Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり

第88話 ビザン邸・潜入大作戦 -1-




ティエルは現在ビザンの屋敷の前に立っていた。
毒々しい魔法灯に彩られた正門。一見すると趣味の悪いラブホテルのようにも見えるが、ビザンの趣味なのだろう。
世界中の文化圏から収集したと思われる骨董品が乱雑に置かれており、その光景が余計に不安を増長させていった。

屋敷の周辺に通行人の姿はない。考えてみれば、悪名高い町の支配者の屋敷に好き好んで近付く者はいないだろう。
門の右脇に女の乳房を模った呼び鈴がある。乳首の部分を押すとベルが鳴るという、凄まじく趣味の悪い呼び鈴だ。
人差し指を突き出したまま、ティエルはなかなか呼び鈴を押すことが出来ないでいた。

屋敷全体から妙な威圧を感じる。恐怖とはまた別の感情だ。ハイブルグ城やゾルディス城とは違った意味での威圧。
門の向こうで妖しげなピンク色にライトアップされた屋敷は、エルキドのガイドブックに載っていた城に似ている。
だが似ているようで、全く違う。決定的に何かが違う。それは気品や優美さの欠片もないということだけではない。

サキョウならばすぐに、この言いようのない奇妙な違和感の正体が分かるだろうか……。


酒瓶を手にした狸の置物と目が合った。ずんぐりとした体型に巨大な男性器。随分といやらしい目付きをしている。
ごくりと固唾を飲み込み、ティエルは意を決して純金製の乳首の呼び鈴を押す。静かな辺りに鐘の音が鳴り響いた。
……誰も出てこない。もしかしたら聞こえていなかったのかもしれないと、彼女がもう一度呼び鈴に手を伸ばすと。

ばたばたと忙しない足音が近付いてくる。
ゆっくりと両開きの門が開かれ、中から姿を現したのは黒いスーツにサングラスといった出で立ちの大男であった。
ファングが話していたビザンのボディガードだろうか? 大男はティエルが想像していたよりも甲高い声を上げた。


「ちょっとぉ、一体誰よこのクソガキは。こっちは今忙しいんだけど、どうでもいい用事なら後にしてくれない?」
「クソガキじゃないよ!」
「お黙り。この屋敷は、あんたみたいなクソガキが遊びに来るところじゃないの。早くママのところに帰りなさい」
「わたし、メイドを募集してるって話を聞いて来たんだ。おじさ……おにいさん、面接受けさせてほしいんだけど」

「……あんた今、アタシのことおじさんとか呼びかけたわね。まぁいいわ、本当に人手が足りなくて困っていたの」
「ふーん、そうなんだ。こんな大きなお屋敷なのに人手が足りないなんて大変だね」
「離職率が半端ないのよ。次から次へとメイド達が辞めていくから万年人手不足よ。最近の子は根性がないわねぇ」

大袈裟に胸を撫で下ろす黒スーツの男。女物の香水を付けているのだろうか。甘ったるい匂いが周囲に漂っている。


「メイド志願者は歓迎するわ。さあ、いらっしゃい。面接はアタシじゃなくてメイド長がするのよ」
「メイド長かぁ……優しい人だといいな。みんな次々辞めちゃうのは、そのメイド長が怖いからとかじゃないよね」
「あんたは大丈夫でしょ。能天気そうだし、怒られていることに気付かなそうなお気楽な性格をしてそうだし」

「それって褒めてるつもり?」
「……バカねぇ、褒めてるように聞こえるの? あんたって、想像している以上におめでたい頭してるわねぇ……」
「さすがに今のは貶されたって分かったよ!」


そんなやり取りを続けながらも黒スーツの男に連れられて門の中へと足を踏み入れる。
玄関までの道のりは小さな庭園になっており、やはりここも統一感がまるでなく、各国の文化が乱雑とした印象だ。
門前に置かれていた狸よりも一回りほどサイズの大きな虎の剥製。錆び付いた異国の看板。見事な甲冑に聖女の像。

おもちゃ箱をひっくり返したような中庭である。エルキドの鹿威し、ベムジンの灯篭、龍の刺繍の赤い垂れ幕。
ビザンという人物のセンスは到底理解することができないだろう、むしろしたくない……と、ティエルは思った。


「驚いた顔をしているわねぇ。ビザン様の屋敷を訪れた者は皆、このセンス溢れる素晴らしい庭にまず驚くのよ」
「うん、すっごく驚いた! 驚きすぎて言葉も出なかったよ」
「そうでしょう? 様々な国の文化を取り入れるビザン様の芸術は、アタシみたいな一般人には理解できないわぁ」
「おにいさんも理解できないんだ。というか、どんなひとも理解できないような気がするんだけどなー」

趣味の悪い中庭を進んでいくと、やがてリズムよく点滅を繰り返す魔法灯に彩られた大きな扉が見えてきた。
扉に設置されているのは黄金の乳房。やはりこれも呼び鈴なのだろう。黒スーツの男は指で乳首のボタンを押した。
暫くすると扉を開けたのは中年の女。恰幅が良く、常に眉間に深いしわを寄せている。恐らくメイド長なのだろう。


「……ゴリアテ様。その子供は?」
「聞いて喜びなさい、メイド志願者ですって! アタシは屋敷の警備の仕事があるから、後はよろしく頼むわねぇ」
「畏まりました」

「それじゃあクソガキ。ビザン様の屋敷でくれぐれも失礼のないようにしなさいね?」
「またクソガキって言った……」

手を振りながら去っていく黒スーツの男。どうやら彼の名前はゴリアテというらしい。なかなか男臭い名前である。
ゴリアテの姿が見えなくなると、紺色のメイド服を纏った中年の女は溜息と共に口を開いた。


「こんな子供が新入りとはね。あたしはメイド長のベラ。あんた、働いた経験はあるの?」
「少し前まで宿屋で二週間ほど働いていたよ。ベッドメイキングと料理、あとは掃除が得意でーす!」
「幼いのにそれだけできれば十分だわ。本当は面接をしたいところだけど、面接ができるほど人が来ていないのよ」

「……えっ、ということは雇ってくれるの?」
「丁度良かったわね。今日またメイドが一人突然辞めてしまったところなの。とりあえず中に入りなさい」
「はーい」


確かにティエルは二週間ほど琥珀の都市アンブラにて宿屋の従業員として働いていたが。
先程彼女が言ったようにベッドメイキングや料理や掃除が得意かと言われれば……それは大いに誤解を招く発言だ。
ベッドメイキングや掃除は詰めが甘く、むしろテユーラの方が上手かった。料理は作るどころか配膳だけだった。

だが今は細かいことなど気にしている場合ではない。
ビザンの屋敷に潜り込むことが目的なのだ。たとえ嘘を並べ立ててでもメイドに採用されなければ話が始まらない。
メイド長の背中を眺めつつ進んでいたティエルは拳を握りしめる。やはりここも左右に奇妙な骨董品が並んでいる。


「最近の若い子達は辛抱と根性が全然足りないわね。あたしが若かった頃なんて、今よりももっと厳しかったのに」
「根性かぁ。わたし、根性だけはあるかなって自分でも思ってるんだけど。でも結構ドジって言われるしなー」
「……ビザン様は男にはとても厳しいけど、好みのタイプの女には甘いから。精々気に入られるようにするんだね」

「どうせおっぱいが大きな女の人が気に入られるんでしょ?」
「今までのビザン様の傾向からするとそうだろうね。まぁ、あんたには全く関係のない話だったか」

そんな会話を続けながらもメイド長は色々な部屋を回っていく。


「ここがキッチンで、その隣が休憩室。向こうに続いているのが使用人専用の部屋。それで、掃除用具入れは……」
「ねえメイド長さん」
「なんだい? 仕事についての質問なら後でまとめて聞くわよ」
「仕事についてというか、わたしのことは何も聞かないの? 面接しないんだったらせめて名前とか聞くものじゃ」

「あんた、見たところ冒険者でしょう? この町の住人じゃないなら、身元なんて聞いても聞かなくても同じだわ」
「そうなんだ。……わたし、ティエルっていいます。路銀が底を突いちゃって、住み込みの仕事を探していたんだ」
「思ったとおりね。だってあんた、ビザン様の恐ろしさを全く知らなそうなんだもの」


身元不明の冒険者を面接もなく雇うとは、よっぽどセキュリティに自信があるのだろう。
先程から何度も黒スーツの男達とすれ違っている。ただ……猫の手も借りたいほど人手が少ないのかもしれないが。
気が付くと二人は更衣室のような場所の前に立っており、メイド長はティエルに向けて大きな包みを差し出した。

「早速だけど今日から働いてもらうわよ。給料や休みについては追々説明するから、早くこの制服に着替えなさい」
「えっ、今日から!?」
「そうよ。さっき言ったでしょ、人手が足りないって。ティエル。あんたにはキッチン担当になってもらうからね」

「はーい。キッチンかぁ……料理作ったり材料切ったりするんだよね?」
「当然じゃない。まぁ、最初は配膳や皿洗いから始めてもらおうかしらね。その程度なら初心者でもできるでしょ」
「想像していた以上に大雑把だなぁ」
「ごちゃごちゃと喋ってないで、そこの更衣室で早く制服に着替えなさい! あたしはここで待っているから」


制服の入った包みを抱えて呆然としていたティエルだが、メイド長から睨まれると慌てて更衣室へ足を踏み入れた。
中は考えていたよりも狭く、蓋付きの木箱が並べて置かれている。恐らくこの木箱の中に荷物を入れるのだろう。
薄汚れた鞄を外し、背中に背負っていたイデアを木箱に入れる。脱いだ衣服を上から被せるようにして剣を隠した。

本来であれば肌身離さずイデアを背負っていたかったが、さすがにメイドが剣を背負っていては怪しまれてしまう。
もしも何かあった場合直ぐに対処できるように、いつでも持ち出せるようにしておきたいが。


包みの中に入っていたメイド服は実に質素な作りであった。デザイン的にはメドフォードの侍女の制服と似ている。
よく似てはいるが、一つだけ決定的に違う部分が存在した。……それはスカートの長さである。とても短いのだ。
やはりこれはビザンの趣味なのだろうか。

メイドの制服を身に着けたティエルは鏡の前で思案する。これでは少し腰を曲げただけでもパンツが見えてしまう。
胸の形を強調するようなデザインだったが、残念ながらティエルの胸ではぶかぶかに布地が余っている。
スタイルのいい女性が着れば様になっていたはずだ。着る人物によってこうも残念な仕上がりになってしまうのか。

そもそもティエルが下着が見えそうなほど短いメイド服を着ていることを大臣達が知れば、一体何と言うのだろう。
呆れ果ててしまうかもしれない。亡きミランダ女王に申し訳が立たないと、泣き出してしまうかもしれない。
ジハードは慰めの声を掛けてくるかもしれない。むしろその要らない気遣いこそが落ち込む原因になるというのに。
『女性に重要なものはスタイルなんかじゃないよ』などと笑顔で言ってくる。きっと、絶対に言うに決まっている。

サキョウやヴィステージは似合うと言ってくれるかもしれない。
特にティエルよりもスタイルの良いヴィステージがこの衣装を着れば……とても可愛く、色っぽく着こなすだろう。


「ちょっとあんた、着替えにどれだけ時間を掛けているの!? 早くしないと夕食の仕込みが終わらないわよ!」
「ごめんなさい、今行きます!」
「元気だけはいいんだから……言っておくけど、あたしは甘くないわよ。ビシバシ躾けていくからそのつもりでね」
「はーい!」

メイド長にどれほど厳しくされたとしても、ティエルにとっては些細な問題でしかない。
たとえ何があっても。どんな手を使ってもエルラカーヒラの通行証を手に入れ、必ずメドフォード王国へ帰るのだ。





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