Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第8章 ディア マイ フレンズ
第83話 ディア マイ フレンズ -5-
剣を構えながら、じりじりと間合いを詰めていくフレデリク近衛兵長と鉄兜の暗殺者の二人。全く隙は見られない。
何度剣を打ち合いをしたのかも分からない。この暗殺者は相当の腕の持ち主だとフレデリクは思い始めていた。
しかしここでゾルディスの刺客などに負けるわけにはいかない。自分が負ければ、次の標的はトーマ大臣であった。
「ぐっ!」
振り下ろされたフレデリクの大剣を受け止めた剣を通じて、暗殺者の全身に伝わる重い衝撃。
これほどの重剣を、まるで小剣のように軽々と扱うことのできるフレデリクの腕力は一体どれ程のものなのだろう。
並の者なら手首の骨ごと砕けて剣を手放してしまう強烈な一撃だったが、暗殺者は兜の中で眉を顰めるだけだった。
その時。城門の方角から小さな花火が上がる。
一体何事か首を傾げたフレデリクの元へ近衛兵の増援部隊が到着する。これで完全に暗殺者に勝ち目はなくなった。
他の五名の暗殺者達は全て倒されており、この場に駆け付けた増援部隊は二十名を超える。明らかな戦力差だった。
「フレデリク近衛兵長殿、お怪我は!?」
「おのれ曲者……もう逃がしはせぬぞ、ここで成敗してくれる!」
「花火が上がった時点で作戦は終了。最早この国に長居をする意味はありません」
次々と剣を向ける近衛兵達には目もくれずに鉄兜の暗殺者は背を向けて走り出した。
メドフォード城の広大な中庭は追っ手を振り切るには最適な場所だ。だからこそ彼はこの場所を戦いの場に選んだ。
そもそも初めからフレデリク近衛兵長達を暗殺できるとは思っていない。これはほんの挨拶代わりの襲撃だった。
好き勝手に暴れたタムラマが満足した時点で作戦は終了。先程上がった花火がゾルディスへ退却する合図なのだ。
それにしても……合図までが長かったように思う。合図が遅かった所為で仲間の黒騎士が五名もやられてしまった。
メドフォード王国で随一の剣技を持つフレデリク相手にここまで粘ったのも奇跡だと言える。
ゾルディスに帰還するためには、まずは背後から追ってくる近衛兵達を振り切らなければならない。
鉄兜の暗殺者にとって勝手知ったるメドフォード城の中庭ならば多くの脇道を知っている。造作もないことだった。
この道を真っ直ぐ行けばガゼボの死角に細い道がある。その道を進んで左に曲がれば、追っ手の目を欺けるはずだ。
たった一人の刺客を取り逃がしてしまうほど、誉れ高きメドフォード近衛兵団はここまで落ちぶれてしまったのか。
完全に追っ手の目を欺くことに成功した彼は仮面の下で唇を噛みしめたのだった。
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「なんだぁ? ……今夜は妙に騒がしいな。城門の方角からか?」
赤茶色の癖毛と長身が特徴のメドフォード騎士団員サイヤーは、遠くから響いてくる喧噪に思わず首を傾げていた。
明日は非番だった彼は、久々にガリオンの実家である『ベーカリー・バロナッティ』まで足を運んでいたのだった。
ガリオンの弟レオと話していると、ただの悪ガキだった昔の自分に戻ったようであった。夢を語り合ったあの頃に。
思い出話に花が咲き、ついこんな遅くまで話し込んでしまった。
レオやガリオンの両親から何度も泊まっていけと誘われたが、寮に外泊届けを出していない時点で無理な話だ。
少々の羽目は外してもいいと考えているサイヤーだが、意外にも騎士団のルールは重んじる。根は真面目なのだ。
騎士団寮には西門から中庭を横切るのが一番近道になるため、サイヤーは正門からの襲撃事件を知らなかったのだ。
寮に向けて美しく整備された広い中庭を歩きながら、ふと彼は足を止めた。
『週末になると命知らずの酔っ払いが絡んでくる』と、先週顔なじみの門番が愚痴をこぼしていたことを思い出す。
一応様子を見に行っておくか。もしも酔っ払いが騒いでいるのなら、仕事の邪魔をするなと追い払ってやらねば。
くるりと向きを変えたサイヤーは庭園内の道から逸れて茂みの中を進み始めた。知る人ぞ知る正門への近道である。
……その茂みの向こうで、黒い影が動いた。
「誰だ!」
咄嗟に腰の剣を引き抜こうとしたサイヤーだったが、愛用の剣は寮のロッカーに入れたままであることを思い出す。
相手もサイヤーの声と同時にこちらに向かって剣を突き出し、どうやらじっと様子を窺っているようであった。
敵の技量はともかく、剣を所持していないサイヤーが不利である。用心深くじりじりと相手との距離を取り始めた。
不意に雲の切れ目から月が顔を覗かせ、物言わぬまま対峙する二つの人影を月光が照らした。
相手はやはりメドフォードの者ではないようだ。見慣れぬ鉄仮面に黒い衣装。もしや先程の騒ぎはこの者が原因か。
そして相手も月明かりに照らし出されたサイヤーの姿を目にした途端に、明らかな戸惑いの色を見せていたのだ。
「……サイヤー……?」
その耳に覚えのある小さな呟きを、サイヤーが聞き逃すはずがない。
無事に生きていると信じていたくとも、心のどこかでは諦めていた。現実と向き合わねばならないと思っていた。
彼はもう死んだのだと。城が占拠されたあの炎の夜に殺されたのだと……認めなくてはならないと思っていたのだ。
思わず口に出してしまった呟きに、鉄仮面の男がはっとして口元を押さえる。無意識のうちに呟いていたのだろう。
暫くの沈黙。黙ったままお互いに向き合っていた二人であったが、やがて恐る恐るサイヤーが口を開いた。
「もしかしてお前……ガリオン、か……?」
「……」
「その声、その剣の構え方……ガリオンなんだろ。やっぱりメドフォードに帰って来たんだな。畜生、遅ぇよ!」
信じられぬようにその名を呟き、サイヤーは一歩足を前に踏み出した。だが鉄仮面の男は硬直したように動かない。
再び長い沈黙が続く。しかしその沈黙を破った鉄仮面の男の言葉は、サイヤーが期待していた返事ではなかった。
「……人違いでしょう。オレはゾルディス王国の黒騎士で、メドフォード騎士のあなたとは面識がない者ですから」
「はぁ!? 何を言ってやがる、お前のその声はどう聞いてもガリオン以外は考えられねぇよ!」
「誰と勘違いをしているのか分かりませんが、そこを退かないのなら他の者と同じようにあなたを斬り捨てるまで」
足を踏み出したサイヤーを威嚇するように鉄仮面の男は剣を構え直す。
鉄仮面から洩れるくぐもった男の声は、明らかにガリオンであった。しかし、この者はガリオンではないという。
常に近くにいた幼馴染みの声を聞き間違うはずがない。相手に剣を向けられてもサイヤーは退くことをしなかった。
剣を向けてくる鉄仮面の男に向かって、また一歩だけ歩み寄った。
「これ以上近付かないで下さい!」
「なんでだよ、ガリオン!?」
「黙りなさい。……退かなければ斬ると言ったはずです!」
「!!」
鉄仮面の男が振り下ろした剣先がサイヤーの胸を掠める。
咄嗟に取った己の行動にぎくりと硬直しかけた男だったが、剣先はサイヤーの服を軽く裂いただけで済んだようだ。
それでもサイヤーの歩みを止める理由に十分すぎるほどである。親友が本気で斬り付けてくるとは思わなかった。
「ガリオン、お前今……オレを斬ろうと」
「……オレはガリオンなんかじゃない。メドフォード騎士のガリオンは……あの夜に死んだんだ」
「待てったら、ガリオン!」
サイヤーが怯んだ隙に横を駆け抜けた鉄仮面の男は、そのまま振り返りもせずに茂みの闇へと紛れ込んでしまった。
はっと我に返ったサイヤーも彼の後を追うが、既に人影はなく。……ただ、夜の深い闇が広がっているだけだった。
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「おお、ガリオンよ。無事に戻ってきたようじゃのう」
サイヤーから逃れ、簡易ワープゲートでゾルディス城に帰還したガリオンを待ち受けていたのは一人の女であった。
細身の身体に勝気そうな表情。薄茶の髪を丁寧に結った、どことなくアリエスに似ているような雰囲気を纏う女だ。
「おじうえやダフネが戻ってきても、なかなかおぬしが戻らぬから捕まったのではないかと心配しておったのじゃ」
「リーナロッテ」
「どうやら怪我も負っておらぬようじゃな。うむ、引き際を心得ているおぬしを心配するだけ無駄であったかのう」
「心配を掛けてしまったようですまない、リーナロッテ。……少々予定外のことが起こってね」
「予定外?」
「任務に全く支障はなかったよ。目的は暗殺を成功させるためではなく、近衛兵長達に忠告するためだったからね」
「それならよいのじゃが……」
身に着けていた鉄仮面を彼が脱ぎ捨てると、さらさらのプラチナブロンドが松明に照らされて薄暗い廊下で煌いた。
だが中から現れたガリオンの顔は酷く疲れたような表情であった。
童話の中の王子様のようだと女達から褒め称えられた端正な顔立ちは健在だが、幾つもの齢を重ねたように見える。
普段のようにリーナロッテに笑顔を浮かべようとして、それが曖昧な表情のまま段々と消えていく。
既に取り繕う気力すらも残ってはいなかった。……ああ、まずい。特に彼女は他人の心情に敏感であるというのに。
明らかに様子のおかしいガリオンの態度にリーナロッテが気付かぬはずがなく、眉を顰めながら口を開きかけた時。
「やあやあ、お帰りガリオンお坊ちゃま。久々の故郷の空気はどうだったかい? 精々このオレに感謝してくれよ」
「アリエス博士……」
「おじうえ」
長い廊下の奥から、この場に不釣り合いな陽気な男の声が響く。鼻歌でも歌い始めてしまいそうなほど弾んだ声だ。
緑の帽子に長いローブ。無邪気に笑うその姿はまるで少年のように見えてしまう。歩いてきたのはアリエスである。
「アリエス博士、感謝とは一体どういう意味でしょうか」
「今回の作戦にあんたを是非組み込むようにヴェリオルの旦那に進言したのは、何を隠そうこのオレなんだからさ」
「!!」
「いやー、平和を取り戻した故郷の姿を目にできて嬉しいだろ。どの面下げて故郷の土を踏んだか聞かせてくれよ」
「……」
「同郷の仲間達を次々と斬り捨てていく雄姿をオレも見たかったねぇ。なぁ、メドフォード副騎士団長さんよ?」
にやにやとした心底愉しそうな笑顔を浮かべ、アリエスは呆然と立ち尽くしているガリオンまで歩み寄って行く。
分かっている。これは単なるアリエスの挑発だ。乗ってはいけない。単に反応を眺めて愉しんでいるだけなのだ。
元々アリエスがガリオンに対して好くない感情を抱いていることくらい、勿論ガリオン自身も気付いていた。
この姦計の古狸は、他人の感情を逆撫でするような話術を巧みに操る。
相手から求めている言葉を引き出し、弱みを握る。だから、決して挑発に乗ってはいけないのだ。相手の思う壺だ。
アリエスに陥れられ姿を消した者達を何人も知っている。この城の中で、テユーラと並んで関わってはならぬ相手。
「あっ、いけねぇいけねぇ。『元』メドフォード副騎士団長さんだったな。オレとしたことが間違えちゃったぜ」
「おじうえ! いい加減にするのじゃ、いくらなんでもその言い方は悪意が満ちておるぞ」
「……いいんだ、ありがとうリーナロッテ。アリエス博士、オレはただあなたの如何なる命令でも従うまで」
「てめー、オレの可愛い姪っ子呼び捨てにしてんじゃねぇよ」
アリエスの物言いに憤慨したような顔付きでリーナロッテが口を開くが、ガリオンは彼女の肩に手を触れて制する。
「今のオレにとって故郷など必要のないもの。ご命令とあらば滅ぼすだけのこと。それだけですよ、アリエス博士」
「へぇ、そうかいお坊ちゃま。それはまた立派な忠誠心なこったね」
「今夜は疲れておりますので……ここで失礼させていただきます。報告書は明日の朝には提出します」
薄ら笑いを浮かべているアリエスに対して静かに頭を垂れたガリオンは、背を向けると重い足取りで歩き始めた。
身体が重い。酷く疲れている。早く一人きりになりたかった。
背後からアリエスとリーナロッテの言い争う声が聞こえてきた。……彼女は曲がったことが許せない性分なのだ。
「悪ふざけも少々度が過ぎるのではないか、おじうえよ。わざわざメドフォード城襲撃にガリオンを進言するなど」
「えー? オレはただ単に、ガリオンお坊ちゃまに故郷の平和な姿を見せてやりたかっただけなんだぜ」
「嘘を言うな。故郷に剣を向けるガリオンの決意は相当のものじゃ。それをおじうえが馬鹿にする資格などないぞ」
「もしかしてリナちゃん怒っちゃった? ごめんって。……おーい、待てよリナってばぁ。機嫌直してくれよー」
ばたばたとした足音が遠ざかっていく。
もうアリエスとリーナロッテの声も聞こえない。薄暗い廊下の途中で、ガリオンは立ち止まると壁に寄り掛かった。
静かに燃え続ける松明には羽虫すら集ってはいない。虫でさえこのゾルディス王国を恐れているというのだろうか。
「……サイヤー……」
一番知られたくなかった人物に、自分が生きていることを知られてしまった。
ゾルディス王国の黒騎士として故国に剣を向けたことを知られてしまった。裏切ったことを知られてしまったのだ。
できることならばこのまま二度と相見えたくはなかった相手だったのに、あまりの懐かしさに胸が苦しくなった。
二年ぶりに再会した親友は全く変わっていなかった。
シャツは相変わらずよれよれで、一番上のボタンを留めない癖もそのままだった。大雑把な性格がよく表れている。
故郷も、家族も、守ると誓った姫君も、何もかも全てを断ち切ったつもりだったのに。そう思っていたはずだった。
「畜生、なんでだよ……。なんでオレの前に姿を現すんだ、サイヤー……」
思考を振り切るかのように頭を掻き毟ったガリオンは、それから暗い面持ちのまま再び長い廊下を歩き始めた。
……ふらふらと。どこか亡霊を連想させる、定まらぬ歩き方で。
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