Lord of lords RAYJEND 第二幕「漆黒のクインテット」 第9章 おかえり

第92話 商都・エルラカーヒラ -1-




ブラックマーケットから南に進み続けて五日目。
ビザンの屋敷にて通行証を入手したティエル達は地下水路を抜け、商業都市エルラカーヒラに向けて出発したのだ。
元々エルラカーヒラは、広大な砂漠に位置するオアシス周辺の露店の集まりが徐々に町となっていったのだという。

前回は外壁楽園を抜けた先に突如現れた予想外の砂漠だったために危うく遭難しかけたティエルとテユーラだが、
もうそんな過ちは二度と繰り返すことはしない。今回は砂漠地方の知識が豊富なファングが一緒である。
日除けのスカーフ、上着、大量の水、簡易テント。砂漠を進むために必要なものを買い揃え、万全の態勢で挑んだ。

商業都市という名前が付いてはいるが、独自の法律が存在する一つの国家のようなものだとファングが言っていた。
一度エルラカーヒラに足を踏み入れてしまえば、たとえどんな人物であってもルールに従わなければならないのだ。
商王ウシャムの定めたルールに従わなかった者達の末路は……実に恐ろしい処刑法で殺されてしまうのだという。

周囲は見渡す限りの砂漠が続いており、ラクダという珍しい生き物を連れたキャラバンがぽつぽつと見受けられる。
彼らは商談に向かうのだろうか。それとも商品の搬入か。そう考えるとティエルは状況も忘れて胸が高鳴ってくる。
道なき道を、幾人もの人影がエルラカーヒラを目指して進んでいるのだ。一体どんな都市なのだろうか。


「わぁーっ、すごいや! あのキャラバンも、あっちの商人達もみーんなエルラカーヒラに向かってるんだよね?」
「そりゃそうだろ。……はしゃぐのは結構だが、頼むからラクダから落ちないでくれよな」
「ティエルちゃんが嬉しそうだと僕も嬉しくなってきましたヨ。ワープゲートの使用許可を早速貰いましょうネー」

「うん! ファングの弟分のイムイムさんにお願いしたら使わせてくれるって言ってたし。早速お願いしたいなぁ」
「ワープゲートはまぁいんだけどよ、わざわざオレに助けを求めてきたイムイムの様子が気になるんだよ」
「フフフ……脳筋のファングに助けを求めているくらいですから、頭を使う商談関係ではないことは確かですヨォ」

「テユーラお前、その台詞はオレのこと単純バカだって言ってるようなもんだからな?」
「えっ、違うんですかァ?」
「てめぇ今すぐにその鬱陶しい三つ編みを引っこ抜かせろ!」
「暴力反対ですヨ。あーやだやだ、これだから野蛮なおじさんは」

「最初は心配してたけど……テユーラおにいさんとファング、二人ともすっごく仲良しになってくれて嬉しいなぁ」


頭から日除けの布を被ったティエルがラクダの背に乗りながら弾んだ声を発する。
もうすぐ仲間と再会できるかもしれない。弾んだ声を出すなという方が無理な話である。思えば長い道のりだった。

生と死の狭間である外壁楽園でロイアとテユーラと出会い、試練の森を抜けて琥珀の都市アンブラへと辿り着いた。
琥珀祭では完全にゾルディス黒騎士となったガリオンと再会し、二度と彼と同じ道を歩むことはないのだと悟った。
長い流浪の旅も終わりを迎え、このエルラカーヒラのワープゲートでメドフォードに帰るのだ。必ず帰ってみせる。


「おっ、漸く見えてきたぜ。二人とも分かるか? あの頑丈そうな外壁に囲まれた都市が、商都エルラカーヒラだ」
「頑丈な城壁は理解できるんだけど……それよりも都市全体を薄い緑のヴェールが覆っているように見えるよ?」
「あれは魔力の結界です。城壁だけでは飽き足らず、魔力の防壁にも頼るとは。商王という人物は用心深いですネ」

「……用心深いだけで済めばいいんだけどな」

確かにファングの言ったとおり、土色の壁に囲まれた巨大な影が砂漠の向こうに見えている。
そして何よりも目を引いたのは……都市全体を囲むように薄い緑色のヴェールが覆っているのだ。明らかに結界だ。


「あの緑の結界は、通行証を持たないやつらを全て拒絶するっていう商王の行き過ぎた意志の表れみたいなもんだ」
「ふーん。そこまでして通行証を持たないひと達を入れたくないんだね」
「一体何がどうなったらそこまで偏屈になっちまうのかねぇ。昔は誰でも入国できて、もっと栄えていたのによぉ」

「ファングは昔のエルラカーヒラを知っているんですネー。もしかして君の出身地だったりするんですかァ?」
「さぁ、どうだかなー」
「えっ? エルラカーヒラはファングの出身地だったの?」
「勿体ぶってないで教えて下さいよォ。君の出身地なんて、勿体ぶるほどのものでもないでしょ」


他愛のない会話を続けているうちに、商都エルラカーヒラ正面ゲート前まで到着する。
既にゲート前では通行証を首から下げた商人達が入国するために長い列を作っていた。ティエル達も最後尾に並ぶ。
そして長く続く商人達の列を監視するかのように、この場に不釣り合いな黒いスーツの男の姿が数名見受けられた。

どうやら並んでいる者達を一人一人覗き込み、顔を確認しているようだ。


「……ティエル、テユーラ。あいつらは間違いなくビザンのボディガードだ。下を向いて、絶対に声を出すなよ」
「分かってる」
「はいはい、分かりましたヨ」

ティエルは泥を顔に塗りたくり、髪の毛は全て頭に巻いた布の中に収めている。服装も少年のものに着替え済みだ。
一見すると薄汚れた少年のように見える。同じくファングもターバンを巻いており、現地の商人らしい服装だった。
『地味な服は着ませんヨ』と駄々を捏ねていたテユーラは、長いローブと頭からフードを被って容姿を隠している。

ティエル達の手前で並んでいた商人の顔を確認し、やがてこちらに黒スーツの男達がやってきた。随分と暑そうだ。
幸いなことにビザンの屋敷で顔を合わせたことのある男達はいないようだ。ゴリアテならば誤魔化しきれなかった。


「おい、我々は窃盗犯を探している。幼い少女と男二人の三人組だ。お前達も丁度三人組だが……何か知らないか」
「さぁ……さっぱり知らねぇや。しかし旦那よぉ、そんな幼い娘っ子がこんな過酷な砂漠を渡るかねぇ?」
「ビザン様の寝室からエルラカーヒラの通行証だけが紛失していた。必ずやつらはこのゲートを通るはずなんだ」
「そうかい。力になれなくて悪ぃな」

白々しく首を振るファング。どこからどう見てもただの商人である。だが、ラクダの上のティエルは気が気でない。
その時。黒スーツの男の一人が訝しげにティエルの顔を見つめていたのだ。途端に背中に冷たいものが流れ落ちる。
暫く彼女の顔を眺めてから、黒スーツの男はファングを振り返った。


「……このラクダの上の子供は?」
「ああ、こいつはオレの息子のティオっていうんだ。まだまだ商人としては半人前の甘ったれた息子なんだけどよ」

「どう見ても少年だな。だがそっちのフードを被ったピンクの髪の三つ編みの女は、全く商人には見えないが?」
「そ、そいつはオレの女房だ。オレと片時も離れたくないって我が侭を言いやがってよぉ、連れてきたってわけだ」
「随分とお熱いことで、美人な嫁さんで羨ましいな。……商人一家か。お前達は無関係だな。よし、行っていいぞ」


次なる商人を調べるために去っていく黒スーツ達の背中を眺めながら、ティエルは脱力したように息を吐き出した。

「バレなくてよかったぁ……」
「な、上手くいっただろ? オレの抜群の演技力と機転のお陰よ」
「僕が君の奥さんとか、嘘にしても限度がありますヨ。しかも片時も離れたくないとか何の気色悪い冗談ですか?」

「うるせーな。オレだってお前となんて想像したら気色悪ぃけどよ、こうやって上手くいったからいいじゃねぇか」
「これで堂々と中に入ることができるんだよ。やっぱりテユーラおにいさんは黙っていた方が良く見えるんだね」
「フフフ……少々引っかかる言い方ですが、褒められているのなら悪い気はしませんヨ」


能天気な会話を繰り広げている三人が、改めてゲートの方へと向き直った時。
通行証を提示する正面ゲートの方角から突如悲鳴が上がった。布を引き裂くような声、野太い声。怒号。様々だ。
状況を理解できぬまま立ち尽くしていたティエル達の元へ、荷物を放り出したゲート付近の商人が駆け寄ってきた。

「おい、お前達も早く逃げるんだ!」
「どうやら町に無数のサンドワームが出現したらしい! 早くゲートを閉じないとこっちに押し寄せてくるぞ!?」
「サンドワームに食われたら最後だ、あいつらの唾液で骨も残さず溶かされちまう……!」


そのまま走り去っていく商人達の台詞から、どうやら町中に砂漠の魔物サンドワームが出現したのだと察せられた。
サンドワーム。眼球を持たず体長十メートルほどの蛇のような形態。常に砂の中に潜んでおり、獲物に襲い掛かる。
唾液は強力な酸であり、飲み込んだ獲物を骨も残さず消化してしまう恐ろしい魔物なのだという。

「ゲートを早く閉じろ、サンドワームどもを誘き寄せて一網打尽にするんだ!」
「自警団に連絡はしたのか!?」

響くゲート管理人達の声。同時に開かれていたゲートが徐々に閉じられていくではないか。まずい、このままでは。


「ゲートが閉じられちゃうよ! どちらかというと、サンドワームを町の外に追い出した方がいいんじゃないの?」
「町中にサンドワームを閉じ込めたところで一体どうするんですかネー。自警団がどうとか言ってましたが」
「……たとえサンドワームをゲートの外に追い出したとしても、あいつら砂の中を潜って戻ってきやがるんだよ!」
「そうなんだ」

「サンドワームと遭遇したら、必ずぶっ殺す。それが砂漠の掟だ。畜生、今行くからな……待ってろよイムイム!」


ゲートが閉じられてしまう前にエルラカーヒラ内に入り込まなければならない。
鬼気迫る表情でゲートに駆け出したファングを追って、ラクダから飛び降りたティエルも男装を解いて走り始めた。
数秒遅れてやれやれとテユーラも駆け出すが、逃げ出してくる者達の数が多すぎて思うように前へと進めないのだ。

「テユーラおにいさん、早く! ゲートが閉まっちゃうよ!?」
「おいコラてめぇ、遅れたらぶっ飛ばすぞコラァ!」

「はー、やれやれ。見てのとおり僕は激しい運動が得意ではないんですヨ。しかも砂の上は走りにくいですし……」


閉じられる寸前であったゲートの中へと転がり込むように、どうにか三人は身体を滑り込ませることに成功した。
最後尾のテユーラが町に足を踏み入れた瞬間に、ゲートは重い音を立てて閉じられしまう。これで退路は断たれた。

汚れた簡易テントや土を塗り固めて作られた四角い民家が所狭しと立ち並ぶ都市、エルラカーヒラ。
町中にサンドワームが出現しているようだ。人々が右往左往して逃げ惑い、方々で上がる悲鳴。町は既に大混乱だ。
散らばる果物。次々となぎ倒されていくテント。舞い上がる砂埃。腰が抜けてその場で動けずにいる老人や子供達。


「落ち着け、ゲートは既に封鎖されている! 外には逃げられない、動けるやつはバザー広場に避難するんだ!!」

自警団と思わしき浅黒く日焼けした筋骨逞しい男が大声で誘導しているが、人々の悲鳴によって搔き消されている。
険しい表情を浮かべながらファングが自警団の男に歩み寄って行くと、男は驚いたようにあっと声を上げた。


「……驚いた、ファングさんじゃねぇか! なんで町を出て行ったあんたがここに……オレは幻でも見てるのか?」
「よう、元気そうだなペーター。相変わらずアホ面曝け出してんな」
「間違いねえ、その眉間の傷と人相の悪さは本物のファングさんだ。オレ達を助けに来てくれたんですかい!?」

「バカ野郎、むさ苦しい顔を近付けてくるんじゃねぇよ! オレの話は後だ、現在の状況を詳しく教えてくれ」
「見てのとおりですよ、突然町中に大量のサンドワームが出現しやがったんです」
「オレに手紙を寄越したイムイムの野郎はどこにいやがるんだ? もう既に死んじまってたら洒落にならねぇぞ?」

「やっぱりイムイムがファングさんを呼んでくれたのか。あいつは恐らく商王ウシャムの宮殿にいると思いますぜ」
「おい、商王ウシャムって。よりにもよって諸悪の根源の近くかよ!? あのバカ野郎」


呆れたように溜息をついたファングは、使い古された戦斧を決意を固めるように強く握りしめた。





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