからも若干気弱であったが、メドフォード最強の騎士と謳われるギルの出現で彼は大きく感化された。
憧れの騎士であるギルは、残念ながらサイヤー達が十九歳を迎える頃に流行り病で亡くなってしまったのが……。
「オレはさー、実は兄貴達のことが羨ましかったんだぜ? いくらオレでも、二人の間には入れないんだってな」
「昔はよく三人で遊んでいただろーが」
「確かにそうだけどさ。でもやっぱり、うちの兄貴にはサイヤーのアニキしかいないって思ったんだ」
「そんなもんかねー」
「サイヤーのアニキはそろそろ副騎士団長に推薦されんじゃないの? 騎士団屈指の剣の腕の持ち主なんだしさぁ」
「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ、オレは責任ある立場は苦手なんだっつーの。ただの騎士団員で十分だよ」
「兄貴がよく言っていたよ。……サイヤーのアニキは、本当は自分よりもずっと副騎士団長に相応しい実力だって」
「笑えねー冗談だな。こんな不真面目で女好きな副騎士団長がいてたまるかってんだ」
椅子の背凭れに身体を預け、片手をひらひらと振って見せるサイヤー。確かに一見すると不真面目で軽薄に見える。
しかし内面は祖国を心から愛する熱い男だ。剣に対する情熱は、騎士団の誰にも負けない。
「オレにとって兄貴とサイヤーのアニキはいつまでも憧れの存在だからさ。騎士団を二人で率いてほしかったんだ」
「……レオ」
「兄貴が死んでしまった今は、せめてサイヤーのアニキだけでも……騎士団長を目指してほしいって思ってる」
「おいおい騎士団長か。こりゃまたでかすぎる目標じゃねーか」
副騎士団長ですらも柄ではないのに、更に騎士団長か。なかなかレオも難しい目標を掲げてくる。
兄を思い出し俯いてしまったレオの頭にぽんと手を乗せたサイヤーは、彼を元気付けるようにして苦笑を浮かべた。
「……まぁ、何年……いや何十年掛かるかは分からねーけどな。あんまり期待はしないでくれよ?」
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