Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり
第87話 ブラックマーケット -3-
目の前で湯気を立てている肉料理。蒸し焼きだろうか。
大きく切られたジューシーな牛肉の上にとろみのある赤いソースが乗っており、レモンの輪切りが添えられている。
ソースからは若干甘く香ばしい匂いが漂っており、肉の色を彩るように周囲には細かく刻まれた赤や黄色の野菜。
一見すると、こんな薄汚れた店で出てくるような料理には見えない。どこかの一流レストランのメニューのようだ。
ファングが言ったとおり、確かに料理人の腕は確かなのだろう。隠れた名店なのかもしれない。
「わぁーっ、美味しそうだね! こんなご馳走、暫くの間食べていなかったから嬉しいな」
「琥珀の都市アンブラで給料が入ったとはいえ……この先何があるか分かりませんし、節約の毎日でしたからねェ」
「できるだけ安い宿屋を探して泊まったり、一日一食に抑えたりしてお金を使わないようにしていたもんね」
「フフフ、涙ぐましい努力です。勿論ここの食事代はファングが奢ってくれるんですよね? 僕達お金ないですヨ」
「てめぇら……割と苦労してやがったんだな……。まぁこの店はオレが奢ってやるから、好きなだけ食ってくれ」
「人のお金なら僕は遠慮はしませんヨ。店員さーん、追加オーダーお願いします。魚料理ってないんですかァ?」
「わたし、こっちの焼き料理が食べたいな! あと、パスタもデザートも……あっ、オレンジジュースくださーい」
「おい、急に遠慮がなくなったな! オレだってそんなに金を持っているわけじゃねぇんだぞ!?」
早速ティエルは肉料理を切り分けると口に運ぶ。柔らかな肉と、ソースの蕩けそうな食感が口の中に広がっていく。
琥珀の都市で従業員として働いていた頃は賄い付きであったが、町を旅立ってからはまともな食事を取っていない。
干し肉だけの日もあった。カビたパンをテユーラと分け合ったこともあった。贅沢など言っていられなかったのだ。
『元々とても少食なんです』と言って、テユーラは何度か自分の食事をティエルに分け与えたりしてくれていた。
確かに彼は琥珀の都市アンブラでも食事量は少なかったような気がする。朝食など殆ど食べていなかった。
少食というのは本当のことかもしれないが……それでも彼なりに成長期のティエルのことを考えての気遣いだった。
「すっごく美味しい! このソースはどんな調味料を使っているのかなぁ。ジハードがいたら知りたがるだろうな」
「……ジハードぉ? 誰だよ、そいつは」
「ティエルちゃんの大切な仲間なんですヨ。今は大怪我をしていて、彼のことが心配で早く帰りたいんですよね?」
「うん。他にもサキョウっていう熊みたいな大きな男の人と、ヴィステージっていう可愛い女の子も一緒だったの」
「……」
「可愛い姉ちゃんか。いいねぇ、巨乳なら是非ともオレに紹介してくれや」
「もー、ファングはそればっかりだなぁ。食べながらこれからの計画を立てるんじゃなかったの?」
「そうそう、早速計画を立てなきゃな。……まずはティエルがメイド採用の面接で合格しなくちゃお話にならねぇ」
「具体的にはどういう計画を考えているんですか? 本当に僕を囮役にするなら、ちゃんと計画立ててくださいヨ」
「ん? まさか本気にしていたのかよ。お前を囮役にするってのは冗談だ」
頬に付着した赤いソースを軽く拭ったファングは、空腹が満たされたのか機嫌よく笑みを浮かべる。
テユーラは意外にも自分が囮になるという方向で話を進めていこうと考えていた。到底戦えるようには見えないが。
冗談だと言われてしまい、彼はどことなく拍子抜けしたように赤紫色の瞳を瞬いていた。
「まずはティエル、お前がいなくちゃ始まらねぇ。お前の行動がオレ達の成功の鍵を握るといってもいいくらいだ」
「わたし、メイドに採用されるように頑張るよ!」
「その意気だ。よろしく頼むぜ。先程も言ったが、オレが知りてぇのはビザンの屋敷の見張りの配置と交代時間だ」
「うん」
「実際に盗みに入るのはオレとテユーラだ。見張りの目を掻い潜り、屋敷に潜入する。そんで、通行証を盗み出す」
「……随分と簡単に言ってくれますけど、そもそも通行証はビザンが常に首からぶら下げているんですよネ?」
「心配すんなって、ビザンは週に一度だけボディガードを自分の周囲に置かない日がある。その日を狙うんだよ」
「そんな都合のいい日があるんですかァ?」
「週に一度、ビザンは気に入った女を寝室に連れ込んで朝までお楽しみなんだ。その夜はボディガードを置かねぇ」
「お盛んなことですねェ」
「それにしても朝までお楽しみってよ、一体何発ヤってんだろうな? オレでも一晩に三発が限界になっちまった」
「三発ってなにが?」
「ティエルちゃん、すぐに忘れましょう。ファングの一晩の発射数なんて世界一無駄な情報ですヨ」
「無駄じゃねぇだろ。性教育は大切だぜぇ? テユーラ、お前はまだ若いから一晩に五発くらいなら余裕だろ!?」
「それほど絶倫じゃありませんヨ。もー、小さな女の子の前でなんて話をしているんですか、このおじさんは……」
少々話がずれてしまったが、そもそもティエルがビザンの屋敷のメイドとして雇われなければ何も始まらないのだ。
こうしている間にも採用が締め切られてしまうかもしれない。善は急げだ。
まずはビザンの屋敷の周辺まで向かおうと二人に視線で合図を送ったファングは、弾みを付けながら立ち上がった。
ポケットからリン銅貨を数枚取り出しつつ彼はカウンターへ歩き始める。その拍子に、ひらりと何かが床に落ちた。
慌てて後を追ったティエルは落ちた紙切れを手に取る。……紙切れだと思ったものは一枚の古びた写真であった。
若い頃のファングを中心に、ハンターらしき格好をした男達が笑顔で写っている。
「写真だね」
「写真のようですね」
「真ん中に写ってるの、だいぶ若い頃のファングだよね? 今のテユーラおにいさんと同じくらいの年齢かなぁ」
「気品に満ち溢れている僕とは違って、こんな昔からファングはまるでごろつきのようですヨ。フフフ……」
「おい、二人とも何やってんだ。さっさと行くぞ」
「あ、はーい」
「今行きますヨー」
写真を覗き込みながらなかなか動き出そうとしない二人に向けて、会計を済ませたファングが大声で呼んでいた。
店の外では薄汚れた格好をした男達が座り込んでおり、彼らを鈍い魔法灯が照らす。先程と変わらぬ光景だった。
入口で退屈そうに立ち止まっていたファングに、ティエルは先程の古びた写真を差し出した。
「ねえ、ファング。ポケットから写真が落ちたよ」
「……あぁん? さっきお前らが眺めていたのはこの写真だったのか。何だよ、二人揃ってにやにやしやがって」
「写真に写ってる人達はファングのハンター仲間なの? みんな笑顔で楽しそうだね!」
「もしかしたらこの頃が一番ハンターやってて楽しかった時代だったのかもしれねぇな。皆で馬鹿やったりしてよ」
「人は過去を美化する傾向がありますからネ」
「そうかもしんねぇな。ほら、この真ん中のオレの隣に写ってる太った男がいるだろ。そいつが弟分のイムイムだ」
「おとうとぶん?」
「ファングの兄貴ーって、いっつもオレの後を追ってばかりの奴だった。ハンターとしては三流の男だったけどよ」
「そうなんだ」
「意外にも商人としての才能はあったらしい。ハンターから商人に転身するって聞いた時は、マジで驚いたけどな。
……ま、どんなに情けない奴でも弟分ってのはいつになっても可愛いもんよ。ついつい手を貸したくなっちまう」
どうやらファングが言っていた『オレの目的はエルラカーヒラにいる古い知り合いを助けてやりたい』というのは、
間違いなく弟分のイムイムだ。ハンターから転身してエルラカーヒラの商人とは、商いの才能があったのだろう。
弟分に手を貸すためとは、ティエルが想像しているよりもずっとファングは仲間思いで義理堅いのかもしれない。
「それじゃあ、早速メイドの面接を受けてくるよ。こうしている間にも募集が締め切られちゃうかもしれないし!」
「ああ、頼むぜティエル。ビザンの屋敷はここから割と近い。派手で趣味の悪い屋敷だから、すぐ分かると思うぜ」
「派手な屋敷なんですかァ。僕は賑やかでゴージャスなものが好きなので少し楽しみですネー」
「あれは賑やかとか表現できるようなレベルじゃねぇと思うんだよな。まぁ一目見たらその考えも変わるだろ……」
「?」
瞳を瞬いているテユーラに向けて、ファングは黙ったまま親指で背後を指し示した。
闇の中で浮かび上がる赤や橙色の魔法灯に彩られた屋敷の輪郭。一見すると、単なる大きなキャバレーにも思えた。
どことなくエルキドの建物を彷彿とさせるような佇まいであった。朱色の瓦屋根に、黄金に光り輝くシャチホコ。
屋敷に近付いていくにつれて、ファングが言っていたとおり段々とその趣味の悪い建築が顕著となっていく。
様々な国の文化を集結させたような、まとまりのない散らかった印象である。ちかちかと光輝くピンク色の魔法灯。
派手好きだと豪語していたテユーラの表情が段々と曇っていくのが誰の目にも見て取れた。非常に悪趣味な屋敷だ。
「テユーラよぉ」
「……はい」
「お前さっき派手好きだって言っていたよな。へへへ、どうだ。ビザンの屋敷はお気に召したか?」
「個性的な屋敷だと思いますヨ」
「ほんと、どうして成金ってやつは趣味が悪いのが多いんだろうな。悪魔族の死体が高く売れる世界は分からねぇ」
「成金のひとが何のために悪魔族の死体を高く買うの? 丁寧に弔ってあげるため……なんかじゃないよね」
「そんなわけねぇだろ。お前には縁遠い話だろうけど、悪魔族ってのは男も女もすげぇ具合がいいって話らしいぜ」
「具合って?」
「そりゃあアソコの具合よぉ。ん? 男だったらケツの具合か。一度悪魔族とヤったら病み付きになるんだってよ」
「……」
「ファング、子供に話す内容じゃないでしょう」
「固いこと言ってんなよ。どうせ悪魔族なんて一生関わることのない奴らだし……って、なんだこりゃ」
印刷の掠れた新聞が風と共にファングの足に絡み付く。酒瓶や新聞が至る場所に捨てられており、景観も何もない。
気になる見出しを見つけたのか、彼は新聞を拾い上げて暫く目を通していた。
「商業都市エルラカーヒラ、通行証なく侵入した者に斬首の刑を執行だとよ。ひぇー、厳しいったらありゃしねぇ」
「どうしてそこまで厳しい入国制限をしているんだろう? 商業の国なら、人が多く集まった方が栄えるのに……」
「商王ウシャムとやらは何がしたいんでしょうネ」
「弟分のイムイムの話じゃ、昔はそこまで猜疑的ではなかったらしいんだけどよ。商王に一体何があったのやら」
ビザンの屋敷が大分近付いてきた。人通りの少ない公園の前で立ち止まったファングは、ティエル達を振り返った。
前方には既に屋敷の門が見えている。これも同じく派手な赤い色の魔法灯で彩られ、狸の置物が鎮座している。
ブラックマーケットを支配するビザンという男はどんな人物なのだろうか。ティエルはごくりと固唾を飲みこんだ。
「この先は警備が厳しくなる。男二人が一緒にいちゃあ怪しまれるからな。ここからはティエル一人で行ってくれ」
「……分かった。もしもわたしがメイドに採用されたら住み込みになるけど、二人はどこで寝泊りするの?」
「ではこのホテルにしましょうか。ビザンの屋敷も近いですし一泊二千リンは魅力的です。節約は大切ですからネ」
「うげっ!? お前ちょっと待て、そこラブホテルだぞ……」
「値段が安ければどこでもいいんですヨ。それじゃあティエルちゃん、メイドの面接頑張ってください!」
ビザンの屋敷の手前に建っている悪趣味なラブホテル。
こちらも似たような装飾がされていることから、もしかしたらビザンが経営しているホテルなのかもしれないが。
顔を青くさせているファングとは裏腹に、笑顔のテユーラはティエルに向けて手を振って見送っていたのだった。
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