Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり

第91話 Go through the culvert




ファングが確保していた逃げ道とは、ブラックマーケットの様々な場所に通じているという巨大地下水路であった。

地下水路はまるで迷路のように入り組んでおり、身を隠しながら進んでいくにはこれ以上にないほど好都合なのだ。
警備の目を掻い潜り屋敷から脱出を果たした三人は、予めファングが目星をつけていたマンホールへと足を向ける。
そろそろビザンの異変に警備達が気付く頃だろう。地上は人の目も多いため、水路を通ってこの町を離れる計画だ。

地下水路と聞いてティエルは初め下水道のような施設を想像していたが……意外にも水は澄んでおり清潔な印象だ。
所々道が水没している個所もあり、腰まで水に浸かりながら進む場面も多くあった。ひんやりとして気持ちがいい。
だがあんなガラクタのような町並みの地下に、これほど立派で巨大な水路が存在しているとは正直驚きである。

水の流れはとても緩やかで地下水路は静寂に包まれている。所々橙色にぼんやりと灯っている魔法灯だけが頼りだ。


「さっきお風呂に入ったのにまた濡れちゃった。でもあの香油の匂い、あまり好きじゃなかったから丁度いいかも」
「あのなあ、呑気なことを言ってるんじゃねーよ」
「え?」
「危険なことを勝手にするなって言っただろ? 待ち合わせの休憩室にお前の姿がなかった時は本気で驚いたぜ」

「しかも置手紙には『ビザンの添い寝をすることになったので寝室で待ってます』なんて書いてありましたからネ」
「ここでわたしが断ったり逃げ出したりして、予定外に警備が増えたりしたら計画が駄目になっちゃうでしょ?」
「僕らが間に合ったから良かったものの……もしも間に合っていなかったら、君はどうするつもりだったんですか」

「だって一緒に寝るだけだよね? 全裸の変なおじさんの隣に寝るのはものすごく嫌だったけど」

「バカ野郎、寝るってそういう意味じゃねーんだよ! お前あの変態野郎に犯されていたところだったんだぞ!?」
「バカって言った……」
「お前もクソガキといえども一応女なんだから、もっと危機感を持てよな。処女ってのは……好きな男に捧げろよ」

「……」
「なんだよテユーラ。何か言いたそうだな」
「いえ、ファングにしては随分まともなことを言うなァ……と、少し驚いていたところですヨ」
「お前はオレを一体どんな目で見てやがるんだ。あーもう、物事を知らないにしても限度ってもんがあるだろうが」


ぶつぶつと悪態をつきながら、ファングはティエルの頭に軽い拳骨を食らわせる。
口調はいつもの通り乱暴なものであったが、やはり頭の上に乗せられたままの手は無骨ながらもどこか優しかった。

「大切に育てられた世間知らずのお姫様みたいなことを言いやがるガキだぜ。お前、結構いいところのお嬢だろ?」
「これでも昔に比べたら、少しは世間のことを知ったつもりだよ!」
「畜生……ビザンがあんな変態ロリコン野郎だって知っていたら、お前に潜入しろなんて言わなかったんだけどよ」

「変態ロリコン野郎?」
「セクシーで巨乳の姉ちゃんならともかく、こんなつるぺたのクソガキが選ばれるなんて夢にも思わねぇだろうが」
「つるぺた?」
「お前、まだ下の毛も生えてねぇだろ? 覚えとけ、世の中にはあんな特殊な性癖を持った変態野郎がいるんだぞ」

「あんまり変態変態って連呼されると、わたしが傷付くんですけど!?」


それはつまり、ティエルに好意を抱く男は特殊な性癖を持つ変態ばかりということになる。それはあまりにも酷い。
拗ねたように唇を尖らせるティエル。彼女は未だに透けたベビードールとパンツ姿のままであった。
その上腰まで水に浸かって濡れているのだから、下着は肌にぴったりと張り付いて透けているどころの話ではない。


「まあまあ。いくら子供といえども、その格好のままでいるのは如何なものかと思いますヨ。早く着替えましょう」
「あっ、忘れてた。この下着は高そうだけど、わたしにはちょっと似合わないからここに置いていこうかな」
「現実的な考えを言ってしまうと……売って路銀にするのがいいんですけどネ。シルクの下着は高く売れそうです」

「え、一度身に着けた下着を売るの? まぁいいや。着替えるから少し待ってて。覗いちゃ駄目だからね!」
「誰が覗くかっての。ガキの着替えを眺めるくらいなら、美形な兄ちゃんのストリップを眺めていた方がマシだな」
「うわぁ……僕の着替えをファングはそんな下品な目で眺めていたんですかァ……」

「お前、自分のこと美形だって思ってんのかよ! 大した自信だな!?」
「ひどいよ。テユーラおにいさんは真剣な表情をして真面目な格好をすれば、結構かっこいいって言ったじゃない」
「真剣な表情をして真面目な格好をすればってよぉ、そこまでしなきゃ格好良く見えねぇってのもどうなんだ?」

「フフフ……僕にとってこの格好は至って大真面目なんですがねェ」


そんなやり取りを続けながらもティエルは脇の細い通路へと進んでいき、濡れてしまった下着を素早く脱ぎ捨てる。
辺りに響き渡っているのはファングとテユーラの些細な会話のみ。一人では心細い場所だが、三人ならば怖くない。
着慣れた旅着に袖を通すと、どこか気が引き締まったような感覚だった。

この趣味の悪い下着は……テユーラの勧めどおり、洗ってから売ることにしよう。旅にお金は何よりも大切である。
眺めていると怒張した性器をぶるんぶるんと振るビザンの姿を思い出すので、これ以上目にしたくはなかったが。


「……お待たせ、二人とも」
「やっぱりティエルちゃんはあんな際どい下着よりも、そのピンクのワンピースが一番似合っていますヨ」
「何はともあれ、無事にエルラカーヒラの通行証が手に入ってめでたしじゃねぇか。家出娘のお前も家に帰れるな」

「だから、わたしは家出娘じゃないってば」
「へへへ。探している男とやらはとりあえず保留にして、まずは帰りを待っている家族に元気な顔を見せてやれよ」
「分かってる」

「で、テユーラ。……お前はどうなんだよ」
「何がですか?」
「お前も事故で飛ばされたんだろ、元の場所に帰りたいんじゃねぇのか」

「帰りたいと言えば帰りたいような気がしなくもないですが、帰れなければ別にそれでもいいって感じですけどネ」
「意味が分かんねぇな、要は帰りたいってことだろ?」
「さあ、どうでしょう」

はぐらかすようなテユーラの台詞に、ファングは思わず眉を顰めつつも懐から皺くちゃになった地図を取り出した。
複雑に入り組んだ通路が細かく描かれているそれは、恐らくこの地下水路の地図なのだろう。


「とにかくだ。まずはエルラカーヒラに到着しなきゃ話にならねぇ。この地下水路を抜けてさっさと地上に出るぞ」
「ファングが手に持っているのは地下水路の地図なの?」
「この地下水路は、まるで迷路みてぇに入り組んでやがるんだ。エルラカーヒラに一番近いマンホールから出るぞ」

「地下ならビザンの手下に気付かれることもなくブラックマーケットを抜けられそうですねェ」
「気を抜くのはまだ早いぜ。エルラカーヒラの周辺で先回りをしているかもしれねぇ。暫くの間は変装が必要だな」
「変装ですかァ……」


通行証が盗まれたことに恐らくビザンはすぐに気が付くだろう。
使用目的は限られている。高値でブラックマーケットに売り出すか、エルラカーヒラに入国するかのどちらかだ。
中には戦利品としてコレクション目的で盗み出すような奇特な者もいるだろうが……それはこの際置いておこう。

地図を手にしつつ歩き始めたファング。水路に落ちてしまわぬように、歩行者用の細い通路を注意深く進んでいく。
やはり周囲は水の流れる音だけが響き渡っていた。こんな時間にこんな場所を歩く物好きなど存在するはずがない。

どのくらい歩き続けたのだろう。同じ風景が延々と続くだけで、果たして前に進んでいるのかと不安になってくる。
道を間違わぬように地図と睨み合いを続けながら歩くファングと、軽く口笛を吹いている気楽な様子のテユーラ。
前々から感じてはいたが、このテユーラという青年に緊張感は全く存在していない。常に状況を楽しんでいるのだ。


「……ねえ、ファング」
「あぁん?」
「エルラカーヒラのワープゲートって、誰でも使うことができるのかなぁ」
「残念ながらワープゲートは重要文化財で国が管理しているんだ。使いたきゃあ商王ウシャムに頼み込むんだな」

「えーっ!? そんな偉いひとに頼まなくちゃいけないの?」
「冗談だってーの。まぁ国が管理してるってのは本当だけどな、イムイムの野郎に頼めば使わせてくれると思うぜ」

「確かファングはエルラカーヒラの弟分を助けてやりたいと言っていましたよネ。一体どんな人なんでしょうか?」
「一言でいうと……情けねぇ男だなぁ。弱っちいけど、金儲けの才能だけは無駄にありやがる。そして真性包茎だ」
「包茎かどうかの情報は別に必要ないですヨ。金儲けの才能は十分立派な才能じゃないですかァ」

「オレは商売で金儲けってのは苦手でよ。男なら魔物をハントしてこそ一人前だろ。そっちの方がロマンがあるぜ」
「同じだと思いますけどね。ファングはハンター稼業に命を懸けて、イムイムさんは商売に命を懸けているんです」
「……目指す方向は違えど根本的なものは一緒かもしれねぇな。当時のオレは全く理解する気はなかったけどよ」


遠い目をしながら口を開いたファングの表情に、ほんの少しだけ寂しげなものが横切ったのは気のせいだろうか。
じっと見つめるティエル達の視線に気付いたファングは、慌てて手を振って見せる。

「へへへ、まぁ遠い昔の話よ。それこそティエルが生まれるよりもずーっと前の話だからな。もう忘れちまったぜ」
「そうなんだ」
「当時は理解できなかったことでも、長い年月が経てばいつかは理解できる日が来るかもしれませんヨ」


「わたしもちゃんと理解、できるといいな」
「くれぐれも焦って結論を出しては駄目ですヨ? そんな状態で出した答えなんて、きっといつか後悔しますから」
「……もしかしてテユーラおにいさんは」
「はい?」
「ううん、やっぱりなんでもない」


おにいさんは……出した結論に後悔したことがあるんだね、と。喉まで出掛かった言葉を、ティエルは飲み込んだ。
軽々しく口に出せるような言葉ではない。けれど、テユーラが今現在心から笑えているのならばそれでいいと思う。
二度と戻れぬ過去をいつまでも引きずり続けるよりも、しっかりと前を向いて歩いていくことができるのなら。

当時は理解できなかったことでも今なら理解することができるのだろうか。
クウォーツが突然姿を消した理由や、リアンがずっと偽りの仮面を身に着けていたことも。理解できるのだろうか。
……やはり無理だ。たとえどんな理由があったとしても、今はまだティエルは理解することができないだろう。

理解するためには、まず相手と向かい合って話すことが大切だ。そのためにも早くメドフォード王国へ帰ろう。
急に黙りこくってしまったティエルの様子を眺め、テユーラは何かを察したのかそれ以上聞き返すことはなかった。





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