Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第8章 ディア マイ フレンズ

第84話 ディア マイ フレンズ -6-




「……はっ!」
「きゃっ、ジハード様!?」

弾かれたように飛び起きたジハードの瞳に映った光景は、何回か訪れた記憶のあるメドフォード城の医務室だった。
だだっ広い大部屋にはパイプベッドが三十台ほどずらりと並んでおり、更に奥に位置している個室の数は五室。
戦火の後は、負傷者がこの部屋に収まりきらずに廊下や庭に簡易ベッドを置いて治療を続けていたことを思い出す。

ここはどうやら大部屋ではなく個室のようだ。
医務室に寝かされているということは、癒術師でありながらまた治療を受ける側になってしまったということか。
誰よりも高い治癒魔法の使い手であるはずの己が介抱される側に回るのは、やはり不本意だ。とても居心地が悪い。

そして、先程飛び起きたと同時に驚いたような女の小さな悲鳴が上がったような気がする。聞いたことのある声だ。
上半身を起こしたまま視線を移動させると、瞳を瞬いたまま驚いた表情でこちらに顔を向ける侍女の姿があった。
彼女の名前はエレナ。ティエル付きの真面目で優秀な侍女である彼女が、一体何故この部屋にいるのだろうか……。


「ジハード様、お目覚めになったのですね。あぁ……本当に良かった!」
「タムラマと戦ったところまでは覚えているんだけど、あれからぼくはどれくらい意識を失っていたのかな」
「変態道化師が襲ってきたと皆様が仰っておりましたわ。ジハード様は変態相手に見事勝利したと聞いております」

「うん。まあ、そうだね。紛れもなく変態だったな」
「それから丸一日ほど経っておりますわ。何かお召し上がりに……あ、トーマ大臣様にまずお伝えをしなければ!」
「トーマ大臣は無事だったのか。安心したよ。それはそれとして、先程から気になっていることがあるんだけど」
「はい! なんでしょう?」

「どうしてエレナがここにいるんだい?」
「立候補した数多くの侍女達の中で、ジハード様を看病する権利をわたくしが見事勝ち取ったからですわ!」
「看病する権利って、別にそんなの勝ち取るようなものじゃないだろ……」

「何を仰いますか。傷付いた美青年を鑑賞……いえ、傷付いた殿方を看病するのも、わたくし達の立派な役目です」
「今、看病じゃなくて鑑賞って言ったよな。看病は有難いけど、ぼくにはもう必要ないから大丈夫だよ」
「そういう訳にはいきません。これはトーマ大臣様の言い付けでもありますから!」


「ジハード殿の容態はどうかね?」

その時。突如ノックの後に扉が開き、話題のトーマ大臣が姿を現したのだ。
ゾルディス王国から暗殺者を送ったとアリエスが言っていたが、どうやら見る限りは傷を負っていないようである。
身を起こしているジハードの姿を目にすると、トーマ大臣は心底安心したような表情を浮かべて歩み寄ってきた。


「おおジハード殿! 聞いて驚きましたぞ。強敵であった変態道化師に勝利した瞬間に力尽きてしまわれたと……」
「変態道化師って定着しちゃったんだ。トーマ大臣こそ大丈夫だったのかい? 暗殺者に狙われたと聞いてたけど」
「このとおり傷一つ負っておりませぬよ。フレデリク殿率いる近衛兵団に、敵は怖気づいて逃げ出したそうですな」

「逃げ出した?」
「ええ、一人を除いて全て仕留めましたが……最後の一人がなかなかの実力で、取り逃がしてしまったようですが」
「城内に潜んでいる可能性はないのかい」
「勿論あれから全ての部屋を隈なく探索しましたが発見できず、変態道化師と共にゾルディスに戻ったのでしょう」


確かにそれだけ探しても姿がないということは、タムラマと共に簡易ワープゲートでゾルディスに戻ったのだろう。
精鋭揃いとはいえ、たった六人の暗殺者で正面突破からの近衛兵長と大臣を暗殺など大胆にもほどがある。
暗殺自体は然程重要な要件ではない。恐らく目的は『メドフォードへの忠告』と『戴冠式への招待状』ではないか。

そこまで思考を巡らせてから、ジハードはトーマ大臣に一番大事なことを伝えなくてはならないのだと向き直った。


「……トーマ大臣。ティエルのことなんだけど」
「詳しい経緯はサキョウ殿から聞いております。ですからジハード殿、今は自分の身体を大切にしてほしいのです」
「あなた達はぼくらを信用して大切なティエルを旅に送り出してくれたのに……ぼくは彼女を守り切れなかった」

「サキョウ殿も同じことを仰っていましたよ。しかし、あの状況で姫様を止められる者は存在しなかったでしょう」
「だけど」
「我が姫様はどんな逆境でも必ず乗り越えるお方だと思っています。今までもそんな場面が数多くあったはずです」
「……」

「ジハード殿。ずっと姫様に寄り添ってきたあなたが、あの方の無事を信じなくてどうするのですか?
 帰ってきた姫様に元気な姿を見せるのがあなたのやるべきことだ。決して姫様を探しに行くことではありません」


トーマ大臣にじっと見つめられ、ジハードはこれ以上何も言うことができずに口を閉ざしていた。
何よりも大切なティエルが行方不明だと聞いて大臣達も相当辛いだろうに。それでも彼女の無事を信じ続けている。
必ずこのメドフォードに帰ってくると信じているのだ。探しに行くことは、ティエルを信用していないことになる。

「ジハード殿」
「なんだい」
「姫様のために早く元気になってほしいという思いもありますが、わたくしは個人的にもあなたが心配なのですよ」
「え?」

「あなたは姫様の大切な仲間でもありますが、わたくしにとってあなたは既にメドフォードの大切な一員なのです」
「……この国に永住する気はないよ」
「いつか気が変わってくれることを祈っておりますぞ。あなたは二度もこの国を救ってくれた存在であるのだから」

「救ったって、そんな大袈裟な」
「大袈裟ではありませぬ。とにかく、ジハード殿は色々なことを気負い過ぎる。暫くの間は安静にしていなされ!」
「安静は理解したけど、看病役は必要ないよ。別に身体が全く動かせないってわけじゃないんだし」

「たまには看病をされる身になってみるのも新鮮でしょう。それではエレナよ、ジハード殿をよろしく頼むぞ」
「はい、勿論でございます。わたくしなどが憧れのジハード様のお側にいられるなんて……身に余る光栄ですわ!」
「え、ちょっと」
「姫様や皆様のためにも早く元気なお姿を見せて下さいませね。ジハード様のファン一同、お祈りしておりますわ」
「……」


侍女エレナはジハードのファンなのだと豪語しており、彼女のテンションが高めなのは仕方がないだろう。
サイヤーは勿論のこと今でも尚ガリオンのファンも多く存在し、メドフォード城の侍女はミーハーな者が多いのだ。
個人情報もファンの中で共有されており、抜け駆けは禁止。皆で遠くから見守り、時には近くで見守るのが規則だ。

にっこりと笑顔を見せる上機嫌のエレナとは裏腹に、ジハードは珍しく引き攣った笑いを浮かべていたのだった。







タムラマや刺客の脅威が去ったとはいえ、メドフォード兵士や近衛兵達には大勢の怪我人が出てしまっていた。
薬師であるヴィステージは、ポーション作りのために連日医務室と調合室の往復であった。

メドフォード城を襲った屍兵の亡骸はその夜のうちに運び出され、城下の墓地前の広場で灰になるまで燃やされた。
既に魔力が切れて物言わぬ死体に成り果てていたアンデッド達であったが、二度と蘇らぬように火葬になったのだ。
フレデリク近衛兵長達の暗殺を謀った刺客達も死罪となり、屍兵の灰と同じく亡骸は墓地の片隅に埋められている。

国によっては敵国の刺客の亡骸は広場で晒しものにされる場合もあり、メドフォード王国はまだ寛容な傾向だった。
サキョウの信じるベムジンの教えでは、たとえ相手が親の仇であっても死者は平等に手厚く葬ってやるのだという。
死者に対して礼儀を忘れてはならないと。魂のないただの肉の塊であろうとも、晒しものにしていいわけがないと。


サキョウの最愛の兄は死して尚、生ける屍となって現世を彷徨い続けた。身体が朽ち果てるまで彷徨い続けていた。
兄の『生きたい』という願いは変わり果てた形で叶えられたのだ。これが辱めでなくて一体何だというのだろう。
白い布を被せられて次々と運ばれていく刺客の亡骸を見つめつつ、サキョウはヴィステージにそう呟いたのだった。

脳裏に浮かぶのは最期の兄の顔。生ける屍と成り果ててしまった兄だが、それでも笑顔は全く変わっていなかった。
己の身体が限界を迎えても、兄は最期まで笑っていたのだと。
身体が崩れ去る瞬間に見せた笑顔はとても幸福そうに見えた。兄が死んだ今となっては心境を知る由もなかったが。


そもそも死体に命を吹き込む『反魂の魔術』は、これほど多くの人間達を対象にするのは非常に難しいはずである。
ゾルディス王国にはアンデッド兵団を生み出すほどの魔法組織が存在しているのだろうか。
そして『反魂の魔術』は禁呪と呼ばれており、命を弄ぶ行為だ。一体どんな者が屍兵を生み出しているのだろうか。

死んだらそこで終わりである。禁呪に頼ってまで生き永らえようとヴィステージは思わない。それが自然の摂理だ。
だからこそ今を一生懸命生きるのだ。生きようと足搔くのだ。薬師はそんな願いを少しでも叶えるために存在する。
ティエルと再び会える日まで、大切な友達に胸を張れるような生き方をしていきたい。

その時。
薬草を抱えながら調合室に向かうヴィステージは、道中のベンチに呆けたように座るサイヤーの姿に目を留めた。
このメドフォードで屈指の剣の腕前だとジハードから紹介をされた陽気な青年だ。しかし、どこか表情が暗い。


「……サイヤーさん、でしたっけ。そんな薄着のままでぼーっと座っていたら風邪を引いてしまいますよ」
「ん? 君はヴィステージちゃんか。ジハードがぶっ倒れたって聞いて見舞いに行ったら面会謝絶って言われてさ」
「暫くは療養に徹するそうですよ。だから、せめて早く元気になってもらおうとポーションを沢山作ろうと思って」

「いいねー。君みたいな美人に看病されたら、きっと男はイチコロだろうな。オレも是非君に看病されたいねぇ」
「か、からかわないでください。ただ……少しサイヤーさんが元気がないように見えたので、どうしたのかなって」
「オレとしたことが、女の子に心配を掛けちゃモテ男失格だな」
「元気そうで良かったです。では、あたしは行きますね」

明るく軽口を叩くサイヤーの様子に、先程までの暗い表情は気のせいだったのかとヴィステージは再び歩き始める。
だがそんな彼女の背に向けて、サイヤーはぼそりと呟くようにして口を開いた。


「もしも……死んだと諦めかけていた相手が突然目の前に現れたとして、ヴィステージちゃんだったらどうする?」
「え?」
「しかもその相手がすっかり変わり果てていて、自分の敵として現れたら」
「変わり果てていて敵として現れたら、ですか」

ぱちぱちと大きな赤い瞳を瞬いたヴィステージは立ち止まり、暫しの間思案する。死んだと諦めかけていた相手。
彼女にとってそれは行方不明となった両親であり、もしも彼らが生きていればこの上なく嬉しいだろう。
だが数十年という月日が両親を変えてしまっていたとしたら? もしも彼らが敵として目の前に現れたらどうする?


「……それでもあたしはパパとママにもう一度会いたいです。生きていてくれたんだって、まずは喜びたいですね」
「パパとママ……そっか、君は」
「でもサイヤーさん、どうして突然そんなことを聞くんですか? もしかして誰かそんな人と再会したんですか」

「まぁ、そんな感じかもしれないなぁ。もし可能ならゾルディス王国に今すぐにでも殴り込みに行きたい気分だぜ」
「?」

どこか力なく笑ったサイヤーに、ヴィステージは意味が分からずに薬草の籠を抱えたまま瞳を瞬いていたのだった。





+ Back or Next +